新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3550〜3599

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3550

 

試聴

シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

英 HMV DB8322/6
(1937年1月14-15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。大戦後はスイスに住んで演奏会や録音に活躍した。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(78CDR-3387)が出ている。

78CDR-3551

 

試聴

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310(300d)

ディヌ・リパッティ(ピアノ)

英 COLUMBIA LX8788/9
(1950年7月9日スイス、ジュネーヴ放送局第2スタジオ録音)
ディヌ・リパッティ(1917-1950)はルーマニアのブカレスト生まれ。母親はピアニスト、父親はサラサーテ(1844-1908)やカール・フレッシュ(1873-1944)に学んだヴァイオリニストで、洗礼立会人は大ヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)だった。ブカレスト音楽学校で学費免除の特待生で入学が許された。1934年のウィーン国際コンクールで2等賞になったが、この時、審査席にいたアルフレッド・コルトー(1877-1962)は結果に異議を申し立て審査員を辞職した。その後リパッティはパリでコルトーとイヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)に師事、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は指揮法を教えた。また作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)とイーゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)に学んだ。リパッティは1950年12月2日ジュネーヴで悪性リンパ腫のため33歳で没した。このシリーズでショパン:ワルツ集(全14曲)(78CDR-3375)が出ている。

78CDR-3552

 

試聴

クリスチャン・バッハ(アンリ・カザドシュ編曲):チェロ協奏曲ハ短調
ヴィヴァルディ(マレシャル編):チェロ協奏曲ニ長調作品 3-9
ショパン(ポッパー編):ノクターン変ホ長調作品 9-2
リスト(マレシャル編):愛の夢

モーリス・マレシャル(チェロ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮ラムルー管弦楽団(協奏曲)
モーリス・フォール(ピアノ)

仏 COLUMBIA LFX774/5、LFX62、LFX319
(録音:1948年1月27日=クリスチャン・バッハ、1929年6月28日=ヴィヴァルディ、1933年5月=ショパン&リスト)ヨハン・クリスチャン・バッハ(1735-1782)はヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の末弟。若い時代のモーツァルト(1756-1791)に多くの影響を与えた。このチェロ協奏曲は後に編曲者のアンリ・カザドシュ(1879-1947)による贋作であることが判明した。ピアニスト、ロベール・カザドシュ(1899-1972)はアンリ・カザドシュの甥にあたる。モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院に学び1911年に一等賞を得た。1919年にコンセール・ラムルーにソリストとしてデビュー、以来世界中を楽旅し、日本にも来訪した。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。パリの名オーケストラの指揮者をつとめて活躍した。

33CDR-3553

 

試聴

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集作品1
ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14
ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調作品1-12
ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品1-15
ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品1-3
ヴァイオリン・ソナタ第2番ト短調作品1-10

ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ファルナンド・バレンティ(ハープシコード)
マーティン・オーマンディ(チェロ)

米 WESTMINSTER XWN18872/4
(1958年10月&1959年2月録音)
ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとしての研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウンホールでデビュー、1950年にカーネギーホールで4回のリサイタルを行った。1959年に来日したこともある。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。フェルナンド・バレンティは1950年にプラドのカザルスフェスティヴァルに出演したハープシコード奏者。マーティン・オーマンディはブダペスト王立アカデミー出身のチェロ奏者。録音当時ニューヨーク・フィルのメンバーだった。このアルバムはヘンデルの作品1の15曲のソナタ集からヴァイオリンのために書かれた6曲を収録したもの。オレフスキーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調(33CDR-3312)が出ている。

78CDR-3554

 

試聴

 

ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」

ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HMV DB8445/7
(1938年1月10日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者をしていた時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。

78CDR-3555

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団

英 COLUMBIA LX983/987(U.K.)(米 COLUMBIA 12281/5Dと同一録音)
(1945年2月23日フィラデルフィア録音)
シゲティによるこの曲の2回目の録音。第1回録音は1928年のハミルトン・ハーティ指揮だった(78CDR-3220)。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。
1905年、13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音は第2次大戦末期のもの。指揮者は同郷のユージン・オーマンディ(1899-1985)。オーマンディもまたフバイの弟子でヴァイオリニスト出身だった。

78CDR-3556

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ:ヨアヒム)

ヤン・ダーメン(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立管弦楽団

独 ELECTROLA DB4578/81
(1938年6月25&28日録音)
ヴァイオリンのヤン・ダーメン(1898-1957)はオランダのヴァイオリニスト。オランダのブレダに生まれ、ハーグ王立音楽院を卒業後、ベルリンで名教師カール・フレッシ(1873-1944)について研鑽を積んだ。1920年から22年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、1924年からはザクセン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のコンサートマスターだった。1949年からは指揮者エドゥアルト・ファン・バイヌムのもとでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めた。
カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの大指揮者。1934年からドレスデン国立歌劇場総監督をつとめた。この録音はその時代のもの。

33CDR-3557

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

ポール・マカノヴィツキー(ヴァイオリン)
ノエル・リー(ピアノ)
アンドレ・シャルラン(録音技師)

仏 LUMEN LD 3.416(Mono)
(1957年パリ録音)
ヴァイオリンのマカノヴィツキー(1920-1998)はストックホルムでロシア人の両親のもとに生まれた。4歳でパリのロシア音楽院で名教授イヴァン・ガラミアン(1902-1981)に師事し1929年にガヴォー音楽堂でデビューした。ガラミアンはリュシアン・カペー(1873-1928)の弟子で、1927年から37年にロシア音楽院で教鞭をとっていた。マカノヴィツキーはジャック・ティボー(1880-1953)にもついた。1966年にジュリアード音楽院で教えはじめ、フィラデルフィアのカーティス音楽院やミシガン大学でも教鞭をとった。1954年にピアニストのノエル・リー(1924-)に出会いデュオを組んだ。リーは中国の南京生まれ、アメリカ、インディアナ州のラファイエットで育った。第2次世界大戦後フランスに渡り、パリでナディア・ブーランジェの教えを受けた。1955年からレコード録音を開始、現在まで185点のアルバムがある。マカノヴィツキーとのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタは全曲録音があり、これはその中の一枚。

33CDR-3558

 

試聴

ジョー・スタッフォード/スコットランドの歌
(ロバート・バーンズ詩/アルトン・リンカー曲)
わたしの心はハイランドにある
ジョン・アンダーソン私の好きな人
アフトン川 FLOW GENTLY, SWEET AFTON
ドゥーンの川岸
モーリズ・ミーク、モーリズ・スウィート
故郷の空(ライ麦畑を通ってきて)
真っ赤な真っ赤なバラ
緑にのびゆく灯心草
アニー・ローリー ANNIE LAURIE
私のジーン
遠くのいとしい若者
蛍の光(遙かな遠い昔)

ジョー・スタッフォード(ヴォーカル)
ポール・ウェストン楽団

米 COLUMBIA CL 1043(Mono)
(1953年3月17日(a)&7月10日(b), 1956年5月3日(c)録音)
スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の詩を歌った心あたたまるアルバム。バーンズはモーツァルト(1756-1791)とほぼ同年代に生き37歳で世を去った。一方モーツァルトは35歳で死去し、二人とも没後200年以上経った現在でも多くのファンをもっている。古くから歌いつがれている「故郷の空」「アニー・ローリー」「蛍の光」の3曲以外は アルトン・リンカー(1907-1982)が作曲した。リンカーはハイスクール時代にビング・クロスビー(1903-1977)とバンドを結成した。ヴォーカリストのジョー・スタッフォード(1917-2008)は格調の高い歌唱で知られている。夫君はバンドリーダーで作曲家、アレンジャーのポール・ウェストン(1912-1996)。
このアルバムの3曲でミッチ・ミラー(1911-2010)のオーボエが聴ける。ジョー・スタッフォードとポール・ウェストンはこのシリーズで「テネシー・ワルツ」(78CDR-3280)、「リパブリック讃歌」(78CDR-3399)、「JO+JAZZ」(33CDR-3459)、「クリスマス・ソング集」(78CDR-3468)、「ハッピー・ホリデイ」(33CDR-3524)が出ている。

33CDR-3559

 

試聴

シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのための作品全集 - 1
幻想曲ハ長調作品159 D.934
華麗なロンド ロ短調作品70 D.895
ソナチネ第3番ト短調作品137-3 D.408

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)

仏 ERATO STE 50136(ステレオ)
(1962年11月パリ、スタジオ・オシュ録音)

ページの先頭に戻る

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3560

 

試聴

シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのための作品全集 - 2
ソナチネ第2番イ短調作品137 D.385
ソナタ イ長調「デュオ」作品162 D.574
ソナチネ第1番ニ長調作品137-1 D.384

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)

仏 ERATO STE 50137(Stereo)
(1962年10月パリ、スタジオ・オシュ録音)
ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。これはステレオ時代になってフランスのエラート社に行われた録音。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校パリ音楽院で教鞭をとり、さらに日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)は1932年12歳でパリ音楽院入学、1945にジャクリーヌ・ロバン(1917-2007)とピアノ・デュオを組み1990年まで45年に渡り活動した。1946年に作曲家アンリ・デュティーユ(1916-2013)と結婚して生涯良き伴侶だった。

33CDR-3561

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.218
(カデンツァ:ヘルマン)

ジェラール・プーレ(ヴァイオリン)
ガストン・プーレ指揮
オーストリア交響楽団

米 REMINGTON R-199-125(Mono)
(1952年9月26日ウィーン録音)
ジェラール・プーレ(1938-)は1949年11歳でパリ音楽院に入学、アンドレ・アスランに師事し、2年後の1951年に一等賞を得た。この録音はその翌年の14歳の時のもの。18歳の時に、イタリアのジェノヴァで開催されたパガニーニ国際コンクールで優勝した。指揮は父親のガストン・プーレ(1892-1974)。ガストン・プーレは1904年にパリ音楽院に入り、ルフォール教授とジャン・ユレのもとで研鑽を積み1910年に一等賞を得た。1917年にドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを作曲家自身のピアノで初演した。その後華々しい活躍でフランスのもっとも重要な音楽家として尊敬された。

33CDR-3562

 

試聴

ヒンデミット:
クラリネット協奏曲
組曲「気高い幻想」

ルイ・カユザック(クラリネット)
パウル・ヒンデミット指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 COLUMBIA 33CX 1533(Mono)
(1956年11月22日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ルイ・カユザック(1880-1960)はフランスのクラリネット奏者、作曲家。トゥールーズ音楽院フェリッス・パジェに、パリ音楽院でシリユ・ローズ(1830-1902)に師事した。1901年にパリ・オペラ座管弦楽団に入り、1920年までコロンヌ管弦楽団の首席奏者をつとめた。1920年以後はソリストとして活躍した。この録音時カユザックは76歳だった。自己の作品を指揮するパウル・ヒンデミット(1895-1963)は20世紀ドイツを代表する作曲家。1920年に結成したアマール弦楽四重奏団ではヴィオラを担当、自身の作曲した「弦楽四重奏曲第2番」の初演を行っている。ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク、チェロのエマヌエル・フォイアマンと三重奏団を組み自身の「弦楽三重奏曲第2番」(78CDR-3523)ほかベートーヴェン:セレナード作品8(78CDR-3252)の録音を残した。ヒンデミットは生涯に600曲以上の作品を残した。

33CDR-3563

 

試聴

「カンポーリ/クライスラーに捧げる」
プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
愛の悲しみ
愛の喜び
道化役者
美しきロスマリン
ウィーン奇想曲
中国の太鼓
パデレフスキのメヌエット ト長調
カプリス変ホ長調
カプリス イ短調
ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
狩り
ジプシーの女
スペイン舞曲
コレッリの主題による変奏曲

アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)

英 DECCA LXT5012(Mono)
(1954年10月4-5日ロンドンNW6 、デッカ・スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時、両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。
ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツァーをする一方、自分の名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBC放送やレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、66年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音し、1971年にイギリスでも発売された。カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。このシリーズで他にJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004(78CDR-3414)が出ている。

78CDR-3564

 

試聴

 

 

シューベルト:八重奏曲ヘ長調作品166 D.803

ウィーン八重奏団
ヴィリ・ボスコフスキー
フィリップ・マタイス
ギュンター・ブライテンバッハ
ニコラウス・ヒュブナー
ヨハン・クルンプ
アルフレッド・ボスコフスキー
ヨーゼフ・ヴェレバ
ルドルフ・ハンツル

英 DECCA AK2060/65(U.K.)ffrr Recording
(1948年7月ウィーン録音)
ウィーン八重奏団はウィーン・フィルのコンサート・マスターを1936年から1979までつとめたヴィリ・ボスコフスキー(1909-1991)がリーダーだったボスコフスキー弦楽四重奏団にコントラバス、管楽器奏者が加わって結成された。この録音はSPレコード時代のこのグループ第1回のもの。ウィーンの香りが漂う高貴な名演奏がffrr録音によって見事にとらえられている。ウィーン八重奏団は1958年にステレオで同じ曲を再録音している。両者の比較試聴は楽しい。

78CDR-3565

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

米 COLUMBIA 11536/41-D MM-499(Set)
(1941年1月20日ニューヨーク録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。1938年、当時ウィーン・フィルの指揮者をつとめていたワルターはナチス・ドイツのオーストリアのオーストリア併合によるユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。この「英雄」はアメリカに渡ったワルターの初めての録音にあたる。1941年(昭和16年)日米開戦の年に日本コロムビアに供給された最後のアメリカ原盤によって日本国内でも発売された。ワルターは同じニューヨーク・フィルとLP初期の1949年に再録音している。さらに1958年にはステレオでコロンビア交響楽団と録音した。これは33CDR-3349で聴ける。

78CDR-3566

 

試聴

エレナ・ゲルハルト-
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911(抜粋)
おやすみ
菩提樹
あふれる涙
春の夢
郵便馬車
からす
道しるべ
辻音楽師

エレナ・ゲルハルト(メゾ・ソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)

英 HMV D1262/4, E460
(1927年3月9、11 & 24日イギリス録音)
(HMV盤特有のノイズがあります)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が電気録音初期の1927年に録音した「冬の旅」からの録音である。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は、ニキシュのピアノで1907年からはじまった。以降機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。その中の最高傑作がこの「冬の旅」からの8曲。録音時彼女は44歳だった。ゲルハルトは正規録音の他に1939年に6枚組のアルバム「ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う」(78CDR-3496)を、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)をプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り一般販売はされなかった。

33CDR-3567

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268

 

ラインホルト・バルヒェット(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ゼーゲルケン指揮(K.218)
ロルフ・ラインハルト指揮(K.268)
シュトゥットガルト・プロムジカ管弦楽団

英 VOX PL7220(Mono)
(1951年夏シュトゥットガルト録音)
ラインホルト・バルヒェット(1920-1962)はシュトゥットガルト生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヴュルツブルク音楽院で学び、1943年リンツ・ブルックナー管弦楽団に入団したが、大戦後は故郷に戻りカール・ミュンヒンガーが主宰するシュトゥットガルト室内管弦楽団コンサート・マスターに就任、1952年までその地位にあった。この録音はその時代のもの。またDECCAにヴィヴァルディの「四季」(モノ・ヴァージョン)を録音していた。1962年にドイツ・バッハ・ゾリステンのメンバーとして来日したが、帰国直後自動車事故によってシュトゥットガルトで急逝した。享年42歳。ロルフ・ラインハルト(1927-2006)はピアニストで指揮者。初期のVOXにヴィヴァルディの協奏曲集などを録音していた。

33CDR-3568

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
(カデンツァ:マシューズ)

ジーナ・バッカウアー(ピアノ)
アレック・シャーマン指揮
ロンドン管弦楽団

蘭 HMV GHLP 1001(英 HMV DLP1124と同一録音)
(1955年8月19-20日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ジーナ・バッカウアー(1913-1976)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。戦後の1947年ロンドンにデビュー、1950年にはカーネギー・ホールに登場した。同年指揮者のアレック・シャーマン(1907-2008)と結婚した。シャーマンはリトル・オーケストラ・オブ・ロンドンという名称の室内オーケストラを組織し、HMVやCOLUMBIAに録音していた。バッカウアーは米マーキュリーにステレオでベートーヴェンのピアノ協奏曲他を録音していた。強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。コルトーのモーツァルト録音は残っていないが、バッカウアーの演奏からそれが聴き取れる。

78CDR-3569

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV1004より「シャコンヌ」

ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)

独 POLYDOR 69891/2
(1942年録音)
ハインツ・シュタンスケ(1914-1996)はベルリン生まれのドイツのヴァイオリニスト。8歳でデビュー、カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1937年のウィーン・コンクールで金賞を受賞した。第2次世界大戦中にドイツのポリドールに録音をしていた。大戦後はコンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディト・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。シュタンスケはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218(78CDR-3211)と特に名録音と評判のブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3319)が出ている。

ページの先頭に戻る

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3570

 

試聴

ファリャ:7つのスペイン民謡
グラナドス:昔風のスペインの歌曲集(トナディーリャス)

コンチータ・スペルビア(歌)
フランク・マーシャル(ピアノ)(ファリャ)
フェルナンド・ペリケ(ピアノ)(グラナドス)

英 PARLOPHONE PO153/5(U.K.)(ファリャ)
英 PARLOPHONE PO161/2(U.K.)(グラナドス)
(1930年3月10日、ファリャ/1932年11月1日、グラナドス、バルセロナ録音)
コンチータ・スペルビア(1895-1936)はスペインのバルセロナ生まれのメゾ・ソプラノ歌手。12歳で生地のリセウ音楽院に入り、15歳でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスのコロン劇場でデビューした。1912年出身地のバルセロナでビゼーの「カルメン」歌った。第1次世界大戦中にアメリカデビュー。大戦終了後ローマに招かれ、そこでは19世紀後半から慣例的にコロラチューラ・ソプラノによって歌われていたロッシーニのオペラのヒロイン役を、ロッシーニのオリジナル通りメゾソプラノ・レッジェーロの音域で歌ったことで一躍注目された。1930年からはロンドンでも活躍した。1939年出産のためロンドン市内の病院に入院したが、新生児を死産後、自らも死亡した。
スペルビアはSPレコードに200面以上の録音を残した。

78CDR-3571

 

試聴

ハイドン:
弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-62「ひばり」

カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)

独 TELEFUNKEN A 2243/5
(1937年5月4日ベルリン録音)
リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はパリ音楽院でギョーム・レミに師事、1919年に一等賞を得た。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。リーダーのカルヴェは1935年にパリ音楽院の教授に任命され、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入り1951年にコンサートマスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを作った。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。

33CDR-3572

 

試聴

サン=サーンス:
ピアノ協奏曲第2番ト長調作品22
ピアノ協奏曲第4番ハ長調作品44

ジャンヌ=マリ・ダレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ指揮
フランス国立放送管弦楽団

仏 PATHE DTX 176(Mono)
(1955年4月28-29日パリ、メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
ジャンヌ=マリー・ダレ(1905-1999)はフランスの女流ピアニスト。10歳でパリ音楽院に入りマルグリット・ロン(1874-1966)とイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1919年に一等賞を得て翌年パリでデビューした。1923年にはポール・パレー(1886-1979)指揮のラムルー管弦楽団とオーケストラ初共演、1958年にパリ音楽院教授に任命された。このシリーズの78CDR-3189でダレの弾くサン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番のSP録音(ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団)が出ているので、聴きくらべをおすすめする。指揮者のルイ・フレスティエ(1892-1976)はフランスの指揮者。パリ音楽院に学び、和声学、対位法で一等賞を得た後1925年にローマ賞を受賞した。フランス各地のオーケストラの指揮者をつとめた後パリ音楽院の指揮科教授に任命され1945年から1962年にその地位にあった。

33CDR-3573

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)

仏 MUSIQUE et CULTURE MC 3003(Stereo)
(1964年頃パリ録音)
この録音は北ランスのストラスブールに本拠を置くMUSIQUE et CULTURE レーベルに録音されたもの。ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校パリ音楽院で教鞭をとり、さらに日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)は1932年12歳でパリ音楽院入学、1945にジャクリーヌ・ロバン(1917-2007)とピアノ・デュオを組み1990年まで45年に渡り活動した。1946年に作曲家アンリ・デュティーユ(1916-2013)と結婚して生涯良き伴侶だった。

78CDR-3574

 

試聴

ヴァーシャ・プシホダの芸術
パガニーニ(プシホダ編):「ネル・コル・ピウ」の主題による変奏曲
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
パガニーニ:魔女たちの踊り作品8
ヴィエニアフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22

ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリオン)
オットー・グレーフ(ピアノ)
シャルル・セルネ(ピアノ)
管弦楽伴奏

独 POLYDOR 35091(1938年3月録音)
独 POLYDOR 66222(1926年録音)
独 POLYDOR 66481(1926年録音)
独 POLYDOR 68998/9(1925年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサートマスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった、大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。このアルバムは電気録音完成期(1938年)のものと、電気録音最初期の "ライトレイ方式" 録音(1926年)、機械式録音(1925年)を集めた。ここに録音の変遷史を聴くことができる。

78CDR-3575

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)

英 HMV DB1463/4 (米 VICTOR 8163/4と同一録音)
(1928年3月22日アメリカ、ニュージャージー州キャムデン録音)
大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)が大ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)と顔を合わせた歴史的録音。クライスラーとラフマノノフは第1次世界大戦後、同じマネージャーだったことからこの録音が実現したと言われる。これは電気録音初期のもので録音時クライスラーは53歳、ラフマニノフは55歳だった。二人の巨匠が顔を合わせて時間をかけて音楽を作りあげてたことがマトリクス(原盤)番号の末尾にあるテイク番号が示している。第1楽章ではテイク数が8で、これは8回の録音後にOKテイクが出来たことを示している。第3楽章もテイク数が7と非常に多い。4面の録音を完成するためになんと24枚の原盤を使ったという記録的録音だった。このクライスラーの演奏を後の1936年の再録音(78CDR-3014)と是非聴き比べていただきたい。

78CDR-3576

 

試聴

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35

イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ベイジル・キャメロン指揮
ナショナル交響楽団

英 DECCA K1444/7
(1945年4月26日、1946年2月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
イダ・ヘンデル19歳の時の録音。イダ・ヘンデル(1924-)はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を得た。同年開かれたヴィエニアフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その年に英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音をしてデッカ社の看板アーティストになった。これは彼女がデッカへの初協奏曲録音である。ベイジル・キャメロン(1884-1975)はイギリスの指揮者。サンフラシスコ交響楽団やシアトル交響楽団の指揮者をつとめた後、プロムスでサー・ヘンリー・ウッド(1869-1944)のもとで活躍、1957年にCBEに叙勲された。

33CDR-3577

 

試聴

カンポーリ/アンコール
歌の翼に(メンデルスゾーン=アクロン編)
火花のワルツ(ドリゴ=アウアー編)
気まぐれな女(エルガー)
ケーンブレークから(ガードナー)
深い河(ハイフェッツ編)
吟遊詩人(ドビュッシー)
故郷の人々(フォスター=クライスラー編)
詩曲(フィビヒ)
小さな星(ポンセ)
思い出(ドルドラ)
アレグロ(フィオッコ)
蜜蜂(シューベルト)
タンゴ(アルベニス)
真夜中の鐘(ホイベルガー)

アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)

米 LONDON LL1461(Mono)
(1956年1月18日ロンドン、NW6 デッカ・スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ソプラノのネリー・メルバ(1861-1931)やコントラルトのクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツァーする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを組織しBBC放送やレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家にかえりざき、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、1966年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音した。カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。このシリーズで「カンポーリ/クライスラーに捧げる」(33CDR-3563)とJ.S.バッハの無伴奏パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3414)が出ている。

33CDR-3578

 

試聴

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

ジーナ・バッカウアー(ピアノ)

英 HMV DLP 1154(Mono)
(1956年6月6-7日録音)
ジーナ・バッカウアー(1913-1978)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次世界大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。戦後の1947年にロンドン・デビュー、1950年にはカーネギーホールに登場した。力強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。このシリーズでモーツァルトのピアノ協奏曲第24番K.491(33CDR-3568)が出ている。

78CDR-3579

 

*試聴はありません

ベニー・グッドマン六重奏団-フィーチャリング・チャーリー・クリスチャン
(1)ローズ・ルーム
(2)エア・メイル・スペシャル
(3)フライング・ホーム
(4)いい娘を見つけた
(5)プア・バタフライ
(6)グランド・スラム
(7)ワン・ワン・ブルーズ
(8)アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ

ベニー・グッドマン
チャーリー・クリスチャン
アーサー・バーンスタイン
フレッチャー・ヘンダーソン
カウント・ベイシー
ライオネル・ハンプトン、他

米 COLUMBIA C-102 Set
(1939-1942年録音)
ベニー・グッドマン(1909-1986)はシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。これは米COLUMBIAに録音した30曲以上の六重奏団による演奏の中からグッドマン自身の選曲による名演奏集で、25歳で世を去った天才ギタリストのチャーリー・クリスチャン(1925-1942)が在籍した時代の名演が収録されている。SPレコード特有の迫力のある演奏が楽しめる。ベニー・グッドマンはこのシリーズで他にペギー・リーとの共演(78CDR-3538)が出ている。

ページの先頭に戻る

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3580

 

試聴

ベートーヴェン
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

カール・シューリヒト指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA AK2253/6(ffrr Recording)
(1949年6月10-12日パリ、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した。シューリヒトのベートーヴェン交響曲第1番から第9番はLP時代のパリ音楽院管弦楽団を指揮したEMI録音がよく知られているが、この録音は大戦後間もなく英デッカに録音されたもの。颯爽と直進する若々しさが横溢している名演奏。復刻LPにはない鮮やかなサウンドが素晴らしい。シューリヒトのベートーヴェン交響曲はこのシリーズでスイス・ロマンド管弦楽団との第2番(78CDR-3115)とベルリン市立管弦楽団を振った第4番(78CDR-3127)が出ている。

78CDR-3581

 

試聴

モーツァルト:
ピアノ四重奏曲第1番ト短調 K.478
ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K.570
ロンドイ短調 K.511

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
プロ・アルテ四重奏団のメンバー(ピアノ四重奏曲)
アルフォンス・オンヌー(ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)

英 HMV 2155/8 (ピアノ四重奏曲)
英 HMV 6839/40(ソナタ)
英 HMV 6298 (ロンド)
(1934年1月31日=ピアノ四重奏曲)/1948年6月16日=(ソナタ)/1946年6月4日=(ロンド)ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1933年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。シュナーベルのモーツァルトはこのシリーズでピアノ協奏曲第21番K.467(78CDR-3387)が出ている。

33CDR-3582

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61

ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ジャック・ティボー指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 ODEON XOC804(Mono)
(1953年1月12日パリ録音)
ヘンリク・シェリング(1818-1988)はポーランド生まれ。同郷の大ヴァイオリン奏者フーベルマン(1882-1947)のすすめでベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)について研鑽を積み、その後パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)とガブリエル・ブイヨン(1896-1986)に師事し1937年に一等賞を得た。第2次世界大戦の勃発でポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目をつけ、亡命先を探していたヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。1952年12月にブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番(33CDR-3540)を録音した。このジャック・ティボー(1880-1953)指揮のベートーヴェンは翌月の1953年1月の録音で、ティボーはこの年の9月に日本に向かう航空機の墜落事故で命を落とした。

33CDR-3583

 

試聴

すみれ、野ばら-エルナ・ベルガー・リサイタル
(1)すみれ (モーツァルト/ゲーテ詞)
(2)寂しい森の中で (モーツァルト/ド・ラ・モット詞)
(3)いましめ (モーツァルト)
(4)魔術師 (モーツァルト/ヴァイセ詞)
(5)夕べの思い (モーツァルト/カンペ詞)
(6)野ばら (シューベルト/ゲーテ詞)

エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)

RCA VICTOR LM133(U.S.)(Mono) 米 RCA VICTOR LM133(モノ)
(Recorded 1951, New York) (1951年ニューヨーク録音)
※初期LP特有のノイズあり
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。第1次世界大戦(1914-1918)後に家族は南米のパラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年ドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にはバイロイトに出演している。その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退を表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。SP時代から録音も多く、特に1937年「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。このシリーズでシューマン「女の愛と生涯」他(33CDR-3478)
が出ている。

33CDR-3584

 

試聴

サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61

ミケル・カンデラ(ヴァイオリン)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 COLUMBIA D15209/12
(1928年2月13、20-21日録音)
ミケル・カンデラ(1877-1957)はパリ音楽院管弦楽団やオペラ座のヴァイオリニストを長くつとめた人物で、よく息子のミゲル・カンデラ(1914-?)と混同される。息子は1926年11月に音楽院のジュール・ブーシュリ教授(1877-1962)のクラスに入り、翌1927年に一等賞を得た。ということは、この録音が行われた時わずか14歳だったから、この録音は父親のミケルが弾いたとするのが妥当と思う。これはこの名曲の世界初録音だった。指揮者のフィリップ・ゴーベール(1879-1941)はポール・タファネル(1844-1908)の父親にフルートの手ほどきを受け、引き続きタファネル自身から指導を受けた。1894年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得て、パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座の首席フルート奏者を務めた後、パリ・オペラ座の指揮者・音楽監督としても活躍した。弟子にフルート奏者のマルセル・モイーズ(1899-1984)等がいる。

33CDR-3585

 

試聴

ベル・エポックの寵児レナルド・アーンの想い出
村の占い師の歌
もしお前が望むなら、かわいい人よ
哀れな農夫
我が歌に翼ありせば
恍惚の時
置き去りにされた女
リデ
悲しい風景
最高の贈り物
牢獄より

レナルド・アーン(バリトン)
ニノン・ヴァラン(ソプラノ)
ギ・フェラン(テノール)
ロジェ・ブルダン(バリトン)
レナルド・アーン(ピアノ)

Odeon 188.635(KI 2172-2)(Recorded 25 January 1929)
レナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカス生まれ。3歳の時に両親と共にパリに移住した。6歳の時に神童として、ナポレオン3世に従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦を得て10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、またパリ・オペラ座の指揮者として活躍、ザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。また作曲家
として声楽曲の作品が多数あるが、親交のあった音楽家のために作曲した器楽作品もある。ここではアーンの弾き語りと当時の名歌手たちが歌う自作品にピアノ伴奏をした貴重な音源を集めた。ニノン・ヴァラン(1886-1961)はオペラ、オペレッタ、フランス歌曲で評判だった。78CDR-3299で聴ける。ギ・フェラン(?-1963)は1920年代から俳優とオペラで活躍した。ロジェ・ブルダン(1900-1973)はフランス国内中心に活躍したバリトン。

33CDR-3586

 

試聴

J.S.バッハ:
「シャコンヌ」-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より

ゲルハルト・タシュナー(ヴァイオリン)

独 ODEON O-8764/5
(1941年11月25日& 28日録音)
ゲルハルト・タシュナー(1922-1976)はチェコ生まれのヴァイオリニスト。ブダペストでイエノ・フバイ(1858-1937)に、ウィーンでブロニスワフ・フーベルマン(1882-1942)に師事した。ヒトラー政権下のドイツでユダヤ系ヴァイオリニストが払底した中で、フルトヴェングラーが率いるベルリン・フィルのコンサートマスターのオーディションに「シャコンヌ」を弾いて採用され、1941年から1945年までその地位にあった。この録音は丁度その時期にあたり日米開戦直前のもの。録音当時タシュナーは19歳だった。

33CDR-3587

 

試聴

モーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)
2台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242

レーヌ・ジャノーリ(ピアノ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

米 WESTMINSTER WL5095(Mono)
(1951年6月ウィーン、コンツェルトハウス録音)
レーヌ・ジャノーリ(1915-1979)はパリ生まれ。エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1887-1962)に、パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。さらにルツェルンでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に学び、フィッシャーと共に2台、3台のピアノ演奏を数多く行った。パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)はウィーン生まれ。ウィーン音楽院に学び1947年オーストリア音楽コンクールに優勝し、エトヴィン・フィッシャーの薫陶を得た。ヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はベルリン生まれ、現代音楽の推進者と知られた指揮者。LP時代に登場したレコード会社WESTMINSTER と契約し、ウィーンで数多くの録音を残した。レーヌ・ジャノーリはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番(78CDR-3258)が出ている。

33CDR-3588

 

*試聴はありません

モーリン・オハラ-アイルランド愛唱歌集
ケリーの雌牛
ギヴ・ヒム・トゥ・ミー
あの金満男が死んだ
ウィ・ヒュイー
ジョニー, あなたをほとんど知らないのよ
一人の老婦人がいた
ダニー・ボーイ
一人の老人がいた
彼は祭りの中を通っていった
結婚相手は誰かしら
あの夜を覚えているかい、愛しい人よ
あの男達よりあの女達が悪いのはほんとう
こんどの市の日
ノラ・リー - いちど一人の少年を愛した
日曜日に嫁にいくの

エリンに帰れ

モーリン・オハラ(ヴォーカル)

米 COLUMBIA CS 8550(Stereo)
(1961年録音)
2015年10月24日に95歳で逝去した名女優モーリン・オハラ(1920-2015)はアイルランドのダブリン出身。第2次世界大戦中から戦後にかけて活躍した。このアルバムは彼女がアメリカ・コロンビアに録音したヴォーカル・アンバム。母親がオペラ歌手だった彼女は、幼少の頃から声楽の指導を受て以来、女優として活躍中もずっと声楽のトレーニングを続けていた。ダイナ・ショアのTVショーに出演したのが歌い手としてのデビューだったとアルバムの中で述べている。それをきっかけにペリー・コモ・ショー、ボブ・ホープ・ショー、ゲイリー・ムーア・ショー等にシンガーとして出演し、1960年にはブロードウェイのミュージカル「クリスティーヌ」に華々しくデビューして批評家や聴衆から喝采をあびた。これは米コロンビアのオリジナルキャスト・アルバム(OL5520/OS2016)で発売された。このアルバムに収録されたアイルランドの歌は、「ダニー・ボーイ」「ノラ・リー」(ラヴ・ミー・テンダーの原曲)の他は日本ではあまり知られていないが、彼女の圧倒的な歌唱を是非知って頂きたくこのシリーズに組み込んだ。このLP復刻には世界的に希少なWESTERN ELECTRIC製 MODEL 10Aカートリッジを使用した。

33CDR-3589

 

試聴

 

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV DB1685/9
(1932年3月24日、ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニクに生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後ロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。この録音はシュナーベルの初協奏曲録音で、開発間もないEMIのMC型レコード録音機によるもの。オーケストラの音にきつさがあるのはこのセイ。原盤番号の後の卍記号はその録音機を使用した印で、その後卍は□に変更され
た。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 K.467(78CDR-3387)、シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番D.959(78CDR-3550)、フルニエと共演したベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番 (78CDR-3292)が出ている。

ページの先頭に戻る

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3590

 

試聴

 

 

シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」

カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA DB 5588/90
(1940年4月ベルリン録音)
カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。グラーツ大学で法学博士の学位を得た。個人教授で音楽を学んだ後、1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー。ブルーノ・ワルター(1876-1962)の知己を得て、1921年からバイエルン国立歌劇場、1927年ダルムシュタット市立歌劇場、1931年からハンブルク国立歌劇場、1934年からドレスデン国立歌劇場の指揮者を歴任、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。この録音はウィーンではなく、ベルリンで行われたもので、おそらくベームとウィーン・フィルとの初録音ではないかと思う。当時46歳だったベームの若き日の記録として残したい名演奏。大戦中の録音のためベーム・ファンでもあまり知られていなかったもの。

33CDR-3591

 

試聴

 

 

セヴラック:
祭りの農家を目指して
リビアのキリスト像の前のラバひきたち
日向で水浴びする女たち

ブランシュ・セルヴァ (ピアノ)

日 COLUMBIA J 8099/8101(仏COLUMBIA D15140/43と同一録音)
(1929年1月7-11日録音)
ブランシュ・セヴルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)に作曲を学び、1902年から同校で教鞭をとるようになった。1904年にJ.S.バッハのクラヴィーア曲全曲をピアノで演奏しパリ音楽界を驚かせた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動から離れた。セルヴァはこのシリーズでJ.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV.825(78CDR-3191)、フランク:前奏曲、コラールとフーガ(78CDR-3310)、カタロニア出身の女流ヴァイオリニスト、ジョアン・マッシアと共演したフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3012)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3028)が出ている。

33CDR-3592

 

試聴

 

 

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

アルフレッド・レーヴェングート(ヴァイオリン)
フランソワーズ・ドロー(ピアノ)

独 OPERA 1147(Mono)
(1964年録音)
アルフレッド・レーヴェングート(1911-1983)はフランスのヴァイオリニスト。16歳でパリ音楽院に入りヴァイオリン、室内楽、ソルフェージュを学んだ。1929年18歳で弦楽四重奏団を組織しそのリーダーとなり、1983年レーヴェングートの死で解散した。ヴァイオリンの師はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンだったアンドレ・トゥーレ(1903-1909在籍)で、カペーの考案した運弓法を見事に体得している。レーヴェングートのソロ録音はこの「クロイツェル・ソナタ」以外にはないと思われる。ピアノのフランソワーズ・ドロー(1910-2011)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。レーヴェングートのピアニストとして長年活躍した。

33CDR-3593

 

試聴

 

 

カミーユ・モラーヌ〜フォーレ歌曲集
漁夫の歌 (T.ゴーティエ詞)
夢のあとに (R.ビュッシーヌ詞)
この世で (A.シュリー=プリュドム詞)
ネル (C.M. ルコント・ドリール詞
秋 (A.シルヴェストル詞)
ある日の詩 (C.グランジャン詞)
めぐりあい
いつの日も
さらば
ゆりかご (A.シュリー=プリュドム詞)
ひめごと (A.シルヴェストル詞)
イスパハンのばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
夜明け (A.シルヴェストル詞)
贈り物 (V.de リール=アダン)
涙 (J.リシュパン詞)

墓地にて (J.リシュパン詞)
ばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
消え去らぬ香り L(C.M.ルコント・ドリール詞)
アルページュ (A.サメン詞)
牢獄 P(P.ヴェルレーヌ詞)
夕べ (A.サメン詞)
もっとも心地よい道 (A.シルヴェストル詞)
九月の森の中で(C.マンデス詞)

カミーユ・モラーヌ(歌)
ピエール・マイヤール= ヴェルジェ(ピアノ)

仏 Le Club Francais de Disques 191(Mono)
(1959年4月7日録音) (Recorded 7 April 1959)
(全体にLP特有のノイズあり)
カミーユ・モラーヌ(1911-2010)はフランスのバリトン・レジェ(バリトンとテノールの中間の声域)。生地ルーアンの音楽学校で学んだ後、パリ音楽院でクレール・クロワザ (1882-1946)に師事した。1940年オペラ・コミックでデビュー。ペレアス役でフルネ指揮(ジャニーヌ・ミショー:メリザンド)、アンセルメ指揮(エルナ・スポーレンベルク:メリザンド)、アンゲンルブレシュト指揮(スザンヌ・ダンコ:メリザンド)の三種の録音を残している。このフォーレ歌曲集はフランスの「レコード・クラブ」に録音されたもので、同時期にエラート社に入れたモラーヌのフォーレ歌曲集と曲目が重複していない。ピエール・マイヤール=ヴェルジェ(1910-1968)はフランスの作曲家でピアニスト。パリ音楽院でポール・デュカ(1863-1935)に師事し、1939年にカンタータ "La farce du Mari fondu" でローマ賞を得た。カミーユ・モラーヌの伴奏他いくつかの録音を残している。

78CDR-3594

 

試聴

 

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ長調作品95「セリオーソ」

シュナイダーハン弦楽四重奏団
ヴォルフガング・シュナイダーハン(第1ヴァイオリン)
オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
エルンスト・モラヴェッツ(ヴィオラ)
リヒャルト・クロチャック(チェロ)

英 COLUMBIA LX8727/8
(1949年2月22、24日&3月7日ウィーン録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。ウィーン音楽院でオタカール・シェヴチーク(1852-1934)に、ついでユリウス・ヴィンクラーに師事した。1937年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1938年にアルノルト・ロゼー(1863-1946)の後任としてコンサート・マスターに就任した。1937年にウィーン・フィルハーモニーの楽員と共に自らの名前を冠した弦楽四重奏団を組織し、1951年にソリストとして独立するまで活躍した。この四重奏団はシュナイダーハンからワルター・バリリ(1921-)に引き継がれバリリ四重奏団として活躍した。

78CDR-3595

 

試聴

 

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英 COLUMBIA LX8727/8
(1949年2月22、24日&3月7日ウィーン録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。ウィーン音楽院でオタカール・シェヴチーク(1852-1934)に、ついでユリウス・ヴィンクラーに師事した。1937年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1938年にアルノルト・ロゼー(1863-1946)の後任としてコンサート・マスターに就任した。1937年にウィーン・フィルハーモニーの楽員と共に自らの名前を冠した弦楽四重奏団を組織し、1951年にソリストとして独立するまで活躍した。この四重奏団はシュナイダーハンからワルター・バリリ(1921-)に引き継がれバリリ四重奏団として活躍した。

78CDR-3596

 

試聴

 

シベリウス:
交響曲第2番ニ長調作品43
カレリア組曲作品11-間奏曲

ロベルト・カヤヌス指揮
管弦楽団

米COLUMBIA 67833/7-D(英COLUMBIA LX50/4 と同一録音)
(1930年5月27-8日録音)
ロベルト・カヤヌス(1856-1933)はフィンランドの作曲家で指揮者。同国の作曲家シベリウス(1865-1957)の先輩にあたり、英国コロンビアに入れたシベリウスの交響曲第1番と第2番はこれら曲の世界初録音だった。これはその中の一曲。カヤヌスは1930年代になって英HMVが企画した「シベリウス協会」全6巻(SPレコード105枚組)の第1巻と第2巻で交響曲第3番、第5番と第7番に加え、交響詩「ポヒヨラの娘」と「タピオラ」をロンドン交響楽団を指揮して録音(SP14枚)したが、以降の巻はカヤヌスの死去によって他の指揮者に代わった。この「シベリウス協会」を推進した中心人物はロベルト・カヤヌスに他ならなかったと思う。シベリウスの交響曲第2番という名曲の原点にあたる演奏を本シリーズに加えた。

33CDR-3597

 

*試聴はありません

 

オネゲル:チェロ・ソナタ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ

 

ギ・ファロ(チェロ)
モニーク・ファロ(ピアノ)

 

仏 VEGA C30 A310(Mono)
(1961年5月パリ録音)(全体にノイズあり)
ギ・ファロ(1927-)はフランスのチェロ奏者。ナンシーに生まれ。 9歳でスイスのローザンヌ音楽院に入り、14歳の時妹のモニークと共にジュネーヴのコンクールのソナタ部門で一等賞を得た。1946年パリ音楽院に入りポール・バズレール(1886-1958)教授のクラスで一等賞を得た。バズレールはピエール・フルニエ(1906-1986)の師としても知られている。1970年左腕の故障で演奏活動中止を余儀なくされたが、その後世界中でピアニストのリタ・ロッサと共に演奏活動をしながら、スイスのジュネーヴとローザンヌの音楽院で後進の指導にあたった。これはギ・ファロが全盛期に残した数少ない録音の一枚で、20世紀のチェロ・ソナタの名作3曲が一枚に収録された貴重な名盤の復刻。

33CDR-3598

 

試聴

 

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005

オシー・レナルディ(ヴァイオリン)

米 LONDON LPS423(No.1)(Mono)
英 DECCA LM4536(No.3)(Mono)
(1950年5月25-26日=No.3 、1951年6月6-7日=No.1 ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳の時にウィーンでデビュー。1937年にアメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「奇想曲」だった。レナルディは英デッカにブラームスのヴァイオリン協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と1948年に録音した(78CDR-3141)。レナルディは将来を嘱望されたアーティストだったが1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。

33CDR-3599

 

試聴

 

フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

 

オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
ユージン・リスト(ピアノ)

米 REMINGTON R-199-148(Mono)(1953年録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳でウィーンでデビュー。1937年アメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊してステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「24の奇想曲」だった。だが将来を嘱望されたこのヴァイオリニストは1953年12月にニューメキシコでのコンサート後に自動車事故で33歳の命を落とした。ピアノのユージン・リスト(1918-1985)はフィラデルフィア生まれ。16歳の時ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団とショスタコーヴィチのピアノ協奏曲のアメリカ初演を行った。レナルディはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(シャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)(78CDR-3141)とJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリ・ソナタ第1番と第3番(33CDR-3598)が出ている。

ページの先頭に戻る


ホーム
ホーム 商品情報 CDリスト ご購入方法 Audioのページ