新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3650〜

 

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3650

 

試聴

シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43

トール・マン指揮
ストックホルム・コンサート協会管弦楽団

米 CAPITOL P8107(Mono)(独TELEFUNKEN SK3322/6 の復刻)
(1942年10月17日録音)(使用原盤に起因するノイズが多くあります)
スウェーデンの指揮者トール・マン(1894-1974)が残した数少ない名演奏の一つ。マンはエーテボリ交響楽団の首席指揮者を1925年から39年まで務め、その後スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を1959年まで務めた。この録音は第2次世界大戦中にドイツのテレフンケン社に録音されたもの。戦後LP時代になってテレフンケンと契約があった米CAPITOLから歴史的名演奏として復刻された。交響曲愛好家には必聴の演奏。

78CDR-3651

 

試聴

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26

イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HMV C3802/4
(1948年4月4&12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)今年92歳の現役ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデル(1924年生まれ)は1935年ワルシャワで開催されたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドからイギリスに移住1940年に市民権を得た。その年に英DECCA と契約し契約期間中に約50枚の録音を残した。これはDECCAとの契約を終了してEMIに移籍後の録音。ラファエル・クーベリック(1914-1996)は世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれたチェコ出身の指揮者。1937年にチェコ・フィルを指揮してスメタナ「わが祖国」抜粋(HMV C1979/81)でEMIにデビューした。

78CDR-3652

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調K.378 より第2楽章

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ指揮
コロンヌ管弦楽団
ヤルタ・メニューイン(ピアノ)(モーツァルト)

英 HMV DB8586/10
(録音:1938年5月2日パリ=メンデルスゾーン&1938年ロンドン=モーツァルト)ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮のサンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に手ほどきを受けた。1928年12歳の時初レコード録音を行った。指揮のジョルジュ・エネスコはルーマニア出身。ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍した全能音楽家。この録音では弟子のメニューインを全面的にサポートしている。ピアニストのヤルタ・メニューイン(1922-)はユーディの義妹。パリ音楽院でマルセル・シャンピ(1891-1980)に、ジュリアード音楽院ではカール・フリードバーグに師事した。

78CDR-3653

 

試聴

シューベルト:アルペジョーネ・ソナタイ短調 D.821

ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
エリー・ナイ(ピアノ)

日VICTOR JH22/3 (独ELECTROLA EH920/1 と同一録音)
(1935年5月2日録音)アルペジョーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもった弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はドイツのチェリスト。 6歳でチェロを始め、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)、ベルリンでフーゴ・ベッカーに師事し1930年にメンデルスゾーン賞を受賞し、1936年フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏会でソリストとしてデビュー。その後ピアノのエリー・ナイ(1882-1968)とヴァイオリンのマックス・シュトループ(1900-1966)とピアノ三重奏団を組んだ。エリー・ナイはウィーンでレシェティツキやエミール・フォン・ザウアーの薫陶得て、第2次世界大戦中もドイツで活躍した。

33CDR-3654

 

試聴

ヨーゼフ・レヴィーンSP録音集
ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」(ショパン)
エチュードイ短調 作品25-11 「木枯らし」(ショパン)
エチュード変ホ長調 作品10-11(ショパン)
エチュード嬰ト短調 作品25-6(ショパン)
エチュードロ短調 作品25-22(ショパン
前奏曲変イ長調 作品28-17(ショパン)
前奏曲変ロ短調 作品28-16(ショパン)
トッカータハ長調 作品 7(シューマン)
春の夜 作品39-11(シューマン=リスト編)
祭り(ドビュッシー=ラヴェル編)*
美しき青きドナウ(シュトラウス2世、シュルツ=エヴラー編)

ヨーゼフ・レヴィーン (ピアノ)
ロジーナ・レヴィーン (ピアノ) と連弾 *

米 CAMDEN CAL 265 (Mono)
(原盤レコードに起因するノイズがあります)
ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944) はロシア生まれのユダヤ系ピアニスト。1892年モスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業。同級生にはアレクサンダー・スクリャービン(1872-1915) やセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。1898年に音楽院の後輩ピアニスト、ロジーナ(1880-1976) と結婚。夫妻は1919年にアメリカに亡命し、ジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動をした。1944年、70歳の誕生日を目前に心臓発作で世を去った。ここに収録した録音はLP時代の初期にCAMDENで発売されたもの。オリジナルのSPレコードは極めて数が少ないためにLPからのトランスファーに依った。ブゾーニ、ホロヴィッツ、ルービンシュタインが一目置いた伝説のピアニストが残した貴重な演奏集である。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。

33CDR-3655

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:シモン・ゴールドベルグ)
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ: ヨアヒム)

シモン・ゴールドベルグ (ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団

米 DECCA DL9609 (Mono) (英PARLOPHONE PMA1003と同一録音)
(1951年8月13-15日、ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)シモン・ゴールドベルグ(1909-1993) はポーランド生まれ。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年フルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサートマスターに就任したが1934年ナチスが政権をとると退団し、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジアに演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本人ピアニスト山根美代子さんと結婚、富山県の立山のホテルで暮らしていた。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980 はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者ジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後にイギリス国籍を得た。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。

78CDR-3656

 

試聴

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
バラー:「4つの小品のための組曲」よりアンダンテ

アドルフ・バラー(ピアノ)

日本ビクター SD3029/32
(1951年10月東京・築地日本ビクター・スタジオ録音)
アドルフ・バラー(1909-1994) はポーランドのガリシア(現ウクライナ)生まれ。8歳のときウィーンに行きフランツ・リストの弟子の一人に師事し、13歳でウィーン・フィルと共演した。1938年ナチスの迫害を受けアメリカに逃れ、1941年名ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)に出会い伴奏者を務めた。この録音はメニューインが1951年、戦後初の親善使節として来日した際、東京・築地の日本ビクター・スタジオでの録音。おそらく最初期の磁気テープ録音によるSPレコードであろう。

78CDR-3657

 

試聴

ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

英 HMV DB2109/12
(1933年11月10日&16日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代に英HMVに多くの録音をしていた。ブッシュはピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAで録音を再開した。このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3638) 、第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第12番(78CDR-3482) 、第14番(78CDR-3633) 、第15番(78CDR-3362) 、第16番(78CDR-3195) が出ている。

78CDR-3658

 

試聴

J.S.バッハ:
パルティータ第1番変ロ長調 BWV.825
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
6つの小前奏曲 BWV.933/938
イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
3つの小前奏曲 BWV.924/6 &「フゲッタ」BWV.961

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

DISQUE GRAMOPHONE DB4995/6 (France)
HMV DB4993/4 (U.K.)
VICTOR 14233/4 (U.S.)
(1935年〜36年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959) はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れ、晩年はコネティカット州のレイクヴィルに居住し、75歳の時ニューヨークで演奏会を開いたという記録がある。ランドフスカの録音はこのシリーズで多数出ている。

33CDR-3659

 

試聴

ミッシャ・エルマン・リサイタル
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-23
J.S.バッハ:G線上のアリア
サンマルティーニ=ナチェス編:パッサカリア
ヴィターリ=シャイエ編:シャコンヌ

ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ジョゼフ・セイガー(ピアノ)

米 LONDON LL 1631(Mono)(英 DECCA LXT 5303 と同一録音)
(1956年10月15-18日ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)ミッシャ・エルマン(1891-1967)はロシア、キエフのタルノイ生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、オデッサの王立音楽学校に入学。その後ペテルブルグ音楽院で名教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1904年にベルリンでデビュー。1905年にはロンドン、1908年にニューヨークのカーネギー・ホールでデビュー、聴衆を沸かせた。1911年に単身アメリカに移住、その後家族を呼び寄せ1923年に市民権を得た。1921年に初来日、その後1937年、1955年に来日した。エルマンは機械式録音時代からSPレコード時代にかけて米VICTORの看板アーティストとして君臨した。これはエルマン65歳のモノLP録音である。往年の名ヴァイオリニストをハイファイ録音で捉えた貴重なもの。聴き手を引きつける名手のヴァイオリンの魅力は十分に残っている。なおここに収録のヴィタリの「シャコンヌ」はエルマンの初録音。

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3660

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61 (カデンツァ:アドルフ・ブッシュ)

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
フリッツ・ブッシュ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

独 BRUEDER-BUSCH 12PAL 1902/03(モノ)
(1942年2月9日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年、20歳の時ウィーンのコンツェルト・フェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン科教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1936年にアメリカに移住、活動の拠点をこの地に置いた。指揮者のフリッツ・ブッシュ(1890-1951)はアドルフの実兄。北欧やイギリスで活躍した。この録音は第2次世界大戦中にニューヨークで行われた兄の指揮、弟のヴァイオリンとニューヨーク・フィルが共演した貴重なもの。他に二人の共演盤は存在しない。アドルフ・ブッシュのヴァイオリンはこのシリーズで多数出ている。

78CDR-3661

 

試聴

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

ベニー・グッドマン(クラリネット)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

米 VICTOR 1884/6, 1492(Set M-452)
(1938年4月25日ニューヨーク、Victor Records第2スタジオ録音)ジャズ・クラリネットの王者ベニー・グッドマン(1909-1986)が初めてクラシック音楽の録音した記念すべきレコード。ベニー・グッドマンはシカゴ生まれ。クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年1月にニューヨークのカーネギーホールで初のジャズ・コンサートを開き全米を沸かせた。この録音はその3カ月後に行われたもの。ブダペスト弦楽四重奏団との共演である。ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。グッドマンは1956年7月にモーツァルトのクラリネット協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA VICTOR LPM2073)と録音していた。

78CDR-3662

 

試聴

モーツァルト:弦楽五重奏曲第5番ニ長調 K.593

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
エドガー・オルテンベルク(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)

英 COLUMBIA LX-1046/8(Mono)(米 COLUMBIA 72346/8Dと同一録音)
(1946年12月12日&1948年1月30日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。第2ヴァイオリンのエドガー・オルテンベルク(在籍1944-1949)はアレクサンダー・シュナイダーが抜けた時期にメンバーを務めた。第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリー帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペスト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。

78CDR-3663

 

試聴

J.S.バッハ:イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
トメオーニ:Allegro

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

(強音で音割れがあります)
独 TELEFUNKEN SKB 3320/1
(1943年1月22日ベルリン録音)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)はイタイアの大ピアニスト。1939年ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、その時の審査員長だったアルフレッド・コルトー(1877-1962)が「リストの再来」と賞讃したと伝えられる。この「イタリア協奏曲」は第2次世界大戦中のベルリンでテレフンケン社が録音したもの。当時23歳だったミケランジェリの初録音と思われる。もうレコードどころではないドイツの国内事情を考慮すると極めて貴重な録音である。ペレグリーノ・トメオーニ(1721-1816)はイタリアの作曲家でオルガン奏者。オペラや宗教音楽の作品を書いた。ミケランジェリはこのシリーズでJ.S.バッハ=ブゾ-ニ編:シャコンヌ(1948年録音)(78CDR-3229)が出ている。

33CDR-3664

 

試聴

プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調作品8
ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94a

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

米 MERCURY MG50319(Mono)
録音: 1959年12月7日(第1番)、12月8&10日(第2番)ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリン奏者。名教師イエノ・フバイ(1858-1937)に師事し13歳でデビューした。20世紀に活躍した最も偉大な音楽家の一人。この録音はシゲティが67歳の時のもの。同世代の作曲家プロコフィエフに強い共感を抱いた鬼気迫る演奏が聴ける。ピアノのアルトゥール・バルサム(1906-1994)はポーランド生まれ。ベルリン高等音楽院でアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)に師事した。ナチスの台頭でアメリカに移住し、名伴奏者であると共にソリストとして活躍した。このシリーズでジョセフ・フックスのヴァイオリンによるベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲(33CDR-3489/3490/3491 単売)が出ている。

33CDR-3665

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219「トルコ風」

エリカ・モリーニ(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス指揮
ペルピニャン祝祭管弦楽団

米 COLUMBIA ML4565(Mono)
録音: 1951年7月13日ペルピニャン市民劇場
エリカ・モリーニ(1904-95)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリニスト。
8歳でウィーン音楽院に入学を許され、オタカル・シェフチーク(1852-1934)に師事した。1916年にアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)指揮ゲヴァントハウス管弦楽団と共演してデビューした。1938年にアメリカに移住し1976年に引退するまで第一線で活躍した。彼女はハイフェッツも一目置く技巧家だったことはあまり知られていない。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれ。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。第2次世界大戦後、南仏プラドに隠遁していたカザルスに、友人でヴァイオリン奏者のアレクサンダー・シュナイダーが室内音楽祭を開くことを提案してカザルスは受け入れた。この録音は音楽祭2年目にプラドの近くの町ペルピニャンでのライヴ録音。モリーニの音楽祭登場はこの年だけだった。

78CDR-3666

 

試聴

バルトーク:コントラスト(ヴァイオリン、クラリネット&ピアノのための)

ベラ・バルトーク(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ベニー・グッドマン(クラリネット)

米 COLUMBIA 70362/3D(Set X-178)
録音:1940年5月13-14日ニューヨーク、World Broadcasting Studios作曲者バルトークとヴァイオリニトのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれの同胞。ジャズ・クラリネットのベニー・グッドマン(1909-1986)がシゲティに会った時(1938年)二人にバルトークのピアノを加えた三人で共演できる曲が書けないだろうかと、シゲティを通してバルトークに作曲の打診して出来上がったのがこの曲。作品にはハンガリーとルーマニアのさまざまな民俗舞曲の要素が組み込まれ、さらにジャズの香りも盛り込まれている。3人の巨匠が繰り広げるスリリングが演奏が聞きどころ。グッドマンはこのシリーズでモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3661)、ベニー・グッドマンとペギー・リー(78CDR-35389),ベニー・グッドマン・ウィズ・チャーリー・クリスチャン(78CDR-3579)が出ている。

78CDR-3667

 

試聴

フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調 作品15

ロベール・カザドシュ(ピアノ)
ジョゼフ・カルヴェ(ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)

米 COLUMBIA 68524/7-D (仏COLUMBIA LFX380/383と同一録音)
録音: 1935年5月7-8日、パリ、アルベール・スタジオ録音
ピアノのロベール・カザドシュ(1889-1972)はパリの音楽一族の生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を1920年にディエメール賞を得た。1921年にピアニストのガブリエル・ロートと結婚、二人は四手、2台ピアノでしばしば共演した。1935年からフォンテーヌ・ブローのアメリカ音楽院で教鞭をとった。その後アメリカに移住したが戦後フランスに戻った。ヴァイオリンのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)は1919年に弦楽四重奏団を組織し、ヴィオラのレオン・パスカルとチェロのポール・マはカルヴェ四重奏団のメンバー。フォーレのピアノ四重奏曲第1番はこのシリーズでシャイエ=リシェ四重奏団(78CDR-3167)とアンリ・メルケル夫妻にタンロックのピアノによる(78CDR-3441)が出ている。

78CDR-3668

 

試聴

ショパン:
ワルツ第3番イ短調作品34-2
ワルツ第6番変ニ長調作品64-1「小犬のワルツ」
ワルツ第12番ヘ短調作品70-2
ワルツ第2番変イ長調作品34-1「華麗なるワルツ」
ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2
ワルツ第5番変イ長調作品42
ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大ワルツ」
エチュードホ短調作品25-5
エチュードヘ短調作品25-2
エチュードヘ長調作品25-3
フォーレ:
ヴァルス・カプリス第3番変ト長調作品59(1)
ヴァルス・カプリス第3番変ト長調作品59(2)

野邊地瓜丸(勝久)(ピアノ)

日本コロムビア G38/40, B325, B322
発売: 1950年(G38/40)、1953年(B325 & B322)
野邊地瓜丸(1910-1966)(後に勝久に改名)は1926年16歳でフランスに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。1930年に帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。1946年26歳で東京藝術大学音楽学部の教授に就任した。ここに収録したショパンのワルツ集は1950年に発売されたもの。ショパンのエチュード3曲とフォーレのヴァルス・カプリスは野邊地勝久とレーベルに記されている。戦後の物資が不足していた時代のSPレコードのため音が良くないが、フランス仕込みの演奏は堂に入って素晴らしい。野邊地はこのシリーズでヴァイオリンの巌本真理との二重奏でルクー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3486)が出ている。

33CDR-3669

 

試聴

ブルーノ・ワルター/ウィンナ・ワルツ集
ヨハン・シュトラウス 2世
皇帝円舞曲
「こうもり」序曲
ウィーン気質
ウィーンの森の物語
「ジプシー男爵」序曲
美しく青きドナウに

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

米 COLUMBIA ML5113(Mono)
録音:1956年3月16日&22-23日ニューヨーク30丁目COLUMBIA STUDIO
ブルーノ・ワルター(1876-1962)ドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー。後に指揮者に転向した。1869年ハンブルク歌劇場でグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ドイツ、オーストリア各地のオーケストラや歌劇場の楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてアメリカに逃れた。これはLP時代にニューヨーク・フィルのメンバーを母体に編成されたコロンビア交響楽団を起用して録音されたもの。ドイツ、オーストリアで永年音楽生活を過ごした指揮者ならではの愛情に満ちた素晴らしいヨハン・シュトラウスのワルツ集。ワルターはこのシリーズで名演が多数出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3670

 

試聴

ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101, Hob.VIIb-2
ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調 G.481

モーリス・ジャンドロン(チェロ)
パブロ・カザルス指揮
ラムルー管弦楽団

仏 PHILIPS 835 069 AY(Stereo)
録音:1960年10月パリ
モーリス・ジャンドロン(1920-1990)は南仏ニース生まれ。ニース音楽院を卒業後、パリ音楽院でジェラール・エキング(1879-1942)のクラスで学び1938年に一等賞を得た。大戦後の1945年12月2日にロンドンのウィグモア・ホールでベンジャミン・ブリテン(1913-1976)のピアノ伴奏でフォーレとドビュッシーのソナタを弾いてソロデビュー。さらに同月、プロコフィエフのチェロ協奏曲第1番の初演をワルター・ジュスキンド指揮ロンドン・フィルと行って名声を高めた。ジャンドロンはメニューイン兄妹とピアノ三重奏を25年に渡って行った。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれ。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。第2次世界大戦後、南仏プラドに隠遁していたカザルスに、友人でヴァイオリン奏者のアレクサンダー・シュナイダーが室内音楽祭を開くことを提案してカザルスは受け入れた。これはカザルスが弟子のジャンドロンのために指揮棒をとった唯一のスタジオ録音。それだけカザルスがこの弟子に目をかけていたことがうかがえる。

78CDR-3671

 

試聴

シューベルト:ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調作品100

ブッシュ・ゼルキン三重奏団
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

英 HMV DB2676/80
録音:1935年10月23日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオアドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアノのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住。1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代のもの。このシリーズでブッシュとゼルキンにホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)を加えたブラームス:ホルン三重奏曲(78CDR-3018)とブッシュ兄弟がアメリカに移住後の録音であるベートーヴェン:ピアノ三重奏曲「幽霊」(78CDR-3253)が出ている。

78CDR-3672

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調作品11「街の歌」
J.S.バッハ:アダージョ ト長調

デニス・マシューズ(ピアノ)
レジナルド・ケル(クラリネット)
アンソニー・ピーニ(チェロ)

英 COLUMBIA DX8200/2
録音:1944年7月2日(ベートーヴェン)&1944年7月31日(J.S.バッハ)ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオデニス・マシューズ(1919-1988)は英国のピアニスト。ロンドンの王立音楽アカデミーでハロルド・クラックストン(1885-1971)に師事し1939年にデビューした。その後1946年まで兵役につき、大戦後コンサート・ピアニストとして活躍しレコード録音も多く残した。晩年はバーミングハム音楽院で教鞭をとった。レジナルド・ケル(1906-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年にアメリカに渡り、コンサートやレコーディングのほか、ベニー・グッドマン(1909-1986)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック音楽奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。アンソニー・ピーニ(1902-1989)は英国の五大オーケストラの首席チェロ奏者やソリスト、室内楽奏者として活躍、また王立音楽カレッジやギルドホール音楽演劇学校で教鞭をとった。この録音は第2次世界大戦末期のもの。SPレコードとしては日本では発売されなかった。

78CDR-3673

 

試聴

ハイドン:弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-63「ひばり」

クェリング弦楽四重奏団

英 HMV EH 1248/9
録音:1939年1月ベルリン
クェリング弦楽四重奏団は全員女性奏者のユニークな団体。リーダーのリーレ・クェリング(1903-没年不詳)はドイツのクレグフェルド生まれでブラム・エルデリンクに師事した。エルデリンクはアドルフ・ブッシュにドイツ・ヴァイオリン奏法の基礎を教えた人物で、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の奏法を後世に伝えることに心血をそそいだ。クェリングは1935年に結婚し、オランダのユトレヒトに在住したと伝えられている。この「ひばり」はSP時代にビクターの「洋楽愛好家協会」盤として発売されたこがあるが、レコード材料の欠乏していた時代であったため、雑音が多く真の演奏が理解されなかった。この復刻には英HMV盤を使用した。

33CDR-3674

 

試聴

モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K.622
クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

ベニー・グッドマン(クラリネット)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(協奏曲)
ボストン交響楽団五重奏団(五重奏曲)
リチャード・バーギン(第1ヴァイオリン)
アルフレッド・クリプス(第2ヴァイオリン)
ジョゼフ・デパスクァーレ(ヴィオラ)
サムエル・メイス(チェロ)

仏 RCA 630 398(Mono)(米 RCA VICTOR LM 2073 と同一録音)
録音: 1956年7月9日(協奏曲)&7月12日(五重奏曲)、アメリカ、マサチューセッツ州レノックスベニー・グッドマン(1909-1986)はシカゴ生まれ。クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年ニューヨークに移り、1932年自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年1月ニューヨークのカーネギーホールで初のジャズ・コンサートを開き全米を沸かせた。この録音はLP時代になってからのもので協奏曲はグッドマンにとって初録音、五重奏曲は2回目の録音である。1回目はブダペスト弦楽四重奏団と1938年に行われ78CDR-3661で出ている。グッドマンにクラシック音楽奏法を指導したのはイギリス生まれのレジナルド・ケル(1908-1981)でケルは1948年にアメリカに渡ったので2種の五重奏曲のクラリネット奏法がどう違うか聴き較べが興味ある。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はフランス生まれ。1949年から1962年までボストン交響楽団の正指揮者をつとめた。

33CDR-3675

 

試聴

ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」

マヌーグ・パリキアン(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)

仏PRESTIGE DE LA MUSIQUE SR-9657(Stereo)
録音:1960年パリ
ヴァイオリンのマヌーグ・パリキアン(1920-1949)はトルコのメルシン生まれ。ロンドンで学び1949年にフィルハーモニア管弦楽団のコンサートマスターになり1957年までその席にあった。その後ソリストとして活躍する一方後進の指導にあたった。フィルハーモニア管弦楽団コンサートマスター時代にクレンペラー、カラヤン、ジュリーニ等の指揮者に乞われたソロ録音がある。ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジルのリオ・デジャネイロ生まれ。父親はラウル・ピュニョ(1852-1914)にピアノを学んだという。一家は1906年にフランスへ移住。彼女は13歳でパリ音楽院に入学、アントナン・マルモンテルのクラスに入り9カ月後に一等賞を得た。音楽院を卒業後、アルフレッド・コルトー(1877-1962)についてさらに研鑽を積んだ。彼女はこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲「戴冠式」(78CDR-3093)、ヴァイオリンのドニーズ・ソリアノ(1916-2006)と共演したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3135)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番 K.454(78CDR-3027)他が出ている。

78CDR-3676

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」

ヘプツィバ・メニューイン(ピアノ)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
モーリス・アイゼンバーグ(チェロ)

英 HMV DB2879/81
録音:1936年3月5日パリ、アルベール・スタジオ
ピアノのヘプツィバ・メニューイン(1920-1981)はサンフランシスコ生まれ。4歳でジュディス・ブロックリーについてピアノを始め、後にレフ・アに学んだ。8歳の時サンフランシスコで初リサイタルを開いた。その後バーゼルでルドルフ・ゼルキン(1903-1991)に、パリでマルセル・シャンピ(1891-1980)について研鑽を積んだ。兄でヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)と初共演したモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K.526(1933年録音)(78CDR-3025)がキャンディド賞を受賞しピアニストとして注目されるようになった。チェロのモーリス・アイゼンバーグ(1900-1972)はドイツ生まれ。1902年に両親と共にアメリカに移住した。1921年にアメリカ公演中のパブロ・カザルス(1876-1973)に出会い、ヨーロッパで学ぶことをすすめられ、ベルリンでユリウス・クレンゲル(1859-1933)やフーゴ・ベッカー(1864-1941)、パリでナディア・ブーランジェ(1887-1979)に薫陶を得た。

78CDR-3677

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調 K.261
レーガー:ヴァイオリンとピアノのための組曲イ短調作品103aからアリア
タルティーニ=クライスラー編:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品1-1からフーガ

シュテフィ・ゲイエル(ヴァイオリン)
パウル・ザッハー指揮
コレギウム・ムジクム・チューリッヒ
ヴァルター・シュルテス(ピアノ)

スイス COLUMBIA LZX7
日ODEON U-10020(独 Odeon 6573と同一録音)
録音: 1938年(モーツァルト)&1927年4月11日(レーガー&タルティーニ)シュテフィ・ゲイエル(1888-1956)はハンガリーの女流ヴァイオリン奏者。ブダペストのリスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。ベラ・バルトーク(1881-1945)やオトマール・シェック(1886-1957)は共に彼女のためにヴァイオリン協奏曲を献呈した。初婚の相手が病死した後、1920年にスイスの作曲家ヴァルター・シュルテスと再婚しチューリッヒに居を構え音楽院で教えた。その時の弟子の一人がアイダ・シュトゥツキ(1921-2011)。シュトゥツキは後にアンネ=ゾフィ・ムターの師となった。シュトゥツキはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(33CDR-3645)が出ている。パウル・ザッハー(1906-1999)はスイスの指揮者で作曲家。往年の名指揮者フェリクス・ヴァインガルトナー(1863-1942)に学んだ後バーゼル室内管弦楽団を設立した。世界的製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロッシュ社のオーナー未亡人との結婚で巨大な富を得て、多くの作曲家へ作品委嘱をした。武満徹の「ユーカリプス」もザッハーの委嘱による。

78CDR-3678

 

試聴はありません

信時 潔
組曲「沙羅」 清水重道(詞)
丹澤あづまやの北秋の沙羅鴉行々子ゆめ占ふと
北原白秋(詞)
つなで幻滅をみな子よ

木下 保(テノール)
水谷達夫(ピアノ)

ニッチク(日本コロムビア)90634/6
録音:1943年12月1日
(SPレコード特有のノイズがあります)
作曲者の信時潔は幼少より讃美歌に親しみ東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学、チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスター(1883-1936)に、指揮法をアグスト・ユンケルに学んだ。1920年ドイツに留学しゲオルク・シューマン(1866-1952)に師事した。「沙羅」は1936年の作品。テノールの木下保(1903-1982)は兵庫県富岡市出身。1926年に東京音楽学校を卒業。1932年から1935年までドイツとイタリアに留学した。帰国後、母校の声楽科主任教授になり、日本人作曲家の作品も多く取り上げた。「沙羅」の初演者で、信時潔のカンタータ「海道東征」(神武天皇を題材とした作品)の初演指揮者もつとめた。ピアノの水谷達夫(1911-1998)は東京音楽学校でレオ・シロタ(1885-1965)に師事し、卒業後長く母校で後進を指導をした。この録音は第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)12月1日に行われた。日本コロムビアはニッチクと改名し、レコード材料の不足から返品レコードを再利用していた時代のものである。ノイズが大きいのはその所為だが、録音そのものは見事である。時代背景はレコードどころではなかったのに、よくぞこのような作品を残してくれたと頭が下がる。

33CDR-3679

 

試聴

ジャン・マリー・ルクレール:フルート協奏曲ハ長調
ミシェル・コレット:弦楽合奏のための協奏曲変ロ長調
ジャック・オーベール:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
ジャック・オーベール:ヴァイオリン協奏曲変ロ長調

ロジェ・ブールダン(フルート)
ミシェル・ブーシノー(ヴァイオリン)
ローランス・ブーレ(クラヴサン)
ベルナール・ヴァル指揮
ヴェルサイユ室内オーケストラ

仏 CONTREPOINT MC 20.135(ステレオ)
録音:1956年パリ
フランスの女流ヴァイオリン奏者ミシェル・ブーシノー(1929-)が聴ける希少LPの復刻。ブーシノーはパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年はコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880-1953)が審査員をつとめた最後の年だった。ティボーは同年の9月に日本公演に向かう途中の航空機事故で73歳の命を落としたからだ。このコンクールの審査員のひとりだったダイヴィド・オイストラフ(1908-1974)はソ連政府を説得してブーシノーを助手にした。フルートのロジェ・ブールダン(1923-1976)はパリ音楽院のマルセル・モイーズ(1889-1984)のクラスで薫陶を得た名手。1943年からヴェルサイユ音楽院の教授に任命され生涯その地位にあった。クラヴサンのローランス・ブーレ(1925-2007)は女流奏者。ブーシノーはこのシリーズでヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3029)が出ている。

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3680

 

試聴

J.S.バッハ:
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ短調 BWV1060

モニク・フラスカ=コロンビエール(ヴァイオリン)
(BWV1041, BWV1043, BWV1060)
リリアン・ガルニエール(ヴァイオリン)
(BWV1042, BWV1043, BWV1060)
ポール・キュンツ室内管弦楽団

仏 CLUB INTENATIONAL DU DISQUE 51/2(Mono)
録音:1960年パリ
通常演奏されるヴァイオリン協奏曲3曲に、原曲はオーボエとヴァイオリンのための協奏曲の2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1060(2台のハープシコードのための協奏曲 BWV1060の編曲もある)を加えたJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲全集。指揮者のポール・キュンツ(1930-)はフランスのミュルーズ生まれ。1947年から1950年までパリ音楽院で指揮法をウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)に学んだ。1951年に若い音楽家を集めて、自分の名前を冠した室内管弦楽団を組織し指揮者としての活動を始めた。1956年にヴァイオリニストのモニク・フラスカ・コロンビエールと結婚した。もうひとりのヴァイオリン奏者リリアン・ガルニエールはRCAに小品集(LSC2646)などを録音している。

78CDR-3681

 

試聴

「不世出の名ソプラノ、マギー・テイト」
アーン:私の詩に翼があったなら
アーン:いみじき時
デュパルク:旅への誘い
ドビュッシー:手紙-歌劇「ペレアスとメリザンド」より
ドビュッシー:君は知らない, なぜ僕が遠くへ行かなければならないのか
-歌劇「ペレアスとメリザンド」より
ドビュッシー:私の長い髪-歌劇「ペレアスとメリザンド」より
ショーソン:終わりなき歌
メサジェ:軽やかに、軽やかに-オペレッタ「ムッシュ・ボーケール」より
アーン:さようなら-音楽喜劇「モーツァルト」より
ドビュッシー:パンの笛-「ビリティスの3つの歌」より
ラヴェル:シェエラザード
ベルリオーズ:君なくて-夏の夜より
フォーレ:夢の後に

マギー・テイト

マギー・テイト(1888-1976)はイングランド中部のウルバーハンプトン生まれ。パリでジャン・ド・レスケ(1850-1925)が創立した歌劇学校に入学した。教師の一人にレナルド・アーン(1874-1947)が居た。1908年にクロード・ドビュッシー(1862-1918)に認められ「ペレアスとメリザンド」のヒロイン役を歌い、初演歌手のメアリー・ガーデン(1874-1967)の後を継いだ。ここにはテイトの数々の名唱に加えてメアリー・ガーデンの歴史的演奏(ドビュッシーのピアノ伴奏による1904年録音)を加えた。

78CDR-3682

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454

アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ジャン・ユボー(ピアノ)

仏アンソロジー・ソノール 111/3
録音:1942年2月23日パリ
ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)はパリ生まれ。パリ音楽院のギヨーム・レミー教授のクラスで1912年に一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者をつとめた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターになり、その後ソリスト、室内楽奏者として活躍した。メルケルはこのシリーズで多数出ている。ピアノのジャン・ユボー(1917-1992)はパリ音楽院でラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、1930年13歳で一等賞を得た。このメルケルとのモーツァルト:ヴァイリン・ソナタ K.454の録音は発売当時非常に高く評価された。

78CDR-3683

 

試聴

ラザール・レヴィ日本録音集
クープラン:
ゆりの花ひらく

シューベルト:
即興曲変イ長調作品142-2
ラザール・レヴィ:
ワルツ集(1)
ワルツ集(2)
ショパン:
マズルカ第2番嬰ハ短調作品6-2
マズルカ第31番変イ長調作品50-2
シューマン:
夕べに
夢のもつれ "幻想小曲集" Fantasiestucke, Op.12 より

ラザール・レヴィ(ピアノ)

日本ビクター SD53/5 VICTOR SD-53/5(Japan)
録音:1950年10月東京・築地ビクタースタジオこの録音は第2次世界大戦後、初めて来日した外国人アーティスト、ラザール・レヴィ(1882-1964)が日本ビクターに録音した1950年録音のSP盤復刻。レヴィはパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1898年に一等賞を得た。1914年からパリ音楽院教授をつとめ、1953年に退任したが、その間1916年から21年と1941年から44年に、ドイツ軍のパリ占領のため地下に潜伏した。レヴィの弟子には、クララ・ハスキル、 モニク・アース、イヴォンヌ・ロリオ他、日本人ピアニストの安川加壽子、原智恵子、井上二葉、田中希代子、遠藤郁子、他が居る。レヴィのレコード録音はたいへん少なく、この復刻の他にモーツァルト:幻想曲ハ短調K.475(1931年録音)はモーツァルト「伝説の録音」第2巻のCD23(飛鳥新社)に収録されている。

33CDR-3684

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
交響曲第10番ト長調 K.74
交響曲ハ長調 K.96(111b)

シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)
ダニエル・シャブリュン指揮
パリ・チェント・ソリ管弦楽団
ベルンハルト・パウムガルトナー指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム室内管弦楽団

英 THE RECORD SOCEIETY RS 35(モノ)
録音: 1958年3月19日(協奏曲)、1956年10月15日(交響曲)
シャルル・シルルニク(1923-2003)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)のクラスで学び1939年に一等賞を得た。このシリーズでベートーヴェンの協奏曲(33CDR-3615)が出ている。このモーツァルトは師ブーシュリが弾いた1906年機械式録音の第3楽章がこのシリーズ(78CDR-3065)で出ているが、シルルニクは師譲りの清楚な演奏を繰り広げていて素晴らしい。指揮者のダニエル・シャブリュン(1925-2006)はパリ音楽院で指揮法をルイ・フレスティエール(1892-1976)に学び1954年に一等賞を得た。交響曲を指揮するベルンハルト・パウムガルトナー(1887-1971)はウィーン生まれ。1917年から1959年までモーツァルテウム音楽院の学院長を、1959年から1971年までザルツブルグ音楽祭の総裁をつとめた。

33CDR-3685

 

試聴

ショーソン(モーリス・ブショール詞):
愛と海の詩 作品19

イルマ・コラッシ(メゾ・ソプラノ)
ルイ・ド・フローマン指揮
ロンドン交響楽団

米 LONDON LL 1386(モノ)
録音: 1955年5月9-10日ロンドン、キングズウェイ・ホール
イルマ・コラッシ(1918-2012)はギリシャのアテネ生まれ。14歳でアテネ音楽院の声楽科とピアノ科で一等賞を得たのち、ローマのサンタ・チーリア音楽院でさらに研鑽を積んだ。声楽とピアノの両方で優秀な成績をおさめたが、最終的に声楽を選んだ。第2次大戦中にアテネに戻りアテネ音楽院で教えた。そこでマリア・カラス(本名マリア・カロゲロプーロス)(1923-1977)を指導したことがある。1949年パリに行き、ラヴェルやフランス六人組作曲家の作品を歌い有名になった。1970年に現役を退き、パリのスコラ・カントルム音楽院で後進の指導にあたった。ルイ・ド・フローマン(1921-1994)はパリ音楽院でウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)やアンドレ・クリュイタンス(1905-1967)に師事した。ニース放送局管弦楽団やルクセンブルク放送交響楽団の指揮者をつとめた。

78CDR-3686

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

エーリヒ・クライバー指揮
ロンドン交響楽団

英 DECCA AK1824/8(ffrr 録音)
録音:1948年2月24-25日&5月17日(AR 12039)ロンドン、キングズウェイ・ホールエーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者のひとり。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)の父親。プラハ大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を取得し、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後はヨーロッパに戻り、英国デッカの専属となり各地に客演指揮者として活躍した。このシリーズでパリ音楽院管弦楽団を1949年に指揮したチャイコフスキー:交響曲第4番(78CDR-3518)が出ている。

78CDR-3687

 

試聴

パガニーニ:
ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6
魔女たちの踊り
クライスラー:
レシタティーヴォとスケルツォ・カプリス

ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮ラムルー管弦楽団
ルイ・パーシンガー(ピアノ)

録音:1947年12月16日(協奏曲)、12月18日(クライスラー)、1948年(魔女たちの踊り)
仏ポリドール 566.242/4
仏ポリドール 566.307
ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳のときサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1949)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。この録音は大戦後間もなくの1947年にパリで行われた。同じ時に録音されたサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番(33CDR-4330)も出ている。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの指揮者。1935年から1950年まで名門ラムルー管弦楽団の首席をつとめた。録音当時29歳だったリッチをフルサポートしてこの名演奏を実現したのはビゴーの力によるものと思う。

78CDR-3688

 

試聴

エマ・ボワネ/フランス・ピアノ曲集
フォーレ:舟歌第5番嬰ヘ短調作品66
ピエルネ:ワルツ形式のノクターン作品40-2
セヴェラック:日光浴
シャブリエ:ブーレ・ファンタスク、牧歌
ドビュッシー:
音と香りは夕べの大気のなかに漂う(前奏曲集第1集第4曲)

エマ・ボワネ(ピアノ)
EMMA BOYNET, piano

米 RCA VICTOR AM 549-1/10(Set)
録音:1938年1月19&31日
エマ・ボワネ(1891-1971)はパリ音楽院のピアノ科の名教授イジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスで一等賞を得た。ボワネはアメリカに移住し、演奏活動の傍らニューヨークのアメリカン・カレッジ・オブ・ミュージックで教鞭を取った。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はボワネのモーツァルトを聴いて "まるで天使が弾いているようだ" と絶賛し、ボストン交響楽団の演奏会にソリストとして何度も招いて共
演した。

33CDR-3689

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)
ヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調 K.301(293a)
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304(300c)
ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296

ジョージ・セル(ピアノ)
ラファエル・ドルイアン(ヴァイオリン)

米 COLUMBIA MS7064 (ステレオ)
録音:1967年8月1日
ジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時にピアニストとしてウィーン交響楽団の演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。1930年から36年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から46年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者だった。1946年にアメリカ市民となり、46年から70年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位にあった。ヴァイオリンのラファエル・ドルイアン(1922-2002)はロシアのヴォローダ生まれ、幼少の頃両親はキューバのハバナに移住した。ハバナ・フィルハーモニーの指揮者だったアマデオ・ロルダン(1900-1939)に最初の手ほどきを受け、さらにフィラデルフィアのカーティス音楽院でエフレム・ジンバリスト(1899-1985)のもとで研鑽を積んだ。1943年から46年の兵役後、指揮者のアンタル・ドラティ(1906-1988)からダラス交響楽団のコンサートマスターに指名され、1949年ドラティがミネアポリス交響楽団に移ったとき一緒にコンサートマスターとして移籍した。1960年にはジョージ・セルに乞われてクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターになった。このシリーズでシューベルト「大幻想曲」ほか(33CDR-3515)が出ている。

 

ページの先頭に戻る

レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3690

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330(300h)
幻想曲ニ短調 K.397(385g) (4:53)

ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
グラウコ・ダッティーリ(ピアノ)

 

エマ・ボワネ(ピアノ)

米 VOX VLP 6400(U.S.)(モノ)
1949年録音(原盤に起因する音ユレあり)
ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。名教師ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から45年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。ピアノのグラウコ・ダッティーリはローマ生まれ。テノール歌手ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957)が1927年ニューヨークに連れてきて、ファースト・ピアノ四重奏団(1941年設立)のメンバーになり活躍し2007年に死去した。エマ・ボワネ(1891-1971)はパリ音楽院のピアノ科の名教授イジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスで一等賞を得た。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はボワネのモーツァルトを聴いて "まるで天使が弾いているようだ" と絶賛し、ボストン交響楽団の演奏会にソリストとして何度も招いて共演した。ボワネはニューヨークのアメリカン・カレッジ・オブ・ミュージックで教鞭を取った。録音はSP時代米RCAに、初期LP時代には米VOXに残した。

78CDR-3691

 

試聴

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

レジナルド・ケル(クラリネット)
フィルハーモニア弦楽四重奏団
ヘンリー・ホルスト(第1ヴァイオリン)
アーネスト・エレメント(第2ヴァイオリン)
ハーバート・ダウンズ(ヴィオラ)
アンソニー・ピーニ(チェロ)

英 COLUMBIA DX8206/8209
録音:1945年2月5日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオレジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤルフィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年にアメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。このシリーズでベートーヴェン「街の歌」(78CDR-3672)が出ている。フィルハーモニア弦楽四重奏団は1940年代初頭にできたイギリスの団体。リーダーのヘンリー・ホルスト(1899-没年不詳)は1923年から1931年までベルリン・フィルのコンサートマスターをつとめていた。ヴィオラのハーバート・ダウンズ(1909-2004)はポール・ビアードやカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。チェロのアンソニー・ピーニ(1902-1989)はソリストとしても活躍し録音も多くある。

78CDR-3692

 

試聴

モーツァルト:
セレナード第11番変ホ長調 K.375
(2本のオーボエ、2本のクラリネット、2本のホルン、2本のバスーンのための)

ミッチェル・ミラー&アルバート・ゴルツァー(オーボエ)
クラーク・ブロディ&シドニー・パワーズ(クラリネット)
エレン・ストーン&フリップ・パーマー(ホルン)
ハロルド・ゴルツァー&ルイ・マストロコーラ(バスーン)
ナショナル・オーケストラ・アソシエーション同窓会のメンバー
(リチャード・コーン監修)

米 RCA VICTOR 18174/6(Set DM826)
録音:1941年5月27日
オーボエを吹いているミッチェル・ミラー(1911-2010)は後にミッチ・ミラーとしてアメリカのポップス業界を牛耳った大人物。ニューヨーク州ロチェスターに生まれ10代の頃オーボエを習い始め、名門のイーストマン音楽学校に進んだ。1932年に優秀な成績で卒業後オーボエ、イングリッシュ・ホルン奏者として活躍した。これはミッチ・ミラーが30歳の時のもので、演奏家として恐らく最初の録音と思われる。ここに登場する演奏家が所属していたナショナル・オーケストラ・アソシエーションは1930年に創立され、若い演奏家達の "トレーニング・スクール" だった。それは音楽学校を卒業したての若手ミュージシャンを既成のオーケストラに橋渡しをする機関でオーケストラメンバーの人たちが直面する演奏テクニックや音楽解釈上の問題を指導した。音楽監督は1930から1958年までレオン・バージン(1900-1999)、1958年以降はジョン・バーネット(1917-)がつとめた。このシリーズでロジーナ・レヴィーンの演奏するショパン: ピアノ協奏曲第1番(33CDR-3649)が出ている。

78CDR-3693

 

試聴

モーツァルト
弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421(417b)

ハンガリー弦楽四重奏団
ゾルタン・セーケイ(第1ヴァイオリン)
アレクサンドル・モシュコフスキー(第2ヴァイオリン)
デーネシュ・コロムサイ(ヴィオラ)
ヴィルモシュ・パロタイ(チェロ)

英 HMV DB9106/8
録音:1946年5月13-14日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ
ハンガリー弦楽四重奏団は1935年にブダペストで結成され、1970年に解散した。メンバーの在籍期間は次の通り。第1ヴァイオリン:シャードル・ヴェーグ(1935)、ゾルタン・セーケイ(1935-70)。第2ヴァイオリン:ペーテル・セルヴァンスキー(1935)、シャーンドル・ヴェーグ(1935-1940)、アレクサンドル・モシュコフスキー(1940-59)、マイケル・カットナー(1959-70)。ヴィオラ:デーネシュ・コロムサイ(1935-70)。チェロ:ヴィルモシュ・パロタイ(1935-56)、ガブリエル・マジャール(1956-70)。グループは1937年にオランダに移住、1956年にアメリカ国籍をえた。これは第2次世界大戦直後に録音されたもの。リーダーのゾルタン・セーケイ(1903-2001)は名ヴァイオリン奏者イエノ・フバイ(1858-1937)に師事し、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)に作曲を学び、作曲家ベラ・バルトーク(1881-1945)とは少年時代からの友人だった。

33CDR-3694

 

試聴

ラロ:
スペイン交響曲作品21
ノルウェー狂詩曲

ドヴィ・エルリ(ヴァイオリン)
デジレ=エミ-ル・アンゲルブレシュト指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

仏デュクレテ・トムソン 320 C 124(Mono)
1956年10月29-31日パリ、サル=アポロ録音(原盤のキズによるノイズが多数あります。ご容赦ください)
ドヴィ・エルリ(1928-2012)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し1942年に14歳で一等賞を得た。1955年のロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝しソリストとして活動を開始した。1968年にマルセイユ音楽院の教授になり、1973年にはマルセイユ・ゾリステンを設立した。1982年にパリ音楽院教授に就任。1995年以降はエコル・ノルマル音楽院で後進の指導にあたった。2012年2月7日火曜日の朝、音楽院に向かう途中トラックに接触して事故死した。享年83歳。エルリの師ブーシュリの指導についての思い出の書簡が「ヴァイオリンの奥義ジュール・ブーシュリ回想録」マルク・ソリアノ編桑原威夫訳(音楽之友社)の168ページにある。師ブーシュリとドニーズ・ソリアノ、兄弟弟子のセルジュ・ブランと第2次大戦中の1942年に撮った写真も同書213ページにある。指揮者のデジレ=エミ-ル・アンゲルブレシュト(1880-1965)はフランスの指揮者。パリ音楽院では放校処分を受けたが、作曲家ドビュッシー(1862-1918)に認められ「聖セバスチャンの殉教」(1911年初演)の合唱指揮者に起用された。1934年に設立されたフランス国立放送管弦楽団の初代指揮者に就任した。この録音はデュクレテ・トムソン社に残された貴重な記録である。

33CDR-3695

 

試聴はありません

パリのお嬢さん-ジャクリーヌ・フランソワ初期録音集
パリのお嬢さん(1948)
ボレロ(1948)
バラ色の人生(1948)
ラ・メール(1948)
ラ・セーヌ(1948)
パリの夜(1948)
詩人の魂(1950)
三度もありがとう(1950)

ジャクリーヌ・フランソワ/歌
ポール・デュラン楽団
ポール・バロン楽団
ジョー・ボワイエ楽団

米 VOX VL 3010 & VL 3070(モノ)仏 POLYDOR録音1950年発売()内年号は録音年)(原盤のキズによるノイズが多数あります。ご容赦ください)
ジャクリーヌ・フランソワ(1922-2009)はフランスのシャンソン歌手。最初ピアノとソルフェージュ(一種の歌唱訓練)を学んだが歌手になるのが夢だった。作曲家兼バンドリーダーのポール・デュラン(1907-1977)に出会い、フランスPOLYDORに「春なのよ C'est le printemps 」と「春 Printemps」の2曲を録音した。「春なのよ」は20世紀フォックス映画「ステート・フェア」の中で歌われた「It might as well be spring」が原曲で、リチャード・ロジャースのアカデー賞受賞作品。フランソワはこの仏訳をデュランのオーケストレーションで録音した。それはフランソワにとって初レコーディングだったが、いきなりACCディスク大賞に輝いた。続いて1948年制作の映画「パリのスキャンダル」の中で「パリのお嬢さん」と「ボレロ」を歌った。この2曲がフランスだけではなくアメリカでも大ヒットした。「ボレロ」はアメリカで「オール・マイ・ラヴ」としてパティ・ペイジが歌い、ベスト・セラーになった。「マドモワゼル・ド・パリ」はヒット曲を追って同名映画が制作されフランソワが出演した。ここでは懐かしいシャンソンの名曲が聴ける。

78CDR-3696

 

試聴

J.S.バッハ:結婚カンタータ「消えよ、悲しみの影よ」BWV. 202

エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ミッチェル・ミラー(オーボエ)
イェラ・ペッスル(指揮とハープシコード)
シルヴァン・シュルマン(ヴァイオリン)
アラン・シュルマン(チェロ)

米 VICTOR 2075/7
1941年10月10日&11月22日ニューヨーク、RCA VICTOR第2スタジオ録音
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年ハンブルク歌劇場でデビューし、機械式録音の時代から活躍した人気歌手。この録音時シューマンは56歳だった。オーボエのミッチェル・ミラー(1911-2010)はニューヨーク州ロチェスター生まれ。1932年にイーストマン音楽学校を卒業後オーボエ、イングリッシュ・ホルン奏者として活躍し、その後アメリカCOLUMBIAの制作部長として多くの名アーティストを世に送り出した。また自らミッチ・ミラー合唱団を組織しヒット作品を生んだ。指揮とハープシコードのイェラ・ペッスル(1906-1991)はウィーン生まれの女流。1931年アメリカに移住した。ヨーロッパ時代から名声があったがアメリカではトスカニーニやワルターの指揮のもとで演奏したりソロ・リサイタルを多数開いた。またコロンビア大学でも教鞭をとった。ヴァイオリンのシルヴァン・シュルマンとチェロのアラン・シュルマンはスタイヴザント弦楽四重奏団のメンバー。これは日米開戦前夜の録音。

78CDR-3697

 

試聴

ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115

レジナルド・ケル(クラリネット)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

英 HMV DB3383/6
1937年10月10日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
レジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年アメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。このシリーズでベートーヴェン「街の歌」(78CDR-3672)とモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3691)が出ている。ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ(1981-1952)によって組織され1930年代に英HMVに多くの録音を残した。このシリーズでも多数出ている。

78CDR-3698

 

試聴

シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795

エルンスト・ヴォルフ(バリトン&ピアノ)弾き語り

米COLUMBIA 9137/41M & 4196/8M
1937年3月-1938年1月ニューヨーク録音
エルンスト・ヴォルフ(1905-1992)はバリトン歌手、ピアニスト、指揮者のユダヤ系ドイツ人。1937年にアメリカ国籍を得て移住し、ユダヤ系の音楽家マックス・ラインハルト(1873-1943)とクルト・ヴァイル(1900-1950)の後押しで、フランツ・ウェルフェルの戯曲の制作アシスタントとして働いた。ウェルフェルはグスタフ・マーラーの未亡人アルマが三度目に結婚した人物。ヴォルフはニューヨークでユダヤ人音楽家組織の中心人物となり、またピアノの弾き語りでこのシューベルト「美しき水車屋の娘」の他にロベルト・フランツ歌曲集、クララ・シューマン歌曲集、フランツ・リスト歌曲集をアメリカCOLUMBIAの78回転盤に録音を残した。大戦後の1948年ヨーロッパに戻りスイスに定住、後進の指導にあたった。

33CDR-3699

 

試聴

レジナルド・ケル-クラリネット・アンコール集
ヘンデル:リコーダー・ソナタへ長調作品1-11, HWV.369 -
シチリアーナとジーグ(レジナルド・ケル編曲)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタヘ長調 HWV.370-アダージョ
(レジナルド・ケル編曲)
ヘンデル:オーボエ・ソナタヘ長調、HWV.363a-アレグロ(レジナルド・ケル編曲)
コレッリ:ソナタハ長調作品5-9 -ジーグ(レジナルド・ケル編曲)
クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
ドビュッシー:クラリネットとピアノのための小品 L.120
リチャードソン:鳥のさえずり
ゴダール:ジョスランの子守歌(レジナルド・ケル編曲)
ベンジャンミン:ジャマイカン・ルンバ(W.プリムローズ編曲)

レジナルド・ケル(クラリネット)
ブルックス・スミス(ピアノ)

米 DECCA DL 9926(モノ)
1958年録音
レジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年アメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。このシリーズでベートーヴェン「街の歌」(78CDR-3672)とモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3691)とブラームス:クラリネット五重奏曲(78CDR-3697)が出ている。ピアニストのブルックス・スミス(1912-2000)はテキサス州マッコーレン生まれ。ジュリアード音楽院でジョゼフ&ロジーナ・レヴィーンに師事した。1939年に卒業後、伴奏者として進むことを決意、名歌手達や器楽奏者達の伴奏者をつとめた。1954年にヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェツ(1901-1987)の伴奏者となり、1972年ハイフェッツが引退するまでこの大ヴァイオリニストの伴奏者をつとめた。

ページの先頭に戻る


ホーム
ホーム 商品情報 CDリスト ご購入方法 Audioのページ