新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3150〜3199

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3150

 

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サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20

イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)

英 DECCA K1842
(1947年6月14日ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ録音)
現在も第一線で活躍するイダ・ヘンデルの21歳の録音。彼女は15歳で同じ「ツィゴイネルワイゼン」(英DECCA K940、ピアノ= アデーラ・コフスカ1940年8月9日録音)を弾いてレコードデビューした。イダ・ヘンデル(1924.12.15-)はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を得た。同年開かれたヴィエニャフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、その時10歳だった。その後カール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。ヘンデル一家は1939年祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その年英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにも関わらず50枚近い録音を行いデッカ社の看板アーティストになった。その後EMIに移籍し、一時レコード録音から遠ざかった時期があったが、ステレオ時代にEMIに復帰した。現在も積極的に演奏活動をしている。

78CDR-3151

 

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ベートーヴェン:ロマンス ヘ長調作品50

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アルベルト・エレーデ指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB6727
(1948年5月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
歌心にあふれたヴァイオリンの女神、デ・ヴィトー最高の名演。ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアのヴァイオリニスト。マルティナ・フランカに生まれ、ペザロ音楽院でレミー・プリンチーペ(1889-1977)に師事、1923年16歳でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いてローマにデビューした。1932年ウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞を得た。1934年から1945年にローマ音楽院教授、1945年から1958年サンタ・チェチーリア音楽アカデミー教授を務めた。1945年第1回エディンバラ音楽祭に招かれ、これが縁でEMIの専属となり、SPレコード末期からLPレコード、初期のステレオLPに名演を残した。1962年に引退し1994年にローマで死去。享年87歳。このシリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3019)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3052)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3113)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3174)、ヴィターリ=レスピーギ編:シャコンヌ(78CDR-3241)が出ている。

78CDR-3152

 

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フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番ト短調作品45

マルグリット・ロン(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
モーリス・ヴィユー(ヴィオラ)
ピエール・フルニエ(チェロ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5103/5
(1940年5月10日パリ、アルベール・スタジオ録音)
20世紀のフランスの巨匠4人が一堂に会した夢の顔合わせである。ピアノのマルグリット・ロン(1874-1966)、ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、ヴィオラのモーリス・ヴィユー(1884-1966)、チェロのピエール・フルニエ(1906-1986)はいずれもパリ音楽院出身で、全員一等賞を得た抜きんでた音楽家。この録音が行われた1940年5月10日はドイツ軍がベルギー、オランダ、ルクセンブルグのベネルックス3国に侵攻し無差別攻撃をした日だった。このニュースは録音中の演奏家達に知らされた。ティボーの長男ロジェがベルギー方面に従軍していることを全員知っていたので、悲痛な気分で演奏に没頭したという。そして録音の翌々日の5月13日にロジェが戦死した報せがティボーのもとにとどいた。この演奏は完璧な完成度を持った希有の名演奏である。

78CDR-3153

 

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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K466

ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

独 GRAMMOPHON 69274/7
(1941年ドレスデン録音)
ドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の壮年期の演奏で第2次世界大戦中の録音である。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍しレコード録音も多かった。だがファン・ケンペンは大戦中に祖国を離れ、敵国ドイツで活動したことをオランダ人は許さず、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。ケンプ=ケンペンのコンビによるSP録音はベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)がこのシリーズで発売されている。

78CDR-3154

 

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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
*この盤は元録音の第4面において収録途中から回転数の変動がありますが、修正は行わずそのまま収録しています。ご了承をお願いいたします。

エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ミヒャエル・タウベ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

米 DECCA 25300/304(英PARLOPHON P.E.10856/8 と同一録音)
(1928年-1930 年ベルリン録音)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れて一時スイスの居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍した。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のミヒャエル・タウベ(1890-1972)は、1924年にベルリン国立歌劇場に入りブルーノ・ワルター(1876-1962)のアシスタントを務め1935年にイスラエル・フィルの育成に尽力した。フォイアマンはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3045)、シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3161)が出ている。

78CDR-3155

 

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ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
マルセル・ガゼル(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB6175/6
(1944年9月25日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演してデビューした。神童メニューインはパリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。メニューインは1928年12歳で初録音をしてレコード・デビューした。このヘンデルは第2次世界大戦下の録音。メニューインは28歳だった。師のエネスコも同じ曲を録音している(78CDR-3035)。

78CDR-3156

 

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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ長調作品57「熱情」 アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)(ピアノ: ガヴォー)

仏 LVSM DB11150/2
(1947年4月17日パリ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されエリー=ミリアム・ドラボルド(1839-1923)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。一等賞を得た後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)に、ウィーンでテオーール・レシェツキ(1830-1915)についてさらに技量を磨いた。祖国アメリカージに戻りフィラデルフィアの音楽学校で教え、その後ブエノスアイレスの音楽学校の教授をつとめる傍ら演奏旅行を重ねた。1954年にはパリ音楽院の教授に任命された。ファン・バレンツェンはSPレコードの末期とLPの初期にフランスEMIに録音を残している。

78CDR-3157

 

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ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

伊 DISCO GRAMMOFONO DB1227/7
(1928年11月18日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
イタリアHMV盤による新復刻。既発売の78CDR-3009はイギリスHMV盤によった。同一録音イギリスHMV盤に較べてノイズが小さく聴きやすい。この「大公」トリオはまさに人類の遺産と言えるかけがえのない名演奏。1905年に結成されたアルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)のピアノ・トリオは電気録音の初期の1926年から1928年に数曲のレコード録音を残した。このシリーズでシューベルトのピアノ三重奏曲第1番作品99とハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調(78CDR-3199)が出ている。

78CDR-3158

 

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チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64

シドニー・ビーア指揮
ナショナル交響楽団
デニス・ブレイン(第2楽章のソロ・ホルン)

英 DECCA AK1032/6
(1944年6月8日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
イギリス・デッカ社の録音技術者アーサー・ハディ(1906-1989)は第2次世界大戦中の1943年に、デッカ社がイギリス政府から委嘱をうけた軍事研究の実験成果を基に、当時SPレコードの50Hz-7.5kHzだった録音帯域を、一挙に15kHzまで伸長させることに成功した。ハディの新方式の最初の録音となったのがこのチャイコフスキーの第5番だった。指揮者はナショナル交響楽団の創立者シドニー・ビーアで、1944年6月8日ロンドンのキングズウェイ・ホールで行われた。ホルンの名手デニス・ブレイン(1921-1957)が第2楽章のソロを受け持っている。バランス・エンジニアはハディ自身が担当、厚みのあるサウンドは後にハイ・フィデリティ録音の代名詞となったfull frequency range recording(ffrr)の最初の録音であることを十分に納得させられる。このSPレコードは1944年(昭和19年)12月新譜として発売された。大戦末期の厳しい状況下でありながら、それを感じさせない優れた演奏である。

78CDR-3159

 

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ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
エゴン・ペトリ(ピアノ)

米 COLUMBIA 69155/7-D (英 COLUMBIA LX699/71と同一録音)
(1937年12月8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれの名ヴァイオリニスト。ヨーロッパで名声を確立した後、1940年アメリカに移住した。ピアノのエゴン・ペトリ(1881-1962)はドイツのハノーヴァー生まれ。最初はヴァイオリニストを志したが、大ピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に出会い弟子入りし、きびしい指導を得てピアニストに転向した。第2次世界大戦勃発を契機にアメリカに移住した。SPレコード時代に録音も多かった。このブラームスは二人の巨匠のヨーロッパ時代の最後の録音。演奏に大戦前夜の緊張感が感じられる。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3160

 

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ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴィットリオ・ブレロ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ネル(ヴィオラ)
テオ・シュルガース(チェロ)

独 ELECTROLA DB5532/6S
(1940年ベルリン録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。フィッシャーの偉業は1933年から1936年の4年をかけてバッハの平均律クラヴィーア曲集を録音、バッハのピアノ演奏の規範とした。このブラームスは第2次世界大戦中のベルリン録音でこのピアニストには珍しく感情の昂揚が聴かれる。弦楽奏者はブレロ=ネル四重奏団のメンバー。稀少SP盤の復刻。

78CDR-3161

 

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シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821

エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

米 COLUMBIA 69341/3-D (英 COLUMBIA LX717/9 と同一録音)
(1937年6月29日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルペジョーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもった弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒ音楽院でユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年にベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れ一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。名伴奏者として名声が高かった。

78CDR-3162

 

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サン=サーンス:七重奏曲変ホ長調作品65

フォヴォー(トランペッ)、カントレル(第1ヴァイオリン)、
ベランジェ(第2ヴァイオリン))、ヴィユー(ヴィオラ)、
マルネフ(チェロ)、ナニー(コントラバス)、
フォール(ピアノ)

英 COLUMBIA 9672/3
(1927年パリ録音)
トランペットとピアノ、弦楽四重奏とコントラバスという風変わりな編成の曲はピアニストでオルガニストだったサン=サーンスが86歳の時芸術院が主催した老作曲家のためのパーティで演奏された。それがサン=サーンスの公開の席での最後の演奏だったという。それから6年後のこの録音にはサン=サーンスと一緒に演奏した音楽家が参加していると推測する。カントレル、ヴィユー、フォールはSP時代に活躍した名手。フランスのエスプリにあふれた洒落た気分を満喫できる。

78CDR-1163

 

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※PCM録音マスター
西班牙(スペイン)ギター音楽-世界九大ギタリスト演奏
(1)アンダンティーノ(ソル作品2-3)(Bao1225)
(2)アメリアの遺言(リョベート)(76283)
ミゲル・リョベート(g)
(3)独創的幻想曲(ヴィーニャス)(DMo2179-1)
フェデリコ・ガリムベルティ(g)
(4)アラビア奇想曲(ターレガ)(D2475-1)
アウグスティーン・バリオス(g)
(5)ブーレ(J.S.バッハ=ターレガ編)(DSo4840)
レヒーノ・サインス・デ・ラ・マサ(g)
(6)ノクターン(ショパン=ターレガ編)(So7140)
ラリタ・アルミローン(g)L
(7)アストゥリアス(1)(アルベニス)(DWK1011-1)
(8)アストゥリアス(2)(アルベニス)(DWK1012-2)
フアン・パラス・デル・モラール(g)

(9)アラールの華麗な練習曲(ターレガ)(So7139)
ラリータ・アルミロン(g)
(10)演奏会用大ホタ(ターレガ)(DW19059)
ロシタ・ロデース(g)
(11)ラ・クンパルシータ(ロドリゲス)(CO19790)
フリオ・マルティネス・オヤングレン(g)
(12)ロサリーナ(ゴンザレス)(D3646-1)

アルベト・ディアナ・ラバレ(g) 1938年(昭和13年)1月から3月にかけてコロムビアから発売された限定頒布アルバム「西班牙(スペイン)ギター音楽-世界九大ギタリスト演奏」(レコード番号S36-41)の復刻である。チラシには「コロムビアは、ギター音楽のオーソドックスとも謂う可き、現代西班牙並びにアルゼンチンのギター界を風靡するターレガ派の真髄を世に紹介す可く、世界一流のギタリストの演奏する代表的名曲を厳選してこの一輯を編みました」とある。当時未発表のレコードから編纂されたこのアルバムの原盤番号の頭にDの文字があるのが当時海外の契約会社で廃盤などの理由で原盤が輸入できなかったため、レコードからのダビングで製作されたSP盤によることをおことわりしておく。幸いにして最も貴重な演奏と目されるミゲル・リョベート(1878-1938)の演奏はオリジナル原盤からプレスされたもの。ギター愛好家からの熱望でこのシリーズに組み入れた。

78CDR-3164

 

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ラヴェル:ボレロ

シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA K1637/8
(1946年10月10日ロンドン、
ウォサムストウ・アセンブリー・ホール録音)
指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生家は音楽一家でアルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)の甥にあたる。生地の音楽院でオルガンを学んだ後パリに出て、リュシアン・カペー(1873-1928)についてヴァイオリンヲ学び、後にベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1926年からライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリンもつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の指揮のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻って1935年にパリ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてデビュー、1936年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者に迎えられ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1938年から1945年までパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめた。1949年にニューヨーク・フィルとさらにボストン交響楽団と全米ツアーをし、クーセヴィツキー(1874-1951)を継いでボストン交響楽団の正指揮者になり1962年までつとめた。この録音は1946年パリ音楽院管弦楽団とのイギリス公演中の録音で英デッカ社への初録音。英デッカのffrr録音が本格的に胎動しはじめた頃の素晴らしい録音で、音楽院の名手たちのこぼれるばかりの妙技が聴ける。

78CDR-3165

 

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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

クララ・ハスキル(ピアノ)
カルロ・ゼッキ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 DECCA AK1944/7
(1947年7月7日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ピアニストのクララ・ハスキル(1895-1960)はルーマニアのブカレスト生まれ。1901年6歳でブカレスト音楽院に入った。1902年ルーマニア女王エリザベスの奨学金を得て、ウィーンでリヒャルト・ロベルトの下でピアノ学んだ。同じころウィーンには神童ジョージ・セル(1897-1970)がいた。ハスキルはピアノと一緒にヴァイオリンも学んだ。1905年パリに赴きフォーレに出会った。1907年パリ音楽院に入り最初にコルトー(1877-1962)のクラスで学び、その後ラザール・レヴィ(1882-1964)に師事した。1909年ジャック・ティボーが主宰した"若い音楽家のためのコンクール" のヴァイオリン部門で一等賞を得た。一方音楽院のピアノ部門ではアリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)とユーラ・ギュレール(1895-1981)についで二等賞にとどまったが、1910年に一等賞を得た。1912年にブゾーニ(1886-1924)やパデレフスキ(1860-1941)に出会い影響を受けた。1934年に初レコード(仏ポリドール)録音をした。指揮者のカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれのイタリアの指揮者。最初はピアニストだったが後に指揮者に転向した。この録音はハスキルの英デッカへの初録音。同時期にシューマンの森の情景(78CDR-3192)も同レーベルに録音した。ffrr録音。

78CDR-3166

 

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サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61

アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮
パドルー管弦楽団

仏 DISQUE GRAMOPHONE L1000/2
(1935年4月12日&6月25日パリ録音
ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)は1914年にパリ音楽院ヴァイオリン科の一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者をつとめた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして活躍した。指揮者のピエロ・コッポラ(1887-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の協奏曲録音に多く登場した。この録音はメルケルの協奏曲デビューだったラロのスペイン交響曲に続くもの。メルケルはこのシリーズでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)、ラロのスペイン交響曲(78CDR-3107)、ベートーヴェンの七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。

78CDR-3167

 

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フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15

シャイエ=リシェ四重奏団
セリニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)
マリー・テレーズ・イボ(ヴァイオリン)
マリー・テレーズ・シャイエ(ヴィオラ)
ジャクリーヌ・アイヨーム(チェロ)

仏 COLUMBIA LFX647/40
(1941年10月23日&1942年4月24日パリ録音)
ピアニストのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はフランスのリール生まれのピアニスト。14歳(1898年)でパリ音楽院の一等賞を得た。1908年にヴァイオリニストのマルセル・シャイエと結婚。マルセル・シャイエはパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1872-1962)教授や名奏者ジャック・ティボー(1880-1953)と盟友だったが、1936年に惜しくも世を去った。セレニー・シャイエ=リシェは1926年ヴァイオリンのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に出会い、1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲やJ.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を開いた。シャイエ=リシェはまた女性メンバーのピアノ五重奏団を組織して話題を呼んだ。この録音はそのメンバーによるもので第2次大戦下のパリで録音された。マルグリット・ロンとジャック・ティボーによるフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(78CDR-3152)と対をなす名録音である。

78CDR-3168

 

試聴

ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミュ・ドローベル(チェロ)

日本COLUMBIA J7992/5(仏 COLUMBIA D15085/8と同一録音)
(1928年6月10日パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モラン(1822-1894)に師事し1893年に一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からのもの。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた、そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。SP盤10インチが7枚、12インチが44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。80年前の録音ながら、この稀有な四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。

78CDR-3169

 

試聴

グノー:ファウストのバレエ音楽
ヌビア人の奴隷の踊り
昔の踊り
アダージョ
クレオパトラの踊り
トロイ人の娘の踊り
鏡のヴァリエーション
ヘレネの踊り(終曲)

アナトール・フィストラーリ指揮
ナショナル交響楽団

英 DECCA AK1339/40
(1945年9月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アナトール・フィストラーリ(1907-1995)はロシアのキエフ生まれ。神童とうたわれ8歳の時チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を指揮した。その後パリにデビュー、1931年にシャリアピンがグランド・ロシア・オペラの首席指揮者に任命した。1937年にはモンテカルロのロシア・バレエの指揮者になり、アメリカ公演も行った。第2次世界大戦中にロンドン・フィルの指揮者をつとめ、イギリスの市民権を得た。フィストラーリはバレエ音楽の権威者で、LP時代にチャイコフスキーの「白鳥の湖」「胡桃割り人形」の名録音をデッカに残した。このファウストのバレエ音楽は大戦直後のもの。フィストラーリはSP時代にもデッカに多くの録音をしていた。ffrr録音。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3170

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
ベートーヴェン=バウアー編:ガヴォット ヘ長調

ハロルド・バウアー(ピアノ)

米 VICTROLA 6591/2
(1926年6月14日&7月13日アメリカ, ニュージャージー州キャムデン録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主パリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「月光」ソナタは電気録音の最初期のもので、バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3177)が出ている。

78CDR-3171

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69

ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB9123/5
(1947年6月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。幼少より母親の手ほどきでピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー。ヴィオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのトリオ、ヴィオラのプリムローズを加えた四重奏で活動。さらに1945年にはカザルスが抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。EMIにベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を2回、ピアノ・ソナタ全曲を1回録音した。

78CDR-3172

 

試聴

シューベルト:幻想曲ハ長調作品159, D.934
レーガー:ヴァイオリン・ソナタ第5番嬰ヘ短調作品84より第2楽章

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米 RCA VICTOR 7562/4(英 HIS MASTER'S VOICE DB1521/3と同一録音)
(1931年5月6日ロンドン、小クイーンズ・ホール)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァイオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンクに師事した。16歳の時に大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチの台頭でユダヤ系のピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にドイツを去り、アメリカに移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を創設、主宰した。このダイレクト・トランスファーにはノイズが少ないアメリカVICTOR盤を使用した。

78CDR-3173

 

試聴

ショーソン:協奏曲ニ長調作品21
フォーレ:子守歌作品16

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
弦楽四重奏団(イスナール、ヴルフマン、ブランパン、アイゼンベルグ)(1-9)

日本 VICTOR DB1649/53 (英 HIS MASTER'S VOICE DB1649/53 と同一録音)
(1931年7月1-2日パリ、プレイエル音楽堂録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)のヴァイオリン、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のピアノと弦楽四重奏によるショーソンの協奏曲ニ長調。作曲者のショーソンはパリ音楽院でジュール・マスネ(1842-1912)に師事した。フランスのエスプリにあふれた作風を完成した人。ヴァイオリン曲の「詩曲」がよく知られているが、このティボーとコルトーによる協奏曲は、フランスの音楽家の至芸を聴くことができる名演。これまで良い復刻がなかったこのSPにダイレクト・トランスファーでチャレンジした。

78CDR-3174

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団

独 GRAMMOPHON 68308/12
(1941年4月ベルリン録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。この録音はデ・ヴィトーのレコードデビュー。1941年第2次世界大戦下のベルリンでポリドール・レーベルに行われた。この時デ・ヴィトーは34歳だった。初々しく、輝かしいヴァイオリンは戦後のEMIへの再録音とはかなり異なる。指揮者のパウル・ファン・ケンペン (1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリニストとして入団。1916年以降ドイツで活躍。1932年にオーバーハウゼンで指揮者としてデビュー。1934年から1942年の8年間ドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。戦後はオランダに戻ったが第2次大戦中ナチ政権下のドイツで活躍したことで1949年まで指揮活動が制限された。1949年からオランダのヒルファーサムの放送管弦楽団を指揮している。録音はSP期にはドレスデン・フィル、LPになってベルリン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団がある。1955年、62歳で他界した。なお第10面は原盤不良によるダビングで他の面に較べて音質が劣る。

78CDR-3175

 

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ラロ:チェロ協奏曲ニ短調

モーリス・マレシャル(チェロ)
フィリップ・ゴーベール指揮
管弦楽団

日 COLUMBIA J8133/5(仏 Columbia LFX282/4と同一録音)
(1932年6月5-6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院でチェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュカに学び、1911年一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-18)に従軍、戦後の1919年にコンセール・ラムーにソリストとデビューした。以来世界中を楽旅し、日本にも何度か来訪した。日本コロムビアに日本録音をしたこともある。フィリップ・ゴーベール(1879-1941)はフランスのフルート奏者で指揮者。1914年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得た後、1905年第2回のローマ賞を得た。フルート独奏者としてフランスの一流オーケストラの首席を務め、1919年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となり1938年でその任にあった。SP時代にレコード録音も多い。

78CDR-3176

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2

マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)

英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホル音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。

78CDR-3177

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」 ハロルド・バウアー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1293/4(米 VICTOR 6697/8と同一録音)
(1927年5月10日アメリカ録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「熱情」はソナタは電気録音の最初期のもの。バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」(78CDR-3170)が出ている。

78CDR-3178

 

試聴

機械式録音
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004 より
「シャコンヌ」

イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)

英 HIS MASTER'S VOICE D875/6
(1924年4月7日録音)
この曲の初録音。イゾルデ・メンゲス(1893-1976)は20世紀の前半に最も精力的に活動したイギリスの女流ヴァイオリン奏者。1910年、17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーには通算3年師事し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスの協奏曲の縮刷版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、電気初期のベートーヴェン:「クロイツエル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHIS MASTER'S VOICEにあり、室内楽はデッカに録音していた。この「シャコンヌ」の楽譜の隅々まで行き届いた柔和な表情は、女流ヴァイオリニストならではのもので、マイクロフォンを使わない録音がヴァイオリンの音を素直にひろいあげている。

78CDR-3179

 

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シベリウス:
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米VICTOR 14016/9(英 HIS MASTER'S VOICE DB2791/4と同一録音)
(1935年11月ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音は英 HIS MASTER'S VOICE が企画したシベリウス・コレクション全6巻, SPレコード42枚の中に組み込まれ、米VICTORではヴァイオリン協奏曲のみ4枚組のアルバムで発売された。ハイフェッツは1959年にステレオで2回目のシベリウスを録音している(RCA VICTOR)。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツのSP時代の録音はこのシリーズでチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1086)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1114)が発売されている。復刻には最高のコンディションの米VICTOR盤を使用した。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3180

 

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サン=サーンス:
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22

モウラ・リンパニー(ピアノ)
ウォーウィック・ブレイスウェイト指揮
ナショナル交響楽団

英 DECCA AK1161/3
(1945年7月24日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ピアニストのモウラ・リンパニー(1916-2005)は英国コーンウォール州サルタッシュ生まれ。父親は軍人、母親は彼女の最初のピアノ教師になった音楽家だった。彼女はベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、さらにリエージュで勉強をつづけた。その後ロンドンの王立音楽アカデミーへの奨学金を得た。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に続いて第2位に入賞した。第2次世界大戦迄に英国で最も名前の通ったピアニストになった。この録音は1945年大戦直後のもので、リンパニーにとっては初期のもの。LP時代になって、彼女はデッカ,EMI,エラートに数多くの録音を残している。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドでは非常に名の通ったピアニストだったが、日本ではそれほどでもなかった。1979年にCBEを叙勲され、1992年にはDAMEの称号を得た。指揮者のブレイスウェイト(1896-1971)ニュージーランド生まれでイギリスで指揮し、後に祖国のニュージーランドやオーストラリアでも活躍した。これは初期のFFRR録音。聴きどころは第3楽章。透明で華麗なピアノが光り輝いている。

78CDR-3181

 

試聴

ショパン:
24の前奏曲作品28

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

 

英 HIS MASTER'S VOICE DB2015/8
(1933年7月5日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第2回目の録音。第1回の録音は電気録音最初期の1926年で本シリーズの78CDR-1043で発売されている。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。

78CDR-3182

 

試聴

モーツァルト:
レクイエム ニ短調 K.626

ピア・タッシナーリ(S), エベ・スティニャーニ(M-S)
フェルッチョ・タリアヴィーニ(T), イタロ・ターヨ(Bs)
ヴィクトル・デ・サバタ指揮トリノ放送管弦楽団(E.I.A.R.)、合唱団

英 HIS MASTER'S VOICE DB9541/8(原録音: 伊CETRA-SORIA set101)
(1941年12月 4-5日ローマ録音)
第2次世界大戦下のローマ録音。日米開戦の3日前の1941年(昭和16年)12月4-5日である。イタリアのレコード会社CETRAのための録音だったが、プロデューサーのダリオ・ソリアが後にEMIに発売させたもの。大戦中にはドイツPOLYDOR でも発売されていた。この名曲の世界初の全曲録音である。指揮者のヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)は1929年大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の後任としてスカラ座の音楽監督に就任し1953年に引退した名指揮者。ソプラノのタッシナーリ(1903-1995)はスカラ座のソプラノで戦後はアメリカで活躍した。メゾソプラノのスティニャーニ(1903-1974)はローマ歌劇場で活躍後、戦後の1948年アメリカにデビューした。テノールのタリアヴィーニ(1913-1995)は1939年にデビュー忽ち人気歌手となった。大戦後はアメリカに移住し、世界的に人気を博した。バスのターヨ(1915-1993)はイタリアとヨーロッパ各地で活躍した後、1948年メトロポリタン歌劇場にデビューした。映画にも多く出演していた。教会の大聖堂での録音と思わせる響きはSPレコード時代にしては珍しい。

78CDR-3183

 

試聴

ラモン・モントーヤ/フラメンコ・ギターの神様
ソレア
ラ・ローザ
グラナイーナ
タランタ
シギリーヤス
ファンダンゴス
ブレリアス
ロンデーニャ
グァヒーラ
タンゴ(マヨールとメノール) マラゲーニャ
ファルーカ
アレグリアス
ミネーラ

ラモン・モントーヤ(ギター)

仏BAM 101/6
(1936年パリ録音)
LP時代日本コロムビアから発売されていた「フラメンコ・ギターの神様/ラモン・モントーヤ」(XM-30-AM)と同一演奏。これは12インチ盤6枚組のオリジナルSP盤からのダイレクト・トランスファーである。ここの第2曲(ラ・ローザ)と第11曲(マラゲーニャ)はLPには入っていなかった。ラモン・モントーヤはマドリードのジプシーの家系に生まれた。父親もギターを弾いたが、息子のラモンに教えることはなく、ラモンは町をさまよう盲目の楽士について歩いた。成長するとフラメンコ酒場のギタリストにテクニックの手ほどきをうけ、そのギタリストが亡くなるとその後釜にすわり、様々な歌い手の伴奏を務めて腕を磨いた。ラモンはクラシックギターにも深い憧憬を抱き、近代ギターの父と呼ばれたターレガの弟子のミゲル・リョベートに私淑し、多くのものを自己のフラメンコ奏法に取り入れた。この録音は1936年にパリのボワト・ア・ミュジーク社が録音したもの。それまで歌の伴奏だったギターを単独で扱った最初の録音と目されるもの。上記の理由から是非ともクラシックギターの人達にも是非聴いていただきたいアルバム。ミゲル・リョベートは本シリーズの「スペイン・ギター音楽-世界九大ギタリスト演奏」(78CDR-1163)に入っている。聴きどころは@の "ソレア" でギター・ソロでありながらその裏にカンテ(歌)が息づいているように聞こえる。

78CDR-3184

 

試聴

ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品72「皇帝」

コンラート・ハンゼン(ピアノ)
オイゲン・ヨッフム指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK3203/7
(1941年6月20&22日ベルリン録音)
コンラート・ハンゼン(1906-2002)はドイツのピアニスト。ベルリン高等音楽院でエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事し、後にフィッシャーの助手を務めるかたわらコンサートピアニストとして活躍した。SPレコードには1940年11月7日録音のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(メンゲルベルク指揮ベルリン・フィル)(Telefunken SK3092/5)とこのベートーヴェン:「皇帝」の2曲のみ。ドイツ帝国放送のライヴ録音のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル/1943年10月31日収録)がずっと後にレコード化された。ハンゼンは第2次世界大戦後教育者として活躍し、デトモルト音楽アカデミーの創設に関わり、ヘレン版のベートーヴェン全集の校訂をした。東京藝術大学や上野学園大学で教えたこともある。指揮者のオイゲン・ヨッフム(1902-1987)はドイツの名指揮者。バッハからブルックナーまでのドイツ・オーストリア音楽を得意とし、レコードも多かった。

78CDR-3185

 

試聴

ブラームス:
パガニーニの主題による変奏曲作品35(全2巻)

アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5181/2
(1941年7月15日パリ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されマルグリット・ロン(1874-1966)とE.-M・ラボルドに師事し、11歳で一等賞を得た。これは最年少者の受賞記録で現在も破られていない。その後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)に、ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)について、さらに技量を磨いた。祖国アメリカに戻りフィラデルフィアの音楽学校で教え、その後ブエノスアイレスの音楽学校の教授を務める傍ら、演奏旅行を重ねた。1954年にはパリ音楽院の教授に任命された。ファン・バレンツェンは読譜の才能に優れ、難曲「パガニーニ変奏曲」を僅か5日間でものにしたという。このシリーズではベートーヴェンの「熱情」(78CDR-1156)が発売されている。

78CDR-3186

 

試聴

J.S.バッハ=ブゾーニ編:
シャコンヌ
(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV 1004)より

イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)

仏 PATHE PDT149/50
(1946年12月12日パリ録音)
イヴォンヌ・ロリオ(1924-)はパリ生まれのピアニスト、作曲家のオリヴィエ・メシアン(1908-1992)夫人。パリ音楽院でピアノをラザール・レヴィ(1882-1964)とマルセル・シャンピ(1891-1980)に、作曲をダリユス・ミヨー(1892-1974)に、アナリーゼ(楽曲分析)をオリヴィエ・メシアンに師事した。音楽院で7つの一等賞を得たという。後年メシアンの作品の紹介者として活躍するが、14歳でバッハの「平均律クラヴィーア」曲集、ベートーヴェンの32の「ピアノ・ソナタ」を暗譜で演奏したという神童だった。この「シャコンヌ」はロリオが22歳の時の録音で、彼女の初レコーディグと目される。ここでも楽譜の読みの深さを示す多くのパッセージが聴こえる。単に希少価値だけではない音楽的価値が多く含まれる新発掘レコード。  

78CDR-3187

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)

英 DECCA AK1817/9
(1946年7月22-23日ロンドンNW6、デッカ・スタジオ録音)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィー
ンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。このシリーズにはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番(78CDR-1176)が発売されている。

78CDR-3188

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

ヴィクトル・デ・サバタ指揮
ローマ・アウグステオ交響楽団
(ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団)

蘭 HIS MASTER'S VOICE DB9154/8
(1947年1月23-25, 29日&2月3日ローマ、テアトロ・アルジェンティーナ録音)
イタリアの名指揮者ヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)は1930年アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の後任としてミラノ・スカラ座の音楽監督に就任、1953年指揮活動に終止符を打つまでその地位にあった。サバタは若い時からオペラ以外にも指揮活動を行いSPレコードにも録音が多かった。彼のベートーヴェンはロンドン・フィルを指揮した1946年5月2-3日録音の「英雄」(英DECCA K1507/13)がある。この「田園」はイタリアのEMIに録音されたもので、稀少SP盤からの復刻。レーベルにはローマ・アウグステオ交響楽団との記載があるが、ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と同一団体。心が洗われる美しい演奏である。

78CDR-3189

 

試聴

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22

ジャンヌ=マリー・ダルレ(ピアノ)
ポール・パレー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団

仏 PATHE PDT167/9
(1948年2月24日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
ジャンヌ=マリー・ダルレ(1905-99)フランスの女流ピアニスト。10歳でパリ音楽院に入りマルグリット・ロン(1874-1966)とイシドール・フィリップ(1863-1958)に師事した。1919年に一等賞を得て1920年にパリでデビューした。1923年にはポール・パレー(1886-1979)指揮のラムルー管弦楽団とオーケストラ初共演。1958年にパリ音楽院教授に指名された。指揮者のポール・パレーはパリ音楽院に学び1911年のローマ賞を得た。1944年からコロンヌ管弦楽団を指揮し1952年からアメリカのデトロイト交響楽団の指揮者を務めた。この録音は戦後の1948年にフランス・パテ社がデッカのffrr録音に対抗ワイドレンジ録音の一枚で原盤番号の末尾のER(Extended Range)がそれを意味する。ピアノのリアリティのある音に驚かされる優秀録音。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3190

 

試聴

モーツァルト(シュナーベル&フレッシュ編曲):
ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454

エリカ・モリーニ(ヴァイオリン)
ルイス・ケントナー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1429/31
(1929年12月12日ベルリン、ジングアカデミー録音)
この曲の世界初録音。エリカ・モリーニ(1904-95)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリン奏者。8歳でウィーン音楽院に入学を許され、オトカル・シェフチーク(1852-1934)に師事した。1916年にアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)指揮ゲヴァントハウス管弦楽団と共演してデビューした。1938年にアメリカの移住し1976年に引退するまで活躍した。彼女はハイフェッツも一目置く技巧家だったことはあまり知られていない。モリーニは機械式録音時代から多くの録音を残した。ピアノのルイス・ケントナー(1905-87)はオーストリア生まれのピアニスト、1935年にイギリス国籍を得た。このSPレコードのレーベルにはドイツ名でLUDWIG KENTNERと記されていた。この演奏に使用された楽譜は大ピアニスト、アルトゥール・シュナーベル(1882-1952)とヴァイオリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)の校訂版が使用されている。また原盤番号の末尾のTの文字は、ジングアカデミーから電話回線で送った音声信号をエレクトローラの録音室でカットしたことを意味する。

78CDR-3191

 

試聴

J.S.バッハ:パルティータ第1番変ロ長調 BWV.825 ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)

仏 コロムビア D.15234/5
(1929年5月4日録音)
ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)に作曲を学んだ。1902年から同校で教鞭をとるようになった。1904年にはJ.S.バッハのクラヴィーア曲全曲をピアノで演奏しパリ音楽界を驚かせた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動をはなれた。録音はフランス・コロンビアに残している。カタロニア出身の女流ヴァイオリニスト、ジョアン・マッシアと録音したフランクのヴァイオリン・ソナタ(78CDR-1012)とベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」(78CDR-1028)が本シリーズにある。

78CDR-3192

 

試聴

シューマン:森の情景作品82 クララ・ハスキル(ピアノ)

英 DECCA AK2110/1
(1947年10月18日ロンドンNW6 デッカ・スタジオ録音)
英デッカのffrr録音。クララ・ハスキル(1895-1960)はルーマニアのブカレスト生まれ。1901年6歳でブカレスト音楽院に入学し、1902年ルーマニア女王エリザベスの奨学金を得て、ウィーンでリヒャルト・ロベルトの下でピアノを学んだ。ハスキルはピアノの同時にヴァイオリンも学んだ。1905年にパリに赴きフォーレに出会った。1907年にパリ音楽院に入り最初にコルトー(1877-1962)のクラスで学び、その後ラザール・レヴィ(1882-1964)に師事した。1909年にジャック・ティボーが主宰した "若い音楽家のためのコンクール" のヴァイオリン部門で一等賞を取ったが、同年のパリ音楽院ピアノ部門ではアリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897-1981)、ユーラ・ギュレル(1895-1981)に次いで二等賞にとどまった。だが翌1910年の一等賞を得た。このシリーズではベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1165)が出ている。

78CDR-3193

 

試聴

ファリャ:
交響的印象「スペインの庭の夜」
アンダルーサ

アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
交響楽団

英 HIS MASTER'S VOICE D1569/71
(1928年6月7日, 6月11日 録音)
(お詫び)2,3,5面の終結部にリードアウトのノイズが入ります
この名曲の世界初録音盤。アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ、ボストン生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されマルグリット・ロン(1874-1966)とE.-M・ラボルドに師事し、1909年11歳で一等賞を得た。これは最年少受賞記録で現在も破られていない。その後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)に、ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)について、さらに技量を磨いた。祖国アメリカに戻りフィラデルフィアの音楽学校で教え、その後ブエノスアイレスの音楽学校の教授を務める傍ら、演奏旅行を重ねた。1954年にはパリ音楽院の教授に任命された。このシリーズではベートーヴェンの「熱情」(78CDR-1156)とブラームスの「パガニーニ変奏曲」(78CDR-3185)が発売されている。

78CDR-3194

 

試聴

ハイドン:弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-63「ひばり」

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)

英 COLUMBIA D13070/2
(1928年10月4日パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったフランスのカペー四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873.01.08-1928.12.18)は医師の誤診による腹膜炎で急逝した。死の年の1928年、6月10日からフランス・コロンビアに録音を開始したカペー四重奏団は10月15日までの短期間に10インチ盤7枚、12インチ盤44枚の録音を残した。カペーはパリ音楽院でジャン=ピエ-ル・モーランに師事し、1893年一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織し、またソリストとして活動を開始した。1907年パリ音楽院の室内楽科の教授に任命され、1924年にはヴァイオリン科の教授に就任した。弟子にジュリアードのイヴァン・ガラミアン(1903-1981)がいる。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-1034),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-1042),シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)が出ている。

78CDR-3195

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

日本 VICTOR JD476/9 (英 HIS MASTER'S VOICE DB2113/6 と同一録音)
(1933年11月13日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団はリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって1919年に組織された。当時ブッシュはベルリン高等音楽院の教授の地位にあった。ブッシュ四重奏団は何回かのメンバーの交代があったが1930年にこの録音のメンバーになった。チェロのヘルマン・ブッシュ(1897-1975)はアドルフの実弟。この録音はこの楽団の絶頂期のものの一つ。ベートーヴェンの最後の作品をあるべき姿で演奏した歴史的録音である。

78CDR-3196

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1545/8
(1923年11月7-8日録音)
※機械式録音(お詫び:各所にキズによる雑音あり)
レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年にウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストになった。この録音は契約当初断片曲・小品の録音を行なっていたこの四重奏団が取り組んだ初の全曲物で、しかもこの名曲の世界初録音。このシリーズではモーツァルトの弦楽四重奏曲 K.387(78CDR-1055),弦楽四重奏曲 K.421(78CDR-1062),弦楽四重奏曲 K.458「狩り」(78CDR-1097),弦楽五重奏曲 K.516(78CDR-1085),クラリネット五重奏曲(クラリネット:ドゥレイパー)(78CDR-1045)が出ている。

78CDR-3197

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番変ロ長調 K.589「プロシャ王第2番」

コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3432/4(米 VICTOR 14626/8 と同一録音)
(1937年9月22&28日アメリカ録音)
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に組織された。当初は作曲家シェーンベルクの指導を受けウィーン弦楽四重奏団という名称だったが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持ってひいた。この録音はアメリカで行われたもので、有名なシェーンベルクの4曲からなる弦楽四重奏曲の録音(米ARCO)の後のもの。現代音楽のスペシャリストがモーツァルトやシューベルトの演奏をしたところが聴きどころ。1942年にこの四重奏団は解散した。

78CDR-3198

 

試聴

ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調

クレトリー弦楽四重奏団
ロベール・クレトリー(第1ヴァイオリン)
ルネ・コスタール(第2ヴァイオリン)
フランソワ・ブロー(ヴィオラ)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE W975/7
(1929年3月22日パリ録音)
クレトリー弦楽四重奏団のリーダー、ロベール・クレトリー(1891-)は、名チェリスト、ピエール・フルニエ(1906-1986)の師だったオデット・クレトリーの弟で、その縁で1924年に19歳のフルニエがチェリストの席にあった。クレトリーは作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)のピアノ三重奏曲作品120の初演(1923)にも参加した。また1925年のフォーレ追悼演奏会でフォーレの弦楽四重奏曲ホ短調作品121 を第1ヴァイオリンがジャック・ティボー(1880-1953)、第2ヴァイオリンがクレトリー、ヴィオラがモーリス・ヴィウー(1884-1951)、チェロがアンドレ・エカン(1866-1925)で弾いた。弦楽四重奏団にはフルニエの後任として1928年にアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)が入った。フランス・コロンビアの専属だったクレトリー四重奏団がこのラヴェルを仏 HMVに録音したのは、フランス・コロンビアにはカペー四重奏団が録音したばかりだったからだ。この香り立つようなラヴェルはカペーの名演に比肩する。また18歳のナヴァラの雄弁なチェロも聴きものである。

78CDR-3199

 

試聴

ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調作品73-2, Hob.XV-25

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DA895/6
(1927年6月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
この3人の中の最年長者パブロ・カザルス(1876-1973)の名前を冠したカザルス・トリオは1905頃から活動をはじめた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)のもとに、ジャック・ティボー(1880-1953)とカザルスが集まって自然発生的に生まれた室内楽グループでクラシック史上最高の顔合わせ。レコード録音が行われた時点まで約20年の歳月をかけて音楽を熟成させた。3人の奏でるすべての音、すべてのフレーズが聴き手に感動を与える。このシリーズではベートーヴェンの「大公トリオ」(78CDR-3009)、シューベルトの作品99(78CDR-1131)が出ている。

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