新 忠篤氏 復刻

3750〜

78CDR-3750〜3759
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3750

ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」

シュトループ弦楽四重奏団
マックス・シュトループ(第1ヴァイオリン)
ヘルマン・フーブル(第2ヴァイオリン)
ヘルマン・ヒルシュフェルダー(ヴィオラ)
ハンス・ミュンヒ=ホーラント(チェロ)

独 ELECTROLA DB5599/5602S
1940年秋録音
マックス・シュトループ(1900-1968)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサートマスターに就任。1924年から1928年ワイマール音楽学校のヴァイオリン科教授をつとめ、1928年から1934年までベルリン国立歌劇場のコンサートマスターもつとめた。大戦後の1947年からはデトモルト音楽アカデミーでヴァイオリンと室内楽の指導にあたった。シュトループは1936年第一次シュトループ弦楽四重奏団を組織したがその後メンバーが替わり1940年代に入ってこのメンバーになり戦後まで活動を続けた。シュトループはこのシリーズでカール・ベーム指揮のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3215)が出ている。

78CDR-3751

ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン大交響楽団

英 Parlophone R1537/40(独 Odeon O-11848/51 と同一録音)
1933年4月ベルリン録音
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近いウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。これはドイツOdeonへのスタジオ録音。これはこの名曲の初の全曲録音だった。クナッパーツブッシュはこのシリーズでハイドン:交響曲第94番「驚愕」(78CDR-3401)、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(78CDR-3102)、ベートーヴェン:交響曲第7番(78CDR-3374)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3752

ハイドン:交響曲第104番ニ長調「ロンドン」

エトヴィン・フィッシャー指揮
フィッシャー室内管弦楽団

英 HMV DB4615/7
1938年4月11日ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、ハッハの「平均律クイラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の演奏ではピアノを弾きながら指揮をする「弾き振り」を現代に復活した。これはフィッシャーが指揮者に専念した唯一のもので大変貴重。この録音の4年後、第2次世界大戦下のウィーンでフィッシャーはハイドンのピアノ協奏曲ニ長調をウィーン・フィルと弾き振りで録音した(78CDR-3129)。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3753

ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1837/41
1926年10月29日&1927年3月2日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルの成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。これはその中の一曲。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3754

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調 作品81

オルガ・レーザー=レーベルト(ピアノ)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX150/53
1930年10月1-2日ロンドン録音
ピアニストのオルガ・レーザー=レーベルト夫人とレナー弦楽四重奏団はピアノ五重奏曲の録音を4曲残している。1番目は1923年11月8日にラッパ吹き込みでフランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調 - 第2楽章(英COLUMBIA L1620)、2番目が1927年3月4日に録音されたブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34(英COLUMBIA L2040/4)、3番目が1930年10月1-日録音のこのドヴォルザーク、4番目が1933年3月9&13日録音のシューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44(英COLUMBIA LX266/9)である。このピアニストの経歴は不詳だが、この名四重奏団と完全に同化した演奏は見事。また不思議なことにソロのレコーディングは残っていない。レナー弦楽四重奏団は1922年にロンドン・デビュー。すぐにイギリスCOLUMBIAの専属アーティストとなり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲録音を1938年に完成させた。また売り上げは合計100万枚を記録した。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3755

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

ジャンヌ・ゴーティエ(ヴァイオリン)
イヴォンヌ・ルフェビュール(ピアノ)

仏 LE CHANT DU MONDE LDY-8115(17cmLP)
1950年4月11日パリ録音
ジャンヌ・ゴーティエ(1898-1974)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ郊外のアニエール生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスで学び1914年に一等賞を得た。1915年から第一線で演奏活動を始めた。第2次大戦中はオーストラリアに居住し、1942年から1944年までメルボルン大学で教鞭を取った。大戦後フランスに戻り、1952年からチェロのアンドレ・レヴィ(1894-1982)、ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)とフランス三重奏団を結成。1962年から1968年までパリ音楽院教授を務めた。イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)はフランスの女流ピアニスト。パリ音楽院に学び12歳で一等賞を得た。1924年エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1877-1962)の助手をつとめ、後にパリ音楽院の教授に就任した。弟子にディヌ・リパッティ(1917-1950)がいる。1965年サン・ジェルマン音楽祭を創設した。レコード録音は少ないが、フランスの大物ピアニスト。これは彼女の数少ないスタジオ録音。復刻にはWESTREX 10Aカートリッジ(MONO接続)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3756

ラヴェル:ピアノ三重奏曲イ短調

アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
マドレーヌ・マルセリ=エルソン(チェロ)
エリアーヌ・ズルフル=タンロック(ピアノ)

米 VICTROLA 11243/5(仏 Disque Gramophone DB4803/5 と同一録音)
1931年3月12-13日パリ録音
ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)はパリ生まれ。パリ音楽院でギヨーム・レミに師事し1914年に一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者を務めた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターを務め、後に音楽院の教授になった。ピアノのエリアーヌ・ズルフル=タンロックは1900年生まれ。このシリーズでフォーレ:ピアノ四重奏曲(78CDR-3441)が出ている。チェロのマドレーヌ・マルセリ=エルソンはSPレコード時代小品の録音がいくつか発売されていた。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3757

ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調

レナー弦楽四重奏団
イェネ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX270/3
1933年2月27日& 3月2日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェネ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェネ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。これは作曲者ラヴェルが存命中の録音。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3758

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集-1
協奏曲第2番ヘ長調 BWV.1047
協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
協奏曲第4番ト長調 BWV.1049
シチリアーノ(ラルゴ)BWV.1031

BWV.1047
ジョージ・エスクデール(tp), マルセル・モイーズ(fl)
イヴリン・ロスウェル(ob), アドルフ・ブッシュ(vn)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
1935年10月13日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
BWV.1046
アドルフ・ブッシュ(vn), イヴリン・ロスウェル(ob)
オーブリー・ブレイン(horn-1), フランシス・ブラッドレー(horn-2)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
1935年10月17日、ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
BWV.1049
アドルフ・ブッシュ(vn), マルセル・モイーズ(fl-1), ルイ・モイーズ(fl-2)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
1935年10月15日録音
BWV.1031
アドルフ・ブッシュ(vn), ルドルフ・ゼルキン(pf)
1935年11月18日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音

COLUMBIA LX-8197/8203 automatic couplings same as LX436/442(U.K.)
豪華なソリストを迎えたバッハの名曲。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。ジョージ・エスクデール(1897-1969)は英国のトランペット奏者。SPレコードにハイドンのトランペット協奏曲(第2と第3楽章のみ)の名録音があった。マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。第2フルートのルイ・モイーズ(1912-2007)はマルセルの息子。ピアニストでもあった。イヴリン・ロスウェル(1911-2008)は英国のオーボエ奏者で名指揮者サー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)夫人(1939年結婚)となった。この録音は24歳の時のもの。当時オーケストラではハープ奏者を除いてすべて男性だった時代で女性楽員は珍しかった。オーブリー・ブレイン(1893-1955)は名ホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)の父親。第2ホルンのフランシス・ブラッドレーはオーブリー・ブレインの師アドルフ・ブルスドルフの息子。イングリッシ・ナショナル・オペラのホルン奏者をつとめ1975年に引退した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3759

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集-2
協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
協奏曲第6番変ロ長調 BWV.1051
協奏曲第3番ト長調 BWV.1048

BWV.1050
マルセル・モイーズ(fl), アドルフ・ブッシュ(vn), ルドルフ・ゼルキン(pf)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
1935年10月9&15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
BWV.1051
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
1935年10月14-15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
BWV.1048
アドルフ・ブッシュ指揮ブッシュ室内合奏団
1935年10月10日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音

COLUMBIA LX-8204/8210 automatic couplings same as LX443/449(U.K.)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(後のウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年にはベルリン高等音楽院教授になった。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活動した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住した。マルセル・モイーズはフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席奏者もつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

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78CDR-3760〜3769
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3760

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23

コスチャ・コンスタンチィノフ(ピアノ)
シャルル・ミュシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX595/8
1941年4月17-21日パリ録音
コスチャ・コンスタンチィノフ(1903-1947)はオデッサ生まれのロシア人ピアニスト、作曲家、指揮者。1947年5月30日、43歳の時航空機事故で死去した。18歳の時トルコのコンスタンチノープル、ベルリンを経てパリに定住した。数々の音楽活動後1941年にピアニストとしてこの録音でレコード・デビューした。大戦下ではパリで指揮活動を続けた。指揮のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年から45年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命されされた。大戦後の1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3761

モーツァルト:
交響曲第39番変ホ長調 K.543

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

米 DECCA 25007/9(独 Odeon O-6735/7 と同一録音)
1929年10月1日ベルリン録音
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近いウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。この録音は電気録音初期のもので、おそらくクナッパーツブッシュの初の交響曲録音と思われる。このシリーズで同時期の録音のベートーヴェン:交響曲第7番(78CDR-3374)、1933年録音のハイドン:交響曲第100番「軍隊」(78CDR-3751)、1941年録音のハイドン:交響曲第94番「驚愕」(78CDR-3401)、大戦中の1943年録音のベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(78CDR-3102)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3762

ハイドン:
交響曲第92番ト長調「オックスフォード」

ブルーノ・ワルター指揮
パリ音楽院管弦楽団

米 RCA VICTOR 12974/6 (英 HMV DB3559/61と同一録音)
1938年5月7日パリ録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれの大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルグ歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーを指揮した。1938年オーストリアがナチスドイツに併合されると、迫害を避けてフランスを経由してアメリカに逃れた。この録音はその途中に立ち寄ったパリでの録音。この翌年パリでベルリオーズ:幻想交響曲(HMV DB3852/7)も録音していた。耳を澄ますとこのオーケストラの木管・金管セクションの妙技が鮮やかに聞こえてくる。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3763

ベートーヴェン:
交響曲第7番イ長調作品92

フェリックス・ワインガルトナー指揮
ロンドン交響楽団

英 COLUMBIA L1480/84 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源
1923年6月1日ロンドン録音
フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリア生まれの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。最初作曲家を志したが生活の安定を求め指揮者に転じた。1885年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。1937年夫人のカルメン・テューダーと来日し夫妻で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と共演した。この録音は機械式録音時代のもの。ワインガルトナーの交響曲録音の最初だった。この録音についてあらえびす(1882-1963)は大正13年(1924年)7月6-7日の報知新聞に電気録音以前のベートーヴェンの九つの交響曲を総括している中で、この7番を「ベートーヴェンの交響曲中こんなによくレコードに入ったのはありません」と吹き込みの良さを誉めていた(野村あらえびす「音楽は愉し」音楽之友社)。その後ベートーヴェン:交響曲第8番(英 COLUMBIA L1538/41)、モーツァルト:交響曲第39番(英 COLUMBIA L1569/72)、ブラームス:交響曲第1番(英COLUMBIAL1596/1600)、ベートーヴェン:交響曲第5番(英 COLUMBIA L1640/43)が機械式録音で発売されていた。そして本シリーズの78CDR-3708ベルリオーズ幻想交響曲(1925年10-11月録音)はワインガルトナー初の電気式録音だった。いずれもロンドン交響楽団。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3764

ベルリオーズ:幻想交響曲作品14

ブルーノ・ワルター指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 HMV DB3852/7
1939年5月19日パリ録音
大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962)は1938年ナチスのオーストリア併合による迫害を避けてフランスを経由してアメリカに逃れた。この「幻想交響曲」はワルターのヨーロッパ最後の録音で、以降LP時代になっても再録音はなかった。パリ音楽院管弦楽団は木管や金管楽器のソロに独特の輝きがありワルターがこのオーケストラと「幻想交響曲」を録音したことが納得できる。SP時代このレコードの日本での発売権はコロムビア・レコードにあったが、原盤が間違ってビクターに送られてきたため、ビクターが発売してしまった事件があった。日本コロムビアはEMI社とレコード製造特許の開放と引き換えにワルターとフルトヴェングラーのEMI録音の日本販売権を得ていた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3765

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ハイドン:交響曲第88番ト長調 - 第4楽章

セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA DB2338/42(英 HMV DB2338/42と同一録音)
1934年9月3&4日ロンドン、アビーロード、EMI 第1スタジオ録音セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はロシア生まれのユダヤ系指揮者。モスクワ音楽院で学んだ後、名コントラバス奏者として活躍を始めた。1920年ロシア革命後のポリシェヴィキ政権を嫌ってパリに移住、1924年にボストン交響楽団の常任指揮者に任命されアメリカに移住し、1949年までつとめこのオーケストラを世界的地位に高めた。この「運命」は第1回目の録音で、ボストン交響楽団とは大戦後の1949年に録音がある(RCA VICTOR 12-0959/62)。クーセヴィツキーのベートーヴェンは復刻が殆どないため、敢えてこのシリーズに組み込んだ。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3766

故郷の人(スワニー川) - フォスター作品集
恋人よ窓を開け - ネッド伯父さん - 村の娘 - 夢みる人
バンジョーをかき鳴らせ - おお、レミュエル - ネリー=ブライ - おお友よ私を
つれて行って - ルイジアナの美人 - 草競馬
ネリーはいい娘でした - 金髪のジェニー - おお、スザンナ - おいで、愛する
人のまどろむところへ
きびしい時はもうやってこない - アンジェリーナ=ベーカー - やさしいアニー
- 老犬トレイ - ある人は
オールド・ブラック・ジョー
なつかしいケンタッキーのわが家よ
主人は冷たい土の中に
故郷の人びと(スワニー川)

ナサニエル・シルクレット指揮
ヴィクター・サロン・グループ

米 VICTROLA 9246/9
1928年6月13-29日録音ナサニエル・シルクレット(1889-1982)はアメリカの作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1920年代はじめにニューヨーク交響楽団やメトロポリタン歌劇場管弦楽団のクラリネット奏者として活躍、またスーザ吹奏楽団にも参加した。1926年にヴィクターの軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。フォスター Stephen Collins Foster(1826-1884)はアメリカの作曲家で、アメリカのポピュラー・ソングの父と称される。このアルバムは電気録音の初期に登場し、日本でも大ヒットしたもの。戦前蓄音器のあった家庭にはほとんど備えてあったベストセラーアルバム。聞きなれたメロディーが胸にしみる。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3767

 

2019/7新譜

ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」

ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK3190/4
1941年4月アムステルダム録音
この指揮者最高の名演奏。ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年には合併以前のニューヨーク・フィル(後にニューヨーク交響楽団と統合されてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団となる)の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音と電気録音時代のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音の完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとの放送録音はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。この録音は第2次世界大戦中のものだが、TELEFUNKENの録音技術が当時世界最高だったことを窺わせる見事なもの。原盤SPの盤質も奇跡的に優れている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3768

 

2019/7新譜

ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93

オズヴァルト・カバスタ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA DB5639/41
1941年5月ミュンヘン録音
オズヴァルト・カバスタ(1896-1946)はオーストリアの指揮者。ウィーン音楽院で学び、1930年ブルックナーの交響曲第8番を指揮してウィーン・フィルの定期演奏会にデビューした。1931年にはフランツ・シャルクの後任としてウィーン音楽院の指揮科教授になり、1937年ミュンヘンに創立されたミュンヘン・フィルの首席指揮者に任命された。この地位はナチスに入党しなければならないほど政治色の濃い要職で、カバスタは政治指導に従順だった。カバスタは戦後の1946年、ナチスに加担したことで連合国当局に指揮活動を禁止され、それを苦にして妻と共に自殺した。享年50歳。モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」(伝説のモーツァルト第3巻-飛鳥新社刊に収録)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3769

 

2019/7新譜

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

フリッツ・ブッシュ指揮
デンマーク国立放送交響楽団

英 HMV C4006/9(デンマークHMV Z-7004/7と同一録音)
1949年デンマーク録音
フリッツ・ブッシュ(1890-1951)はドイツの指揮者。ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュやチェリストのヘルマン・ブッシュの兄。ケルン音楽院で学んだ後1909年にリガで指揮者デビュー。1912年からアーヘン市立歌劇場、1918年からシュトットガルト、1922年からドレスデン国立歌劇場の音楽監督を歴任。1933年ナチスを嫌ってドイツを離れ、南米や北欧を中心に活動する。1934年から死去するまでグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めたが、1937年-1940年までストックホルム・フィルの音楽監督を兼任、1937-1951年までデンマーク国立放送交響楽団の首席指揮者を務めていた。このシリーズで弟のアドルフ・ブッシュと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(33CDR-3660)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3770

 

2019/8新譜

J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052

エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団

英 HMV DB4420/22(U.K.)
1933年1月5日ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。同門にクラウディオ・アラウ(1903-1991)がいる。フィッシャーは1933年4月から1936年6月にかけてJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」(78CDR-1142-46で復刻)をSPレコード32枚に録音した。この大企画開始直前に録音されたこの協奏曲は言わば露払い的存在。フィッシャーは自ら指揮をしながらピアノを弾いている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3771

 

2019/8新譜

J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056
モーツァルト:コントルダンス ニ長調 K.534「雷雨」

エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団

米 VICTOR 18028/29(英 HMV DB4679/80と同一録音)
1938年4月ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMI のアーティストになりJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。この録音はその完成2年後のもの。フィッシャーは協奏曲の録音でピアノを弾きながら指揮をする「弾き振り」を現代に復活した。このシリーズでフィッシャーは多数出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3772

 

2019/8新譜

J.S.バッハ=ブゾーニ編:
前奏曲とフーガ変ホ長調 BWV.552
J.S.バッハ:
半音階的幻想曲とフーガBWV.903
前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV.850

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HMV DB1991/2(BWV.552)
英 HMV DB4403/4(BWV.903 & BWV.850)
1933年4月25日アビー・ロード録音(BWV.552)
1931年10月ベルリン録音(BWV.903 & BWV.850)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。ベルリン時代、オイゲン・ダルベール(1864-1932)やフェルッチョ・ブゾーニ(1886-1824)と交友があった。ここに収録したブゾーニ編「前奏曲とフーガ BWV.552」は「平均律」録音の初日に指慣らしとして演奏されたようだが(原盤番号がつながっている)、その演奏の気迫に圧倒される。同年から採用されたEMI開発の録音機(原盤番号の末尾に□)も演奏の細部を見事に捉えていると思う。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3773

 

2019/9新譜

ブラームス:
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
エンリコ・マイナルディ(チェロ)
カール・シューリヒト指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

英 DECCA AK2025/8
1947年7月8日スイス、ジュネーヴ放送局録音
ヴァイオリンのゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院を1943年までつとめた。1944年スイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。マイナルディはイタリア生まれ、ミラノ音楽院でチェロを、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。後にベルリン高等音楽院でフーゴー・ベッカーに師事し、1933年からベッカーの後を継いでチェロ科の教授になった。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめた。このシリーズでスイス・ロマンド管弦楽団を指揮した1947年録音のベートーヴェン:交響曲第2番(78CDR-3115)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3774

 

2019/9新譜

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90

クレメンス・クラウス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HMV C2016/9
1930年1月15-21日ウィーン録音
クレメンス・クラウス(1893-1954)はウィーン生まれのオーストリアの指揮者。ウィーン音楽院で作曲家のリヒャルト・ホイベルガーに学ぶ。ドイツ各地のオペラ劇場で研鑽を積んだ後、1929年にフランツ・シャルク(1863-1931)の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した。この録音はその直後のもの。1935年エーリヒ・クライバー(1890-1956)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に、さらに1937年にはハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)の後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任、1941年からザルツブルク音楽祭の総監督に任命された。第2次大戦後はウィーンに戻ったが、1954年メキシコで楽旅中に世を去った。享年61歳。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3775

 

2019/9新譜

シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54

クラウディオ・アラウ(ピアノ)
カール・クリューガー指揮
デトロイト交響楽団

英 HMV DB6376/9 (米 VICTOR 12280/3 と同一録音)
1944年12月4日デトロイト録音
クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ出身のピアニスト。1911年チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアノの大家フランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1935年からベルリンでバッハとモーツァルトのクラヴィーア曲全曲演奏会を開いた。1941年にカーネギー・ホールにデビュー。本拠をアメリカに移し、RCAにレコード録音を始めた。これはその一枚。その後米COLUMBIA(1946-1950)、英EMI(1950年代)、オランダPHILIPS(1960年代-1980年代)に数多くの録音を残した。指揮者のカール・クリューガー(1894-1979)はニューヨーク生まれ。法律と哲学を学ぶためにウィーンとハイデルベルク大学に留学したがその後指揮者の道を志し、アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)と知り合い、ニキシュの推薦でウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニーの指揮者フランツ・シャルク(1863-1931)のアシスタンタントとなり経験を積んだ。帰米後はシアトル交響楽団、デトロイト交響楽団などを指揮した。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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