新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3200〜3249

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3200

 

試聴

J.S.バッハ:
「シャコンヌ」- 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004より

巌本真理(ヴァイオリン)

日本コロムビア G30/1
(1949年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京に生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイス・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成して活躍した。この録音は戦後間もなくの東京音楽学校教授時代のもの。SPレコードのたいへん貴重な記録である。同じ頃ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(日本コロムビア)も録音していた。

78CDR-3201

 

試聴

フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調

アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)

米 COLUMBIA 67928/31(仏 COLUMBIA LFX77/80と同一録音)
(1930年5月8日パリ録音)
※トラック1(第1面)のみ、盤質不良のためノイズ処理を行なっています。
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事したデュボワは1920年にヴュータン賞を得た。ソリストとして活躍し、ピアニストのマルセル・マースとのデュオは評判をとった。1927年にブリュッセルの王立音楽院の教授に就任し、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーとしても活躍した。このシリーズではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1054)が出ている。

78CDR-3202

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」 エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3666/7
(1938年11月7&8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-11948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-90)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーは本シリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集(78CDR-1142-1146分売)が出ている。

78CDR-3203

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)

マジョリー・ヘイワード(ヴァイオリン)
ユナ・ボーン(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE C1247/8
(1925年11月11日&12月10日録音)
女流奏者によるモーツァルト。マジョリー・ヘイワード(1885-1953)はイギリスの女流ヴァイオリニスト、ヴィルトゥオーゾ弦楽四重奏団のリーダー。1920年代に英HIS MASTER'S VOICEにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番、第8番「ラズモフスキー第2番」、第9番「ラズモフスキー第3番」、や二重奏では「クロイツェル・ソナタ」の録音があった。ピアノのユナ・ボーン(1882-1974)はオーストラリアのメルボルン生まれ。第1次世界大戦(1914-1918)中には同郷の大ソプラノ歌手、ネリー・メルバのピアニストをつとめた。この名曲の世界初録音で電気録音最初期のもの。

78CDR-3204

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米 VICTROLA 7487/9(英HIS MASTER'S VOICE DB1527/9 と同一録音)
(1931年5月4日ロンドン録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、その後アメリカに定住した。この録音はブッシュが40歳、ゼルキンが28歳の時のもの。復刻にはノイズの少ないアメリカVICTROLA盤を使用した。ブッシュ&ゼルキンの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番K.377(78CDR-3038)シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。※第1面に強音での音われがややあります

78CDR-3205

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100

トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)
アーサー・レッサー(ピアノ)

米 COLUMBIA 67180/2-D
(1926年1月14-15日録音)
トッシャ・ザイデル(1899-1962)はオデッサ生まれのロシアのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にアメリカ国籍を得た。ジンバリスト(1889-1985)、エルマン(1891-1967)、ハイフェッツ(1899-1987)、ミルスタイン(1904-1992)等と共にヴァイオリンのロシア楽派を築いた。ザイデルはロマンティックな音色と自由なルバートで評判をとった。この録音はザイデルが27歳の時のものである。現在の演奏家からは聴けないロマンティックな味わいが満ちあふれた名演奏。ピアノのアーサー・レッサー(1894-1969)はドイツ系のアメリカのピアニスト。戦後日比谷公会堂でアメリカ駐留軍士官時代に軍服姿でショパンのピアノ協奏曲を日本交響楽団と演奏したこともあった。復刻には米 COLUMBIAのブルーシェラック盤を使用した。

78CDR-3206

 

試聴

シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調 D.408 作品137-3   

イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
アーサー・デ・グリーフ(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE D1398/9
(1927年12月13日ロンドン録音)
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)はイギリスの女流ヴァイオリニスト。1910年17歳の時ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し3年間の滞在中アウアーの最もお気に入りの弟子となった。1913年20歳でロンドンでデビューし、1916年から1919年にかけて北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。このシューベルトは電気録音最初期のもの。ピアノのアーサー・デ・グリーフ(1862-1940)はベルギー生まれのピアニスト。17歳でブリュッセル王立音楽院を卒業後、ワイマールに赴きフランツ・リストに2年間師事した。デ・グリーフはSP時代のHMVに数多くの録音を残した。イゾルデ・メンゲスはバッハの「シャコンヌ」(78CDR-1178)が本シリーズで出ている。

78CDR-3207

 

試聴

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

蘭 PARLOPHONE PXO 1043/4
(1947年5月6日ロンドン)
シモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934年ドイツがナチ政権になった時退団、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中にインドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールドベルクは38歳だった。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。主に声楽家の名伴奏者として録音の数も多かった。

78CDR-3208

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)

ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)
ジャン・アントニエッティ(ピアノ)

DEUTSCHE GRAMMOPHON LV36035/6e
(1952年7月9日録音)(全体に小キズによるノイズ)
ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)はハンガリー生まれの女流ヴァイオリニスト。1934年10歳でブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学、イェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。13歳でデビューしたが、大戦のため活動を中断。1947年ジュネーヴ国際音楽コンクーるに入賞しスイスに居をかまえた。1953年にロンドンにデビューした。この録音はロンドン・デビュー前にドイツ・グラモフォンに入れたもの。この社が開発した長時間収録の78回転SP、VG盤に収録されたもの。ピアノのジャン・アントニエッィはオランダ生まれ。マルツィとの共演の他にハンガリー弦楽四重奏団とシューベルトの「ます」を録音していた。

78CDR-3209

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデツァ:J.ヨアヒム)

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5142/4
(1941年1月6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、世界中で最も優れたモーツァルト演奏家のひとりだった。この録音が行われた当時、フランスはナチ・ドイツの占領下だったが、1941年はモーツァルト没後150年にあたりヨーロッパの各地で記念行事が行われた。この録音もその記念のためのものと思われる。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1926年-32年にはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。この録音はその当時のものである。ティボーのモーツァルトはヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1118)とヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1080)がこのシリーズで出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3210

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:H.レオナール)

カール・フロイント(ヴァイオリン)
ヴァルター・ダヴィッソン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 POLYDOR 15205/09
(1938年3月5&8日ベルリン高等音楽院録音)
戦前の全盛期にあったベルリン・フィルによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でLP、CDを通じて初復刻と思われる。ヴァイオリンのカール・フロイント(1904-)はドイツのヴァイオリニスト。経歴の詳細は不明だが、ドイツ・ポリドールのSPにピアノ・トリオの録音がある。ドイツの女流ヴァイオリニスト、シュザンヌ・ラウテンバッハー(1932-)の師だった。指揮者のヴァルター・ダヴィッソン(1885-1973)はフランクフルト生まれ。フランクフルト音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後母校でヴァイオリンを教えた。その後指揮者として活躍し、1932年にライプツィヒ音楽院の校長に就任した。この録音が行われた1938年は大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がベルリン・フィルの正指揮者の時代だった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏はこのシリーズでチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-1103)が出ている。

78CDR-3211

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)

ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

独 POLYDOR 67888/90
(1942年ドレスデン録音)
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したヴァイオリニスト。1937年のウィーン音楽祭で金賞を受賞した。第2次大戦中のドイツ・ポリドールにSP録音がある。シュタンスケは戦後コンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1916年からドイツ各地のオーケストラで指揮者として活動した。1934年-42年にはドレスデン・フィルの常任指揮者としてこのオーケストランをヨーロッパ有数の楽団に育てあげた。このシリーズではジョコンダ・デ・ヴィトーのヴァイオリンでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)、ヴィルヘルム・ケンプのピアノでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-1153)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-1112)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)が出ている。

78CDR-3212

 

試聴

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47

アニヤ・イグナティウス(ヴァイオリン)
アルマス・ヤルネフェルト指揮
ベルリン市立管弦楽団

独 POLYDOR 68046/49
(1943年ベルリン録音)
アニヤ・イグナティウス(1911-1995)はフィンランドの女流ヴァイオリニスト。1924年-28年までパリ音楽院、1928年-29年にチェコの巨匠シェヴチーク(1852-1934)、1929年-31年にはベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。特にシベリウスのヴァイオリン協奏曲は作曲家自身が高く評価し、この曲のスペシャリストになった。1955年-78年にヘルシンキのシベリウス・アカデミーの教授を務めた。指揮者のアルマス・ヤルネフェルト(1869-1958)はフィンランドの作曲家で指揮者。ヤルネフェルトの「子守歌」の作曲者でもある。この録音は第2次世界大戦後期のもの。

78CDR-3213

 

試聴

J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043

アルテュール・グリュミオー&ジャン・プーニエ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア室内管弦楽団
ボリス・オード(ハープシコード)

蘭 COLUMBIA DX1276/77
(1946年3月27日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルテュール・グリュミオー(1921-1986)はベルギーの名ヴァイオリニスト。3歳から祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、6歳で生地のシャルルロワ音楽院に入った。5年の間にヴァイオリンとピアノで一等賞になり、ブリュッセル王立音楽院でアルフレッド・デュボワ(1898-1944)についてさらに研鑽をつんだ。1939年にアンリ・ヴュータン賞とフランソワ・プリューム賞を受賞、シャルル・ミュンシュ(1891-1955)の指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の指導を受けた。第2次大戦中は英米軍の兵士に慰問活動をした。戦後すぐにEMIのプロデューサー、ワルター・レッグに招かれイギリス・コロンビアに録音した。この演奏はグリュミオーの初協奏曲録音にあたる。ジャン・プーニエ(1907-1968)はインド洋のモーリシャス島にイギリス人の両親のもとに生まれ、2歳の時にイギリスに移住し王立アカデミーで学んだ。ワルター・ジュスキンド(1913-1980)はチェコ出身のイギリスの指揮者。プラハ音楽院でスークやハーバに師事した後、ベルリンでジョージ・セル(1897-1970)のアシスタントになり薫陶を得た。

78CDR-3214

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
(カデンツァ:E.フィッシャー)

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ローランス・コリングウッド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1937年3月5日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。指揮者のローランス・コリングウッド(1887-1982)はイギリスの指揮者。ロンドンのギルドホール音楽学校で学んだ後、オックフォード大学に進んだ。1912年ロシアのペテルブルク音楽院に留学、グラズノフ、チェレプニン等に指導を受けた。1918年イギリスに戻り指揮者として活躍、1931年から1941年サドラーズ・ウェルズ・オペラの首席指揮者、1941年から47年音楽監督を務めた。フィッシャーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。 

78CDR-3215

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61

マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立歌劇場管弦楽団

独 ELECTROLA DB5516/21S
(1939年6月29-30日ドレスデン録音)
マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にワイマール音楽学校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン国立歌劇場のコンサートマスターも務めた。1934年にはピアニストのエリー・ナイ(1882-1968)、チェリストのルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)とピアノ三重奏団を組織した。カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアのグラーツ生まれの大指揮者。グラーツ大学で法律を専攻した法学博士でもある。1917年グラーツ市立歌劇場で指揮者としてデビュー、1921年ブルーノ・ワルター(1876-1962)に招かれバイエルン国立歌劇場の指揮者になった。その後ダルムシュタット、ハンブルクの歌劇場の指揮者を歴任、1934年にフリッツ・ブッシュの後任としてザクセン国立歌劇場の音楽監督に就任、1943年にウィーン国立歌劇場に転出するまでその地位にあった。これは第2次世界大戦勃発三ヵ月前の録音である。当時ベームは45歳だった。第6面のカデンツァが聴き物。

78CDR-3216

 

試聴

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042
コレッリ(ブッシュ編):ソナタヘ長調作品5-10よりプレリュード

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ブッシュ室内合奏団

米 COLUMBIA 11914/6-D(Set M-MM-530)
(1941年10月3日バッハ、1942年 5月27日コレッリ、ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブュッシュと共にアメリカに定住した。この録音はブッシュがアメリカでの最初の録音にあたる。ブッシュの演奏はこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番 K.377(78CDR-3038)、シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。ピアノはいずれもゼルキン。

78CDR-3217

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)

独 TELEFUNKEN E3124/6
(1940年6月15日ベルリン録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はソリストとしてドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授も務めた。この録音は1940年ドイツ・テレフンケン社への録音。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院の教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。彼は1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプは本シリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮チューリッヒ・トンハレ管弦楽団、1947年録音)(78CDR-1123)が出ている。

78CDR-3218

 

試聴

ブラームス:ホルン三重奏曲変ホ長調作品40

オーブリー・ブレイン(ホルン)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米 VICTOR 17112/5 (英 HIS MASTER'S VOICE DB2105/8と同一録音)
(1933年11月13日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀の前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親にあたる。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年、新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルン教え始めた。ずっと後になるが、生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。このブラームスは3人の名人によるブラームスの濃厚なロマンティシズムが表出した名演奏。

78CDR-3219

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
(カデンツァ:C.H.ライネッケ)

ブルーノ・ワルター(ピアノと指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

米VICTOR 12151/4, 英HIS MASTER'S VOICE DB3273/6 と同一録音
(1937年5月7日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音は1937年ウィーン・フィルを指揮して自らピアノを弾いた録音。ダイレクト・トランスファーによってムジークフェライン大ホールの美しい響きがワルターのピアノとオーケストラの音色を引き立てているのがよく聴き取れる。録音時ワルターは61歳だった。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3220

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:J.ヨアヒム)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108 第2楽章

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
ハレ管弦楽団(協奏曲)
クルト・リュールザイツ(ピアノ)(ソナタ)

米COLUMBIA 67608/12D, 英COLUMBIA L2265/9と同一録音
(1928年12月3&5日協奏曲、1927年7月1日ソナタ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。1905年13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。ブラームスのヴァイオリン協奏曲をシゲティは生涯3回録音しているが、これはその第1回目のもので、36歳のシゲティの初の協奏曲録音だった。

78CDR-3221

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番ヘ長調作品5-1

パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)

米VICTOR 18288/90, 英HIS MASTER'S VOICE DB3908/10と同一録音
(1939年6月19&20日パリ、アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ,ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリでデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から行いバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から4曲、G線上のアリアほか小品を18面録音した。ピアノのミエチスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド出身のピアニスト。99歳までステージで演奏した伝説的なピアニスト。カザルスの第1回目のベートヴェン:チェロ・ソナタ全集では第3番以外のピアニストを務めた。このシリーズでは1936年録音のカザルスとのブラームス:チェロ・ソナタ第2番(78CDR-1084)が出ている。

78CDR-3222

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米VICTOR 8351/3, 英HIS MASTER'S VOICE DB1970/2 と同一録音
(1933年5月17日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが, ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもアメリカに渡り1939年に定住した。

78CDR-3223

 

試聴

ショパン:4つのバラード アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米VICTOR 16538/41, 英HIS MASTER'S VOICE DB2023/6 と同一録音
(1933年7月6-7日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院にルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの4つのバラードを2回録音していて、これは2回目の録音。

78CDR-3224

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012

パブロ・カザルス(チェロ)

英HIS MASTER'S VOICE DB8590/97
(1938年6月2-4日パリ,アルベール・スタジオ録音)
レコード史上の金字塔、カザルスのJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲ダイレクト・トランスファー・シリーズで完成。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー, 1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。

78CDR-3225

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)

日本コロムビア J7825/6(英COLUMBIA LX127/8と同一録音)
(1931年2月3日ロンドン録音)
定評のあるシゲティのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの全曲録音の原点にあたる演奏。録音時シゲティは39歳だった。ハンガリー生まれのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。シゲティはSPレコードにこのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番と第2番(78CDR-3041)の2曲を録音し、いずれもこの名曲の全曲初録音であった。

78CDR-3226

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)

伊DISCO GRAMMOFONO DB1422/4
(1929年11月8日ベルリン録音)
この曲の世界初録音。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年ベルリン高等音楽院の教授になった。その頃弦楽四重奏団を組織している。ブッシュは電気録音以前のラッパ吹き込み時代にドイツのポリドールにソロと弦楽四重奏の録音を残していた。さらに電気録音時代になってベートーヴェンの弦楽四重奏曲やソナタをHMVに録音した。このバッハのパルティータ第2番は世界初録音。録音時ブッシュは38歳だった。第2次世界大戦直前にアメリカに渡った。ダイレクト・トランスファー・シリーズではブッシュの名演奏を多数発売している。

78CDR-3227

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)

英HIS MASTER'S VOICE DB1368/70
(1929年11月13日ロンドン、クイーンズ・ホール第3スタジオ"C"録音)
※第4面(トラック4)に大きなキズ音が7回入ります。ご了承下さい。
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け7歳でサンフランシスコ交響楽団との共演でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。神童メニューインが13歳でバッハの無伴奏に取り組んだ記念すべきこの曲の世界初レコード。15歳年長の師アドルフ・ブッシュがパルティータ第2番(78CDR-3226)をベルリンで録音した5日後のもの。メニューインは同曲を5年後の1934年にパリで2回目の録音(HMV DB2284/86)をしている。

78CDR-3228

 

試聴

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英COLUMBIA LX329/30
(1934年6月13日ウィーン録音)
20世紀前半の巨匠フーベルマンはバッハを弾いても個性豊かなスタイルを保っていた。ヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏家ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれ。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリンにデビューし、1895年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて作曲者を唸らせた。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置いていたが、ナチスの台頭後パレスチナに移り、ドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。このダイレクト・トランスファー・シリーズには全盛期のフーベルマンの演奏が多数出ている。

78CDR-3229

 

試聴

J.S.バッハ=ブゾーニ編:シャコンヌ
(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004より)

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB21005/6
(1948年10月27日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)はイタリアの大ピアニスト。1939年ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、審査員長のアルフレッド・コルトー(1877-1962)は「リストの再来」と賞賛したと伝えられる。この「シャコンヌ」はミケランジェリが第2次世界大戦後楽壇に飛躍するきっかけになった
記念すべきスタジオ録音。この名ピアニストの20代の演奏がきける。ダイレクト・トランスファーで演奏の細部が浮き彫りにされている。本シリーズでは他に録音時22歳のイヴォンヌ・ロリオによるバッハ=ブゾーニ編:シャコンヌ(78CDR-3186)が出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3230

 

試聴

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041

イヴォンヌ・アストリュック(ヴァイリン)
ギュスタヴ・ブレー指揮
弦楽合奏団

英 DECCA CA8225/6(仏POLYDOR 516 636/7 と同一録音)
(1935年パリ録音)
イヴォンヌ・アストリュックは1889年に生まれたフランスの女流ヴァイオリニスト。ダリユス・ミヨー(1892-1974)の「春のコンチェルティーノ」(1934)は作
曲者ミヨーの指揮、アストリュックのヴァイオリン演奏のSP録音で有名になった。ピアニストのマルセル・シャンピ(1891-1980)夫人で、仏COLUMBIAのSPにグリーグ・ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45を夫妻で録音している。映画監督で医師のイヴ・シャンピ(1921-1982)は息子にあたる。指揮者のギュスタヴ・ブレーは1875年生まれのオルガニスト。パリ音楽院でウィドールに師事、スコラ・カントルムでダンディーに学んだ。サンシュルピス寺院のオルガニストを務め、パリ・バッハ協会の設立者でもあった。

78CDR-3231

 

試聴

ベートーヴェン:
セレナーデ ニ長調作品25(フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのための)

マルセル・モイーズ(フルート)
マルセル・ダリュー(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)

米 DECCA 25592/3(英 DECCA K582/3 と同一録音)
(1931年頃録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1905年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院教授をつとめ、SP時代からレコード録音も多い。ヴァイオリンのマルセル・ダリューは1895年生まれ。パリの選りすぐりの音楽家を集めて組織されたストララム管弦楽団のコンサート・マスターとして活躍した。ストラヴィンスキーが自ら指揮した「兵士の物語」のSP録音にも参加していた。ピエール・パスキエはパスキエ三兄弟で組織した弦楽三重奏団のヴィオラ奏者で彼もまたストララム管弦楽団のメンバーだった。英デッカ・レーベルの黎明期の録音である。モイーズのフルートはドビュッシー: フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3232

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調作品102-1

ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB9555/6
(1947年6月ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番(78CDR-1171)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3233

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100

アドルフ・ブッシュ(ヴァイリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1805/6
(1932年ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1912年20歳の時にウィーンのコンツェルトフェライン(後のウィーン交響楽団)ソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年ベルリン高等音楽院の教授になった。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキンとデュオを組んで活躍した。ゼルキンは1936年ブッシュの娘イレーネと結婚したが、ナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。ブッシュも第2次世界大戦直前にアメリカに渡った。ブッシュ=ゼルキンの顔合わせでブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3204)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3222)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番K.377(78CDR-3038)、シューベルト幻想曲ハ長調(78CDR-1172)、ブッシュのソロでバッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3226)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3234

 

試聴

ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115

チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団

米 COLUMBIA 67613/7-D (英 COLUMBIA L2228/32と同一録音)
(1928年11月7&10日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された、全員がブダペスト音楽院出身。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し、2年間田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年ウィーンにデビュー、そこに居合わせたラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招いた。パリ公演は大成功を収め、その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。クラリネットのチャールズ・ドゥレイパー(1869-1952)はイギリスのサマーセットシャー生まれ。ロイヤル・アカデミーやギルドホール音楽校の教授を務め、イギリスのクラリネット界の祖父として尊敬された。ブラームスがこの曲を捧げたミュールフェルトの伝統を継ぐ奏者と言われていた。このシリーズではレナーとドゥレイパーの組み合わせでモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)も出ている。

78CDR-3235

 

試聴

J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
フランセス・マグネス(ヴァイオリン)

ブッシュ室内合奏団
米 COLUMBIA 71676/7-D
(1945年4月26日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキンと(1903-1991)デュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したがゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュも実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音はブッシュのアメリカ時代のもの。第2次世界大戦末期のニューヨークで行われた。第2ヴァイオリンを弾く女流のフランセス・マグネスの経歴は不詳。LP初期のバルトークレコードやエソテリックレコードに現代音楽の録音があった。

78CDR-3236

 

試聴

コレッリ=レオナール編:ラ・フォリア
J.S.バッハ:ブーレ
(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調BWV1002 より)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)

米 COLUMBIA 71187/8-D
(1940年6月5日=コレッリ & 1941 年3月21日=J.S.バッハ、ニューヨーク録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したシゲティの重要録音が多数出ている。

78CDR-3237

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調 K.450

エリー・ナイ(ピアノ)
ウィレム・ファン・ホーフストラーテン指揮
室内管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB8071/3
(1935年10月ベルリン録音)
エリー・ナイ(1882-1968)はドイツの女流ピアニスト。初録音は1906年にウェルテ・ミニョン社のピアノロール。ウィーンでレシェティツキーやフォン・ザウアーの薫陶を得た。1911年にオランダの指揮者ウィレム・ファン・ホーフストラーテン(1884-1964)と結婚。1921年から夫君とニューヨークに暮らす。だが1927年に離婚。ドイツに戻りヒトラー政権下で演奏活動を続けた。戦後の名誉回復後も精力的な演奏活動を続けた。この録音は夫君だったホーフストラーテンとの初録音で、且つこの名曲の世界初録音でもあった。ホーフストラーテンは1923年から1925年ニューヨーク・フィルの首席指揮者を務め、1925年にオレゴン交響楽団に移った。さらに1935年から1945年にザルツブルグ・モーツァルテウムの指揮者を努めた。

78CDR-3238

 

試聴

J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ長調 BWV1016

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ユーディ・メニューイン(ヴァイリン)

米 VICTOR 11-9052/4
(1944年12月28日ニューヨーク、RCA 第1スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者、ピアニスト、音楽学者。パリのプレイエル社に二列の鍵盤と七個のペダルを持つ自分のハープシコードを作らせ生涯この楽器を使用した。1940年にフランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によってアメリカに逃れた。パリに残したハープシコードはアメリカ軍によって戦後彼女の元に届けられた。ランドフスカはJ.S.バッハの演奏に特に造詣が深く、「平均律クラヴィーア曲集」、「ゴルトベルク変奏曲」の大作を録音していた。ユーディ・メニューイン(1916-1999)は神童としてデビューし、12歳でレコード初録音。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)やアドルフ・ブッシュ(1891-1952)にも師事した。これは第2次大戦末期のアメリカ録音。

78CDR-3239

 

試聴

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」

シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA AK1968/73
(1948年 5月22-23日パリ,サル・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ (1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター (1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。この録音はデッカ社の録音クルーがパリに赴いてのもの。オーケストラの各パートに音楽院の教授達の名人芸が聴こえる。コンデンサー・マイクロフォン独特の高域の輝きがffrrの特長である。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164) が出ている。

ページの先頭に戻る

 

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3240

 

試聴

ニールセン:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品9

エミール・テルマニー(ヴァイオリン)
クリスチャン・クリスチャンセン(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB2732/4
(1935年10月13日録音)
カール・ニールセン (1865-1931)は北欧デンマークを代表する作曲家。これは1895年の作品。ヴィオリンのエミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住し、ニールセンの娘婿となった。テルマニーの美音は一度聴くと忘れられない魅力がある。このシリーズでメンデルスーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3087) が出ている。

78CDR-3241

 

試聴

ヴィターリ(レスピーギ編):シャコンヌ ト短調

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アルベルト・エレーデ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ハーバート・ドーソン(オルガン)

英 HIS MASTER'S VOICE DB6936/7 
(1948年5月14 & 29日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
レスピーギ(1879-1936)によるオルガン入りの壮麗なオーケストレーション。ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアの女流奏者。11歳でペサロ音楽院に入り、レミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイリン・コンクールで一等賞をとった。1935年イタリアPARLOPHONEにJ.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番(アリーゴ・タッシナーリ/fl,カルロ・ゼッキ/pf,プレヴィターリ/cond.) と共にを録音したのが初レコーディング。1941年にはベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲をドイツPOLYDORに録音(78CDR-1174) した。第2次世界大戦後の1948年ロンドンにデビューしEMIのアーティストになり、SPレコードと初期のLPに優れた録音を残した。指揮者のアルベルト・エレーデ(1909-2001)はイタリアのジェノア生まれ。ミラノで学んだ後スイスでワインガルトナー、ドレスデンでフリッツ・ブッシュのアシスタントをつとめた。戦後ロンドンのニュー・ロンドン・オペラ団の指揮者になり、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも指揮をした。1968年バイロイトで「ローエングリン」を指揮した。トスカニーニ以来バイロイトに登場した二人目のイタリア人指揮者だった。

78CDR-3242

 

試聴

シューマン:ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47

ホルテンス・モナート(ピアノ)
コーリッシュ弦楽四重奏団のメンバー:
ルドルフ・コーリッシュ(ヴァイオリン)
オイゲン・レーネル(ヴィオラ)
ベナール・ハイフェッツ(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3642/4 (米 VICTOR 14816/8 と同一録音)
(1937年11月26日録音)
ホルテンス・モナート(1905-1955)はアメリカ生まれの女流ピアニスト。アルトゥール・シュナーベルに師事し、トスカニーニ指揮NBC交響楽団のソリストに迎えられた最初の女性ピアニストだった。コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の音楽を演奏するためにルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に組織された。シェーンベルグの指導を受けた後、現代音楽だけでなく古典音楽にも目を向けた。ナチスに追われてアメリカに移住し活動を続けたが1942年に解散した。このシリーズにはモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 K.589「プロシャ王第2番(78CDR-3197)が出ている。これは聴く者の心をを幸せにしてくれる名曲の名演奏である。

78CDR-3243

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ: J.ヨアヒム)
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ第12番ト長調作品2よりアリア
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)  

ブッシュ室内管弦楽団

米 COLUMBIA 71749/52-D
(1945年 4月30日=モーツァルト, 5月 3日=タルティーニ, ニューヨーク)
アドルフ・ブッシュ (1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン (1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音は第2次世界大戦最末期の録音。ブッシュの協奏曲はJ.S.バッハ: ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV.1042(78CDR-3216),二つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-3235) が出ている。

78CDR-3244

 

試聴

アーン:
ヴァイオリン・ソナタ ハ長調
ロマンス イ長調

ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
ドニーズ・ステルンベルグ(ピアノ)(ヴァイオリン・ソナタ)
E.ロワゾー(ピアノ)(ロマンス)

仏 PATHE PDT183/4(ヴァイオリン・ソナタ)
仏 PATHE PAT54(ロマンス)
(1948年4月15日パリ,アルベール・スタジオ録音)(ヴァイオリン・ソナタ)
(1936年5月22日パリ,アルベール・スタジオ録音)(ロマンス)
(お詫び:全体にキズ及び録音の不具合により聴き難い箇所があります)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院のヴァイオリン科教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事した女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-1135)がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとして活動すると同時に師のブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚した。ブーシュリはレナルド・アーン(1875-1947)と親交があり、このソナタを弟子のソリアノに弾かせて作曲者を喜ばせたと、その回想録にある。ジャック・ティボー(1880-1953)はソリアノを「今は亡きジネット・ヌヴーの後継者たる唯一無二の名ヴァイオリニスト」と絶賛した(マルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)に収録された「ソリアノ追悼記」にある)。このシリーズでドニーズ・ソリアノの録音のほとんどが出ている。トラック5の冒頭にソリアノと思われる声が聞こえる。

78CDR-3245

 

試聴

アーン:
ピアノのためのソナチネ ハ長調
ピアノ協奏曲第1番ホ長調

マグダ・タリアフェロ(ピアノ)(ピアノ=ガヴォー)
レナルド・アーン指揮
管弦楽団

仏 PATHE PAT61(ソナチネ)、PAT86/8(協奏曲)
(1936年7月8日録音)(ソナチネ)、(1937年5月10-11日録音)(協奏曲)
ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ、両親はフランス人。1906年にパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。タリアフェロはSPレコード時代から多くの録音をしているが、この協奏曲はまぎれもなく彼女の最高傑作。作曲者で指揮をしているレナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカス生まれ、3歳の時にパリに移住した。6歳の時に神童として、ナポレオン3世の従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノでのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦を得て10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、パリ・オペラ座の指揮者として活躍、ザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。また作曲家として声楽曲の作品が多数あるが、親交のあった音楽家のために作曲した器楽作品もある。タリアフェロとアーンの顔合わせでモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(78CDR-3039)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3246

 

試聴

ショパン:
(1)エチュード第11番イ短調作品25-11 「木枯らし」
シューマン=ドビュッシ-編:
(2)噴水のほとりで
ショパン:
(3)エチュード第11番イ短調作品25-11 「木枯らし」WLX516-1のメタル原盤

フランシス・プランテ(ピアノ)(ピアノ=エラール)

仏 COLUMBIA D15089
(1928年7月3-4日フランス、ランド県モン=ド=マルサン録音)
フランシス・プランテ(1839-1934)はフランスの超人かつ伝説的なピアニスト。パリ音楽院のアントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(1816-1898)教授のクラスで一等賞を得た。この録音はプランテが89歳の時にフランス・コロンビアに録音した9枚のSPレコードの中の一枚。プランテは95歳で死去するまで、毎日未明の早朝からピアノに向かい、それが終わった後に市長の公務についたと伝えられる。この録音はモン=ド=マルサン市から依頼された慈善演奏会にスケジュールの都合がつかないので、代わりにこの録音の報酬を市に寄付するという代案を受け入れて実現したという。トラック(3)はSPレコードの金属原盤からのダイレクト・トランスファーを収録した。プランテについてはマルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)に愉快な逸話が載っている。プランテはフランスの画家ポール・セザンヌ(1839-1906)、詩人のシュリ=プリュドム(1839-1881)、また幕末の志士、高杉晋作(1839=天保10年-1867=慶応3年)と同年の生まれ。ベルリオーズ(1803-1869)、シューマン(1810-1856)、リスト(1811-1886)、ワーグナー(1813-1883)、ブラームス(1833-1897)達と同時代に生きた人物で、19世紀の大演奏家の音が電気録音による録音で残されたのは奇跡と言える。

78CDR-3247

 

試聴

マルグリット・ロンSP録音集
ショパン:即興曲第2番嬰ヘ長調作品36
ドビュッシー:雨の庭(版画より)
ドビュッシー:レントよりおそく
フォーレ:夜想曲第4番変ホ長調作品36
フォーレ:舟歌第6番変ホ長調作品70

マルグリット・ロン(ピアノ)(ピアノ=プレイエル)

仏 COLUMBIA LFX 513(ショパン), LFX24(ドビュッシー),
LFX 567(フォーレ)
(1936年7月23日&1937年4月18日録音)(ショパン)
(1929年11月12日&11月6日録音)(ドビュッシー)
(1937年5月19日録音)(フォーレ)
マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、マルモンテル(1816-1898)教授のもとでさらに研鑽をつみ、1893年にサル・プレイエルでデビューした。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。ロンの弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイヤン(1907-1982)、ジャック・フェヴリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ・シュワイツァー(1925-)らがいる。これはロンのSP時代のソロ録音の一部だが、偉大な演奏家の真の姿をとらえた録音である。ロンはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 K.488(78CDR-3023)、ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(78CDR-3075)、ショパン:ピアノ協奏曲第2番作品21(78CDR-3092)が出ている。

78CDR-3248

 

試聴

J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノと指揮)
ロジェ・コルテ(フルート)
パリ・エコール・ノルマル室内管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB1783/4
(1932年5月16-17日パリ、サル・ショパン録音)
アルフレッド・コルトー(1977-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀最高のフランスのヴァイオリニスト。1893年14歳でパリ音楽院に入りマルシック教授(1848-1924)に師事した。後にパリ音楽院教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)とは音楽院時代からの盟友で、コロンヌ管弦楽団のリーダーを交代でつとめていたこともあった(マルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)。ティボーとコルトーはこのシリーズで多数出ている。

78CDR-3249

 

試聴

ピエルネ:室内ソナタ作品48

ガブリエル・ピエルネ(ピアノ)
マルセル・モイーズ(フルート)
M.ロペス(チェロ)

英 COLUMBIA 5275/7(仏 COLUMBIA D13063/5と同一録音)
(1928年6月11日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)は1871年にパリ音楽院に入り、アントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(1816-1898)にピアノを、ジュール・マスネ(1842-1912)に作曲を、セザール・フランク(1822-1890)にオルガンを学んだ。各部門で一等賞を得た後、1882年のローマ賞を受賞した。1891年からフランクの後を継いでパリの聖クロティルド教会のオルガニストになり、1903年からコロンヌ管弦楽団の指揮者となり、1910年から34年まで正指揮者をつとめた。フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴベール(1879-1941)らに師事し1905年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。モイーズはこのシリーズでドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェン:セレナーデ作品25(78CDR-3231)が出ている。

ページの先頭に戻る


ホーム
ホーム 商品情報 CDリスト ご購入方法 Audioのページ