新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3000〜3049
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3000

 

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ショパン:
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB8658/61
(1935年7月8日アビー・ロード第1スタジオ録音)
ピアニストのアルフレッド・コルトー(1877-1963)がどんなに輝かしい音を出していたか、どの復刻盤(LPを含めて)も再現していなことが、このCD-Rを聴くと分かる。オーケストラの録音もいささかも古さを感じさせない。

78CDR-3001

 

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ショパン:
エチュード作品10(全12曲)

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB2207/09
(1933年7月4&5日,ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード作品25と対になるもの。録音時コルトーは56歳だった。コルトーは曲順を楽譜通りではなく配列して曲の相互に関連性を持たせているのが聴きどころ。アビー・ロードに設置されたEMIの自社開発による録音システムが稼働しはじめて間もなくの録音。

78CDR-3002

 

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ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3068/74
(1936年2月6日= 第7番. 6月17,18,19日,11月8日=クロイツェル,ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を録音した。ソナタ第7番ハ短調と第9番イ長調「クロイツェル」はその第3巻である。

78CDR-3003

 

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ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB9126S/9130
(1946年8月16-18日ロンドン,アビー・ロード第1スタジオ録音)
フランスの女流ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカに向かう航空機の事故で30歳の命を失った。ピアニストで実弟のジャン・ヌヴーも同乗していた。彼女の天才ぶりは1930年に11歳でパリ音楽院で一等賞を得たことでも推し量れる。第2次世界大戦が終わり占領下のパリが解放され、世界に羽ばたく緒端の期の録音である。指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1894-1953)はロシア生まれ、1919年にボリショイ劇場でデビューした。ロシアのオペラを得意とした指揮者。

78CDR-3004

 

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J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009

パブロ・カザルス(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB8414/19
(1936年11月23日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年に録音された。この2曲を聴くとLP初期のシュタルケルによるコダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ(Period)が血の通わない録音にきこえる。それほどカザルスのこの2曲は生々しく迫ってくる。1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していた。

78CDR-3005

 

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ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調

アンリ・コック(ヴァイオリン)
シャルル・ファン・ランケル(ピアノ)

仏 POLYDOR 516549/52
(1932年録音)
この名曲の世界初録音盤である。この曲が日本で未だに人気があるのは、このSP盤に端を発している。ヴァイオリンのアンリ・コック(1903-1969)はベルギーのリエージュ生まれ、11歳でリエージュ音楽学校に入学、ヴァイオリン、ソルフェージュ、室内楽、和声学、音楽史の一等賞をとり、1928年からリエージュ音楽アカデミーでヴァイオリンの指導を始め、1932年から1967年までリエージュ音楽院の教授をつとめると同時に、リエージュ交響楽団のソロ・コンサートマスターをつとめた。骨太の筆致で奏でるルクーはSP時代のメニューインやLPのグリュミオーと一味違う。この演奏はLP時代も復刻盤がなかった初復刻。

78CDR-3006

 

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ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イグナツ・フリートマン(ピアノ)

仏 Parlophone 59.532/5(英Columbia LX72/5 と同一演奏)
(1930年9月12日ウィーン,ミッテルラー・コンツェルトザール録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドの大ヴァイオリニスト。6歳よりヴァイオリンを学び、1892年10歳の時ベルリンに出てドイツの大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の下で8ヵ月学び、師のヨアヒムの指揮でデビューした。その後ヨーロッパ各地で演奏し天才少年として名を高めた。名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)が彼の演奏を聴いて感心し、ウィーンで1895年に開かれた「パッティ告別演奏会」に招かれ演奏した。また同年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて驚かせたという逸話もある。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置き、演奏会を開きながら子弟の育成をした。1935年にはパレスチナを訪問しドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。ピアノのイグナツ・フリートマン(1882-1948)はポーランドのピアニスト。

78CDR-3007

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB2927/31
(1936年6月16,17,22日ロンドン, アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀前半に活躍した大ヴァイオリニスト。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は電気録音初期の1926年に録音していてこの曲の決定盤と評価されていた。これはクライスラーが61歳の時の2回目の録音。ヴァイオリン・ソナタ全集と同一時期のもので、ここでも人生経験を積んだ音楽家だけが持つ演奏を繰り広げてきる。EMI録音の完成期の見事な音はSP時代の再生法では再生不可能だった。

78CDR-3008

 

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サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番ハ短調作品44

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ・フィルハーモニー協会管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB2577/9
(1935年7月9日アビー・ロード第1スタジオ録音)
1935年作曲家サン=サーンス(1835-1921)の生誕100年記念演奏会がパリとロンドンで開かれた。ロンドンの演奏会の直後にアビー・ロードのEMIスタジオで録音された。ソリストはコルトー、オーケストラはパリで活躍していたソリストや音楽院教師などで特別に編成され、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)が指揮者に起用された。コルトーによるショパン:ピアノ協奏曲第2番の翌日の録音。フランス人指揮者とフランスのオーケストラによるこの曲とイギリス人指揮者とイギリスのオーケストラによる比較ができる。SPレコード録音の極致とも言える音。

78CDR-3009

 

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ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1223/7
(1928年11月18日ロンドン小クイーンズ・ホール録音)
まさに人類の遺産とも言えるかけがいのない名演奏。アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)のピアノ・トリオは電気録音の初期に数曲の録音をした。SP時代最高品質と言われた HIS MASTER'S VOICE盤は盛大な雑音があるが、楽音の彫りの深さも圧倒的。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3010

 

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パガニーニ(ヴィルヘルミ編):ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品6(単一楽章)

グィラ・ブスターボ(ヴァイオリン)
フリッツ・ツァウン指揮
ベルリン市立管弦楽団

独 COLUMBIA LWX 354/5
(1942年ベルリン録音)
グィラ・ブスターボ(1919-2002)はアメリカのウィスコンシン州生まれのイタリア系女流ヴィオリニスト。第2次世界大戦中ドイツで活躍した。ドイツ・コロンビアにシベリウスとパガニーニの協奏曲を録音していた。他に小品が数曲英コロンビアにあった。彼女は晩年インスブルックの音楽院で後進の指導にあたっていた。

78CDR-3011

 

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ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調 Hob. VIIa-1

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジャック・ティボー指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 DISQUE "GRAMOPHONE" W1579/80
(1943年10月7日パリ、アルベール・スタジオ録音)
パリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)について学んだミシェル・オークレール(1924-2005)が1943年のロン=ティボー・コンクールで優勝し、その記念として師の一人のジャック・ティボーの指揮で録音した記念レコード。こぼれるような初々しい表情のヴァイオリンに父親のように暖かい手をさしのべるティボーが微笑ましく感じる。

78CDR-3012

 

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フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調

ジョアン・マッシア(ヴァイオリン)
ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)

英 COLUMBIA DX239/242
(1930年6月3&6日パリ録音)
ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞、1904年にJ.S.バッハのクアヴィーア曲集を全曲ピアノで演奏した。ヴァイオリンのジョアン・マッシアはカタロニア出身で1923年にセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。

78CDR-3013

 

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ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 作品37
(単一楽章)

アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
デジレ・ドゥフォー指揮
ブリュッセル王立音楽院管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX14/6
(1929年9月27日ブリュッセル録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1949)はフランコ=ベルギー派の中核のヴァイオリニスト。ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)を師に仰ぎ、アルテュール・グリュミオー(1921-1985)を弟子に持った。作曲家のアンリ・ヴュータン(1820-1881)はまたイザイの師にあたる。ハイフェッツの名演奏で知られるこの第5番の世界初録音であった。フランコ=ベルギー正統派の演奏が聴ける貴重盤。

78CDR-3014

 

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ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB8054/60
(第4番&第5番=1935年4月,第8番=1936年2月ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1935年と1936年に録音したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲の第2巻とした発売されたSPレコード7枚組のセット。60歳を越えたクライスラーの深い音楽的心境が聴く者の心を打つ。

78CDR-3015

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調 作品47「クロイツェル」

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1328/31
(1929年5月27&28日パリ, プレイエル音楽堂サル・ショパン録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)とアルフレッド・コルトー(1877-1962)が電気録音初期に録音したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタの唯一の録音。ベートーヴェンの「大公トリオ」と同様天馬空を行くごときの名演奏。

78CDR-3016

 

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ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB8127/31
(1936年6月18&22日ロンドン, アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1936年に再録音したもの。録音が優れ、深みを増したクライスラーの心の襞を恐ろしいほど捉えている。ソロ・ヴァイオリンとオーケストラのバランスも最高。

78CDR-3017

 

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シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47

ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB9007/10
(1945年11月21日ロンドン, アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)の極め付きの演奏で、彼女の初の協奏曲録音でもあった。

78CDR-3018

 

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ショーソン:詩曲作品25

ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)

日本コロムビア J7880/1
(1929年ニューヨーク録音)
ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)がアメリカ・コロンビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストのベストフォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰。

78CDR-3019

 

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J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)

英 HIS MASTER'S VOICE DB21063, DB21300, DB6632/3
(1950年&1947年ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年からEMIに録音を初めた。最初に「シャコンヌ」が、残りの4つの楽章は3年後の1950年に録音された。燃える炎のようなバッハが聴ける。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3020

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:H.レオナール)

アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団

仏 DISQUE GRAMOPHONE W1508/12
(1941年11月10-11日、パリ、アルベール・スタジオ録音)
アンリ・メルケル(1897-1969)はスペイン交響曲やサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番のSPレコード録音で知られているフランスのヴァイオリニスト。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターを勤めた後ソリストに転向した。このベートーヴェンはフランスがドイツの占領下だった1941年11月の録音である。フランスの名ヴァイオリニストだったレオナール(1819-1890)のカデンツァが聴ける唯一のレコードであろう。レオナールはティボー(1880-1953)、フレッシュ(1873-1944)、エネスコ(1881-1955)を弟子に持った名教師マルシック(1848-1924)の師にあたる。

78CDR-3021

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:フーベルマン)

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英 COLUMBIA LX494/6
(1934年6月14日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドの大ヴァイオリニスト。6歳よりヴァイオリンを学び、1892年10歳の時ベルリンに出てドイツの大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の下で8ヵ月学び、師のヨアヒムの指揮でデビューした。その後ヨーロッパ各地で演奏し天才少年として名を高めた。名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)が彼の演奏を聴いて感心し、ウィーンで1895年に開かれた「パッティ告別演奏会」に招かれ演奏した。また同年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて驚かせたという逸話もある。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置き演奏会を開きながら子弟の育成をした。1935年にフルトヴェングラーからベルリン・フィルの独奏者として招かれたとき、書簡でナチ専制国では演奏する意思のないことを表明した。1935年にはパレスチナを訪問しドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。このSPレコードの生々しい演奏を聴くとフーベルマンが当時のヨーロッパの聴衆に受け入れられたのがよく理解できると思う。

78CDR-3022

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデツァ:ヨアヒム)

ヨーゼフ・ヴォルフスタール(ヴァイオリン)
フリーダー・ヴァイスマン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

英 PARLOPHONE E109121/4 (原録音:独 ODEON O-7635/8)
(1928年9月15日&19日ベルリン録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現リヴォフ)に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。フレッシュは彼をオーケストラに入れ最初はゲオルグ・クーレンカンプ(1898-1943)の後任としてブレーメン・フィルのコンサートマスターになった。1921年にはスウェーデンのオーケストランのコンサートマスターを務めた後、1922年からフェレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年指揮者オットー・クレンペラー(1885-1973)の要請でベルリンのクロル・オペラのコンサートマスターに就任。1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせて翌1931年2月、32歳で他界した。レコード録音は機械式録音の後期と電気式録音初期にある。このモーツァルトはベルリン・クロル・オペラのコンサートマスター就任の頃のもので、この曲の世界初録音だった。透明で銀色に光るヴァイオリンはSPレコード・ダイレクト・トランスファーだけで聴くことができる。

78CDR-3023

 

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モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
(カデンツァ:ピエルネ)

マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ交響楽団

米 COLUMBIA 68566D/68D(原録音:仏 COLUMBIA LFX408/10)
(1935年12月13日パリ録音)
マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイヤン(1907-1982)、ジャック・フェブリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ=シュワイツァー(1925-)等初期LPの時代に活躍した人がいる。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンは高名な割に録音が少ない。2006年のモーツァルト生誕250年にSP録音のモーツァルトを復刻した。SP原盤に小傷が多いのをご容赦願いたい。

78CDR-3024

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB2460/62
(1935年4月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀前半に活躍した大ヴァイオリニスト。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は電気録音初期の1926年に録音していたが、これはクライスラーが60歳の時の2回目の録音。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。ベルリナーの平円盤レコードの黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音を薦めた功労者でもある。1909年にロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者となり、機械式録音の時代にも多くの録音を残している。電気録音になってからは協奏曲の指揮をとり、コルトー(1877-1962)とシューマンのピアノ協奏曲を1927年と1934年の2回録音している。

78CDR-3025

 

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ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3296/3301
(1936年2月4日=第6番,6月19日=第10番ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を録音した。これらはSPレコード27枚で "ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ・ソサイエティ" として4巻のアルバムで発売された。この第6番と第10番は第4巻にあたる。楽譜に書かれた一つ一つの音に生命の息吹が込められているのは60歳の演奏家の芸術と言える。

78CDR-3026

 

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調 K.526

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヘフツィバー・メニューイン(ピアノ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DB2057/8
(1933年9月29日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団と一緒にラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判になった。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきをうけた。1928年には12歳で初レコード録音を行い、同年ベルリンでブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮ベルリン・フィルでバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの "3大B" のヴァイオリン協奏曲を弾いた。このモーツァルトは17歳の録音。ピアノは妹のヘフツィバー・メニューイン(1920-1981)で当時彼女は13歳だった。この屈託のない生き生きとした演奏を聴いているとモーツァルトの生き写しのように思えるから不思議だ。

78CDR-3027

 

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454

ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)

仏 PATHE PAT84/5
(1937年4月22日&5月11日パリ録音)
マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれのピアニスト。サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り、 9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1873-1962)に師事した。ソリストとしての活動だけでなくジャック・ティボー(1880-1953)、ジュール・ブーシュリ(1878-1962)、パブロ・カザルス(1876-1973)などの弦楽器奏者、エドゥアール・リスレル(1873-1929)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)らとピアノ・デュオを組んだこともある。ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事した。ブーシュリのクラスは美人のヴァイオリニストを多く輩出している。ソリアーノは音楽院でブーシュリ教授の助手を務め、1958年に結婚しブーシュリ夫人となった。タリアフェロとは1934年に録音したフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番があり、1934年の第1回ディスク大賞をとった。78CDR-1027は英コロンビア盤だったが、今回はオリジナルの仏パテ盤を使用した。

78CDR-3028

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ長調 BWV1016より
第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ

ジョアン・マッシア(ヴァイオリン)
ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)

仏 COLUMBIA LFX105/8
(1929年3月13日&1930年6月2日=ベートーヴェン、1929年1月2日=バッハ、マドリッド録音)
ピアノのブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院で学び、1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)のクラスで作曲を学んだ。1902年から同校で教鞭をとるようになり、彼女の死の1942年までつづいた。ジョアン・マッシアはカタロニア出身のヴァイオリニスト。1923年からセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。78CDR-1012のフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調と共に希少SPレコードの復刻である。

78CDR-3029

 

試聴

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

ミシェール・ブーシノー(ヴァイオリン)
モーリス・フォール(ピアノ)

仏 PATHE PDT 246/7

 

(1951年6月16日パリ、アルベール・スタジオ録音)

 

ミシェール・ブーシノー(1929-)はパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年のコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880-1953)が審査員を務めた最後の年になった。同年の9月に日本に向かう飛行機の事故でティボーは73歳の命を落としたからだ。コンクールの審査員の一人だったダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)はブーシノーをソ連政府を説得し助手にした。この録音はコンクールの2年前のものでSPレコード末期の貴重なもの。ブーシノーのSPはこのヘンデルだけでLP時代の録音もごく僅かしかない。ジョルジュ・プレートル指揮のサン=サーンス:死の舞踏(EMI)の中でソロを聴くことができる。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3030

 

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ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調 G.482

パブロ・カザルス(チェロ)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン交響楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB3056/8)
(1936年11月29日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)が HIS MASTER'S VOICE で初めてのソロ協奏曲録音である。録音はJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第2番と第3番(78CDR-3004)の6日後に行われた。録音時カザルスは60歳。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はイギリス指揮界の長老で、コルトーやクライスラーの協奏曲録音も務めたベテラン。録音当時63歳だった。

78CDR-3031

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

 

(カデンツァ:G.エネスコ)

ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
ジュール・ブーシュリ指揮
管弦楽団

仏 PATHE PAT127/9
(1937年6月3-4日パリ録音)
ドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まれたフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1936年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-1135)がディスク大賞を受賞した。ソリアーノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたった。ソリアーノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。この録音は師のブーシュリが愛弟子のために指揮棒を取った唯一の録音。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは機械式録音時代に録音はあるが、電気録音になってからは録音をしなかった。ソリアーノは本シリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番 K.454(78CDR-3027)、ヴァイオリン・ソナタ第34番 K.378(78CDR-1047)、ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(78CDR-1108)、ヴィヴァルディ=ダンドゥロー編:ヴァイオリン協奏曲作品3-9「調和の幻想」より(78CDR-1140)が出ている。

78CDR-3032

 

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ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB3885/6)
(1939年5月12日パリ、アルベール・スタジオ録音)
モーリス・ラヴェル(1875-1937)は第1次世界大戦(1914-1918)で負傷し右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタイン(1887-1961)の依頼で「左手のためのピアノ協奏曲ニ長調」を作曲した。初演はヴィットゲンシュタインのソロ、ロベルト・ヘーガー(1886-1978)指揮で1931年ウィーンで行われた。ヴィットゲンシュタインは力量不足で楽譜通りに弾ききれず勝手に手を加えて演奏した上にピアノがあまりにも難技巧のため音楽性がないと曲を非難した。そのため以降このピアニストとラヴェルの仲は険悪となった。楽譜通りの初演は1933年にジャック・フェヴリエール(1900-1979)によってパリで行われた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)の演奏は、彼のあらゆる録音の中の最高傑作ではなかろうか。この曲はSP時代にコルトーを含めて3種類の録音があり、そのいずれもシャルル・ミュンシュ(1891-1968)が指揮をしていた。録音時コルトーは62歳だった。

78CDR-3033

 

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ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB2554/60
(1935年4月2日=第1番,4月3日=第2番,4月3-4日=第3番ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀最高のヴァイオリニスト。1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲をSPレコード27枚に録音し、HIS MASTER'S VOICEは "ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ協会" としてアルバム4巻で発売した。この第1番から第3番は第1巻にあたる。この録音時クライスラーは60歳だった。第2巻は第4番、第5番「春」、第8番(78CDR-3014)、第3巻は第7番、第9番「クロイツェル」(78CDR-3002)、第4巻は第6番、第10番(78CDR-3025)で発売されている。

78CDR-3034

 

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フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調

マルセル・シャンピ(ピアノ)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン),モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン),アンリ・ブノワ(ヴィオラ),カミユ・ドゥロベール(チェロ)

日本コロムビア J8242/6
(1928年10月10日&15日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団の最後の録音。この録音の数週間後リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)が急逝したのだった。享年55歳。カペー弦楽四重奏団は1893年に結成された。途中メンバーの交代があったが、1927年と1928年にフランス・コロンビアに録音した時は1919年以来のメンバーであった。ピアノのマルセル・シャンピ(1891-1980)はパリ生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1909年に一等賞を得て、1941年から1961年でパリ音楽院の教授の地位にあった。弟子には、イヴォンヌ・ロリオ、エリック・ハイドシェック、セシル・ウーセなどがいる。

78CDR-3035

 

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ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)

米 COLUMBIA 50187/8-D
(1929年ニューヨーク録音)
ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)が1929年にアメリカ・コロンビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストのベストフォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰といえる。録音時エネスコは48歳だった。復刻にはアメリカ・コロンビアの初版ブルー・シェラック盤を使用した。第3楽章と第4楽章の前半で周期ノイズが出るのをご容赦願いたい。

78CDR-3036

 

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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330(300h)
モーツァルト:ロマンス変イ長調 K.Anh.205

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3424/5)
(1937年3月6日=K.330,1938年3月8日=K.Anh.205)
ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼルの音楽院で学んだ後ベルリンに出て、リストの高弟マルティン・クラウゼについた。1930年にベルリン高等音楽院の教授に就任し、演奏家としても活躍した。1942年にスイスに戻りソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(後にヴォルフガング・シュナイダーハン)、チェロのマイナルディとフィッシャー・トリオを結成した。弟子にアルフレッド・ブレデル、パウル・バドゥラ=スコダ、レーヌ・ジャノーリらがいる。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。

78CDR-3037

 

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヘフツィバ・メニューイン(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3552/3)
(1938年3月29日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)は6歳の時、サンフランシスコ交響楽団でラロのスペイン交響曲を弾いてデビューし、神童と騒がれた。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の指導を受けた。このソナタはメニューインが22歳の録音。他に17歳の時に録音したヴァイオリン・ソナタイ長調 K.526(78CDR-3026)もある。ヘフツィバ・メニューイン(1920-1980)は 4歳年下の妹で1933年以降しばしば兄と共演した。

78CDR-3038

 

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番ヘ長調 K.377(374e)

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米 VICTOR 15176/7 (英 HIS MASTER'S VOICE DB3373/4と同一録音)
(1937年10月9日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1935年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。ブッシュもまたドイツを去りスイスに移住、その後アメリカに定住した。この録音はブッシュが46歳、ゼルキンが34歳の時のもの。70年前のドイツではどのようなモーツァルト演奏が行われていたかの良き例。

78CDR-3039

 

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ルクー:ピアノ四重奏曲(未完)

シャルル・ファン・ランケル(ピアノ)
アンリ・コック(ヴァイオリン)
ジャン・ロジステル(ヴィオラ)
リド・ロジステル(チェロ)

仏 POLYDOR 516.555/7
(1933年1-5月録音)
24歳の生涯を閉じたギヨーム・ルクー(1870-1894)未完のピアノ四重奏曲をルクーのヴァイオリン・ソナタト長調を録音したヴァイオリンのアンリ・コック(1903-1969)とピアノのシャルル・ファン・ランケルにヴィオラのジャン・ロジステル(1879-1964)とチェロのリド・ロジステルが加わっての演奏である。これら4人の音楽家はベルギーのリエージュで活躍した。長老格のジャン・ロジステルはストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団の首席ヴィオラを務めたこともある。第2楽章をルクーに代わって師のヴァンサン・ダンディ(1851-1931)が補筆したこのピアノ四重奏曲は、ヴァイオリン・ソナタト長調と同じくベルギーの大ヴァイオリニスト、ウジェ-ヌ・イザイ(1858-1931)が作曲委嘱した作品だった。コックとランケルによるヴァイオリン・ソナタト長調は78CDR-3005で発売されている。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3040

 

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ラロ:スペイン交響曲作品21

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

日本コロムビアJ8320/22(英COLUMBIA LX-347/9 と同一録音)
(1934年6月20日&22日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。 3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。この「スペイン交響曲」の録音は1934年フーベルマンが52歳の時のもの。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ、最初にウィーン、後にライプツィヒで学んだ。ヨーロッパ各地のオペラ劇場で指揮した後、ニューヨークに移住。1942年から1946年はメトロポリタン歌劇場、1946年から死去する1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮した。この録音はセルが37歳の時のもの。ヴァイオリンをもってオーケストラに真剣勝負で切り込んでいくフーベルマンの鬼気せまる演奏がダイレクト・トランスファーによって初めて聴ける。このシリーズではのフーベルマンのベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番K.216(78CDR-3021)、チャイコフスキー:ヴァイオリオン協奏曲(78CDR-1077)、ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1128)、サラサーテ:アンダルシアのロマンス他(78CDR-1147)が出ている。復刻には最高品質を誇っていた時代の日本コロムビア盤を使用した。

78CDR-3041

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003 ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)

米 COLUMBIA 68152/3-D (英COLUMBIA LX-259/60と同一録音)
(1933年6月2日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音も行なっている。このバッハはシゲティが41歳の録音。復刻には米 COLUMBIA のブルーシェラック盤を使用した。

78CDR-3042

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番イ長調作品18-5

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)

日本コロムビアJ5091/4 (仏COLUMBIA D-13066/9と同一録音)
(1928年10月4日録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた、カペーは1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そしてその年の10月までに弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。約80年前の録音ながら、この洗練された四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-1168)、ハイドン:弦楽四重奏曲第67番「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3043

 

試聴

ショパン:24の前奏曲作品28 アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB957/60
(1926年3月22日&23日イギリス、ヘイズ "A"スタジオ録音)
(HMV盤特有のノイズがあります)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第1回目の録音。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。

78CDR-3044

 

試聴

ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ドビュッシー(ハルトマン編曲):ミンストレル-「前奏曲集第1巻」より

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

仏DISQUE "GRAMOPHONE" DB1322/3
(1929年6月7日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)の1929年6月7日の録音。ティボーが49歳、コルトーが52歳だった。二人はこの録音の10日前の5月27日と28日にベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(HMV DB1347/50)をパリのプレイエル音楽堂で録音していた。ヴァイオリンのティボーは1953年(昭和28年)9月2日(フランスでは9月1日)、日本を含む東南アジア公演に向かう途中、搭乗機が夜のアルプスの南峰スメ山に激突して命を落とした。享年73歳。ティボーとコルトーはベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-1015)が出ている。

78CDR-3045

 

試聴

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴァイオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

米COLUMBIA 67664/7D (英 COLUMBIA L-2252/5と同一録音)
(1928年11月2日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年にハガリーのブダペストで結成された。メンバーの全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィッド・ポッパー(1843-1913)に師事した。 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し2年間、田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年にウィーンでデビュー。そこに居合わせたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招き、公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカでデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初で、1927年のベートーヴェン没後100年では弦楽四重奏16曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このモーツァルトのクラリネット五重奏曲はイギリスのクラリネット界の祖父と尊敬されたチャールス・ドゥレイパー(1869-1952)を迎えて録音された。ドゥレイパーはブラームスのクラリネット五重奏曲もレナーと録音している。

78CDR-3046

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ウェーバー:アンダンティーノ(変奏曲ヘ長調 J.94)

エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
マイラ・ヘス(ピアノ)(ベートーヴェン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(ウェーバー)

米COLUMBIA 69081/3-D(英COLUMBIA LX-641/3 と同一録音)
(1937年6月28日&29日=ベートーヴェン、1936年12月22日=ウェーバー録音)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミアに生まれた。1909年にウィーンに移りアントン・ワルターに師事し11歳でコンサートデビューした。さらにライプツィヒでチェロの名教師ユリウス・クレンゲルについた。1929年から1933年にベルリン高等音楽院の教授をつとめ、1935年にナチスの迫害を避けるためにチューリヒに在住し、1938年にアメリカに移住した。この録音は35歳の時のもの。フォイアマンは1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)に来日し、演奏会の傍らコロムビアに録音した。ピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)はロンドン生まれの女流で1907年17歳の時トーマス・ビーチャム(1879-1961)指揮でベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でデビューした。その後デイム(男性のサーにあたる)の称号が与えられたイギリス・ピアノ界の重鎮で、門下にソロモン(1902-1988)やビショップ=コワセヴィッチ(1940-)らがいる。ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスの名ピアノ伴奏者。

78CDR-3047

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)

ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
エレーヌ・ピニャリ(ピアノ)

仏PATHE PDT163/4
(1947年12月24日録音)(小さなキズによるノイズがあります)
ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院で名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスで研鑽を積み、1932年16歳で一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。このモーツァルトは第2次世界大戦後の1947年の録音で、当時ソリアーノは32歳だった。ピアノのピニャリはパリ音楽院出身の女流奏者。ソリアーノはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454(ピアノ=タリアフェロ)(78CDR-3027)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216(ブーシュリ指揮)(78CDR-3031)が出ている。

78CDR-3048

 

試聴

ロッテ・レーマンのアメリカ・コロンビア録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
@第1曲「おやすみ」
A第2曲「風見の旗」
B第3曲「凍った涙」
C第4曲「かじかみ」
D第6曲「あふれる涙」
E第7曲「川の上で」
F第8曲「鬼火」
G第10曲「休息」
H第11曲「春の夢」
I第12曲「孤独」
J第14曲「霜おく髪」
K第16曲「最後の希望」
L第24曲「辻音楽師」

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)

米COLUMBIA 71174/6D, 17367/9D
(1941年3月14日&19日ニューヨーク録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツの名ソプラノ。1945年にアメリカ国籍を取得しカリフォルニアのサンタバーバラで晩年を過ごした。1910年ハンブルクのオペラで「ラインの黄金」のフライアでデビュー(22 歳)、以後ドイツ・オペラの最高のソプラノとして君臨した。またリートの分野でも活躍した。電気録音の初期に録音したシューマンの「女の愛と生涯」は広く聴かれた名演である。この「冬の旅」はアメリカのコロンビアに録音したもの。13曲を10インチ盤3枚、12インチ盤3枚に録音した。レーマンはソプラノでありながら低声域が豊かで、女声の「冬の旅」でもまったく違和感がない。声をはりあげて歌うのではなく、聴き手に語りかける歌い方が好ましい。レーマン53歳の録音。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。

78CDR-3049

 

試聴

ロッテ・レーマンのアメリカ・ヴィクター録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
@第5曲「菩提樹」
A第8曲「かえりみ」
B第13曲「郵便馬車」
C第15曲「からす」
D第17曲「村にて」
E第18曲「嵐の朝」
F第19曲「まぼろし」
G第20曲「道しるべ」
H第21曲「宿」
I第22曲「勇気」
J第23曲「幻の太陽」

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)

米VICTOR 2108/9, 17190/1
(1940年2月25日&26日録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)の「冬の旅」はアメリカのコロンビアとヴィクターの2社に録音された。ヴィクター社への録音はコロンビアの1年前の1940年で11曲が10インチ 2枚、12インチ 2枚だった。レーマン52歳の録音。シューベルトの書いた曲順で収録すると、レコード会社による音の違いが気になるため、コロンビアとビクターを別々に収録した。ピアノのパウル・ウラノフスキー(1908-1968)はウィーン生まれでニューヨークに没した。アメリカ時代のレーマンの録音の伴奏の多くを手掛けた。シューベルト:「美しい水車屋の娘」ほかのレーマンとの録音がある。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。

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