新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3100〜3149

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3100

 

試聴

★米RCA VICTOR盤からの復刻
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009

パブロ・カザルス(チェロ)

米 RCA VICTOR 16015/16020(英HIS MASTER'S VOICE DB8414/19と同一録音)
(1936年11月23日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年にパリで録音された。1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していた。ノイズの少ない米RCA VICTOR盤からの復刻。英 HIS MASTER'S VOICE盤からの復刻は78CDR-3004で出ている。

78CDR-3101

 

試聴

ブラームス:
ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲イ短調作品102

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
アルフレッド・コルトー指揮
バルセロナ・パブロ・カザルス管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB1311/4
(1929年5月10-11日バルセロナ、オリンピア劇場録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)の壮年期の3人が一同に会した最後の録音。ここではコルトーが指揮者を務めている。香り立つロマンが横溢して、タイムカプセルが80年前の世界に導いてくれる。

78CDR-3102

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA BD7666/71
(1943年3月31-4月1日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)による唯一正規録音の「英雄」。第2次世界大戦の真っ只中、ヒトラーの統制下のベルリンで行われた録音。クナッパーツブッシュはベルリン・フィルと1942年からエレクトローラ(EMI)に録音を始めた。そしてこの「英雄」がベルリン・フィルの戦前最後の商業録音になった。このレコードは戦中のためプレス枚数が極めて少なく、現在SP盤を見ることは滅多にない。この時期のベルリン・フィルはフルトヴェングラーやヨッフムが指揮して帝国放送局(RRG)に録音を行っていた。それらはLP時代になってウラニアやメロディア、VOX等から発売された。

78CDR-3103

 

試聴

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA BD4609/14
(1938年10月25-27日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がEMIに録音した正規録音。正規録音とは指揮者自身がレコードとして承認したもので、放送録音など指揮者が生前レコードになることを許可しなかった演奏とは違うものをさす。今回の復刻はオーケストラの細部を克明に彫りだすことに努めたことで、演奏の感動がまた新たになるだろう。

78CDR-3104

 

試聴

ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」

ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

米RCA VICTOR 12259/63 (英HIS MASTER'S VOICE C2949/53 と同一録音)
(1937年10月30日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒ学んだ。10歳の時にピアニストとしてウィーン交響楽団の演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のアシスタントを務めたこともある。1930年から36年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から46年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者だった。1946年にアメリカ市民となり、46年から70年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位にあった。この録音はカザルスをソリストに迎えたドヴォルザーク:チェロ協奏曲(78CDR-3060)の半年後、チェコ・フィルがヨーロッパ・ツアーした際にアビー・ロードで録音された。

78CDR-3105

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

独 ELECTROLA BD1120/24
(1927年11月21,23,25日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は電気録音最初期の1926/7年にベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を指揮者レオ・ブレッヒとベルリンでHIS MASTER'S VOICEに録音した。このブラームスがベートーヴェン、メンデルスゾーンより1年遅かったため前2作品より優れた音質の録音になっている。クライスラーは1936年に3大協奏曲をロンドンで再録音した。これらはすべて78CDRシリーズで復刻されている。50歳代初頭のクライスラーと60歳代に入ってからの演奏を聴きくらべるのも面白い。

78CDR-3106

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110 エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

独 ELECTROLA DB3707/8
(1938年ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーのベートーヴェンの演奏は同時代に活躍したバックハウス(1884-1969)やシュナーベル(1882-1951)には無い "心の内に燃えさかる感情の炎" が見える。

78CDR-3107

 

試聴

ラロ:スペイン交響曲作品21

アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮
コンセール・パドゥルー管弦楽団

仏 DISQUE GRAMOPHONE L-923/6
(1932年2月パリ録音)
アンリ・メルケル(1897-1969)はパリ・オペラ座の管弦楽団やコンセール・ラムルー管弦楽団の団員を務めた後、1927年にパリで独奏会を開いた。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして独立した。このスペイン交響曲はSPレコード時代にカットされることが多かった第3楽章インテルメッツォが収録されている。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍した。大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。メルケルはこのシリーズでベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)が出ている。

78CDR-3108

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a
モーツァルト(A.バッハマン編):
ディヴェルティメント第17番ニ長調 K.334からメヌエット

ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団(協奏曲)
アンドレ・レルミット(ピアノ)(メヌエット)

仏 Pathe PAT143/6
(1939年3月14&15日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。ソリアノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a はモーツァルトが21歳の時に作曲されたと伝えられた曲だがオリジナル楽譜は存在せず、19世紀中頃に作成された筆写譜に基づいた楽譜が1927年に出版された。1932年に当時16歳だったユーディ・メニューイン(1916-1999)によって初録音されたが現在ではモーツァルトの作品ではない疑作に分類されている。ソリアーノの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-1031)とモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3027)が出ている。

78CDR-3109

 

試聴

サン=サーンス: 交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」

アレックス・スイエ(オルガン)
リュシアン・プティジャン&ドニーズ・エルブレシュト(ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
交響楽団

米 RCA VICTOR 13238/41(仏 DISQUE GRAMOPHONE W1092/5と同一録音)
(1930年2月パリ録音)
その昔、このオルガンを聴きえた人は居たのだろうか。電気録音初期のこの曲の初レコードで、SPレコードながらオルガンが自然なバランスで録音されている。当時の蓄音機や電蓄などでは再生が難しかったと思われる。またこのディスクは作曲家サン=サーンス(1835-1921)の生前の演奏様式を知ることができる貴重な録音。ライブを彷彿させる熱気溢れる演奏。ピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれの指揮者で作曲家。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍したほか、大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3110

 

試聴

サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調作品75

アンドレ・パスカル(ヴァイオリン)
イジドール・フィリップ(ピアノ)

米 COLUMBIA P-71214/6D(仏Pathe PAT 15/7と同一録音)
(1934年6月28 & 30日パリ録音)
フランス近代ヴァイオリン・ソナタの名作であるフォーレの第1番(1877年作)やフランクのソナタ(1886年作)の間に埋もれている感のあるこのソナタはカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が1885年に作曲した。ピアニストのイジドール・フィリップ(1863-1958)はハンガリー系のフランスのピアニストで、1883年パリ音楽院で一等賞を得てサン=サーンスにも師事した。1903年から1934年まで母校の教授を務め、門下に多くの名ピアニストを輩出した。ヴァイオリンのアンドレ・パスカル(1894-没年不詳)はパリ音楽院に学び、パリ音楽院管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院の教授を務めた。この録音は作曲者サン=サーンスの生誕100年の年に、故人と縁の逢った演奏者によって録音された貴重なもの。この曲の世界初録音であった。

78CDR-3111

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

日COLUMBIA J8445/7 (英 COLUMBIA LX-386/8と同一録音)
(1934年10月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音もしている。このモーツァルトはシゲティの長い録音経歴で唯一のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲。トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。シゲティとビーチャムの顔合わせはメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1124)で出ている。

78CDR-3112

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

独 POLYDOR 67946/50
(1942年6月11日ドレスデン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。機械式録音時代からステレオ録音の時代まで多くの録音を残した。パウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。1932年から1942年までドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。ケンプとファン・ケンペン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全5曲はLP初期の1953年の録音が有名だが、これは1942年第2次世界大戦下のドレスデン録音。ケンプ47歳の壮年期の演奏が聴ける。物資窮乏の時代のためプレス枚数が極めて少なく、おそらくこれが初復刻だと思う。ケンプとファン・ケンペンの組み合わせはベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120), モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-1153)が出ている。

78CDR-3113

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

蘭 HIS MASTER'S VOICE DB9570/2
(1949年5月3-4日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。戦後の1947年にエディンバラ音楽祭に初登場、同時にEMIの専属アーティストになった。この録音はSP時代の末期のもの。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。デ・ヴィトーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3019)とJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV1042(78CDR-3052),ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。

78CDR-3114

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB9413/5
(1949年6月10日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高ののヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はSP最後期の録音。ハイフェッツ初のメンデルスゾーンであった。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツはチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3086)が出ている。

78CDR-3115

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36

カール・シューリヒト指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

英 DECCA AK1610/3
(1947年2月14日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
おそらくLP、CDでの初復刻。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。SP時代からベートーヴェンやブルックナーの録音を独ポリドールに残していた。これはシューリヒトがスイス・ロマンドを指揮した珍しいもので、わが国ではほとんど知られていなっかった。LP時代にパリ音楽院やウィーン・フィルを指揮していたこの大指揮者の第2次世界大戦直後のスイス録音は、颯爽とと直進する若々しさが横溢している。英デッカのffrr録音。

78CDR-3116

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2

ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
フリートリヒ・ヴューラー(ピアノ)

英 COLUMBIA LX8673/6
(1947年12月1&6 日ウィーン録音)
おそらくLP、CDでの初復刻。ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれ。幼少期に神童と注目されヴォルフィの名でオーストリア・コロンビアに小品の録音があった。17歳でウィーン交響楽団の第1ヴァイオリン奏者になり、その後ウィーン・フィルハーモニーに入り、1937年から1950年までコンサート・マスターの地位にあった。その時期にシュナイダーハン弦楽四重奏団のリーダーやエトヴィン・フィッシャー・トリオのメンバーとしても活躍した。このSP録音はシュナイダーハンがドイツ・グラモフォン専属になる前のもの。ピアノのフリートリヒ・ヴューラー(1900-75)はウィーン音楽アカデミーに学び、母校の教授をつとめた。LPの初期に米VOXに録音を残していた。

78CDR-3117

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K.397

ワンダ・ランドフスカ(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団

仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB3147/50
(1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランド出身のハープシコード&ピアノ奏者。パリのプレイエル社に2段鍵盤の特注したハープシコードでSPレコードの電気録音初期から多くの録音を残した。この「戴冠式」はランドフスカが初めてピアノを弾いた録音。イギリス国王ジョージ6世(1895-1952、現エリザベス女王の父君)の即位を記念した録音と伝えられる。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身でシェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命。指揮者として活躍した。ランドフスカはJ.S.バッハ:ゴルトベルグ変奏曲(78CDR-3073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集18曲(78CDR-3081)が出ている。

78CDR-3118

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ポール・パレー指揮管弦楽団

仏 POLYDOR 566230/232
(1947年10月29日パリ録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。モーツァルトの作品を得意として生涯プログラムの中心だった。この録音は第2次世界大戦後の1947年、ティボーが67歳の時のもの。指揮者のポール・パレー(1886-1979)は1911年パリ音楽院の作曲部門でローマ賞を得て、後に指揮者として活躍した。戦後の1951年アメリカのデトロイト交響楽団の指揮者に就任1963年まで務めた。DSDトランスファーによってこれまでの復刻LPとは違ったティボーのエレガントなヴァイオリンが聴ける。ティボーはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3080)が出ている。

78CDR-3119

 

試聴

J.S.バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ

アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
アルマ・ロゼー(ヴァイオリン)
室内管弦楽団

チェコ HIS MASTER'S VOICE ES663/5
(1929年5月29日ウィーン録音)
ロゼー父娘による唯一の録音。アルノルト・ロゼー(1863-1946)はウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場オーケストラのリーダーを50年間(1881-1931)務め、機械式録音時代にも録音していた名手。アルノルト・ロゼーはグスタフ・マーラーの妹ユスティーネと結婚し、娘のアルマ・ロゼー(1906-1944)をもうけた。アルマはヴァイオリニストとなり、1932年に女性だけのオーケストラである "ウィーン・ワルツ・オーケストラ" を組織し好評を得た。アルマ・ロゼーはチェコ出身のヴァイオリニスト、ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)と1930年に結婚したが1935年に離婚。1938年にナチスのウィーン侵攻でロゼー父娘はロンドンに逃れたが、アルマはヨーロッパ大陸の戻りフランスで演奏活動中、ナチスのゲシュタボにつかまりアウシュウィッツに送られた。アルマはガス室に送られる人々の僅かの時間を慰めるために楽団を作ることを許されたが、1944年アウシュヴィッツで他界した。ガス室ではなく食中毒が死因とされている。ロゼーはベートーヴェン:ロマンスヘ長調作品50(78CDR-3059)が出ている。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3120

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

独 POLYDOR67674/8
(1941年4月ベルリン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)とパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)のベートーヴェン:ピアノ協奏曲はモノLP初期の1953年に録音したベルリン・フィルとの演奏が有名だが、これは第2次世界大戦下の録音。オランダの指揮者ファン・ケンペンが指揮するベルリンのシャルロッテンベルグ・オペラのオーケストラとの共演。

78CDR-3121

 

試聴

シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61

ジョルジュ・エネスコ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 DECCA AK1748/52
(1947年9月18-19日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニア出身。ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍した全能音楽家。この録音は第2次世界大戦後、英国デッカ社に残した極めて貴重な録音。わが国に多いエネスコ・ファンの間でも殆ど知られていないもの。エネスコ65歳の晩年の録音だが、透明で香り立つような親しめるシューマンである。英デッカのffrr録音。

78CDR-3122

 

試聴

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 DECCA AK1875/9
(1948年3月22,24,25日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)によるこの曲の唯一のスタジオ録音。フルトヴェングラーはこの録音の翌日フィルハーモニア管弦楽団を指揮してヴァーグナー:楽劇「神々の黄昏」より、ブリュンヒルデの自己犠牲をソプラノのフラグスタートと録音した。この演奏をSP盤のダイレクト・トランスファーで聴いて、初めて周到なリハーサルと録音に3日間かけた成果が明らかになった。デッカのオロフ=ウィルキンソンのコンビによるffrr録音である。

78CDR-3123

 

試聴

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
カール・シューリヒト指揮
チューリッヒ・トンハレ管弦楽団

英 DECCA AK1603/5
(1947年1月23&27日チューリッヒ放送スタジオ録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルェツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。この録音は死の1年前のもので、クーレンカンプの良さがシューリヒトの絶妙なバックで最高に発揮されている。同じ時期に英DECCA にブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全3曲をショルティのピアノで録音していた。ffrr録音。

78CDR-3124

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
パガニーニ:奇想曲作品1より第9番ホ長調「狩り」

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団((8)は無伴奏)

英 COLUMBIA LX262/4(一部日本コロムビア盤)
(1933年9月28日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。1940年アメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以降何度も日本を訪れた。SP時代の日本録音も数多い。メンデルスゾーンはシゲティの唯一のスタジオ録音で、LP時代にも再録音しなかった。

78CDR-3125

 

試聴

フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調

アルフレッド・コルトー( ピアノ)
インターナショナル弦楽四重奏団
( マンジョー、ペッカー、ハワード、ウィザース)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1099/1102
(1927年12月12日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)が電気録音初期に残した貴重な録音。カペー四重奏団とマルセル・シャンピのピアノによる録音(78CDR-1034)の1年前のもの。作曲家フランクを敬愛していたコルトー50歳の演奏である。インターナショナル弦楽四重奏団は1919年にアンドレ・マンジョーによって、イギリスの現代音楽と諸外国の音楽との交歓演奏を目的にロンドンで組織された。マンジョーは1883年パリ生まれのヴァイオリン奏者。

78CDR-3126

 

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モニク・ド・ラ・ブルショルリSP録音集
(1)サン=サーンス:6つのエチュード作品111 から
ピアノ協奏曲第5番のフィナーレによるトッカータ
(2)シューベルト(I.フィリップ編):ワルツ作品9 D.365 から
(3)-(4)第19番&第20番(2:35)DB1888B(0EA12445-2)
ハイドン:ピアノ・ソナタ第34番ホ短調作品42 Hob.XVI:34
ドメニコ・スカルラッティ(タウジッヒ編):
(5)田園曲 L.413 (2:38)4001A(HD94RE)
(6)奇想曲 L.375 (2:44)4001B(HD95RE)

モニク・ド・ラ・ブルショルリ( ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DA1888((1),(2)), DB21038((3),(4))
英 NIXA 4001((5),(6))(原録音:仏 PACIFIC 3720)
((1)-(4) 1947年10月22日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
((5)-(6) 1950年10月パリ録音)
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(1915-72)はパリ生まれのフランスの女流ピアニスト。アルフレッド・コルトー(1877-1962)とイジドール・フィリップ(1863-1958)の弟子。1928年パリ音楽院の一等賞を得た。コンサート・アーティストとして活躍した傍ら母校で後進の指導にあたった。ヨーロッパ各地で演奏をしていた最中に自動車事故でキャリアを断たれた。最近マイナーレーベルに残されたこのピアニストの演奏がCD化されているが、ここに集めた30歳を越えたばかりの演奏は後年のものとは違った華麗な輝やきがある。SP録音末期のもので、(5)-(6)は最初期のテープ録音と思われる。

78CDR-3127

 

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ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60

カール・シューリヒト指揮
ベルリン市立管弦楽団

独 POLYDOR 68139/43
(1942年6月ベルリン録音)
カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年まで
ヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した。シューリヒトのベートーヴェン:交響曲第1番から第9番は戦後のパリ音楽院管弦楽団を指揮したEMI録音がよく知られているが、この録音は第2次世界大戦下の1942年ベルリンで行われた。80歳を越えてもまだ現役の指揮者だったシューリヒトの62歳の録音である。

78CDR-3128

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調
BWV1003 より「アンダンテ」(お詫び:中間部にゴトゴト・ノイズ)

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団((1)-(9))

日COLUMBIA J8491/5(原録音:英COLUMBIA LX509/13A & LX410B)
(1934年6月18,19,20,26日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。このベートーヴェンは1934年6月にラロ:スペイン交響曲(78CDR-1040)と同時期に録音された。聴く人の心を抉るような個性的な演奏。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ。ヨーロッパで活躍した後、アメリカに移住、1946年から1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮しこのオーケストラを世界有数のものに育て上げた。

78CDR-3129

 

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ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21

エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA DB7657/8
(1942年10月19-22日ウィーン録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれで、主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年にEMI のアーティストとなり、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の演奏では独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活した。この録音も自らの指揮による「弾き振り」である。第2次世界大戦下のウィーン録音で超希少盤。第2楽章のカデンツァがことのほか美しい。終楽章は戦争終結の願いをピアノにぶつけるように突っ走る激しさがある。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3130

 

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フランク:交響的変奏曲

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB2185/6
(1934年3月13日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンデフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽陰にルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。この録音は作曲家フランク(1822-1890)を敬愛していたコルトーが57歳の時の録音。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。レコード黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音をすすめた功労者。ピアニスト出身で1909年ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者になり多くの録音を残した。電気録音になってからはコルトーやクライスラー(1875-1962)の協奏曲の指揮者をつとめた。

78CDR-3131

 

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シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調作品99

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

独ELECTROLA DB947/50
(1926年7月5-6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
カザルス・トリオは1902年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)の三人によって結成された。当時三人はまだ20歳代の若い演奏家だった。このシューベルトはこのグループの初録音である。電気録音の最初期の1926年に行われた。ベートーヴェン:大公トリオ(78CDR-3009)、ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長(78CDR-3199)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3132

 

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ラロ:スペイン交響曲作品21

ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団

米 COLUMBIA 12067/69-D(Set MM-564)
(1944年11月19日&1945年3月15日ファイラデルフィア、アカデミー・オブ・
ミュージック録音)
ナタン・ミルスタイン(1903-1992)はロシアのオデッサ生まれ。11歳でペテルブルク音楽院に入学、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。のちにピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行をした。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のコンサートでアメリカにデビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。この「スペイン交響曲」は第2次世界大戦末期の録音。溌剌として生気に満ちた演奏は後年のものとは違った味を持つ。ミルスタインはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)が本シリーズで出ている。

78CDR-3133

 

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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」 ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

独 POLYDOR 67682/3
(1940年録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は機械式録音(ラッパ吹込)時代から活躍したドイツのピアニスト。モノーラルやステレオLP時代の録音は広く知られているが、SP録音はあまり知られていない。この「悲愴」は第2次世界大戦中の録音で、日本ではSP時代に発売されなかったようだ。特に第3楽章はこのピアニストの持ち味がよく出た美しい演奏。本シリーズではケンプの戦中録音のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3120),モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-1153)が出ている。

78CDR-3134

 

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グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45

グンナール・クヌドゥセン(ヴァイオリン)
ロベルト・リーフリング(ピアノ)

ノルウェー HIS MASTER'S VOICE DB11900/02
(1947年頃録音)
作曲者エドゥアルト・グリーグ(1843-1907)と同郷のノルウェーの演奏家による録音。ヴァイオリンのグンナール・クヌドゥセンは1907年生まれ。ノルウェー録音のLPが十数枚あるがSP録音はおそらくこのソナタだけと思われる。ピアノのロベルト・リーフリング(1911-1988)はオスロ生まれ、ドイツでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事した。20世紀ノルウェーを代表するピアニストだったリーフリングはJ.S.バッハ平均律クラヴィア曲集を生涯2回録音した。このソナタの演奏は作曲家と同じ言語を感じさせる。第2楽章の玲瓏な響きは、他の演奏家では聞けない美しいもの。

78CDR-3135

 

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フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13

ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)

仏 PATHE PAT3/5
(1934年2月17日パリ録音)
1934年第1回フランス・アカデミー・シャルル・クロ・ディスク大賞受賞盤。ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院でマルセル・シャイエ(1881-1936)とジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し、1932年に16歳で一等賞を得た。ソリアノはソリストとして活躍すると同時にブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人となった。ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ。両親はフランス人。1906年にパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。本シリーズでは二人の演奏によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.454(78CDR-3027)が出ている。ソリアノのヴァイオリンではモーツァルトヴァイオリン協奏曲第3番K.216(ブーシュリ指揮78CDR-3108)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.378(78CDR-3047)、アーン:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3244)、ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より&フォーレ:子守歌(ミュンシュ指揮 78CDR-1140)が出ている。

78CDR-3136

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団

蘭 HIS MASTER'S VOICE DB6574/9
(1947年8月29日録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止された。この録音は1947年8月にフルトヴェングラーが音楽祭に再登場した記念の録音。ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。録音時メニューインは31歳だった。SPレコード最後期の録音。

78CDR-3137

 

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エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85

パブロ・カザルス(チェロ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB6338/DBS6341
(1945年10月14日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
サー・エドワード・エルガー(1857-1934)はイギリスの作曲家・指揮者。チェロ協奏曲ホ短調は1919年の作品。パブロ・カザルス(1876-1973)は20世紀最高のチェリスト。1939年母国スペイン内戦でフランスに亡命、スペインのフランコ政権を認める国では演奏しないと宣言し、スペインとの国境に近いプラドで隠棲していた。1945年6月から演奏活動を再開、同年10月にアビー・ロードで6年ぶりの録音したのがこのエルガー。だが各国政府がフランコ政権を容認したことで、11月から演奏活動を再び停止。それは5年後の1950年にプラド音楽祭が開かれるまで続いた。指揮者のボールト(1889-1983)はニキシュの影響を受けたイギリスの指揮者。1930年にBBC交響楽団が設立され初代首席指揮者になった。

78CDR-3138

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮
ブリティッシュ交響楽団

英 COLUMBIA LX174/8
(1932年4月18日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940にアメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以降何度も日本を訪れ、SP時代の日本録音も数多い。これはシゲティ40歳、初めてのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲録音。英COLUMBIAのエンジニア、アラン・ブルムレインが開発したMC型録音機による最初の録音。シゲティは後年ニューヨークでもブルーノ・ワルター(1876-1962)と同曲を再録音した。

78CDR-3139

 

試聴

ラロ:スペイン交響曲作品21

ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX610/13
(1942年7月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ローラ・ボベスコ(1921-2003)はルーマニアのブカレスト生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1934年13歳で一等賞を得た。同年ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団でデビューした。さらに1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞し以後ソリストとして活躍、ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。1970-80年代に日本を数回訪問し録音も多い。これはボベスコ21歳の時の初録音。第2次世界大戦下でドイツ軍に占領されたパリで録音された。ここでは通常カットされる第3楽章「間奏曲」が演奏されている。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの名指揮者。SPレコード時代に多くの録音を残していた。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3140

 

試聴

ヴィヴァルディ=ダンドロー編:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より
フォーレ:子守歌作品16

ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団

仏 PATHE PAT154/5
(1939年9月5日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。ソリアノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。ソリアノの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-3031)、ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(78CDR-3108)、とモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3027)、ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(ピアノ:エーヌ・ピニャリ)(78CDR-3047)、フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3135)、アーン:ヴァイオリン・ソナタ ハ長調&ロマンス イ長調(78CDR-3244)が出ている。

78CDR-3141

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)

オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

英 DECCA AK2055/59
(1948年9月13-15日アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。11歳で演奏旅行をするほどの技量を持っていた。13歳の時にウィーンで正式デビュー。1937年にアメリカに渡り大戦前夜を過ごした。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのはカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの12の奇想曲だった。このデッカ録音は1948年9月のアムステルダムで行われた。録音時レナルディは28歳だった。レナルディは1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの名指揮者。1949年から1962年までボストン交響楽団の首席指揮者をつとめた。ffrr録音。

78CDR-1142

 

試聴
試聴

※PCM録音マスター
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻(その1)
「前奏曲とフーガ」第1番-第12番 BWV846-BWV857

エトヴィン・フィッシャー (ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE 2079/85
(1933年4月25日,4月28日,9月12日,9月13日 アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第1巻にあたり、「前奏曲とフーガ」第1番-第12番が収録されている。HMV盤特有の大きな雑音があるが、耳を澄ますと聞こえてくるピアノの暖かい演奏は復刻盤では味わえないものがある。

78CDR-1143

 

*試聴はありません

※PCM録音マスター
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻(その2)
「前奏曲とフーガ」第13番-第24番 BWV858-BWV869

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE 2092/98
(1933年4月26日,4月28日,1934年5月23日,5月24日,8月27日
アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第2巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第13番-第24番が収録されている。

78CDR-1144

 

*試聴はありません

※PCM録音マスター
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その1)
「前奏曲とフーガ」第25番-第34番 BWV870-BWV889

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE 2532/38
(1935年2月13日,6月3日,6月4日,6月5日,6月7日,
アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第3巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第25番-第34番が収録されている。

78CDR-1145

 

*試聴はありません

※PCM録音マスター
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その2)
「前奏曲とフーガ」第35番-第43番 BWV880-BWV888

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE 2944/50
(1936年6月3日,6月4日,6月5日,アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第4巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第35番-第43番が収録されている。

78CDR-1146

 

試聴はありません

※PCM録音マスター
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その3)
「前奏曲とフーガ」第44番-第48番 BWV889-BWV893
J.S.バッハ:イギリス組曲第2番イ短調 BWV807

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)(平均律)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)(イギリス組曲)

英 HIS MASTER'S VOICE 8276/81
(1936年6月4日,6月5日,6月6日, アビー・ロード第3スタジオ、
1936年9月23日 パリ, アルベール・スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" としてアルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその最終巻にあたり「前奏曲とフーガ」第35番-第43番が収録されている。付録のイギリス組曲第2番がワンダ・ランドフスカ(1879-1959)のハープシコードで収録されている。ランドフスカはSP時代に「ゴルトベルク変奏曲」他のバッハの作品を録音し、後年LP時代になって「平均律」も録音した。

78CDR-3147

 

試聴

サラサーテ:アンダルシアのロマンス作品22-1
ザルジツキ:マズルカ ト長調作品26

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)

伊 ODEON N6667
(1929年6月10-11日ロンドン録音)
この「アンダルシアのロマンス」は電気録音初期のものながらフーベルマンの小品レコードの代表盤だった。ヴァイオリンを自在に操り聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏である。ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)ポーランド出身のヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時に名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。このシリーズにはラロ:スペイン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3128)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3328)、ベートーヴェン:クイロイツェル・ソナタ(78CDR-3006)が出ている。

78CDR-3148

 

試聴

クライスラー:グラーヴェ ハ長調(W.F.バッハのスタイルによる)
スーク:ウン・ポコ・トリステ/「4 つの小品」作品17より第3曲

ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)

独 ELECTROLA DB4577
(1938年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー19歳の初録音盤。ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を得た。この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の生涯を閉じた。このシリーズでシベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、スーク:4つの小品(78CDR-3063)、R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3076)が出ている。

78CDR-3149

 

試聴

ラヴェル:ハバネラ形式の小品
フォーレ:ドリー第1番「子守歌」作品56

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプーロ(ピアノ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4999
(1944年5月28日パリ、プルーズ・スタジオ録音)
ティボーの小品SP盤の中で最も入手が難しい稀少盤。第2次世界大戦下のパリでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。そのとき、ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日のとき、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。このシリーズでティボーの演奏が多く出ている。

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