新 忠篤氏 復刻

3850-3899

78CDR-3850〜3859
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3850

 

2021/10新譜

シューベルト:
ヴァイオリン・ソナチネ第1番ニ長調作品137-1, D.384
ピアノ・ソナタ第17番ニ長調作品53, D.850よりRondo(Fridberg編曲)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)

米 COLUMBIA 71489/90
1941年11月25日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917-24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズでシゲティの重要録音が多数出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3851

 

2021/11新譜

きよしこの夜(上)
ヨーゼフ・モール(1792-1848) 作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1863) 作曲

「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 

(1)エミール・ムエンチ(テノール)
VICTOR 16111B(U.S.) ドイツ語歌唱 1906年2月8日フィラデルフィア録音エミール・ムエンチ(1866-没年不詳)はドイツ生まれのアメリカのテノール。1889年からニュージャージー州ニューアークに住み、その後ホーボーケンに移った。1901年から1916年まで、177面のレコード録音を残した。
(2)オリーヴ・フレムスタッド(ソプラノ)
COLUMBIA 30708(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年3月30日ニューヨーク録音オリーヴ・フレムスタッド(1871-1951)はストックホルム生まれのソプラノ。1911年から1915年に米COLUMBIAに20面のSPレコードを残した。
(3)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(アルト)
VICTOR 6281(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年12月7日キャムデン録音エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれのドイツ系アルト。アメリカに移住し大成功した。1903年米COLUMBIAに初録音。1906年から米VICTORに移り140面の録音を残した。
(4)ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
VICTOR 566(U.S.) ドイツ語歌唱 1914年1月26日キャムデン録音ユリア・クルプ(1880-1970)オランダの「ナイチンゲール」と呼ばれた卓越したメゾソプラノ。1914年から1924年までに米VICTORに58面の録音を残した。
(5)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)
COLUMBIA 58246(U.S.) ドイツ語歌唱 1917年1月29日ニューヨーク録音エレナ・ゲルハト(1883-1961)はドイツのソプラノ。大指揮者アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められニキシュのピアノ伴奏でデビューした。これはアメリカ公演の際にニューヨークのCOLUMBIAのスタジオでの録音。
(6)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
Edison Record 6714(U.S.) 英語歌唱 1919年4月3日ニューヨーク録音フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はドイツのソプラノ。ヨーロッパとアメリカでオペラとコンサートの両分野で活躍した。これはアメリカ公演の際にエジソン・レコード(縦振動盤)に録音したもの。復刻にはステレオMM型カートリッジを横振動キャンセル接続して、3.5mil針で再生した。
(7)マリア・オルツェウスカ(アルト)
ザイトラー・ヴィンクラー三重奏団
Seidler-Winkler Trio
SCHALLPLATTE GRAMMOPHON 72823(Germany) ドイツ語歌唱 1922年頃録音マリア・オルツェウスカ(1892-1969)はドイツのアルト。1919年-22年にハンブ
ルク国立歌劇場で活躍した。1932年録音の「バラの騎士」(ロベルト・ヘーガー指揮)の抜粋盤で、ロッテ・レーマン、エリーザベト・シューマンと共に出演していた。
(8)ルドルフ・デマン(ヴァイオリン)/カール・デヒェルト(チェロ)
/オットー・ウラック(オルガン)
VOX 6056(Germany) 1925年頃ベルリン録音
曲は教会の鐘の音で始まり終わる。ヴァイオリンのルドルフ・デマン(1880-1960)はウィーン生まれのヴァイオリン奏者。1918年-1930年にベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターを務め、一方デマン弦楽四重奏団のリーダーとして幾つもの録音を残した。独VOXはSPレコード時代のレコード会社で、マイクロフォンを使った電気録音が導入(1925-)された後も機械式録音に固執し1926年に倒産消滅した。

78CDR-3852

 

2021/11新譜

ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98

ヘルマン・アーベントロート指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV D1265/70
(1927年3月27日録音) 初期HMV盤特有の針音大この曲の初の全曲録音。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はドイツの名指揮者。1923年ベルリン・フィルを指揮したR.シュトラウス:死と変容(独POLYDOR 65871/3)他数枚が機械式録音時代にあったが、これは電気録音初期にブラームス:交響曲第1番(英HMV D1454/8)(1928年3月28日)と共にロンドン交響楽団を指揮した貴重な演奏。アーベントロートはロンドン響を1937年まで指揮した。その後はドイツを中心に活躍し、正規録音の他ライヴ録音が多数CD化されている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3853

 

2021/11新譜

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299(297c)

リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ルネ・ル・ロワ(フルート)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

英 HMV DB6485/7
(1947年3月11-12日録音)
ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988) は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得て、コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのルネ・ル・ロワ(1898-1985)は1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。その後も名フルーティスト、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)の指導を受けた。彼は主に室内楽奏者として活躍、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院(1932-1950)、カナダのモントリオール音楽院(1943-1950) 、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学。1932年のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を作り、戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3854

 

2021/12新譜

きよしこの夜(下) ※電気録音編
ヨーゼフ・モール(1792-1848)作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1963)作曲

今回は1925年以降のマイクロフォンを使用した通称電気録音編。「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。(1)ロッテ・レーマン(ソプラノ) オルガン伴奏
COLUMBIA S30062(JP) 原盤:独ODEON O-4810 ドイツ語歌唱 1928年9月4日録音ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツ生まれのソプラノ。ヨーロッパで大成功した後、1935年ナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに渡り永住権を得た。
(2)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ハーバート・ドーソン(オルガン)HMV DA1667(U.K.) 英語歌唱 1938年10月22日ロンドン、アビーロード録音エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。この録音直後にアメリカに移住した。オペラ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。
(3)ウェストミンスター合唱団(ジョン・フィンリー・ウィリアムソン指揮)
COLUMBIA 55009(U.S.) 英語歌唱 1941年ニューヨーク録音ウェストミンスター合唱団は1920年に指揮者のジョン・フィンリー・ウィリアムソンによってニューヨークに創設された。現在も活動している。
(4)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ジョン・プリッチャード指揮 フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン合唱団COLUMBIA LO-86(Australia) 英語歌唱 1949年3月3日アビー・ロード録音
エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)はドイツ生まれのイギリスのソプラノ。リートとオペラの両分野で活躍した。
(5)ベルリン・モテット合唱団(ギュンター・アルント指揮)
POLYDOR P35(JP) 英語歌唱 1952年録音戦後のLP時代に録音された合唱。

78CDR-3855

 

2021/12新譜

ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

仏 POLYDOR 66939/44
1929年ベルリン録音
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行った。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第4番(78CDR-3840)(1924年機械式録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3856

 

2021/12新譜

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第8番ヘ長調作品93 - 第2楽章
※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源

ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン新交響楽団(6番)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(8番)

独GRAMOPHONE 69642/7
1923年12月ベルリン録音
ハンス・プフィツナーのこの曲の第1回目の録音。機械式録音(通称ラッパ吹き込み)。ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第3番「英雄」(78CDR-3855)(1929年電気録音)、第4番(78CDR-3840)(1924年機械録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カーリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3857

 

2022/1新譜

ショパン:
ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
マズルカ第5番変ロ長調作品 7-1
幻想即興曲嬰ハ短調作品66
エチュードヘ短調作品25-2 -
エチュード変ト長調作品10-5「黒鍵」
ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2

アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)

米 RCA VICTOR 1650/3, set DM548(auto)(英HMV DB3700/2と同一録音)
(ソナタ第3番)1938年録音独 POLYDOR 95324(マズルカ&幻想即興曲)1929年録音仏 POLYDOR 95140 ( エチュード&ワルツ)1928年録音
アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ。1911年にキエフ音楽院をゴールドメダルを得て卒業し、1914年までウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事してさらに研鑽を積んだ。その後チューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にはフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160曲のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する史上初の快挙をうちたて、その一部ではショパンの所有したピアノを演奏した。ブライラフスキーはこのシリーズで1928年録音のショパン:ピアノ協奏曲第1番(78CDR-3542)が出ている。一味違うヨーロッパ時代のブライロフスキーの演奏に是非耳を傾けて頂きたい。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3858

 

2022/1新譜

モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
グラズノフ:夢 作品24

オーブリー・ブレイン(ホルン)
ジョゼフ・バッテン指揮ロイヤル交響楽団(モーツァルト)
マリオン・ブレイン(ピアノ)(グラズノフ)

英 EDISON BELL X508/9 1926年頃録音
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルンを教えはじめた。その生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。指揮者のジョゼフ・バッテン(1885-1955)は初期の英国レコード界で活躍した人物。音楽はほぼ独学。蝋管レコード時代から活躍し、1914年EDISON BELL社に入り、後に英国COLUMBIAに移った。レコード会社専属のハウス・コンダクターの一人だった。ピアノのマリオン・ブレインはオーブリー・ブレイン夫人。デニス・ブレインの演奏するモーツァルト:ホルン協奏曲第2番&第4番はこのシリーズで78CDR-3291、オーブリー・ブレインの演奏するホルン協奏曲第3番は78CDR-3272が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3859

 

2022/2新譜

パガニーニ(ウィルヘルミ編曲):
ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品 6(単一楽章)

ラースロ・セントジェルジ(ヴァイオリン)
クレメンス・シュマルシュティッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

独 HMV EH418/19
1929年10月録音
ラースロ・セントジェルジ(1910- ?)はハンガリーのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でオスカル・ステューデルとイエノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1927年フランクフルトで開催された世界博覧会でブダペスト交響楽団のソリストとして登場した。1930年にはイエノ・フバイによって開かれたパリでの演奏会で輝かしい技巧を披露し大喝采を浴びた。SPレコードには十数枚の録音があるが、その後の消息は不明。クレメンス・シュマルシュティッヒ(1880-1960)はドイツの指揮者、作曲家。1927年ドイツのELECTROLA 社の音楽監督を務めたことがあり、この録音はその時期のもの。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

ページの先頭に戻る

78CDR-3860〜3869
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3860

 

2022/2新譜

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
レオニード・クロイツアー(ピアノ)

日 POLYDOR 5027/29
1931年東京録音
アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953)はウクライナのオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後モスクワに出てヤン・グルジマリに師事した。モスクワでは弦楽四重奏団を組織したり教員生活を送った後1922年にパリに移住し、ヴァイオリン奏者で弦楽四重奏団のリーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもった。ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独自の音色を身につけた。1926年11月初来日、1930年に再度来日してから1953年に亡くなるまで、演奏家として、また優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。ピアノのレオニード・クロイツァー(1884-1953)はロシア生まれの名ピアニスト。1931年初来日。1933年に再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京藝術大学)教授をつとめた。これは第1回の来日時の録音。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3861

 

2022/2新譜

シューマン:幻想曲ハ長調 作品17

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

1949年5月30-31日ロンドン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニストで指揮者、教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/46)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3862

 

2022/2新譜

モーツァルト:
幻想曲ハ短調 K.475
ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457

リリー・クラウス(ピアノ)

英 PARLOPHONE R 20438/41
1939年2月28日&4月19日ロンドン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)とゾルタン・コダーイ(1882-1967)に師事した。1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して世界各国で評判をとった。第2次世界大戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3863

 

2022/3新譜

ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」

ポール・ホワイトマン・オーケストラ

英ブランズウィック A 5133 (米DECCA 29052 と同一録音)(ガーシュウィン)加 VICTOR 36301/4 (米RCA VICTOR 36052/5と同一録音)(グローフェ)1938年10月23日(ガーシュウィン)& 1932年4月26日(グロフェ)録音ポール・ホワイトマン(1890-1967)はアメリカのバンドリーダー、作曲家で両曲の初演指揮者。ホワイトマンがジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)に作曲を依頼した「ラプソディ・イン・ブルー」は1924年の機械式(ラッパ)録音(VICTOR)、1927年の電気録音(VICTOR)とこの1938年のDECCA 録音と3回録音している。「グランド・キャニオン」の作曲者、ファーディ・グローフェ(1892-1972)はニューヨーク生まれ。1920年にポール・ホワイトマン楽団にピアニスト、アレンジャーとして入り、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲で名声を博した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3864

 

2022/3新譜

チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調作品48

ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセトヘボウ管弦楽団弦楽セクション

チェコ ULTRAPHON G14219/21(独 TELEFUNKEN SK2901/3と同一録音)
1938年11月7日アムステルダム録音
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年には合併前のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任。レコード録音は機械式録音と電気録音のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音
はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。この録音はTELEFUNKEN時代のもので、チェコのULTRAPHON盤から復刻した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

78CDR-3865

 

2022/3新譜

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調 作品97「大公」

アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

米 RCA VICTOR 11-8482/86
1941年9月12日&13日ニューヨーク録音
「百万ドル・トリオ」と呼ばれたこのトリオの代表作。日米開戦の3カ月前にニューヨークで録音された。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)は旧ロシア帝国のヴィリナ生まれ。 3歳でヴァイオリンをはじめ、1910年にサンクトペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3866

 

202241新譜

ブラームス
ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108

パウル・コハンスキ(ヴァイオリン)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)

日VICTOR JD-41/3 (英HMV DB17828/30と同一録音)
1932年6月15日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音
パウル・コハンスキ(1887-1934)は 7歳の時ウクライナのオデッサで、レオポルド・アウアー門下のエミル・ムウィナルスキに師事。1898年ムウィナルスキはワルシャワに行き、1901年ワルシャワ・フィルハーモニーを創設すると、14歳のコハンスキをコンサートマスターに任命した。その後コハンスキはワルシャワの上流階級の支援をうけブリュッセルの王立音楽院に留学、4年後に首席で卒業した。ほどなくポーランド出身の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)と出会い、ロンドン、ニューヨークにデビュー、1924年から没年までジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動を続け、1934年に癌のため死去した。享年47歳。原盤番号の末尾の卍印はEMIのアラン・ブラムレイン(1903-1942)が開発した新型カッターを採用した録音の印で、程なく□印に変わった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3867

 

2022/4新譜

モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
ピアノ・ソナタ第18番ニ長調 K.576

クラウディオ・アラウ(ピアノ)

加 VICTOR 18279/81
1941年2月20-27日ニューヨーク、VICTOR Studios - Studio No.2録音クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ出身のピアニスト。1911年チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1935年からベルリンでバッハとモーツァルトのクラヴィーア曲全曲演奏会を開いた。1941年にカーネギー・ホールにデビュー。本拠をアメリカに移し、VICTORに録音を始めた。これはその最初期のもの。その後アメリカCOLUMBIA(1940-1950)、英EMI(1950年代)、オランダPHILIPS CLASSICS(1960年代-1980年代)に多くの録音を残した。Track(5)で終結部が音の途中で切れているのは原盤通り。演奏時
間が規定より長かったため録音エンジニアが最終音の途中でリードアウトを作成したため。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3868

 

2022/4新譜

モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550

フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

米 VICTROLA 7394/96
1930年12月22日シカゴ、220Sミシガン・アヴェニュ、オーケストラ・ホール録音フレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ出身のアメリカの指揮者。軍楽隊長だった父親から初期の音楽教育を受け、13歳でケルン音楽院のヴァイオリン科に入る。1890年に卒業しケルン市立管弦楽団のヴァイオリン奏者になった。1895年アメリカのシカゴ交響楽団員候補者を見つけるためにドイツ訪問中のドイツ人指揮者セオドア・トマス(1835-1905)に出会い、オーディションの結果シカゴ交響楽団のヴィオラ奏者に選ばれた。渡米後指揮者としての才能を認められ、1899年に准指揮者に昇格。1905年にトマスが急逝するとシカゴ交響楽団の音楽監督の地位を引き継
いだ。1911年シカゴ交響楽団の終身音楽監督になった。録音は1916年にColumbiaに、その後Victorにも録音をした。シカゴ交響楽団におけるストックの任期(37年間)はオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と並んでアメリカ人指揮者の最長記録。今や忘れられた名指揮者フレデリック・ストックの演奏を是非楽しんでいただきたい。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3869

 

2022/5新譜

ドヴォルザーク:
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」

ニコライ・マルコ指揮
デンマーク国立放送交響楽団

HMV Z.7008/12
1949年デンマーク録音
ニコライ・マルコ(1883-1961)はウクライナ生まれ。父親がウクライナ人、母親がロシア人。1906年ペテルブルク大学を卒業後、1909年にペテルブルク音楽院を修了、
マリインスキー劇場の指揮者にに就任、6年後に首席指揮者に昇格した。1909年よりミュンヘンでフェリックス・モットルに指揮法を師事した。1918年にヴィテプス
ク音楽院の楽院長に就任し、1921年からモスクワ音楽院で教鞭を執った。さらにキエフ、ハリコフでも指揮法の指導にあたった。1925年からレニングラード音楽院教
授に就任、翌1926年にはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に常任指揮者になったが、1928年その座をアクサンドル・ガウクに譲り、1929年に西側からの出
演要請を受けたのを機に、妻と一緒にソビエト連邦を去り、ウィーン、プラハに移住、さらにコペンハーゲンでデンマーク国立放送交響楽団の創設に携わり永久客演
指揮者の称号を与えられた。1940年にアメリカに渡り指揮法の教師をつとめた。コペンハーゲン時代からEMIに多くの録音を残している。さらに1956年オーストラリ
アのシドニー交響楽団の首席指揮者に就任し、1961年シドニーで没するまで音楽監督の地位にあった。1959年には東京交響楽団の招きで来日している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3870

 

2022/5新譜

モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX808/10
1939年2月8日ロンドン録音
レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年のウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリスColumbiaの専属アーティストになった。この録音は結成後20年が経った頃のもの。熟成した演奏を披露している。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3871

 

2022/5新譜

J.S.バッハ(ターティス編):シャコンヌ(ヴィオラ版)
※機械式録音(電機録音以前)の復刻音源

ライオネル・ターティス(ヴィオラ)

米 COLUMBIA 67071D/72D(英 COLUMBIA L-1644/5と同一録音)
1925年11月25日録音
ライオネル・ターティス(1876-1975)はイギリス北部のウェストハートルプール生まれ。ライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学ぶ。王立音楽院在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたことがきっかけでヴィオラに転向、その後ソリストや室内楽で活躍した。20世紀初頭までヴィオラは独奏楽器ではなかったが、ターティスらの登場で、ヴィオラの独奏曲が多く作られるようになった。ターティスは1975年にロンドンで死去。ターティスを記念して1980年にライオネル・ターティス国際ヴィオラ・コンクールが設立された。この「シャコンヌ」はヴァイオリンの原曲を5度低く移調している。機械式録音の最末期の録音。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3872

 

2022/6新譜

ショパン:
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
華麗なる大ワルツ変ホ長調作品18

クラウディオ・アラウ(ピアノ)
トーマス・シャーマン指揮
リトル・オーケトラ・ソサイエティ

英COLUMBIA LX1267/8 (米COLUMBIA 72728/9D と同一録音)
1947年11月8日、11月14日ニューヨーク録音
クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。1911年7歳の時チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフラン
ツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任し
た。1941年にカーネギー・ホールにデビュー、本拠をアメリカに移しレコード録音も始めた。これは巨匠アラウの初期のもので、あまり知られていない演奏。指揮者のトーマス・シャーマン(1917-1979)はニューヨーク生まれ。指揮法をオットー・クレンペラーに師事した。1939年から41年アメリカ軍に入隊、軍楽隊の指揮者をつとめた。1947年自らリトル・オーケストラ・ソサイエティを創設した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3873

 

2022/6新譜

メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」

セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
ボストン交響楽団

仏 DISQUES GRAMOPHONE DB2605/07 (米Victor 8889/91 と同一録音)
1935年1月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音
セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はロシア帝国トヴェリ生まれ。モスクワ・フィルハーモニー協会音楽演劇学校(現ロシア舞台芸術大学)卒業後コントラバス奏者として活動を始めた。1908年にベルリンで指揮者デビューし、ロシア革命後の1920年にパリに移住。1924年にピエール・モントゥーの後任としてアメリカのボストン交響楽団の常任指揮者となり1949年までつとめた。後任はシャルル・ミュンシュ。クーセヴィツキーはボストン交響楽団を世界的に有名にした。またフランスの作曲家モーリス・ラヴェルにムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲を依頼したことも知られている。レコード録音はすべて米VICTOR。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3874

 

2022/6新譜

サン=サーンス:
チェロ協奏曲第1番イ短調作品33(単一楽章)

グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ)
フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

米 COLUMBIA 11440/41
1940年3月6日シカゴ、シンフォニー・ホール録音
グレゴール・ピアティゴルスキー(1903-1976)はウクライナのドニプロペトロウシク生まれのチェロ奏者。モスクワ音楽院に学び、15歳でボリショイ劇場の首席チェリスト。18歳の時、短期間ベルリン・フィルの首席チェリストをつとめた。1929年に渡米、1942年アメリカの市民権を得た。1941年から1949年までフィラデルフィアのカーティス音楽院チェロ科の主任教授をつとめた後、晩年はカリフォルニアで暮らした。指揮者のフレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ生まれ。1895年アメリカのシカゴ交響楽団入った。1911年にシカゴ交響楽団の終身音楽監督。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3875

 

2022/7新譜

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フルハーモニー管弦楽団

日POLYDOR 60024/28(独 POLYDOR 69855/9と同一録音)
1926年10月16日)、10月30日、1927年1月30日ベルリン録音
(古いコードのため雑音があります)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はベルリン生まれの大指揮者。1922年アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)の後任としてベルリン・フィルの常任指揮者に就任した。この「運命」はフルトヴェングラーの初のレコード録音で、1925年に始まったマイクロフォンを使用した電気録音だが、ドイツ・ポリドール社は米ブランズウィック社が考案したライト・レイ方式の電気録音を採用した。若き日の大指揮者の姿が浮き彫りにされているような素朴で力強い音である。全曲を3回のセッションに分けての録音。フルトヴェングラーは10年後の1937年にこの曲を同じベルリン・フィルと再録音している。本シリーズ78CDR-3521で出ている。比較試聴は興味深い。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3876

 

2022/7新譜

シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44

リュセット・デカーヴ(ピアノ)
ブイヨン弦楽四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(第1ヴァイオリン)
アルベール・ロカテッリ(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥローベル(チェロ)

仏 DISQUES GRAMOPHONE DB5138/41
1941年3月18日パリ、ペルーズ・スタジオ録音
ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。その後音楽院でロンやナットの助手になり1947年に教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ等がいる。ブイヨン四重奏団はガブリエル・ブイヨン(1896-1984)によって結成された。ヴィオラのアンリ・ブノワとチェロのカミーユ・ドゥローベルはカペー四重奏団のメンバーだった。デカーヴとブイヨン四重奏団はこのシリーズでフランクのピアノ五重奏曲(78CDR-3713)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3877

 

2022/7新譜

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番変ホ長調 K.481

リュセット・デカーヴ(ピアノ)
アンドレ・アスラン(ヴァイオリン)

仏 DISQUE GRAMOPHONE W1573/74
1941年3月17日パリ、ペルーズ・スタジオ録音
ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。その後音楽院でロンやナットの助手になり1947年に教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ等がいる。アンドレ・アスラン(1895-1993)はフランスのヴァイオリン奏者。パリ音楽院出身。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3878

 

2022/8新譜

チャイコフスキー:
交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」

ブルーノ・ワルター指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

独 POLYDOR 69771/5
1925年3月ベルリン録音 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を逃れてフランス、イギリスを経てアメリカに移住した。この録音はラッパ吹き込み末期のもので、ワルターはこの曲をその後再録音をしなかったので貴重な一枚。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3879

 

2022/8新譜

ブラームス:
ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25

ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団のメンバー;
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
フーゴー・ゴッテスマン(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

英 COLUMBIA LX 8685/89
1949年5月25日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音
ブッシュ弦楽四重奏団のリーダー、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と、ブッシュの娘婿でピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)が第2次世界大戦後の1949年にロンドンのアビー・ロードで録音した一枚。ピアノ四重奏曲第2番作品26は1932年に開設間もない同スタジオでHMVに録音されていた(78CDR-3790)。この時のヴィオラ奏者はカール・ドクトルだった。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3880

 

2022/8新譜

辻吉之助&辻久子 父・娘SP録音集
※機械式録音(電気録音以前の)を含む

(1)ジョスランの子守唄(ゴダール)
(2)スコットランドの釣鐘草
辻吉之助(ヴァイオリン) 岩淵繁造(ピアノ)
日NITTO RECORD 1064A/B 大正13年(1924年)1月発売
機械式録音(ラッパ吹き込み) 
(3)ユモレスク(ドヴォルザーク) 途中大きな雑音
(4)ホーム・スイート・ホーム(ビショップ) 途中大きな雑音
辻吉之助(K. YOSHIDAの表記)(ヴァイオリン)
日NITTO RECORD 945A/B 大正12年(1923年)9月発売
機械式録音(ラッパ吹き込み)
(5)トロイメライ(シューマン)
(6)夏の名残りのバラ(庭の千草)変奏曲
辻吉之助(K. YOSHIDAの表記)(ヴァイオリン)
日NITTO RECORD 925A/B 大正12年(1923年)8月発売
機械式録音(ラッパ吹き込み)
(7)アヴェ・マリア(シューベルト)
(8)序奏とタランテラ作品43(サラサーテ)
辻久子(ヴァイオリン), 田中園子(ピアノ)
日NITCHIKU(ニッチク)JW 723A/B (1944年録音)
(9)マラゲーニャ(アルベニス)
辻久子(ヴァイオリン), 田中園子(ピアノ)
国際文化振興会 KBS-1003B(1944年録音)

辻吉之助(1898-1985)は京都出身。初め福井富之助に師事し、吉田吉之助を名乗っていた。その後、大正末期に来日したヴァイオリニスト、ボリス・ラス(1894-不詳)に師事した。昭和期になり、宝塚管弦楽団のコンサート・マスターをつとめた。弟子に娘の辻久子、久保田良作、和波孝禧がいた。辻久子(1926-2021)は天才少女として1935年9歳でリサイタル・デビュー。1938年毎日新聞社主催の音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第1位。その後、第一線で活躍した。織田作之助の小説「道なき道」主人公の少女・寿子(ひさこ)のモデルとなった。1984年、父・吉之助との生活を題材にしたドラマ「弦鳴りやまず」が毎日放送によりTVシリーズ化され、自身も出演した。今回のSP復刻は初めてと思われる。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3881

 

2022/9新譜

モーツァルト:交響曲第25番ハ短調 K.183

オットー・クレンペラー指揮
パリ・プロ・ムジカ管弦楽団

仏 POLYDOR A6345/6
1950年2月パリ、プレイエル音楽堂録音
オットー・クレンペラー(1885-1973)はドイツ生まれ、1910年からドイツ各地のオペラハウスでキャリアを積んだ。1927年から31年にはベルリンのクロール・オペラの指揮者をつとめた。ユダヤ人だった彼は1937年ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住、市民権を得てロサンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督になった。だがカリフォルニアの土地にはなじめずその地位を離れた。第2次世界大戦が終わるとヨーロッパ楽壇に復帰した。この録音はヨーロッパ復帰直後にパリで行われた。プロムジカ管弦楽団の実体はラムルー管弦楽団。この録音はSPレコード末期のもので日本ではほとんど知られていなかったもの。このシリーズで同時期に録音された交響曲「リンツ」(78CDR-3433)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3882

 

2022/9新譜

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333

リリー・クラウス(ピアノ)

英 PARLOPHONE R.20566/7
1948年5月7日録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)に師事した。1922年ウィーンに赴き、ウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を上げ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシア公演中にゴールドベルクと共に日本軍によって拘留され大戦集結まで軟禁された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年からアメリカに定住した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3883

 

2022/9新譜

モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421

ブレック弦楽四重奏団
ハリー・ブレック(第1ヴァイオリン)
エドワード・シルヴァーマン(第2ヴァイオリン)
ダグラス・トンプソン(ヴィオラ)
ウィリアム・プリース(チェロ)

英 DECCA K923/5
1940年3月5日ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ録音
リーダーのハリー・ブレック(1910-1999)はロンドン生まれ。9歳でヴァイオリンを始め、トリニティ音楽院に学び、その後プラハでオタカール・シェフチーク(1852-1934)の薫陶を得た。ハレ管弦楽団に入団しながらマンチェスター音楽大学でアーサー・カテラルの指導を受け、1930年にBBC交響楽団に入団し1936年まで在籍、退団後ブレック四重奏団を結成した。第2次世界大戦中にメンバーのシルバーマンが心臓病で、トンプソンが飛行訓練中に死去、プリースの兵役などでメンバー交代があったが1950年まで活動を続けた。一方、戦時中の1942年にロンドン・ウィンド・アンサンブルを設立して指揮活動をはじめ、1949年にはロンドン・モーツァルト・プレイヤーズを設立して、1984年まで首席指揮者を務めた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3884

 

2022/10新譜

ブッシュ=ゼルキン初期電気録音集
J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 BWV.1021
ヴィヴァルディ=ブッシュ編:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 作品2-1
ジェミニアーニ=ブッシュ編:シチリアーノ
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリン奏者。1922年からピアノのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもアメリカに渡り1939年に定住した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3885

 

2022/10新譜

J.S.バッハ:ハープシコード協奏曲第1番ニ短調 BWV 1052

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮 管弦楽団

仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB 11229/31
1938年12月1日パリ、アルベール・スタジオ録音
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード&ピアノ奏者。彼女は演奏家、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に特注し、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に届けられた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1886-1985)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年にフランス国立放送管弦楽団、1935年にラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科教授もつとめた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3886

 

2022/10新譜

モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュイナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

米 VICTOR 16916/8(英HMV DB2514/6と同一録音)
1935年4月29-30日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー4人によって結成され1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活動し20世紀中期最高の弦楽四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自らの四重奏団を結成し活動していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。ヴィオラのイポリーがオリジナル・メンバーのハンガリー人、他はロシア人。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3887

 

2022/11新譜

南国のばら ブルーノ・ワルター ヨハン・シュトラウス2世SP録音集
ヨハン・シュトラウス 2世
南国のばら作品388
ウィーン気質作品354
喜歌劇「こうもり」序曲
喜歌劇「ジプシー男爵」序曲

ブルーノ・ワルター指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1) 1930年2月14日録音
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(2.3) 1929年1月10-11日録音
交響楽団(4) 1929年5月18日ロンドン録音

ブルーノ・ワルター(1876-1962)はベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、そこの音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。ここに収録したヨハン・シュトラス2世の作品集は、若き日のワルターが指揮者を務めた各地のオーケストラで録音したもの。SPレコードがマイクロフォンを使用した電気録音(1925-)初期のもの。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3888

 

2022/11新譜

マリユス・カザドシュ:
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.Anh.294a 「アデライデ」

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ピエール・モントゥー指揮
パリ交響楽団

英 HMV DB 2268/70
1934年5月14日パリ、アルベール・スタジオ録音
この曲は作曲者モーツァルトによるヴァイオリン独奏部と低音楽譜の自筆譜があるとされ、1933年に新発見のモーツァルトの作品としてマリユス・カザドシュ(1892-1981)によって出版された。ルイ15世の王女アデライドに捧げられた曲ということからこの名があるが、後にカザドシュの偽作であることが判明した。SPレコード時代に評判だった作品で、再発売の要望が高かった。ユーディ・メニューイン(1916-1999)はアメリカ生まれのユダヤ系ヴァイオリン奏者。パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。ピエール・モントゥー(1875-1964)はフランスの大指揮者。ここで指揮をしているパリ交響楽団の初代指揮者(1929-1935)だった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3889

 

2022/11新譜

リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調

エミール・フォン・ザウアー(ピアノ)
フェリックス・ワインガルトナー指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 COLUMBIA LX789/91
1938年12月1日パリ録音
ピアノのエミール・フォン・ザウアー(1862-1942)は大作曲家フランツ・リスト(1811-1886)の最晩年の弟子の一人。モスクワ音楽院卒業後1884年から85年にヴァイマルでリストの薫陶を得た。その後ウィーン音楽院のピアノ科でマスタークラスを持つ傍ら、1880年代から1930年代まで演奏家としてヨーロッパからアメリカと国際的に活躍した。リストのピアノ協奏曲第2番もSPに録音していた。指揮者のフェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。ライプツィヒ音楽院出身。1882年、ヴァイマールでリストに師事、1884年に指揮者デビュー。1887年にグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP 78rpm」(3mil 針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3890

 

2022/12新譜

プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調作品25「古典交響曲」

セルジュ・チェリビダッケ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

仏 VSM SL141/42 (英HMV C3729/30と同一録音)
1948年2月4,5,6日ベルリン録音
指揮者35歳の初録音レコード。セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)はルーマニア生まれ。ベルリンに学び、その地で第2次世界大戦の終戦を迎えた。当時ベルリン・フィルの常任指揮者だったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)が大戦中のナチスとの関係をとがめられ謹慎生活をおくっていた。後継の指揮者にレオ・ボルヒャルトが選ばれたが、ボルヒャルトが急死したため、後任者さがしコンクールが開かれ応募したチェリビダッケが審査員全員一致で優勝し、ボルヒャルトの死の8日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューした。1947年のフルトヴェングラー復帰後もチェリビダッケはベルリン・フィルに留まっていたが、1954年フルトヴェングラーの死後カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者になってから、イタリア、スウェーデンのオーケストラに客演した。この録音はチェリビダッケが35歳の初録音。約4分のSPレコード一面に 1日を費やすこの指揮者の姿がデータから窺える。チェリビダッケはこのシリーズでロンドン・フィルを指揮したモーツァルト:交響曲第25番K.183(78CDR-3254)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3891

 

2022/12新譜

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」

レオポルド・ゴドフスキー(ピアノ)

英 COLUMBIA L2354/55
1929年5月31日ロンドン録音
レオポルド・ゴドフスキー(1870-1938)はロシア帝国リトアニア、ビリニュス近郊、ソシュリー生まれ。14歳でベルリンのケーニヒグリヒェ音楽院に入ったが、すぐにアメリカに赴き人生の大半をアメリカで過ごした。ピアノは独学とされている。アメリカではニューヨーク音楽大学で教鞭をとり、1891年に市民権を獲得した。その後、フィラデルフィア、シカゴの音楽大学で教え、1909年から1914年までウィーンで教えていた。機械式録音時代からレコード録音をしていた。電気録音時代(1925-)になって英コロンビアに入れ始めたが、1930年6月17日の録音中に脳卒中で倒れ、以降公開演奏から姿を消した。弟子にはギレリスやリヒテルの師ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)やホルヘ・ボレット(1914-1990)等がいる。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3892

 

2022/12新譜

ベートーヴェン:ヴィオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3

フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴァイオリン)
グィード・アゴスティ(ピアノ)

独 POLYDOR 62717/19
1934年11月24日録音
ヴァイオリンのフランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー出身。8歳の時ブダペストでイェネー・フバイ(1858-1937)に師事し、2年後の10歳の時ベルリンのヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に入門し神童として輝かしい道を歩んだ。1910年代から20年代にはヨーロッパ屈指のヴァイオリニストとして名を馳せ、一時はベラ・バルトーク(1881-1945)を伴奏者にして演奏旅行をしたこともあった。フィンランドの作曲家ジャン・シベリウス(1865-1957)はヴァイオリン協奏曲をヴェチェイに献呈した。ヴェチェイは作曲も手がけ超絶技巧を要するヴァイオリン曲を数多く書いた。ピアノのグィード・アゴスティ(1901-1989)はイタリアのピアニスト。フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)の弟子だった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3893

 

2023/1新譜

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
フリッツ・シュティードリー指揮
ニュー・フレンズ・オブ・ミュージック管弦楽団

米 COLUMBIA 11379/81-D
1940年4月24日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音
J.S.バッハのチェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052の原曲。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。1905年、13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。指揮者のフリッツ・シュティードリー(1883-1968)はウィーン生まれ。ウィーン大学で法学を学んでいた時、グスタフ・マーラー(1860-1911)に楽才を見いだされマーラーの助手としてウィーン宮廷歌劇場より任命された。1933年ヒトラーへの反撥からドイツを去り、1934年から37年までレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者をつとめた。1937年にアメリカに移住し、ニューヨークのニュー・フレンズ・オブ・ミュージック管弦楽団の指揮者になった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3894

 

2023/1新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L 1918/20
1926年11月29日ロンドン、ウィグモア・ホール録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェネ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェネ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3895

 

2023/1新譜

リカルド・ビネスの芸術
(1)グラナダ(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LFX 73b (WLX 1416-1) (Recorded 17 June 1930, Paris)
(2)a.メリーゴーランドのオルガン
b. 軽業師のポルカ(マヌエル・ブランカフォルト)
Fr. COLUMBIA LFX 73a (WLX 1146-1) (Recorded 4 November 1929, Paris)
(3)グラナダの夕べ(ドビュッシー)
Fr. COLUMBIA D 15245b (WLX 1150) (Recorded 7 November 1929, Paris)
(4)朱色の塔 (アルベニス)
Fr. COLUMBIA D 15245a (WLX 1147) (Recorded 4 November 1929, Paris)
(5)ムルシアの庭園で(トゥリーナ)
Fr. COLUMBIA LF 12a (WL 1888) (Recorded 13 November 1929, Paris)
(6)ミラマール(トゥリーナ)
Fr. COLUMBIA LF 12b (WL 1889) (Recorded 13 November 1929, Paris)
(7)オリエンタル(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LF 42a (WL 2330-1) (Recorded 6 June 1930, Paris)
(8)セギディーリャ(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LF 42b (WL 2331-1) (Recorded 6 June 1930, Paris)
(9)アルベニスのタンゴ
U.K. HMV DA 4885a (OLA 1208-1□) (Recorded 22 July 1936, Paris)
(10)スペインのセレナーデ(アルベニス)
U.K. HMV DA 4885b (OLA 1209-1□) (Recorded 22 July 1936, Paris)

リカルド・ビネス(ピアノ)

リカルド・ビネス(1875-1943)はスペインのピアニスト。その昔フランス語読みでヴィーニェスと呼ばれていた。1885年にバルセロナ音楽院に入学し、1887年にピアノ賞を受賞、その後パリに移住し、パリ音楽院でシャルル・ウィルフリッド・ド・ベリオにピアノを、作曲と和声をバンジャマン・ゴダールとアルベール・ラヴィニャックに師事した。1895年サル・プレイエルでデビュー。その後、ロシア、ヨーロッパと南米諸国にツアー、1931年から1935年までアルゼンチンに住み、1936年にパリに戻った。レパートリーは古典作品に加えて、フランス、スペイン、ロシアの作曲家のピアノ曲をレコード録音し、SPレコード時代から人気があった。あらえびす著「名曲決定盤」にも登場していた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3896

 

2023/2新譜

アンリ・マルトーの芸術
カルメン幻想曲(ビゼー=サラサーテ編)
独 HMV EH 104A(Recoreded 12 December 1927, Berlin)
メヌット(ボッケリーニ=マルトー編)
独 ELECTROLA EH 244A(Recorded 6 November 1928, Berlin)
悲しいアダージョ(ゴダール=マルトー編)
独 ELECTROLA EH 244B(Recorded 5 November 1928, Berlin)
ハンガリー舞曲第6番(ブラームス=ヨアヒム編)
独 ELECTROLA EH 248A(Recorded 6 November 1928, Berlin)
ハバネラ(サラサーテ)
独 ELECTROLA EH 248B(Recorded 6 November 1928, Berlin)
G線上のアリア(J.S.バッハ=ヴィルヘルミ編)
独 HMV EH 397A(Recorded June 1930, Berlin)
セレナード(シューベルト=マルトー編)
独 HMV EH 397B(Recorded June 1930, Berlin)
カルメン幻想曲(ビゼー=サラサーテ編)

アンリ・マルトー(ヴァイオリン)
パンチョ・ウラディゲロフ(ピアノ)
クレメンス・シュマルシュティヒ(ピアノ)

独 HMV EH 413A(Recorded 5 November 1928, Berlin)
独 HMV EH 413B(Recorded June 1930, Berlin)
アンリ・マルトー(1874-1934)はフランスのランス生まれのヴァイオリニスト、作曲家。パリ音楽院でジュール・ガルサン(1830-1896)に師事、1892年に一等賞を得た。その後スイスのジュネーヴ音楽院、ベルリンの高等音楽院で教鞭をとったが、第一次世界大戦中に母国フランスと滞在地のドイツの両国からスパイ容疑がかけられたためスウェーデンに逃れ、1915年に市民権を得た。1999年にアンリ・マルトー国際ヴァイオリン・コンクールが開催された。マルトーのSP盤は製造国がイギリスであっても、発売国がドイツだったため流通量が少なくSPレコード時代から入手が困難だった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3897

 

2023/2新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲変ロ長調作品133「大フーガ」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX 103/4
1930年2月19日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年間、田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルの成功を収めた。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3898

 

2023/2新譜

プーランク:オーバード(ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲)

フランシス・プーランク(ピアノ)
ワルテル・ストララム指揮
コンセール・ストララム

仏 COLUMBIA LF 33/35
1930年1月20&22日パリ、シャンゼリゼ劇場録音
フランシス・プーランク(1899-1963)はスペイン出身のリカルド・ビネス(1875-1943)にピアノを、作曲はシャルル・ケクラン(1867-1950)に学んだ。フランス「6人組」の一人としてエリック・サティ(1866-1925)やモーリス・ラヴェル(1872-1937)から影響をうけ、フランス風エスプリに富んだ作品を残した。プーランクのピアノの師ビネスの演奏は「リカルド・ビネスの芸術」(78CDR-3895)で聞ける。この曲はプーランクが1929年に作曲した舞踏を伴う鍵盤楽器のために作曲した5曲の協奏曲の第2作目にあたる。作曲者自身のピアノで初演された。バレエのあらすじは、森に住む、純潔と貞節の女神ディアーヌ(ギリシャ神話のアルテミス、ローマ神話のディアナ)は自らの定めた神の掟によって恋をすることができず、夜明けのたびに悲しい思いをするという幻想的な筋書き。指揮者のワルテル・ストララム(1876-1933)は1926年にパリのオーケストラの中から名手を募り、コンセール・ストララムを結成した。1928年にラヴェルの「ボレロ」の初演の指揮をした。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3899

 

2023/3新譜

「アンダンテ・カンタービレ〜巌本真理弦楽四重奏団」
チャイコフスキー:
(1)アンダンテ・カンタービレ
(2)秋の歌〜「四季」より
(3)瞑想曲ニ短調〜「なつかしい土地の思い出」より
(4)メロディ変ホ長調〜「なつかしい土地の思い出」より

巌本真理弦楽四重奏団(1)
巌本真理(第1ヴァイオリン)、友田啓明(第2ヴァイオリン)
北爪規世(ヴィオラ)、黒沼俊夫(チェロ)
巌本真理(ヴァイオリン)、黒沼俊夫(チェロ)、坪田昭三(ピアノ)(2)
巌本真理(ヴァイオリン)、坪田昭三(ピアノ)(3)(4)

日Toshiba Records JCO-1040(Mono) (LP特有のパチ・ノイズがあります)(1959年頃録音)
正式には1964年にデビューした巌本真理弦楽四重奏団の演奏(1)が聴ける。巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳から高名なヴァイオリン教師の小野アンナ
(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビュー・リサイタルを開いた。1948年から音楽学校(現東京藝術大学
音楽学部)の教授を務めた後、1951年に渡米し、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウン・ホールでリサイタルを開いた。帰国後ソロ奏者として積極的に活躍する一方、1964年に巌本真理弦楽四重奏団を結成した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもの。巌本真理はこのシリーズでJ.S.バッハ:シャコンヌ(78CDR-3200)、G線上のアリア(33CDR-3469)、アヴェ・マリア(33CDR-3470)、ベートーヴェンのロマンス(33CDR-3479)、ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3486)が出ている。復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

ページの先頭に戻る


ホーム
ホーム 商品情報 CDリスト ご購入方法 Audioのページ