新 忠篤氏 復刻

3850-

78CDR-3850〜3859
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3850

 

2021/10新譜

シューベルト:
ヴァイオリン・ソナチネ第1番ニ長調作品137-1, D.384
ピアノ・ソナタ第17番ニ長調作品53, D.850よりRondo(Fridberg編曲)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)

米 COLUMBIA 71489/90
1941年11月25日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917-24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズでシゲティの重要録音が多数出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3851

 

2021/11新譜

きよしこの夜(上)
ヨーゼフ・モール(1792-1848) 作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1863) 作曲

「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 

(1)エミール・ムエンチ(テノール)
VICTOR 16111B(U.S.) ドイツ語歌唱 1906年2月8日フィラデルフィア録音エミール・ムエンチ(1866-没年不詳)はドイツ生まれのアメリカのテノール。1889年からニュージャージー州ニューアークに住み、その後ホーボーケンに移った。1901年から1916年まで、177面のレコード録音を残した。
(2)オリーヴ・フレムスタッド(ソプラノ)
COLUMBIA 30708(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年3月30日ニューヨーク録音オリーヴ・フレムスタッド(1871-1951)はストックホルム生まれのソプラノ。1911年から1915年に米COLUMBIAに20面のSPレコードを残した。
(3)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(アルト)
VICTOR 6281(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年12月7日キャムデン録音エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれのドイツ系アルト。アメリカに移住し大成功した。1903年米COLUMBIAに初録音。1906年から米VICTORに移り140面の録音を残した。
(4)ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
VICTOR 566(U.S.) ドイツ語歌唱 1914年1月26日キャムデン録音ユリア・クルプ(1880-1970)オランダの「ナイチンゲール」と呼ばれた卓越したメゾソプラノ。1914年から1924年までに米VICTORに58面の録音を残した。
(5)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)
COLUMBIA 58246(U.S.) ドイツ語歌唱 1917年1月29日ニューヨーク録音エレナ・ゲルハト(1883-1961)はドイツのソプラノ。大指揮者アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められニキシュのピアノ伴奏でデビューした。これはアメリカ公演の際にニューヨークのCOLUMBIAのスタジオでの録音。
(6)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
Edison Record 6714(U.S.) 英語歌唱 1919年4月3日ニューヨーク録音フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はドイツのソプラノ。ヨーロッパとアメリカでオペラとコンサートの両分野で活躍した。これはアメリカ公演の際にエジソン・レコード(縦振動盤)に録音したもの。復刻にはステレオMM型カートリッジを横振動キャンセル接続して、3.5mil針で再生した。
(7)マリア・オルツェウスカ(アルト)
ザイトラー・ヴィンクラー三重奏団
Seidler-Winkler Trio
SCHALLPLATTE GRAMMOPHON 72823(Germany) ドイツ語歌唱 1922年頃録音マリア・オルツェウスカ(1892-1969)はドイツのアルト。1919年-22年にハンブ
ルク国立歌劇場で活躍した。1932年録音の「バラの騎士」(ロベルト・ヘーガー指揮)の抜粋盤で、ロッテ・レーマン、エリーザベト・シューマンと共に出演していた。
(8)ルドルフ・デマン(ヴァイオリン)/カール・デヒェルト(チェロ)
/オットー・ウラック(オルガン)
VOX 6056(Germany) 1925年頃ベルリン録音
曲は教会の鐘の音で始まり終わる。ヴァイオリンのルドルフ・デマン(1880-1960)はウィーン生まれのヴァイオリン奏者。1918年-1930年にベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターを務め、一方デマン弦楽四重奏団のリーダーとして幾つもの録音を残した。独VOXはSPレコード時代のレコード会社で、マイクロフォンを使った電気録音が導入(1925-)された後も機械式録音に固執し1926年に倒産消滅した。

78CDR-3852

 

2021/11新譜

ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98

ヘルマン・アーベントロート指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV D1265/70
(1927年3月27日録音) 初期HMV盤特有の針音大この曲の初の全曲録音。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はドイツの名指揮者。1923年ベルリン・フィルを指揮したR.シュトラウス:死と変容(独POLYDOR 65871/3)他数枚が機械式録音時代にあったが、これは電気録音初期にブラームス:交響曲第1番(英HMV D1454/8)(1928年3月28日)と共にロンドン交響楽団を指揮した貴重な演奏。アーベントロートはロンドン響を1937年まで指揮した。その後はドイツを中心に活躍し、正規録音の他ライヴ録音が多数CD化されている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3853

 

2021/11新譜

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299(297c)

リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ルネ・ル・ロワ(フルート)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

英 HMV DB6485/7
(1947年3月11-12日録音)
ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988) は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得て、コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのルネ・ル・ロワ(1898-1985)は1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。その後も名フルーティスト、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)の指導を受けた。彼は主に室内楽奏者として活躍、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院(1932-1950)、カナダのモントリオール音楽院(1943-1950) 、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学。1932年のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を作り、戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3854

 

2021/12新譜

きよしこの夜(下) ※電気録音編
ヨーゼフ・モール(1792-1848)作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1963)作曲

今回は1925年以降のマイクロフォンを使用した通称電気録音編。「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。(1)ロッテ・レーマン(ソプラノ) オルガン伴奏
COLUMBIA S30062(JP) 原盤:独ODEON O-4810 ドイツ語歌唱 1928年9月4日録音ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツ生まれのソプラノ。ヨーロッパで大成功した後、1935年ナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに渡り永住権を得た。
(2)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ハーバート・ドーソン(オルガン)HMV DA1667(U.K.) 英語歌唱 1938年10月22日ロンドン、アビーロード録音エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。この録音直後にアメリカに移住した。オペラ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。
(3)ウェストミンスター合唱団(ジョン・フィンリー・ウィリアムソン指揮)
COLUMBIA 55009(U.S.) 英語歌唱 1941年ニューヨーク録音ウェストミンスター合唱団は1920年に指揮者のジョン・フィンリー・ウィリアムソンによってニューヨークに創設された。現在も活動している。
(4)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ジョン・プリッチャード指揮 フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン合唱団COLUMBIA LO-86(Australia) 英語歌唱 1949年3月3日アビー・ロード録音
エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)はドイツ生まれのイギリスのソプラノ。リートとオペラの両分野で活躍した。
(5)ベルリン・モテット合唱団(ギュンター・アルント指揮)
POLYDOR P35(JP) 英語歌唱 1952年録音戦後のLP時代に録音された合唱。

78CDR-3855

 

2021/12新譜

ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

仏 POLYDOR 66939/44
1929年ベルリン録音
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行った。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第4番(78CDR-3840)(1924年機械式録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3856

 

2021/12新譜

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第8番ヘ長調作品93 - 第2楽章
※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源

ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン新交響楽団(6番)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(8番)

独GRAMOPHONE 69642/7
1923年12月ベルリン録音
ハンス・プフィツナーのこの曲の第1回目の録音。機械式録音(通称ラッパ吹き込み)。ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第3番「英雄」(78CDR-3855)(1929年電気録音)、第4番(78CDR-3840)(1924年機械録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カーリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3857

 

2022/1新譜

ショパン:
ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
マズルカ第5番変ロ長調作品 7-1
幻想即興曲嬰ハ短調作品66
エチュードヘ短調作品25-2 -
エチュード変ト長調作品10-5「黒鍵」
ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2

アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)

米 RCA VICTOR 1650/3, set DM548(auto)(英HMV DB3700/2と同一録音)
(ソナタ第3番)1938年録音独 POLYDOR 95324(マズルカ&幻想即興曲)1929年録音仏 POLYDOR 95140 ( エチュード&ワルツ)1928年録音
アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ。1911年にキエフ音楽院をゴールドメダルを得て卒業し、1914年までウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事してさらに研鑽を積んだ。その後チューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にはフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160曲のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する史上初の快挙をうちたて、その一部ではショパンの所有したピアノを演奏した。ブライラフスキーはこのシリーズで1928年録音のショパン:ピアノ協奏曲第1番(78CDR-3542)が出ている。一味違うヨーロッパ時代のブライロフスキーの演奏に是非耳を傾けて頂きたい。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3858

 

2022/1新譜

モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
グラズノフ:夢 作品24

オーブリー・ブレイン(ホルン)
ジョゼフ・バッテン指揮ロイヤル交響楽団(モーツァルト)
マリオン・ブレイン(ピアノ)(グラズノフ)

英 EDISON BELL X508/9 1926年頃録音
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルンを教えはじめた。その生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。指揮者のジョゼフ・バッテン(1885-1955)は初期の英国レコード界で活躍した人物。音楽はほぼ独学。蝋管レコード時代から活躍し、1914年EDISON BELL社に入り、後に英国COLUMBIAに移った。レコード会社専属のハウス・コンダクターの一人だった。ピアノのマリオン・ブレインはオーブリー・ブレイン夫人。デニス・ブレインの演奏するモーツァルト:ホルン協奏曲第2番&第4番はこのシリーズで78CDR-3291、オーブリー・ブレインの演奏するホルン協奏曲第3番は78CDR-3272が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3859

 

2022/2新譜

パガニーニ(ウィルヘルミ編曲):
ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品 6(単一楽章)

ラースロ・セントジェルジ(ヴァイオリン)
クレメンス・シュマルシュティッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

独 HMV EH418/19
1929年10月録音
ラースロ・セントジェルジ(1910- ?)はハンガリーのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でオスカル・ステューデルとイエノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1927年フランクフルトで開催された世界博覧会でブダペスト交響楽団のソリストとして登場した。1930年にはイエノ・フバイによって開かれたパリでの演奏会で輝かしい技巧を披露し大喝采を浴びた。SPレコードには十数枚の録音があるが、その後の消息は不明。クレメンス・シュマルシュティッヒ(1880-1960)はドイツの指揮者、作曲家。1927年ドイツのELECTROLA 社の音楽監督を務めたことがあり、この録音はその時期のもの。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

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78CDR-3860〜3869
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3860

 

2022/2新譜

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
レオニード・クロイツアー(ピアノ)

日 POLYDOR 5027/29
1931年東京録音
アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953)はウクライナのオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後モスクワに出てヤン・グルジマリに師事した。モスクワでは弦楽四重奏団を組織したり教員生活を送った後1922年にパリに移住し、ヴァイオリン奏者で弦楽四重奏団のリーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもった。ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独自の音色を身につけた。1926年11月初来日、1930年に再度来日してから1953年に亡くなるまで、演奏家として、また優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。ピアノのレオニード・クロイツァー(1884-1953)はロシア生まれの名ピアニスト。1931年初来日。1933年に再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京藝術大学)教授をつとめた。これは第1回の来日時の録音。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3861

 

2022/2新譜

シューマン:幻想曲ハ長調 作品17

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

1949年5月30-31日ロンドン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニストで指揮者、教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/46)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3862

 

2022/2新譜

モーツァルト:
幻想曲ハ短調 K.475
ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457

リリー・クラウス(ピアノ)

英 PARLOPHONE R 20438/41
1939年2月28日&4月19日ロンドン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)とゾルタン・コダーイ(1882-1967)に師事した。1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して世界各国で評判をとった。第2次世界大戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3863

 

2022/3新譜

ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」

ポール・ホワイトマン・オーケストラ

英ブランズウィック A 5133 (米DECCA 29052 と同一録音)(ガーシュウィン)加 VICTOR 36301/4 (米RCA VICTOR 36052/5と同一録音)(グローフェ)1938年10月23日(ガーシュウィン)& 1932年4月26日(グロフェ)録音ポール・ホワイトマン(1890-1967)はアメリカのバンドリーダー、作曲家で両曲の初演指揮者。ホワイトマンがジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)に作曲を依頼した「ラプソディ・イン・ブルー」は1924年の機械式(ラッパ)録音(VICTOR)、1927年の電気録音(VICTOR)とこの1938年のDECCA 録音と3回録音している。「グランド・キャニオン」の作曲者、ファーディ・グローフェ(1892-1972)はニューヨーク生まれ。1920年にポール・ホワイトマン楽団にピアニスト、アレンジャーとして入り、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲で名声を博した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3864

 

2022/3新譜

チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調作品48

ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセトヘボウ管弦楽団弦楽セクション

チェコ ULTRAPHON G14219/21(独 TELEFUNKEN SK2901/3と同一録音)
1938年11月7日アムステルダム録音
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年には合併前のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任。レコード録音は機械式録音と電気録音のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音
はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。この録音はTELEFUNKEN時代のもので、チェコのULTRAPHON盤から復刻した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3865

 

2022/3新譜

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調 作品97「大公」

アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

米 RCA VICTOR 11-8482/86
1941年9月12日&13日ニューヨーク録音
「百万ドル・トリオ」と呼ばれたこのトリオの代表作。日米開戦の3カ月前にニューヨークで録音された。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)は旧ロシア帝国のヴィリナ生まれ。 3歳でヴァイオリンをはじめ、1910年にサンクトペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3866

 

202241新譜

ブラームス
ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108

パウル・コハンスキ(ヴァイオリン)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)

日VICTOR JD-41/3 (英HMV DB17828/30と同一録音)
1932年6月15日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音
パウル・コハンスキ(1887-1934)は 7歳の時ウクライナのオデッサで、レオポルド・アウアー門下のエミル・ムウィナルスキに師事。1898年ムウィナルスキはワルシャワに行き、1901年ワルシャワ・フィルハーモニーを創設すると、14歳のコハンスキをコンサートマスターに任命した。その後コハンスキはワルシャワの上流階級の支援をうけブリュッセルの王立音楽院に留学、4年後に首席で卒業した。ほどなくポーランド出身の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)と出会い、ロンドン、ニューヨークにデビュー、1924年から没年までジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動を続け、1934年に癌のため死去した。享年47歳。原盤番号の末尾の卍印はEMIのアラン・ブラムレイン(1903-1942)が開発した新型カッターを採用した録音の印で、程なく□印に変わった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3867

 

2022/4新譜

モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
ピアノ・ソナタ第18番ニ長調 K.576

クラウディオ・アラウ(ピアノ)

加 VICTOR 18279/81
1941年2月20-27日ニューヨーク、VICTOR Studios - Studio No.2録音クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ出身のピアニスト。1911年チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1935年からベルリンでバッハとモーツァルトのクラヴィーア曲全曲演奏会を開いた。1941年にカーネギー・ホールにデビュー。本拠をアメリカに移し、VICTORに録音を始めた。これはその最初期のもの。その後アメリカCOLUMBIA(1940-1950)、英EMI(1950年代)、オランダPHILIPS CLASSICS(1960年代-1980年代)に多くの録音を残した。Track(5)で終結部が音の途中で切れているのは原盤通り。演奏時
間が規定より長かったため録音エンジニアが最終音の途中でリードアウトを作成したため。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3868

 

2022/4新譜

モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550

フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

米 VICTROLA 7394/96
1930年12月22日シカゴ、220Sミシガン・アヴェニュ、オーケストラ・ホール録音フレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ出身のアメリカの指揮者。軍楽隊長だった父親から初期の音楽教育を受け、13歳でケルン音楽院のヴァイオリン科に入る。1890年に卒業しケルン市立管弦楽団のヴァイオリン奏者になった。1895年アメリカのシカゴ交響楽団員候補者を見つけるためにドイツ訪問中のドイツ人指揮者セオドア・トマス(1835-1905)に出会い、オーディションの結果シカゴ交響楽団のヴィオラ奏者に選ばれた。渡米後指揮者としての才能を認められ、1899年に准指揮者に昇格。1905年にトマスが急逝するとシカゴ交響楽団の音楽監督の地位を引き継
いだ。1911年シカゴ交響楽団の終身音楽監督になった。録音は1916年にColumbiaに、その後Victorにも録音をした。シカゴ交響楽団におけるストックの任期(37年間)はオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と並んでアメリカ人指揮者の最長記録。今や忘れられた名指揮者フレデリック・ストックの演奏を是非楽しんでいただきたい。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

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2022/5新譜

ドヴォルザーク:
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」

ニコライ・マルコ指揮
デンマーク国立放送交響楽団

HMV Z.7008/12
1949年デンマーク録音
ニコライ・マルコ(1883-1961)はウクライナ生まれ。父親がウクライナ人、母親がロシア人。1906年ペテルブルク大学を卒業後、1909年にペテルブルク音楽院を修了、
マリインスキー劇場の指揮者にに就任、6年後に首席指揮者に昇格した。1909年よりミュンヘンでフェリックス・モットルに指揮法を師事した。1918年にヴィテプス
ク音楽院の楽院長に就任し、1921年からモスクワ音楽院で教鞭を執った。さらにキエフ、ハリコフでも指揮法の指導にあたった。1925年からレニングラード音楽院教
授に就任、翌1926年にはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に常任指揮者になったが、1928年その座をアクサンドル・ガウクに譲り、1929年に西側からの出
演要請を受けたのを機に、妻と一緒にソビエト連邦を去り、ウィーン、プラハに移住、さらにコペンハーゲンでデンマーク国立放送交響楽団の創設に携わり永久客演
指揮者の称号を与えられた。1940年にアメリカに渡り指揮法の教師をつとめた。コペンハーゲン時代からEMIに多くの録音を残している。さらに1956年オーストラリ
アのシドニー交響楽団の首席指揮者に就任し、1961年シドニーで没するまで音楽監督の地位にあった。1959年には東京交響楽団の招きで来日している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3870

 

2022/5新譜

モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX808/10
1939年2月8日ロンドン録音
レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年のウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリスColumbiaの専属アーティストになった。この録音は結成後20年が経った頃のもの。熟成した演奏を披露している。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

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2022/5新譜

J.S.バッハ(ターティス編):シャコンヌ(ヴィオラ版)
※機械式録音(電機録音以前)の復刻音源

ライオネル・ターティス(ヴィオラ)

米 COLUMBIA 67071D/72D(英 COLUMBIA L-1644/5と同一録音)
1925年11月25日録音
ライオネル・ターティス(1876-1975)はイギリス北部のウェストハートルプール生まれ。ライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学ぶ。王立音楽院在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたことがきっかけでヴィオラに転向、その後ソリストや室内楽で活躍した。20世紀初頭までヴィオラは独奏楽器ではなかったが、ターティスらの登場で、ヴィオラの独奏曲が多く作られるようになった。ターティスは1975年にロンドンで死去。ターティスを記念して1980年にライオネル・ターティス国際ヴィオラ・コンクールが設立された。この「シャコンヌ」はヴァイオリンの原曲を5度低く移調している。機械式録音の最末期の録音。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3872

 

2022/6新譜

ショパン:
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
華麗なる大ワルツ変ホ長調作品18

クラウディオ・アラウ(ピアノ)
トーマス・シャーマン指揮
リトル・オーケトラ・ソサイエティ

英COLUMBIA LX1267/8 (米COLUMBIA 72728/9D と同一録音)
1947年11月8日、11月14日ニューヨーク録音
クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。1911年7歳の時チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフラン
ツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任し
た。1941年にカーネギー・ホールにデビュー、本拠をアメリカに移しレコード録音も始めた。これは巨匠アラウの初期のもので、あまり知られていない演奏。指揮者のトーマス・シャーマン(1917-1979)はニューヨーク生まれ。指揮法をオットー・クレンペラーに師事した。1939年から41年アメリカ軍に入隊、軍楽隊の指揮者をつとめた。1947年自らリトル・オーケストラ・ソサイエティを創設した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3873

 

2022/6新譜

メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」

セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
ボストン交響楽団

仏 DISQUES GRAMOPHONE DB2605/07 (米Victor 8889/91 と同一録音)
1935年1月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音
セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はロシア帝国トヴェリ生まれ。モスクワ・フィルハーモニー協会音楽演劇学校(現ロシア舞台芸術大学)卒業後コントラバス奏者として活動を始めた。1908年にベルリンで指揮者デビューし、ロシア革命後の1920年にパリに移住。1924年にピエール・モントゥーの後任としてアメリカのボストン交響楽団の常任指揮者となり1949年までつとめた。後任はシャルル・ミュンシュ。クーセヴィツキーはボストン交響楽団を世界的に有名にした。またフランスの作曲家モーリス・ラヴェルにムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲を依頼したことも知られている。レコード録音はすべて米VICTOR。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3874

 

2022/6新譜

サン=サーンス:
チェロ協奏曲第1番イ短調作品33(単一楽章)

グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ)
フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

米 COLUMBIA 11440/41
1940年3月6日シカゴ、シンフォニー・ホール録音
グレゴール・ピアティゴルスキー(1903-1976)はウクライナのドニプロペトロウシク生まれのチェロ奏者。モスクワ音楽院に学び、15歳でボリショイ劇場の首席チェリスト。18歳の時、短期間ベルリン・フィルの首席チェリストをつとめた。1929年に渡米、1942年アメリカの市民権を得た。1941年から1949年までフィラデルフィアのカーティス音楽院チェロ科の主任教授をつとめた後、晩年はカリフォルニアで暮らした。指揮者のフレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ生まれ。1895年アメリカのシカゴ交響楽団入った。1911年にシカゴ交響楽団の終身音楽監督。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

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