新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

33CDR-3950〜3999

 

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3950

 

2024/8新譜

J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002

クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016
1967年頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。(以下33CDR-3951へ)復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3951

 

2024/8新譜

J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(2)
ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
パルティータ第2番ニ短調 DWV 1004

クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016
1967年頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。(以下33CDR-3951へ)復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3952

 

2024/8新譜

J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(3)
ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
パルティータ第3番ホ長調 DWV 1006

クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016
1967年頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHEGRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。フェラスは完全に仕上がったJ.S.バッハの「無伴奏」をそのままにしておくのを偲びず、自費で録音をしたと想像する。録音場所は不明だが、音の響き方からスタジオではなくコンサート・ホールだと思われる。時折ホールの外の自動車の音が聞かれる。観客の気配は皆無なのでライヴ録音ではない。復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3953

 

2024/9新譜

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

フェリックス・ワインガルトナー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

米 COLUBIA 68855/68860-D(英 COLUMBIA LX 532/7と同一録音)1936年5月22&23日ウィーン録音
フェリック・ワインガルトナー(1863-1942)オーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの音楽院で学んだ。1889年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。この「英雄」はワインガルトナーが残した唯一の「英雄」。復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3954

 

2024/9新譜

ドビュシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
ヨハン・クリストフ・フリートリッヒ・バッハ:
弦楽四重奏曲第4番ニ短調よりAllgro moderato

カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)

仏 COLUMBIA LFX 210/213 1931年パリ録音
カルヴェ弦楽四重奏団は1919年に結成された。リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はトゥールーズ出身。生地の音楽院で1904年に一等賞を得て、その後パリ音楽院に進み1919年に一等賞得た後すぐに弦楽四重奏団を結成した。1928年リーダーの死によって解散したカペー弦楽四重奏団の後継四重奏団となったカル
ヴェ四重奏団の初録音。復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3955

 

2024/9新譜

超人歌姫!
関屋敏子名唱集(3)
(1)ユーモレスク(岸本操子訳詩 ドヴォルザーク作曲 橋本国彦編曲)
(2)ミネトンカの湖畔にて(妹尾幸陽訳詩 リューランス作曲)
(3)ラ・パロマ(妹尾幸陽訳詩 イラディエル作曲)
(4)悲歌(堀内敬三訳詩 マスネー作曲)
(5)ホフマンの舟唄(堀内敬三訳詩 オッフェンバック作曲)
(6)ローレライ(近藤さく風訳詩 ジルヒャー作曲)

関屋敏子(ソプラノ)
新響サロン・オーケストラ(1)(2)
ピチネリ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団(3)
日本ビクター管弦楽団(4)(5)(6)

日VICTOR 13190 (1)(2) 1932年7月発売(25cm盤)
日VICTOR 13305 (3) 1933年8月発売(25cm盤)
日VICTOR 13397 (4)(5) 1934年12月発売(25cm盤)
日VICTOR 13410 (6) 1935年3月発売(25cm盤)
関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3956

 

2024/10新譜

ベートーヴェン:
交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」から第4楽章「歓喜の頌」
(シラー原詩-尾崎喜八訳詞)

橋本国彦指揮
東京交響楽団
国立音楽学校&玉川学園合唱団(岡本敏明指導)
香山淑子(ソプラノ)(1910-?)
四家文子(メゾ・ソプラノ)(1906-1981)
木下保(テノール)(1903-1982)
藤井典明(バリトン)(1915-1994)

日本ビクター JH232/4
1943年(昭和18年)5月13日 日本青年館録音
日本最初の「第九」(第4楽章のみ)のレコード録音。指揮者、ソリスト、合唱団がすべて日本人によるもので、演奏会ライヴではなくセッション録音であることを特記したい。しかも昭和18年5月は日・米戦争の真っ最中の出来事。オリジナルのSPレコード付録の解説書にレコード評論家野村あらえびす氏は、「戦争によって海外からの原盤輸入が断たれたために、日本人の手によってこのような録音が生まれたことは、喜ばしいことである」との記述があった。指揮者の橋本国彦(1904-1949)は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者でもあった。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3957

 

2024/10新譜

ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

ダヴィッド・オイストラフ (ヴァイオリン)
アレクサンドル・ガウク指揮
ロシア国立交響楽団

米 MERCURY DM10(14000/14004) 1942年11月モスクワ録音
この曲の初演者ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)による録音。オイストラフはウクライナのオデーサ生まれ。1937年ブリュッセルで開催された「エリザベト王妃音楽コンクール」で優勝。モスクワ音楽院で後進の指導をしていたが、ソビエトの第2次大戦参戦で慰問演奏を行った。その後の活躍はめざましく、20世紀後半に活躍した世界屈指のヴァイオリン奏者。この録音は戦後米マーキュリー社から発売された。指揮者のアレクサンドル・ガウク(1893-1963)はソ連の音楽界を支えた偉大な人物。このシリーズでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1950年モスクワ録音)(78CDR-3358)も出ている。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3958

 

2024/10新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

米 RCA VICTOR 14997/15000
1936年4月27日ロンドン録音
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウ
ザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自らの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴェン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-1967)に代わった。この録音はロンドンのアビーロードでの録音だがEMIからは発売されずRCA VICTORのみの発売だった。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC
型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3959

 

2024/11新譜

モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 KV.449

キャスリーン・ロング(ピアノ)
ボイド・ニール指揮
ボイド・ニール管弦楽団

英 DECCA K.784/6
1935年7月19日ロンドン録音
この曲の初録音。キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外のベントフォード生まれ。神童として名を馳せ8歳で演奏会を開いた。1915年にロンドンのエオリアン・ホールでデビュー、1920年から1964年まで母校の王立音楽カレッジで教鞭をとった。モーツァルト、ハイドン。バッハなどの作品を得意とし、英DECCAに多く録音を残している。指揮者のボイド・ニール(1905-1981)はイギリス生まれ。外科医師から音楽家に転向し、1932年に自らの名を冠したオーケストラを指揮してデビューDECCAと契約して活躍した。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3960

 

2024/11新譜

ベートーヴェン
連作歌曲「遙かなる恋人に寄す」作品98
1.丘の上に私は座って
2.山々の青いところ
3.空高く軽やかに舞う鳥
4.空高くゆく雲
5.五月がめぐってきた
6.お別れにこの歌を

ハインリッヒ・シュルスヌス(バリトン)
セバスチャン・ペシュコ(ピアノ)

Deutsche Grammophon 67544/5(Ger.)
1939年7月19日ベルリン録音
ハインリッヒ・シュルスヌス(1888-1952)はドイツのブラウバッハ生まれ。1915年にハンブルクで初舞台を踏み、1917年から1950年までベルリン国立歌劇場で歌った。その間シカゴ・オペラ、バイロイト音楽祭、パリ・オペラ座にも出演した。シュルスヌスは優れたレガートと気品ある歌唱で知られ、オペラではドイツ人歌手でありながらヴェルディの諸役でも名を馳せた。ドイツリートの歌唱様式の典型を、テノールのレオ・スレザークと共に形作っていた歌い手でもあった。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3961

 

2024/11新譜

ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタ ト短調(1917)
前奏曲集第1集より第4曲「音と香りは夕べの大気のなかに漂う」

アンドレ・マンジョー(ヴァイオリン)
ライエル・バーブア(ピアノ)

英 NATIONAL GRAMOPHONIC SOCIETY(NGS)127/8
1929年ロンドン録音
この曲の初録音。アンドレ・マンジョーはパリ音楽院出身のヴァイオリニスト。1919年にロンドンでインターナショナル弦楽四重奏団を結成した。ピアノのバーブアはハンガリー生まれ。ブダペスト・トリオのピアニストをつとめた。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3962

 

2024/12新譜

唱歌「旅愁」
英語版原曲と犬童球渓訳詞による日本語歌唱
※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源

(1)ふるさとと母を夢見て(旅愁の原曲)(J.P. オードウェイ)
エヴァン・ウィリアムズ(テノール)
米Victrora 6321B(1916年3月29日機械式録音)
エヴァン・ウィリアムズ(1867-1918)は米オハイオ州生まれのオラトリオ歌手。生涯に約100枚のSPレコードを米VICTORと英HMVに残した。
(2)旅愁(独唱)
杉本阿さ子(歌)、湯前純親(伴奏)
ニットー・レコード 389B (1922年発売)(機械式録音)
演奏者の経歴は不詳。ニットー・レコードは大正期にあった大阪の会社。
(3)旅愁(少女小曲)
村山道子(歌)、豊田義一(ハーモニカ伴奏)
ニッポノフォン 15939A (1925年12月発売)(機械式録音)
村山道子(1904-1990)は大正中期に童謡歌手としてデビュー。長じてソプラノ歌手として活躍した。
(4)旅愁(犬童球渓訳詞)
植村輝子(歌)、松島ツネ子(ピアノ)
コロムビア 25658(1929年10月発売)
植村輝子はドラマティック・ソプラノとして昭和初期に活躍した。
(5)旅愁(犬童球渓作歌)
関屋敏子(ソプラノ)
カルロ・サバンニョ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
ビクター 4135A(BM654-2)(1929年10月ミラノ録音)
関屋敏子(1904-1941)は偉大なソプラノ。イタリア在留中の録音。
(6)旅愁(犬童球渓作詩・杉田良造編曲)
松島詩子(歌)リーガル・オーケストラ
リーガル 65952(74204)(1933年8月発売)
松島詩子(1905-1996)は山口県柳井市出身。1932年音楽教師から歌手に転向。これはデビュー後2枚目の録音。後にキングレコードの看板歌手になった。
(7)旅愁(Traditional)
モーリス・マレシャル(チェロ)、マキシム・シャピロ(ピアノ)
コロムビア J5482(200841)(1935 年東京録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)フランス、ディジョン生まれのチェリスト。パリ音楽院出身。1935年と1937年に来日、コロムビアに小品16曲を録音した。
(8)旅愁(犬童球渓作詩・杉山長谷夫編曲)
中村淑子、四谷文子、藤山一郎、徳山たまき(歌) 日本ビクター弦楽六重奏団ビクター 53397A(7056)(1935年5月発売)大物歌手四人の斉唱・重唱が楽しめる。(9)旅愁(アメリカ民謡・犬童球渓作詞・坂本良隆編曲)
三枝喜美子(歌)、コロムビア・オーケストラ
コロムビア A432z(1210409)(1948年発売)
三枝喜美子(1921-2000)武蔵野音楽学校研究科修了のアルト歌手。藤原歌劇団に所属していた。
(10)旅愁(犬童球渓作詞・オードウェイ作曲・飯田信夫編曲)
藤井典明指揮日本ビクター女声合唱団  大堀敦子(ピアノ)ビクター V-40396(1950年6月発売)藤井典明(1915-1994)は東京音楽学校研究科修了。バリトン歌手として、また合唱指揮者して活躍した。ピアノの大堀敦子は愛知県立芸術大学の名誉教授勤めた。
「旅愁」は日本生まれの歌ではなく、原曲はアメリカの作曲家 J. P.オードウェイ(1824-1880)が1868年に作曲した「ふるさとと母を夢見て Dreaming of Home and Mother」で、明治40年(1907)に詩人犬童球渓(いんどうきゅうけい)(1879-1943)によって訳詞された翻訳唱歌だった。1907年に発表された「中等教育唱歌集」に載ってから広く親しまれ、明治・大正のラッパ吹き込みの時代から親しまれてきた。だが初期のレコードには作曲家や作詞家の名前が記載されなかったこともあって日本生まれの歌だと思われてきた。数年前にアメリカVICTORのカタログにテノール歌手エヴァン・ウィリアムズによる「ふるさとと母を夢見て Dreaming of Home and Mother」を見つけ約 2年かけてSP盤を入手した。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3964

 

2024/12新譜

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 KV,271a
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3

ヘレン・エアロフ(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団(モーツァルト)
セレニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)(ベートーヴェン)

米 REMINGTON R-199-46(モーツァルト)1953年発売
米 REMINGTON R-199-93(ベートーヴェン)1952年11月発売
ヴァイオリンのヘレン・エアロフ(1916-1987)はロシア生まれ(ニューヨーク生まれ説あり)。9歳のとき神童としてサンフランシスコでデビュー。ヨーロッパに渡りアドルフ・ブッシュ(1891-1952)とジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事した。多くの演奏会で成功をしたが、特に第2次世界大戦中は米軍兵士(G.I.)の慰問コンサートでアフリカ、ヨーロッパ、中近東で演奏した。エアロフの最大の功績は、師のエネスコに録音プロデューサーのドン・ガボール(1912-1980)を紹介し、エネスコが録音していなかったJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲(33CDR-3385&33CDR-3385)の録音完成を後押ししたことである。協奏曲を指揮するクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアのリンツ生まれ。大指揮者フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)の個人教授で指揮法を学んだ。1951年から1954年までNHK交響楽団の常任指揮者を務めたこともある。ピアノのセレニ・シャイエ=リシェはフランスのリール生まれ。1898年にパリ音楽院で一等賞を得た。エネスコの没後ルーマニアのブカレストでエネスコ資料館を立ち上げ参加した。復刻にはKLANG-KUNST Model 10A カートリッジをモノ接続にして、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3965

 

2025/1新譜

モーツァルト:
ピアノ協奏曲第26番ニ長調 KV.537 「戴冠式」
アダージヨ ロ短調 KV,540

リリー・クラウス(ピアノ)
ルドルフ・モラルト指揮
ウィーン交響楽団(協奏曲)

米 VOX PL 7300
1950年ウィーン録音
LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1988)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入学、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)らに師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアル・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のルドルフ・モラルト(1902-1958)はミュンヘン生まれ、リヒャルト・シュトラウスの遠縁にあたる。復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3966

 

2025/1新譜

モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 KV.219(カデンツァ: ヨアヒム)

エヴァ・ヒッツカー(ヴァイオリン)
フリッツ・ヴァイトリッヒ指揮
ザルツブルク祝祭管弦楽団

米 REMINGTON RLP-149-37(25cm 盤)1951年発売
エヴァ・ヒッツカー(1921-2016)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリン奏者。この録音の他にハイドン:ヴァイオリン協奏曲第3番イ長調 H.VIIa, No.3(1765)"Melk"(Amadeo AVRS 6355)があった。指揮者のフリッツ・ヴァイトリッヒ(1898-1952)はウィーン生まれ。インスブルック楽友協会の指揮者をつとめた。復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3967

 

2025/1新譜

クープラン:クラヴサン組曲第1巻より第24組曲
大殿様
若殿様
毒槍
花飾り
がらくた
みごとな犬、またはおどけた恋
美しいおしゃべり女
二重生活者

エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(ハープシコード)

米 URANIA RECORDS URLP 5001(25cm 盤)1951年発売
エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(1894-1986)はベルリン生まれの女流ハープシコード奏者。第2次世界大戦中ナチス・ドイツから「ユダヤ人贔屓」とにらまれ、戦時中を日本で過ごした。この録音は最初期のLPに残されていたもので、ほとんど知られていなかった貴重盤。復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

45CDR-3968

 

2025/2新譜

モーツァルト:きらきら星変奏曲-ダニエル・バレンボイム14歳の初録音
きらきら星変奏曲 K.265 (モーツァルト)
カプリッチョ 嬰ヘ短調 作品5 (メンデルスゾーン)
間奏曲 ハ長調 作品119-3 (ブラームス)

ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

PHILIPS ELECTICAL LIMITED LONDON NBE 11013(17cm 45回転盤)1956年ロンドン録音
ダニエル・バレンボイム(1942-)が1956年、14歳の初録音集。アルゼンチンのブエノス・アイレス生まれ。5歳でピアノを始め、1950年8月19日、7歳のときブエノス・アイレスで最初のコンサートを開いた。1952年に一家と共にイスラエルに移住し、2年後の1954年の夏に両親と共にザルツブルクに行き、イーゴリ・マルケヴィッチのクラスに参加した。その年ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに出会い、この大指揮者に強い印象を与えた。この録音の1年前の1955年にパリでナディア・ブーランジェ教授に和声と作曲の個人指導を受けた。その後ピアニスト、指揮者として20世紀後半のクラシック音楽界で大活躍した。復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3969

 

2025/2新譜

モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」

リリー・クラウス(ピアノ)

米 VOX PL 63101950年フランス録音
LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

 

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3970

 

2025/2新譜

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364

アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
ライオネル・ターティス(ヴィオラ)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮 ロンドン交響楽団

英 COLUMBIA DX 478/81 1933年4月30日ロンドン録音
この名曲の世界初録音。ヴァイオリンのアルバート・サモンズ(1886-1957)はロンドン生まれ。指揮者のトーマス・ビーチャムに見いだされ、ビーチャムが設立したオーケストラのコンサート・マスターに迎えられた。その後ロンドン弦楽四重奏団を立ち上げ、その後ジョージ5世の御前演奏家に選ばれた。ヴィオラのライオネル・ターティス(1876-1975)はライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学んだが、在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたのがきっかけで転向した。パウル・ヒンデミットやウィリアム・プリムローズらと共にヴィオラの独奏楽器としての地位を確立した。指揮者のハミルトン・ハーティ(1879-1941)は1920年にハレ管弦楽団の指揮者に就任し、1933年までその地位にあった。1935年にナイトに叙せられた。録音はヨーゼフ・シゲティのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3220)が出ていた。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

33CDR-3971

 

2025/3新譜

ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調
ナルディーニ:ヴァイオリン協奏曲ホ短調

ペーター・リバール(ヴァイオリン)
クレメンス・ダヒンデン指揮
ヴィンタートゥール交響楽団

米WESTMINSTER WL50-49 1950年録音
ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番はLP最初期にこの演奏で評判になった。この作曲家の初レコード。ペーター・リバール(1913-2002)はウィーン生まれのスイスのヴァイオリニスト。プラハ音楽院で作曲家のヨゼフ・スーク(1874-1935)に師事した後、パリでカール・フレッシュ(1873-1944)にも師事した。1938年からスイスに居住し、ヴィンタートゥール・コレギウム・ムジクムのコンサートマスターに就任した。また同地の音楽院の教授として後進の指導にあたった。大戦後録音活動を活発に行い、特にウェストミンスター録音は評判を呼んだ。指揮者のクレメンス・ダヒンデン(1912-1989)はチューリッヒ音楽院出身。1939年からペーター・リバールが創設したヴィンタートゥール弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンを担当し、1950年からヴィンタートゥール交響楽団の指揮者をつとめ1978年に引退した。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3972

 

2025/3新譜

モーツァルト
ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414
ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456

リリー・クラウス(ピアノ)
ピエール・モントゥー指揮
ボストン交響楽団

米 RCA VICTOR LM 1783 1953年ボストン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され、大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後はパリ・オペラ=コミック座やコロンヌ管弦楽団の楽員だったが、1906年にコロンヌ管でを指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者となり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」など、20世紀の名作バレエ音楽の初演を指揮した。第一次世界大戦後にアメリカのメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年からはサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者をつとめた。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団(1919から24年まで音楽監督)を指揮している。これは第2次大戦後のボストン響との録音。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

78CDR-3973

 

2025/3新譜

モーツァルト
交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」

ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

日COLUMBIA JW 8/10(英HIS MASTER'S VOICE DB 3112/4と同一録音)

1936年12月18日ウィーン、ムジークフェライン録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、
音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーを指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD 録音機を使用した。

33CDR-3974

 

2025/4新譜

モーツァルト:
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 K.271「ジュノム」
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466    

ギオマール・ノヴァエス(ピアノ)
ハンス・スワロフスキー指揮
ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団

独 ORBIS CZ 1039(米 VOX PL 8430と同一録音) 1954年録音(モノラル)
ピアノのギオマール・ノヴァエス(1895-1979)はブラジル生まれ。7歳でサン・パウロの音楽堂で公開演奏会を開いた天才少女だった。1909年パリ音楽院のイジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスに入った。2年後音楽院の一等賞を得て、フランス、イギリス、スイス、ドイツ、イタリアでの演奏会で絶賛を浴び、人気者のコンサート・ピアニストになっていた。1914年第一次世界大戦の勃発時に一時ブラジルに戻り、間もなくアメリカに渡り、ニューヨークのエオリアン・ホールでアメリカ・デビューし、その後頻繁にこの地を訪れた。レコード録音は1925年にアメリカVICTROLAのSP盤から始まり、LP時代になって米VOX社に多く残したが、モーツァルトは協奏曲録音がこの一枚、他にピアノ・ソナタが1枚だけだった。指揮者のハンス・スワロフスキー(1899-1975)はハンガリー生まれ。1933年にベルリン国立歌劇場でエーリッヒ・クライバーのアシスタントになり、1940年から1944年までザルツブルク音楽祭のアドヴァイザーを、戦後はウィーン交響楽団の首席指揮者をつとめた。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A MC型カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

78CDR-3975

 

2025/4新譜

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」

エーリッヒ・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

日ビクター C 1686/88(英 HIS MASTER'S VOICE C 1686/8と同一録音)
1929年2月2日ウィーン、ムジークフェライン録音
ウィーン生まれの指揮者エーリッヒ・クライバー(1880-1956)はカルロス・クライバー(1930-2004)の父親。エーリッヒはプラハのカレル大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にレオ・ブレッヒ(1871-1958)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職
を辞し、1935に妻と当時5歳の息子カルロスとアルゼンチンに移住した。1939年にアルゼンチンの市民権を得てブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカ専属になり活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

78CDR-3976
※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
2025/4新譜

モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458「狩り」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1606/08(80回転)
1924年10月23日ロンドン録音
ラッパ吹き込み(機械式録音)では楽章単位の録音が主流だったが、これはおそらく初めての全楽章の収録盤。レナー弦楽四重奏団は1916年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト歌劇場の楽員だったが、1918年に起きたハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。 2年間田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年ウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のモーリス・ラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドンにデビュー、イギリスCOLUBIAに最初の録音をした。1925年にマイクロフォンを使用した電気録音時代になった後の1928年11月に、この曲を再録音(78CDR-3097)している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのDS-DAC-10R録音機を使用した。


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