レコード番号 |
タイトル |
演奏者 |
説明 |
33CDR-3950
2024/8新譜
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J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(1) ソナタ第1番ト短調 BWV 1001 パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
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クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
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米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016 1967年頃のヨーロッパ録音 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。(以下33CDR-3951へ)復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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33CDR-3951
2024/8新譜
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J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(2) ソナタ第2番イ短調 BWV 1003 パルティータ第2番ニ短調 DWV 1004
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クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
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米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016 1967年頃のヨーロッパ録音 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。(以下33CDR-3951へ)復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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33CDR-3952
2024/8新譜
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J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(3) ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005 パルティータ第3番ホ長調 DWV 1006
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クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
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米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016 1967年頃のヨーロッパ録音 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHEGRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。フェラスは完全に仕上がったJ.S.バッハの「無伴奏」をそのままにしておくのを偲びず、自費で録音をしたと想像する。録音場所は不明だが、音の響き方からスタジオではなくコンサート・ホールだと思われる。時折ホールの外の自動車の音が聞かれる。観客の気配は皆無なのでライヴ録音ではない。復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。 |
78CDR-3953
2024/9新譜
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ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
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フェリックス・ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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米 COLUBIA 68855/68860-D(英 COLUMBIA LX 532/7と同一録音)1936年5月22&23日ウィーン録音 フェリック・ワインガルトナー(1863-1942)オーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの音楽院で学んだ。1889年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。この「英雄」はワインガルトナーが残した唯一の「英雄」。復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3954
2024/9新譜
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ドビュシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10 ヨハン・クリストフ・フリートリッヒ・バッハ: 弦楽四重奏曲第4番ニ短調よりAllgro moderato
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カルヴェ弦楽四重奏団 ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン) ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン) レオン・パスカル(ヴィオラ) ポール・マ(チェロ)
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仏 COLUMBIA LFX 210/213 1931年パリ録音 カルヴェ弦楽四重奏団は1919年に結成された。リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はトゥールーズ出身。生地の音楽院で1904年に一等賞を得て、その後パリ音楽院に進み1919年に一等賞得た後すぐに弦楽四重奏団を結成した。1928年リーダーの死によって解散したカペー弦楽四重奏団の後継四重奏団となったカル ヴェ四重奏団の初録音。復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3955
2024/9新譜
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超人歌姫! 関屋敏子名唱集(3) (1)ユーモレスク(岸本操子訳詩 ドヴォルザーク作曲 橋本国彦編曲) (2)ミネトンカの湖畔にて(妹尾幸陽訳詩 リューランス作曲) (3)ラ・パロマ(妹尾幸陽訳詩 イラディエル作曲) (4)悲歌(堀内敬三訳詩 マスネー作曲) (5)ホフマンの舟唄(堀内敬三訳詩 オッフェンバック作曲) (6)ローレライ(近藤さく風訳詩 ジルヒャー作曲)
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関屋敏子(ソプラノ) 新響サロン・オーケストラ(1)(2) ピチネリ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団(3) 日本ビクター管弦楽団(4)(5)(6)
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日VICTOR 13190 (1)(2) 1932年7月発売(25cm盤) 日VICTOR 13305 (3) 1933年8月発売(25cm盤) 日VICTOR 13397 (4)(5) 1934年12月発売(25cm盤) 日VICTOR 13410 (6) 1935年3月発売(25cm盤) 関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3956
2024/10新譜
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ベートーヴェン: 交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」から第4楽章「歓喜の頌」 (シラー原詩-尾崎喜八訳詞)
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橋本国彦指揮 東京交響楽団 国立音楽学校&玉川学園合唱団(岡本敏明指導) 香山淑子(ソプラノ)(1910-?) 四家文子(メゾ・ソプラノ)(1906-1981) 木下保(テノール)(1903-1982) 藤井典明(バリトン)(1915-1994)
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日本ビクター JH232/4 1943年(昭和18年)5月13日 日本青年館録音 日本最初の「第九」(第4楽章のみ)のレコード録音。指揮者、ソリスト、合唱団がすべて日本人によるもので、演奏会ライヴではなくセッション録音であることを特記したい。しかも昭和18年5月は日・米戦争の真っ最中の出来事。オリジナルのSPレコード付録の解説書にレコード評論家野村あらえびす氏は、「戦争によって海外からの原盤輸入が断たれたために、日本人の手によってこのような録音が生まれたことは、喜ばしいことである」との記述があった。指揮者の橋本国彦(1904-1949)は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者でもあった。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3957
2024/10新譜
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ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
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ダヴィッド・オイストラフ (ヴァイオリン) アレクサンドル・ガウク指揮 ロシア国立交響楽団
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米 MERCURY DM10(14000/14004) 1942年11月モスクワ録音 この曲の初演者ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)による録音。オイストラフはウクライナのオデーサ生まれ。1937年ブリュッセルで開催された「エリザベト王妃音楽コンクール」で優勝。モスクワ音楽院で後進の指導をしていたが、ソビエトの第2次大戦参戦で慰問演奏を行った。その後の活躍はめざましく、20世紀後半に活躍した世界屈指のヴァイオリン奏者。この録音は戦後米マーキュリー社から発売された。指揮者のアレクサンドル・ガウク(1893-1963)はソ連の音楽界を支えた偉大な人物。このシリーズでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1950年モスクワ録音)(78CDR-3358)も出ている。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3958
2024/10新譜
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
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ブダペスト弦楽四重奏団 ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン) アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン) イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ) ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
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米 RCA VICTOR 14997/15000 1936年4月27日ロンドン録音 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウ ザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自らの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴェン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-1967)に代わった。この録音はロンドンのアビーロードでの録音だがEMIからは発売されずRCA VICTORのみの発売だった。復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC 型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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