新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3300〜3349

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3300

 

試聴

すみれ・野ばら/エリーザベト・シューマン
(1)すみれ(Mozart)
Eng.HMV DA1854A(Rec. August 1945)
(2)野ばら-草原の歌(Schubert)
 Eng.HMV DB1844A(Rec. 7 November 1932)
(3)子守歌-蝶々(Schubert)
Eng.HMV DB3426A(Rec. 29 November 1937)
(4)眠りの精(Brahms)
Eng.HMV DA1526A(Rec. 7 September 1936)
(5)マリアの子守歌(Reger)
 Ger.Electrola DA1619A(Rec. 22 November 1937)
(6)子守歌(Brahms)
Eng.HMV DA1562A(Rec. 11 March 1937)
(7)子守歌(R.Strauss)
Ger.Electrola EJ197A(Rec. 24 May 1927)
(8)モーツァルトの子守歌(Flies)
Eng.HMV E555A(17 February 1930)

エリーザベト・シューマン(ソプラノ)(1-8)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1)(4)
カール・アルヴィン(ピアノ)(2)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(3)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団(5)
オーケストラ伴奏(6)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)(7)
ローランス・コリングウッド指揮管弦楽団(8)

エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ。1909年にハンブルグ歌劇場でデビューした。彼女はオペラ。オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。ここには1927年電気録音初期から1945年までに録音された10曲を選んだ。大歌手が親しみを持って歌いかけてくるSPレコードの魅力が満喫できる。シューマンはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。

78CDR-3301

 

試聴

天使の糧/ベニャミーノ・ジーリ
(1)清きアイーダ(Verdi)
Eng.HMV DB3225A(Rec. 28 May 1937)
(2)愛らしい乙女よ-「ボエーム」より(Puccini)
Eng.HMV DB3225B(Rec. 28 May 1937)
(3)カタリ(つれないお前)(Cardillo)
Eng.HMV DB6436A(Rec. 13 December 1946)
(4)君に告げてよ(Falvo)
Eng.HMV DB6436B(Rec. 13 December 1946)
(5)天使の糧(Franck)
Eng.HMV DB2914A(Rec. 2 June 1936)
(6)フェデリコのロマンス(Cilea)
Eng.HMV DB2914B(Rec. 2 June 1936)
(7)忘れな草(de Curtis)
Ger.Electrola DA1447A(25 October 1935)
8千人の天使の合唱(シューベルトの子守歌)(Schubert=Melichar)
Ger.Electrola DA1447B(25 October 1935)

ベニャミーノ・ジーリ(テノール)(1-8)
ワルター・ゲール指揮 管弦楽団(1-2)
マリア・カニグリア(ソプラノ)(2)
ライナルド・ツァンボーニ指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団(3-4)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と合唱団(5-6)
アロイス・メリヒャル指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(7-8)

ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957)はイタリアの偉大なオペラ歌手。1914年パルマで開かれた国際コンクールで優勝し、すぐにオペラ・デビューした。パルレモのマッシモ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、ローマのコスタンツィ劇場、ミラノのラ・スカラ、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演した。1921年にイタリアの大テノール歌手エンリーコ・カルーゾの死去後、ジーリは第2のカルーゾとしての国際的名声が急遽上昇した。1932年に出演料についての不満からメトロポリタンを離れヨーロッパに戻った。イタリアの独裁者ムッソリーニのお気に入りの歌い手だった。これは戦後になっての人気に影響をあたえた。ジーリはオペラ以外にナポリ民謡、宗教曲、さらに映画音楽などの幅広い録音を残した。ここにはそれらの名唱を集めた。SPレコードならではの実在感のある音が聴ける。

78CDR-3302

 

試聴

シューベルト(モーリス・ショッサン詩):
歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795(フランス語歌唱版)

ジェルメーヌ・マルティネッリ(ソプラノ)
ジャン・ドワイアン(ピアノ)(プレイエル・ピアノ)

仏 COLUMBIA RFX42/46
(1935年4月3日(1-7), 4月5日(9-12), 4月8日(13-20)録音)
ジェルメーヌ・マルティネッリ(1887-1964)はパリ生まれ。父親はいくつかの劇場を回っていた医師で、しばしば娘を演奏会に連れていった。1900年13歳のときサル・プレイエルで独唱会を開いた。音楽院に行かず、個人教授で研鑽をつんだ。1908年、パブロ・カザルス、ジャック・ティボー、ラウル・ピュニョが出演したあるマチネ・コンサートで歌い大反響を呼んだ。第1次大戦(1914-18)中は病院や軍の劇場を訪問して歌った。1919年になってコロンヌ管弦楽団の指揮者だったガブリエル・ピエルネ(1863-1937)の演奏会で歌い、以降パリでの名声が広まっていった。1928年にはフランス歌曲とドイツ歌曲の独唱会をひらき評判を呼んだ。いくつかの賞を受賞し、フランス放送のスターの一人になった。1941年に引退、パリ音楽院の試験審査官のメンバーと声楽科の教授を1963年までつとめた。このシューベルトの「美しい水車屋の娘」をフランス語で歌ったもの。彼女はシューマンの「女の愛と生涯」もフランス語で歌った録音がある。なめらかで美しい声はこの曲の魅力を倍加している。ピアノのジャン・ドワイヤン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。この録音はおそらくドワイヤンの初録音であろう。

78CDR-3303

 

試聴

カントルーブ: オーヴェルニュの歌
(フロントの見出しはオーヴェルニュの歌/マドレーヌ・グレイ)
(1)バイレロ-高地オーヴェルニュの羊飼いの歌
(2)三つのブレー
1.泉の水
2.どこへ羊を放そうか
3.あちらのリムザンに
(3)二つのブレー
1.私には恋人がいない
2.うずら
(4)牧場を通っておいで
(5)子守歌 - 女房持ちはかわいそう
(6)紡ぎ歌 - アントゥエノ

マドレーヌ・グレイ(メゾソプラノ)
エリー・コーエン指揮管弦楽団

米 COLUMBIA 7607/9M
(1930年 2月 3日(1-2), 2月 5日(3-6),パリ録音)
マドレーヌ・グレイ(1896-1976)はフランスのメゾソプラノ。パリ音楽院でコルトーにピアノをエタッシュに声楽を学んだ。コンセール・ラムルーの演奏会でデビューしたとき彼女の声楽家としての才能がフォーレとラヴェルの目にとまった。フォーレの歌曲集「まぼろし」(1919)の初演者、ラヴェルの歌曲集「二つのヘブライの歌」(1920)と「マダガスカルの土人の歌」(1926)の初演者に選ばれた。この「オーヴェルニュの歌」は作曲者のジョゼフ・カントルーブ(1879-1957)が採集した民謡に器楽伴奏をつけたもので、1926年彼女によって創唱された。この初演盤は日本コロムビアからSPレコード時代に発売され人気のアルバムであった。

78CDR-3304

 

試聴

フォーレ:レクイエム作品48

シュザンヌ・デュポン(ソプラノ)
モーリス・ディディエール(バリトン)
エルネスト・ブールモーク指揮
リヨン合唱団とリヨン器楽合奏団
エドアール・コメット(オルガン)

米 COLUMBIA 70295/9-D (英 COLUMBIA LX773/7と同一録音)
(1938年5月30-31、6月1日リヨン、サン=ジャン大聖堂録音)
リヨンのサン=ジャン大聖堂で録音されたこの名曲の記念碑的録音。英コロンビアのプロデューサー、ウォルター・レッグによる録音。SP時代の同曲はフランスHMVが1929年に録音したギュスタヴ・ブレ指揮バッハ協会合唱団と管弦楽団(仏 LA VOIX DE SON MAITRE W1154-58)があったが1936年に廃盤になっていて、この新録音が大歓迎されたとの記述がある。

78CDR-3305

 

試聴

シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44

ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴァイオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

米 COLUMBIA 71442/5-D
(1942年5月22日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1913年にリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで組織され、1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年ブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。アメリカ時代のブッシュはこのシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、ピアノ三重奏曲「幽霊」(ピアノ= ゼルキン)(78CDR-3253)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲(78CDR-3235)が出ている。

78CDR-3306

 

試聴

ヴィターリ:シャコンヌ
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ

ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
レオポルド・ミットマン(ピアノ)

米 COLUMBIA 70488/9-D
(1935年12月31日(ヴィターリ)、1936年2月21日(J.S. バッハ)
ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツ(1903-1989)と出会い一緒に演奏旅行をしたこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。このはアメリカ・コロンビアに録音を始めたごく初期のもの。同じころの録音であるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)が出ている。

33CDR-3307

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV.1003

アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)

米 MERCURY MG-10017/8
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として活躍、ナチスの迫害を逃れ四重奏団の他のメンバーと共にアメリカの移住した。シュナイダーは1932年から1944年、1955年から1967年に四重奏団に在籍、ぞれ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活動した。シュナイダーはプラドで隠遁していたパブロ・カザルスの元をしばしば訪れバッハの演奏法の指導を受け、それが縁で1950年のプラド音楽祭が実現した。この録音はシュナイダーはカザルスのバッハ理念をヴァイオリンで表現しているアルバムである。

33CDR-3308

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV.1005
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006

アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)

;米 MERCURY MG-10019/20
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、その記念にLP登場で初の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲がシュナイダーの手で完成した。録音は1949年に行われ、録音ディレクターがミッチェル・ミラー(1911-2010)、録音エンジニアはロバート・ファイン(1922-1982)。ミッチェル・ミラーは優れたオーボエ奏者、イングリッシュホルン奏者でもあり、後年アメリカ・コロンビアのA&R部長をつとめ、数々の名アーティストを生み出した人物。また自らアーティストとしてミッチ・ミラー合唱団を組織し、初期のTV番組「ミッチと歌おう」に出演した「ヒゲのおじさん」である。ロバート・ファインはマーキュリー・オリンピアンシリーズでLP初期のハイファイ録音時代を築いた人物。

78CDR-3309

 

試聴

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299

マルセル・モイーズ(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ピエロ・コッポラ指揮
管弦楽団

仏 DISQUE GRAMOPHONE L876/8
(1931年1月26日& 2月26日パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1908年にソロ・デビュー、オペラ・コミック、ストララム管弦楽団に席を置き、1932年から1949年まで母校の教授をつとめた。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。ピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。モイーズとラスキーヌはドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3284)が出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3310

 

試聴

フランク:前奏曲、コラールとフーガ ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)

仏 COLUMBIA LFX168/70
(1930年6月6日パリ録音)
ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞、1904年にJ.S.バッハのクアヴィーア曲集を全曲ピアノで演奏した。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。セルヴァはJ.S.バッハ:パルティータ第1番BWV.825(78CDR-3191)、フランク:ヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリン:ジョアン・マッシア)(78CDR-3012)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(ヴァイオリン:ジョアン・マッシア)(78CDR-3028)が出ている。

78CDR-3311

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番変ホ長調K.428(421b)

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

米 COLUMBIA 71431/4D
(1942年5月15日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)とアメリカ時代のベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、ピアノ三重奏曲「幽霊」(78CDR-3253)、シューマン:ピアノ五重奏曲作品44(ピアノ:ゼルキン)(78CDR-3305)などが出ている。

33CDR-3312

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ハワード・ミッチェル指揮
ナショナル交響楽団

米 WESTMINSTER WL5273
(1953年12月18-20日録音)
ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとしての研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移住、1949年にニューヨークのタウンホールでデビュー、1950年にカーネギーホールで4回のリサイタルを行った。1959年来日した。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時心臓麻痺で他界した。このブラームスはLPレコードの出現で設立された米WESTMINSTER への初録音。西条卓夫著「名曲この一枚」(文芸春秋新社)にとりあげられた。LP、CDを通して初復刻。指揮者のハワード・ミッチェル(1910-1988)はネブラスカ生まれ。1950年から1969年までワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督をつとめた。初期LPからの復刻で特有のノイズがあるが、ダイレクトトランスファーの生々しい音が特長。

33CDR-3313

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006

ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)

米 COLUMBIA ML4935
(1952年4月24日(第2番)、1950年5月23日(第3番)
ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストだった父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴィオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1927年から31年までエコール・ノルマル音楽院の教授をつとめ、この間コンセール・ストララムに団員としても加わっていた。1939年にソリストとしてアメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、フランスカッティを起用して無伴奏ソナタとパルティータのプロジェクトで、パルティータ第3番 BWV.1006 から始めたが、第2弾のパルティータ第2番 BWV1004が2年後の録音となり、全曲完成の見込みが立たなくなった1954年にこの2曲だけ単売されたがすぐに廃盤になった。一筆書き風の輝かしいラテンバッハの名演を、是非後世に残したい気持ちを持って取り上げた。初期LPからの復刻で特有のノイズがあるが、ダイレクトトランスファーの生々しい音が特長。

78CDR-3314

 

試聴

フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米 VICTROLA 8179/82(英 His Master's Voice DB1347/50 と同一録音)
(1929 年5月28日パリ、ショパン音楽堂録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。パリ音楽院でマルシックに師事、1896年に一等賞を得た。アルフレッド・コルトー(1877-1962)も20世紀フランス最高のピアニスト。パリ音楽院でディエメールとピュニョに師事した。二人は1923年にこのヴァイオリン・ソナタを機械式録音で吹き込みんだ(78CDR-3264)ことがある。1929年5月28日のこの録音はベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3015)に続いて録音された。レコード史上永遠に輝く名演奏である。復刻にはノイズの比較的少ない初期アメリカVICTOR盤を使用した。

78CDR-3315

 

試聴

リスト:ピアノ・ソナタロ短調 アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米 VICTROLA 7325/7(英His Master's Voice DB1307/9 と同一録音)
(1929年3月13日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
リスト生誕200年記念発売。アルフレッド・コルトー(1877-1962)も20世紀フランス最高のピアニスト。パリ音楽院でディエメールとピュニョに師事した。コルトーは偉大な教育者でもあった。1907年から1917年までパリ音楽院の教授をつとめ、1918年にエコール・ノルマル音楽学校を設立した。門下生にはマグダ・タリアフェロ、クララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、ヴラド・ペルルミュテール、イヴォンヌ・ルフェビュール、サンソン・フランソワ等がいる。このリストのソナタは世界初録音。これまでSP録音本来の強靱な音が復刻されてなかったため、コルトーの偉大な演奏が見過ごされてきた。ここではノイズの比較的少ない初期アメリカVICTOR盤を使用しコルトーの真の姿が浮かび上がっている。

78CDR-3316

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調作品27-2「月光」 アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)(ピアノ: ガヴォー)

仏 LVSM DB11165/6
(1947年6月4日パリ、アルベール・スタジオ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)アメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されエリー=ミリアム・ドラボルド(1839-1923)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。1909年11歳でアメリカ人として初めて一等賞を得た。この最年少記録は今も破られていない。その後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)、ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)について研鑽を重ねた。祖国アメリカに戻りフィラデルフィアの音楽学校、さらにブエノスアイレスの音楽学校の教授を歴任後、1954年にパリ音楽院の教授に任命された。ベートーヴェン:「熱情」ソナタ(78CDR-3156)、ブラームス:パガニーニ変奏曲(78CDR-3185)、ファリャ:スペインの庭の夜(78CDR-3193)がこのシリーズで出ている。

33CDR-3317

 

試聴

ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115

ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)
パスカル弦楽四重奏団
ジャック・デュモン(第1ヴァイオリン)
モーリス・クリュ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ロベール・サル(チェロ)

英 CLASSICS CLUB X47(Concert Hall Society CH-19と同一録音)
(1956年頃録音)
クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年のパリ音楽院で一等賞を得た後、コロンヌ管弦楽団、さらにパリ音楽院管弦楽団に入り、シャルル・ミュンシュの要請でパリ・フィルハーモニー(1935-38)でも活躍した。1940年から1950年にギャルド・レピュブリケーヌのソリスト、1948年にパリ音楽院教授に就任1978年まで務めた。パスカル弦楽四重奏団は1941年にマルセイユ出身のレオン・パスカルによって組織され、後にO.R.T.F.(フランス国立放送局)弦楽四重奏団となり1973年に解散した名四重奏団。ドレクリューズは同曲をステレオ時代にレーヴェングート四重奏団と再録音している。このシリーズでドレクリューズはラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3264)、ベートーヴェン:七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。

33CDR-3318

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV.1009 エンリコ・マイナルディ(チェロ)

英 DECCA LX3069 (ffrr録音)
(1950年1月20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)はイタリア生まれ、ミラノ音楽院でチェロを、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。チェロはベルリン高等音楽院のフーゴー・ベッカーに師事し、1933年からベッカーの後を継いでチェロ科の教授になった。この頃ヴァイオリンのクーレンカンプ、ピアノのエトヴィン・フィッシャーとトリオを結成し名声をあげた。この組曲第3番は1950年1月20日に英デッカの10インチLPに録音された。デッカのSPには組曲第1番(AX-434/6)(1948年9月28日録音)と組曲第2番(AK-2155/7)(1949年9月30日録音)が残されているが、いずれも復刻盤は出ていない。これは稀少な初期LPからの復刻。

33CDR-3319

 

試聴

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品26

ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
カール・シューリヒト指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

独 POLYDOR 67864/6
(1942年1月ベルリン録音)
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したドイツのヴァイオリニスト。1937年ウィーン・コンクールで金賞を受賞した。第2次世界大戦中もドイツで活躍、ポリドールにSP録音をのこした。大戦後はコンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。カール・シュー
リヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルにも客演した。シュタンスケはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(指揮:パウル・フェン・ケンペン)(78CDR-3211)、シューリヒトはブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:クーレンカンプ)(78CDR-3123)、ベートーヴェン:交響曲第2番(スイス・ロマンド管弦楽団)(78CDR-3115)、ベートーヴェン:交響曲第4番(ベルリン市立管弦楽団)(78CDR-3127)が出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3320

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」

ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
ペーター・ラーベ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 PLYDOR 67082/86
(1936年1月ベルリン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツの名ピアニスト。機械式録音時代からステレオ録音時代まで多くの録音を残した。指揮者のペーター・ラーベ(187-1945)はナチスの国家音楽協会の総裁を務めた人物。この時代の背景が窺われる。ケンプはベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3120)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-3164)何れも指揮はパウル・ファン・ケンペン、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3133)が出ている。

78CDR-3321

 

試聴

プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調作品25「古典交響曲」

シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA AK1756/7 (ffrr録音)
(1947年10月4日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-3239)が出ている。

33CDR-3322

 

試聴

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)

米 HAYDN SOCIETY RECORDS HS-9035(MONO)
(1952年録音)
ラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、ハープシコード奏者。ハーヴァード大学を卒業後ヨーロッパ各地に留学。パリでナダィア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカに、ロンドンでアーノルド・ドルメッチに、ベルリンでハインツ・ティーセンにライプツィヒでギュンター・ラミンに師事した。1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。1940年にエール大学教授に就任、ドメニコ・スカルラッティの評伝とソナタ作品にK.番号をつけてを整理した。また演奏家としてバッハの作品に取り組み、このゴルトベルク変奏曲は2回録音した第1回目のもの。第2回目は独アルヒーフ(1959年)だった。このシリーズでゴルトベルク変奏曲はランドフスカによる1933年録音(78CDR-3073)と1945年録音(78CDR-3288)が出ている。

33CDR-3323

 

試聴

モーツァルト:
クラリネット協奏曲イ長調 K.622
ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447

ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)(K.622)
リュシアン・テヴェ(ホルン)(K.477)
フェルナン・ウーブラドゥー指揮室内交響楽団

仏 PATHE 33 DTX 112
(1952年2月18日(K.622)& 2月13日(K.477)パリ録音)
クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年パリ音楽院で一等賞を得た後、コロンヌ管弦楽団、さらにパリ音楽院に入り、シャルル・ミュンシュの要請でパリ・フィルハーモニー(1935-1938)でも活躍した。1940年から1950年にギャルド・レピュブリケーヌのソリスト、1948年にパリ音楽院教授に就任1978年まで務めた。ホルンのリュシアン・テヴェ(1914-2007)は1937年パリ音楽院で一等賞を得て、フランス国立放送管弦楽団(1937)、パリ音楽院管弦楽団(1938-1967)、パリ・オペラ座管弦楽団(1941-1974)で活躍した名手。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥー(1903-?)は1921年パリ音楽院のバスーン科で一等賞を得た。フランスの主要オーケストラのソリストとして活躍、1942年からパリ音楽院の器楽合奏科の教授も務めた。ドレクリューズはブラームス:クラリネット五重奏曲(33CDR-3317)、ラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3264)、ベートーヴェン:七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。

78CDR-3324

 

試聴

ドビュッシー:イベリア-管弦楽のための「映像」第2曲
ドビュッシー:英雄の子守歌

シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA AK1763/5 (ffrr録音)
(1947年9月30日-10月2日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。この録音はミュンシュとパリ音楽院管弦楽団のロンドン公演の際にスタジオ入りしたもの。オーケストラの各パートに音楽院の教授達の名人芸が聴こえる。コンデンサー・マイクロフォン独特の高域の輝きがffrrの特長である。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-3239)、プロコフィエフ:古典交響曲(78CDR-3321)が出ている。

78CDR-3325

 

試聴

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米 COLUMBIA 69899/901-D
(1935年8月23日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
レコード録音史上に輝く名演奏の一つ。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年と翌1933年に来日した。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フルハーモニー管弦楽団を作った。シゲティとビーチャムの顔合わせは、このプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番の他に、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(78CDR-3111)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3124)がこのシリーズで出ている。

33CDR-3326

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
(カンデンツァ:エルンスト・フォン・ドホナーニ)

エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノと指揮)
ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団

英 Columbia L2315/8
(1928年6月28日録音)
エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハンガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名ブラティスラヴァ)生まれ。ブダペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)のレッスンを受けた後ピアニストとしてデビューした。ヨアヒムの招きでベルリン高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、音楽アカデミー院長をつとめた。第2次世界大戦後はアメリカに移住し、作曲家として活躍する一方、フロリダ州立大学で教鞭をとった。この録音は電気録音の初期のもので、自ら音楽監督を務めたブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した、いわゆる"弾き振り" によるモーツァルトの協奏曲の初めての録音。現在指揮者として活躍するクリストフ・フォン・ドホナーニ(1929-)は孫にあたる。

33CDR-3327

 

試聴

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集
ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14
ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品1-15
ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調作品1-12

アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)
フランク・ミラー(チェロ)

米 COLUMBIA ML2150/51(MONO)
(1950年1月4日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。1932年から1944年、1955年から1967年にブダペスト四重奏団に在籍し、それ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活躍した。ハープシコードのラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、ハープシコード奏者。ハーヴァード大学卒業後ヨーロッパ各地に留学し、1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとったこともある。1940年エール大学教授に就任、シュナイダーとのデュオではJ.S.バッハ、ヘンデル、モーツァルトのソナタの録音を残している。チェロのフランク・ミラー(1912-1986)はカーティス音楽学校で学び、18歳でレオポルド・ストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団に入団した。1940年から1954年まではアルトゥーロ・トスカニーニのNBC交響楽団の首席を務め、1957年にはプエルト・リコのカザルス・フェスティヴァル管弦楽団、1959年から1985年にはシカゴ交響楽団の首席を務めた。シュナイダーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(33CDR-3307)と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ(33CDR-3308)、カークパトリックはJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(33CDR-3322)が稀少な初期LPからの復刻で出ている。

33CDR-3328

 

試聴

モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281
ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K.570
ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 K.545

ジャクリーヌ・ブランカール(ピアノ)

英 DECCA LXT 2666(MONO)(ffrr録音)
(1951年10月ロンドン録音)
ジャクリーヌ・ブランカール(1909-1979)はパリ生まれの女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1926年に一等賞を得た。以後オーケストラや室内楽のソリストとして活躍。1938年にシャルル・ミュンシュ指揮パリ・フィルハーモニー管弦楽団とラヴェル:左手のピアノのための協奏曲(DECCA X204/5)の世界初録音を行った。また同曲をアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA LXT2565)と再録音した。1948年にアメリカにデビューし、1979年パリに没した。このピアニストの数少ない録音の1枚で、パリ音楽院派のモーツァルトが聴ける。

78CDR-3329

 

試聴

シューベルト:
即興曲集作品90 D.899
即興曲集作品142 D.935

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

独 ELECTROLA DB3484/9 (英 HMV DB3434/9 と同一録音)
(1938年3月8-9日ロンドン、アビー・ロード EMI 第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンでリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授に任命され、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのゲオルグ・クーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのエンリーコ・マイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3330

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108

イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ハロルド・サミュエル(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE C1923/5
(1929年12月2-3日&1930年3月28日ロンドン録音)
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)はイギリスの女流ヴァイオリニスト。1910年17歳の時ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、1913年20歳でロンドンでデビューした。ハロルド・サミュエル(1879-1937)はロンドン生まれのイギリスのピアニスト。バッハ演奏の権威で、バッハの全クラヴィア作品を暗譜した。1898年当時ロンドンの聴衆には未知の作品だったバッハのゴルトベルク変奏曲 BWV.988を弾いてデビューした。バッハの演奏の傍らサミュエルは伴奏ピアニストとして人気があった。特に女流ヴァイオリン奏者イゾルデ・メンゲスとのデュオは有名だった。メンゲスは本シリーズでJ.S.バッハ:シャコンヌ(78CDR-3178)、シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番(78CDR-3206)が出ている。またサミュエルはJ.S.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV.826(78CDR-3276)が出ている。

78CDR-3331

 

試聴

ドビュッシー:ピアノのための練習曲集より(1915)
第1番 5本の指のために
第3番 4度のために
第11番 アルペジオのために
第4番 6度のために
第8番 装飾音のために
第10番 対比的な響きのために

ジャクリーヌ・ブランカール(ピアノ)

英 DECCA LY6094/6(仏 POLYDOR 27297/9と同一録音)
(1933年パリ録音)
ジャクリーヌ・ブランカール(1909-1979)はパリ生まれの女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1926年に一等賞を得た。以降オーケストラや室内楽、ソリストとして活躍。1938年にシャルル・ミュンシュ指揮パリ・フィルハーモニー管弦楽団とラヴェル:左手のピアノのための協奏曲(DECCA X204/5)の世界初録音を行った。この録音は1933年ブランカールが24歳の時の彼女の初レコード録音で、ポリドールは当時イギリスではDECCA が発売していた。このシリーズでブランカールはLP録音のモーツァルト: ピアノ・ソナタ集(33CDR-3328)が出ている。

33CDR-3332

 

試聴

J.S.バッハ:
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
パルティータ第4番ニ長調 BWV.828

ギュンター・ラミン(ハープシコード)

独 CONCERT HALL MMS-72
(1954年6月19日モスクワ音楽院小ホール、ライヴ録音)
ギュンター・ラミン(1898-1956)はドイツの鍵盤楽器奏者、指揮者。1940年にライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)となり、1956年の死までその地位にあった。特に1941年に録音されたJ.S.バッハ「マタイ受難曲」の抜粋盤(独ELECTROLA DB 6516/24S)は有名。またオルガンの録音は多数あるが、ハープシコードの録音は非常に珍しい。

33CDR-3333

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453

アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)(K.218)
ラルフ・カークパトリック(18世紀ピアノ)(K.453)
アレクサンダー・シュナイダー指揮
ダンバートン・オークス室内管弦楽団

米 HAYDN SOCIETY HSLP 1040
(1951年3月ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。1932年から1944年、1955年から1967年にブダペスト四重奏団に在籍し、それ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活躍した。ラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、鍵盤楽器奏者。ハーヴァード大学卒業後ヨーロッパ各地に留学し、1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとったこともある。1940年エール大学教授に就任、シュナイダーとのデュオではJ.S.バッハ、ヘンデル、モーツァルトのソナタの録音を残している。ここではカークパトリックはジョン・チャリス(John Challis)が復元した18世紀ピアノを弾いている。典雅な響きが心を打つ。ダンバートン・オークスはワシントンD.C.の地名。ストラヴィンスキーがこの名を冠した室内オーケストラのための協奏曲(1938年)に作曲した。この室内管弦楽団は1950年代に幾つかの録音を残している。シュナイダーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(33CDR-3307)と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ(33CDR-3308)、カークパトリックはJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(33CDR-3322)が稀少な初期LPからの復刻で出ている。また二人が共演したヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集(33CDR-3327)も出た。

78CDR-3334

 

試聴

タルティーニ(クライスラー編):
ヴァイオリン・ソナタ ト短調作品6-2 「悪魔のトリル」

ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
レオポルド・ミットマン(ピアノ)

米 COLUMBIA 70552/3-D(Set MX 98)
(1938年1月31日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツ(1903-1989)と出会い一緒に演奏旅行をしたこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。これはアメリカ・コロンビアに録音を始めたごく初期のもの。このシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)、ヴィターリ:シャコンヌ(78CDR-3306)が出ている。

78CDR-3335

 

試聴

バルトーク:弦楽四重奏曲第4番(1928)

ギレ弦楽四重奏団
ダニエル・ギレ(第1ヴァイオリン)
ジャック・ゴロデツキ(第2ヴァイオリン)
フランク・ブリーフ(ヴィオラ)
リュシアン・ラポルト(チェロ)

米 CONCERT HALL SOCIETY Set A-8
(1947年ニューヨーク録音)
この曲の世界初録音。ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコとギヨーム・レミに師事し、オペラ・コミックのコンサートマスターを務めた後1941年にアメリカに移住、ギレ弦楽四重奏団を組織、1944年にアルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団、1951年にコンサート・マスターとなった。1954年にはピアニストのメナヘム・プレスラーとチェロのバーナード・グリーンハウスと共にボザール三重奏団を結成した。1969年に引退し、イシドア・コーエンがそのポジションを引き継いだ。第2ヴァイオリンのジャック・ゴロデツキはブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めたこともある。チェロのリュシアン・ラポルトはパリ音楽院で一等賞を得た名手。ヴィオラのフランク・ブリーフはパリのフォンテーヌブロー音楽学校出身。4 人のメンバーはすべてパリで教育を受けた国籍の異なる音楽家である。

78CDR-3336

 

試聴

ベートーヴェン:大フーガ変ロ長調作品133

ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(音楽監督)

米 COLUMBIA 11778/9(Set MX-221)
(1941年10月2日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害からアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。このシリーズでブッシュはJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲(78CDR-3235)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3243)、他が出ている。

33CDR-3337

 

試聴

R.シュトラウス:
5つのピアノ小品 作品3
ピアノ・ソナタ ロ短調 作品5

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)

米 SOCIETY OF PARTICIPATING ARTISTS SPA-48(Mono)
(1954年録音)
この2曲の世界初録音。作曲家R.シュトラウスが1880-81年に作曲作品。当時15-6歳だった。アルフレッド・ブレンデル(1931-)は北モラヴィアのヴィーゼンベルク生まれ、オーストリアのグラーツ音楽院で学んだ。1949年ブゾーニ国際コンクールで入賞後ウィーンデビュー。その後エトヴィン・フィッシャーのマスタークラスを受講し多大な影響を受けた。この録音はブレンデルが20代の半ばにアメリカのSPAレコードに録音したもので、ほとんど知られていないもの。ここに既にブレンデルの音楽が聴ける貴重なアルバム。SPAにはもう一枚リストの「クリスマス・ツリー」(SPA-26)があった。

33CDR-3338

 

試聴

シェーンベルク:弦楽四重奏曲第3番作品30(1927)

プロ・アルト四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
アルバート・レイヒア(第2ヴァイオリン)
バーナード・ミロフスキー(ヴィオラ)
エルンスト・フリートランダー(チェロ)

米 DIAL 4(Mono)
(1950年1月24日ニューヨーク、WOR スタジオ録音)
リーダーのルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)は作曲家シェーンベルク(1874-1951)の指導を受け1921年に弦楽四重奏団を組織した。最初はウィーン弦楽四重奏団と名乗ったが後にコーリッシュ弦楽四重奏団(1922-1939)と改称した。1944年にコーリッシュはアメリカのウィスコンシン大学に招かれ、新たに組織されたプロアルト弦楽四重奏団のリーダーとなり1967年まで務めた。この録音はコーリッシュにとって2回目の録音にあたる。第1回のARCO録音とメンバーが入れ代わっている。DIALレーベルはLP時代に登場した現代音楽を積極的に取り上げたユニークなレーベル。1950年6月号の英GRAMOPHONE誌の"アメリカ便り" でアメリカの音楽評論家ハロルド・ショーンバーグがこのレーベルを紹介していた。
●今月の33CDRについて
3月より開始しました当店の33CDRシリーズ(LPよりの復刻シリーズ)は、これまであまり復刻が行なわれていない音源を選んでまいりましたが、復刻が既にいくつか行なわれている名演をダイレクト・トランスファーで聴いてみたいとのご要望も多くいただいておりましたので、今月はワルターとシュタルケルの名演を発売いたします。ダイレクト・トランスファーならではの生々しくも瑞々(みずみず)しい音色をお楽しみいただける仕上がりとなりましたので、よろしくご検討ください。

33CDR-3339

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

U.S. COLUMBIA MS-6012(No.6)& U.S. COLUMBIA MS-6055(No.5)
(録音:1958年1月13、15 & 17日(田園)、1月27 & 30日(運命)
ハリウッド、アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ録音が開発されたのを期に引退していたワルターを起用して録音が挙行されたもの。録音当時ワルターは82歳だった。復刻はLPから最良の音を引き出すことを試みた。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3340

 

*試聴はありません

コダーイ:
無伴奏チェロ・ソナタ作品8

ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)

米 PERIOD SPLP 510
(1950年録音)
ヤーノシュ・シュタルケル(1924-)はハンガリーのブダペスト生まれ。7歳でプダペスト音楽院に入学を許され、アドルフ・シッファーに師事した。11歳でソロ・デビュー、1945年に祖国を去りヨーロッパ各地で演奏した。1948年ハンガリー出身の指揮者アンタル・ドラティの招きでダラス交響楽団の首席チェリストに就任した。翌1949年にはフリッツ・ライナーの招きを受けて、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任、1953年ライナーがシカゴ交響楽団に移るのに伴って移籍し1958年まで在籍した。この録音はオーナーがハンガリー出身のレコード会社ピリオドに録音したもので、シュタルケルの名前を世界に広めた記念すべき録音。録音エンジニアは作曲家ベラ・バルトークの次男ピーター・バルトークである。シュタルケルは1958年インディアナ州ブルーミントンに居を構え、インディアナ大学の教授に就任し、ソロ活動や公開レッスン、セミナー、レクチャーをする一方、多くのレコード録音を残している。

78CDR-3341

 

試聴

悲しい歌/クレール・クロワザ
(1)悲しい歌/CHANSON TRISTE(Duparc-J.Lahor)
Fr. Columbia LF 59B (WM 37)
(2)哀歌/LAMENTO(Duparc-Th. Gautier)
Fr. Columbia LF 59A (WM 33)
(3)夢の後に/APRES UN REVE(Faure-Bussine)
Fr. Columbia LF 63A (WM 36-1)
(4)夕べ/SOIR(Faure-Samain)
Fr. Columbia LF 63B (WM 31-1)

クレール・クロワザ(メゾソプラノ)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)

(1930年7月ロンドン録音)
(Rec. July 1930 London)
クレール・クロワザ(1882-1947)はパリ生まれ。最初にオペラ歌手として名声を確立したが、後に歌曲を専門に活動する。度々ロンドンを訪れて歓迎された。またラヴェル、ルーセル、オネゲル、プーランクなど自からの演奏会にクロワザを招き伴奏を務めた作曲家もいる。1922年からパリのエコール・ノルマルで、1934年からパリ音楽院で後進の指導にあたった。門下生にはジャニーヌ・ミショー、ジャック・ジャンサン、カミーユ・モラーヌ、ジェラール・スゼー、古澤淑子らがいる。この録音はクロワザが48歳の時のもの。彼女の最高の名演とされている。

78CDR-3342

 

試聴

ランドフスカ/ハープシコード珠玉集
前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(J.S.バッハ)
(1)前奏曲とフーガ(1)
(2)フーガ(2)
(3)アレグロ -
幻想曲ハ短調(J.S.バッハ)
(4)ソナタニ長調 L.418 -ソナタニ短調 L.423(D.スカルラッティ)
(5)サラバンドニ短調(シャンボニエール)- 皇太子妃(ラモー)
(6)神秘的なバリケード - 女道化師(F.クープラン)
(7)グラウンドハ短調(パーセル)- ナイチンゲール(作者不詳)
(8)調子のいい鍛冶屋(ヘンデル)
(9)ロンドニ長調 K.485(モーツァルト)
(10)トルコ行進曲 K.331 -メヌエットニ長調 K.355(モーツァルト)
協奏曲ニ長調(ヴィヴァルディ=J.S.バッハ編)
(11)アレグロ - ラルゲット(1)
(12)ラルゲット(2)- アレグリッシモ

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

米 RCA VICTOR 12-0002/7
(録音:1946年ニューヨーク、ロータス・クラブ)
(Rec. 1946 Lotus Club New York City)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。パリのスコラ・カントルムの教授もつとめた。二列の鍵盤と七個ペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯このこの楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが1941年のドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れた。これはランドスフスカの2回目の「ゴルトベルク変奏曲」(78CDR-3288)に続くアメリカでのSPレコード録音。LPやCDでは聴けない鮮度の高い音でランドフスカの至芸を楽しむことができる。

78CDR-3343

 

試聴

プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94a

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
レオニード・ハンブロ(ピアノ)

米 COLUMBIA 71790/92-D
(1944年11月29日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。シゲティは1940年にアメリカに移住した。このヴァイオリン・ソナタ第2番は原曲がフルート・ソナタ(1941-2)として書かれた。1994年にヴァイオリン・ソナタ第2番として、オイストラフのヴァイオリン、オボーリンのピアノで初演され、楽曲はシゲティに献呈された。ピアノのレオニード・ハンブロ(1920-2006)はジュリアード音楽院出身。1946年ニュルベルグ・コンクールで入賞。クック・レコードにも録音していた。シゲティはプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3325)、J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3225)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3138)、ブームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3159)他がこのシリーズで出ている。

33CDR-3344

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
エミリア・クンダリ(ソプラノ), ネル・ランキン(メゾ・ソプラノ),
アルバート・ダ・コスタ(テノール), ウィリアム・ウィルダーマン(バス)
ウェストミンスター合唱団(ウォーレン・マーティン= 合唱指揮)

米 COLUMBIA M2S-608
(録音: 1959年1月19, 21, 26, 29 & 31 日ハリウッド,
アメリカン・リージョン・オーディトリアム,
第1-3 楽章& 4月6 & 15 日ニューヨーク, セント・ジョージ・ホテル、
ボールルーム, 第4楽章)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。第1楽章から第3楽章が当時ワルターが住んでいたロサンジェルスで行われ、第4楽章はニューヨークで録音された。録音当時ワルターは82歳だった。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。

33CDR-3345

 

試聴

セゴビア&レイ・デ・ラ・トルレ/ギター・リサイタル
セゴビア/J.S.バッハ作品集(編曲: セゴビア)
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV 1012より
ガヴォット I & II
リュート組曲ホ短調 BWV 996より
サラバンド
ブーレ
前奏曲ハ短調 BWV 999
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009より
クーラント
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006より
ガヴォット
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004より
シャコンヌ
レイ・デ・ラ・トルレ/ソル作品集
モーツァルト「魔笛」の主題による変奏曲作品 9
メヌエットニ長調作品11-5
メヌエットイ長調作品11-6
エチュードロ短調作品35-22(セゴビア20のエチュード第5番)
「月光」
エチュード変ロ長調作品29-1(セゴビア20のエチュード第19番)
エチュードイ長調作品 6-6(セゴビア20のエチュード第12番)

アンドレス・セゴビア(ギター)

(1947年12月米MUSICRAFT 発売)
レイ・デ・ラ・トルレ(ギター)
(1950年米ALLEGRO 発売)
米 ROYALE 1422(1952年発売)
アンドレス・セゴビア(1893-1987)はスペインのギタリスト。現代クラシック・ギター奏法の父と言われている。ここに収録された録音は第2次世界大戦後の1947年、アメリカのMUSICRAFTのSPレコードに録音されされたもの。米デッカ録音に先立つこと数年で貴重な演奏。レイ・デ・ラ・トルレ(1917-1994)はキューバ生まれ。ハバナで神童として名声を上げた後、スペインのバルセロナで既に引退していた名ギタリスト、ミゲル・リョベート(1878-1938)に師事した。レイ・デ・ラ・トルレは1940年にニューヨークのタウン・ホールでアメリカ・デビュー、以降ギター界の寵児になった。この録音は1950年米ALLEGROレーベルで発売され、2年後ROYALEレーベルでセゴビアと組み合わせて再発売されたもの。セゴビアの編纂したソルのエチュードの貴重な演奏が聴ける。

78CDR-3346

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」

マルグリット・ロン(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX 679/83
(録音:1944年6月11日パリ、アルベール・スタジオ)
マルグリット・ロン(1874-1966)は19歳でパリ音楽院の一等賞を得た後コンサートデビュー、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)やフィガロ紙の評論家から絶賛された。1906年母校のパリ音楽院教授に就任、1940年まで務めた。1943年ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1954)と共に、若い優秀な音楽家を発掘するコンクールをパリで創設した。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928年-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。これは第2次大戦末期のドイツ占領下のパリで録音されたもの。ロンは当時70歳だった。ロンのSPレコードの中でも最も希少な盤の登場である。

78CDR-3347

 

試聴

ラヴェル:ツィガーヌ           
ショパン(ロディオノフ編):ノクターン第20番嬰ハ短調遺作/
Eng. HIS MASTER'S VOICE DB 6907/8
ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
スカルラテスク:バガテル
Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1871
ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲(はかなき人生)
ディニク(ハイフェッツ編):ホラ・スタッカート

ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)

Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1865
(録音: 1946年3月26日01-04, 8月12-14 日05-08,
ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニュフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。この録音は第2次再開大戦後のSPレコード録音期末期にロンドンで録音されたもの。このシリーズでヌヴーのSP録音は最初期のものを除きほとんど出ている。

78CDR-3348

 

試聴

R.シュトラウス: 歌曲集
セレナード作品17-2
あすの朝作品27-4
万霊節作品10-8
献身作品10-1

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)

米 COLUMBIA 17384/5-D(Set X-270)
(録音:1941年7月2日ハリウッド、CBS スタジオ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビュー。1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメツッオ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とた。1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合で迫害を逃れてアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代の初期のもの。作曲家リヒャルト・シュトラウスと親交があったレーマンの残した貴重な録音である。レーマンはこのシリーズでシューベルトの「冬の旅」(全曲)(78CDR-3049 & 3049)、シューベルトの「美しき水車屋の娘」(全曲)(78CDR-3079)が出ている。

33CDR-3349

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
交響曲第1番ハ長調作品21

ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

米 COLUMBIA MS-6036 (第3番), MS-6071(第1番)
(録音: 1958年1月20, 23, 25日=第3番、1959年1月5, 6, 8, 9日
ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
1959 No.1 American Legion Auditorium, Hollywood)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。

ページの先頭に戻る

ホーム
ホーム 商品情報 CDリスト ご購入方法 Audioのページ