新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3500〜3549

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3500

 

試聴

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」

エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

英 DECCA AK1812/4(ffrr 録音)
(1947年7月4日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイスのヴヴェイ生まれ。数学者を志したが、1910年指揮者としてデビュー、1915年にジュネーヴ交響楽団の指揮者になり、1923年までディアギレフが率いるロシア・バレエ団の指揮者を務めた。1918年にジュネーヴにスイス・ロマンド管弦楽団を設立、1967年まで首席指揮者の地位にあった。アンセルメは近代フランス音楽、ロシア音楽の解釈者として名声をあげ、特にドビュッシーやストラヴィンスキーの作品を得意とした。アンセルメはイギリス・デッカのアーティストとして有名だが、デッカ創立以前にオデオン社のSPレコードにモーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」(オーケストラはいずれもスイス・ロマンド管弦楽団)を録音していた。デッカ時代にアンセルメが録音したモーツァルトは、この交響曲第38番「プラハ」のSP録音だけだった。明晰で透き通るようなモーツァルトは他の指揮者では聴けない貴重な演奏である。

78CDR-3501

 

試聴

モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543

ブルーノ・ワルター指揮
BBC交響楽団

英 HMV DB2258/60
(1934年5月21-22日 ロンドン録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)は生涯に交響曲第39番 K.543を3回正規録音したが、これは最初のもの。ドイツ出身の大指揮者ワルターはベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で、当時音楽監督だったグースタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はワルターがウィーン・フィルとレコード・デビューする(1934年10月)する直前イギリスのBBC交響楽団を指揮したもの。同時にブラームス交響曲第4番も録音された。SPレコードだが演奏は連続して途切れなく、2台の録音機を交互に回して収録されたことがわかる。上記のブラームスも同様である。おそらくBBC交響楽団の公開演奏会を収録したものと思われる。SPレコード一面ごとに演奏をストップする事がないため指揮者は何のプレッシャーもなく演奏に没頭している様が窺える名演奏。ここではSPレコードの各面は収録通りで編集していない。

78CDR-3502

 

試聴

モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550

サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米COLUMBIA 69103/5-D(英 COLUMBIA LX656/8 と同一録音)
(1937年2月4日、9月2日&7日ロンドン録音)
サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学だった。1910年家族の財産を背景にコヴェント・ガーデンのマネージメント権を得て、ワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」、R.シュトラウスの「エレクトラ」と「サロメ」の英国初演を自らの指揮で行った。1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織、また戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。このシリーズでも多くの協奏曲を指揮しているが、交響曲は初登場。録音はビーチャムがモーツァルトの「魔笛」をベルリンで指揮した時期にあたる。

78CDR-3503

 

試聴

モーツァルト:
交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
歌劇「劇場支配人」序曲 K.486

カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HMV C3884/7
(1947年3月15日ウィーン録音)
カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。生地のグラーツ大学で法律博士の学位を得る一方、フランツ・シャルクの紹介でブラームスの親友だったオイゼビウス・メンディチェフスキに個人教授で音楽を学んだ。1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー、1920年に主任指揮者になった。1921年ブルーノ・ワルターの招きでバイエルン国立歌劇場に迎えられた。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年にハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934にドレスデン国立歌劇場総監督に就任。さらに大戦中の1943年ウィーン国立歌劇場の総監督に就任した。1945年ドイツ・オーストリアの敗戦により連合軍から演奏活動禁止命令を受けたが、1947年に解除された。その解除直後にHMVがウィーン・フィルを起用して録音したのが、この「ジュピター」交響曲。

78CDR-3504

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:クライスラー)

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団

英 HMV DB9444S/8
(1949年8月29-31日ルツェルン、クンストハウス録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止されたが、1947年8月にルツェルン音楽祭に登場した。以降亡くなる1954年まで毎年来演した。ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。この演奏はLPでも発売されていたためSPレコードの存在がほとんど知られていなかったが、今回の復刻でSPレコードならではの感動的な音楽が蘇った。このシリーズで同じ顔合わせのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(1947年録音)が出ている(78CDR-3136)。

78CDR-3505

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:クライスラー)

ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団

米 COLUMBIA 13140/44-D(Set:MM985)
(1950年11月5日フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音)
ジノ・フランチェスカッィ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストの父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビュー、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年アメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。指揮者のユージン・オーマンディ(1899-1985)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院で名ヴァイオリニスト、イェネ・フバイ(1858-1937)に師事した。ヴァイオリニストとして活動を始めたが、その後指揮者に転向し、1938年レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)の後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した。この録音はLP時代に行われたため、SPレコードの存在がほとんど知られていなかった。クライスラー=ブレッヒのこの曲(78CDR-3090)に比肩する名演で、LPでは聴けなかった輝かしいヴァイオリンは見事。

78CDR-3506

 

試聴

クライスラー未発表録音集
(1)ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
(1929年12月16日録音)
(2)クライスラー:ハバネラ
(1928年11月30日録音)
(3)チャイコフスキー:カンツォネッタ-ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より
(1924年1月24日録音)
(4)ドヴォルザーク:ユモレスク
(1914年3月31日録音)

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン) (1)-(3)、(ピアノ) (4)
カール・ラムソン(ピアノ) (1)-(3)

米 VICTOR テストプレス(白レーベル)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)がRCA VICTORに録音した未発売演奏を集めたもの。録音年代はさまざまで(1)と(2)は電気録音、(3)と(4)はラッパ吹き込み。珍しいのは(4)の「ユモレスク」でクライスラーがピアノを弾いている。クライスラー・ファンは必聴盤。

33CDR-3507

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
ソナタ第2番イ短調 BWV1003

ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)

米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)

33CDR-3508

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006

ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)

米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
ナタン・ミルシテイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1929年にアメリカにデビュー、1942にアメリカの市民権を得た。ミルシテインは1935年、アメリカ・コロンビアのSPレコードに「無伴奏パルティータ第2番」(78CDR-3080)を録音していた、LP時代になってからのソナタとパルティータ全6曲の第一回目の録音である。このシリーズでは全6曲のLP録音は1948年のジョルジュ・エネスコ(33CDR-3384/5)、1949年録音のアレクサンダー・シュナイダー(33CDR-3307/8)、1952年録音の彎曲弓を使ったロルフ・シュレーダー(33CDR-3412/3)、1955年録音のヘンリク・シェリングの第一回録音(33CDR-3464/5)、1955-6年録音のヨーゼフ・シゲティ(33CDR-3484/5)が出ていてる。聴き較べに興味をそそられる。

33CDR-3509

 

試聴

J.S.バッハ:管弦楽組曲(1)
組曲第1番ハ長調 BWV 1066
組曲第2番ロ短調 BWV 1067

ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
エヴィット管弦楽団

仏DISCOPHILES FRANCAIS DF 22
(1952年パリ録音))
フルートのジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのフルート奏者。マルセイユに生まれ父親に手ほどきをうけた。18歳で医科大学に進んだが、第2次世界大戦のさなかの1943年にパリ音楽院に入り、ガストン・クリュネルに師事しわずか5ヶ月で一等賞を得た。1946年ヴィシー歌劇場のメンバーになり、1947年ジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を始めた。1956年にパリ・オペラ座の首席奏者となり1962退団後は世界最高のフルート奏者として君臨した。モーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。(以下33CDR-3510)

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3510

 

試聴

J.S.バッハ:管弦楽組曲(2)
組曲第3番ニ長調 BWV 1068
組曲第4番ニ長調 BWV 1069

エヴィット管弦楽団

仏DISCOPHILES FRANCAIS DF 23
(1952年録音))
モーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。パリ音楽院の室内楽科を卒業後1904年にトゥーレ四重奏団に入り、さらにサイレ四重奏団、ドルソン四重奏団のメンバーを経て、1909年にカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として入団、1914年から1919年の5年間を除き1928年まで在籍した。1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急死でエヴィット四重奏団(1928-30)の名前で引き継いだ。その後アメリカに渡りクリーヴランド四重奏団を結成した(1930-34)。フランスに戻り新エヴィット四重奏団(1935-39、1946-49)を作った。エヴィットは1934年にフォンテーヌブローのアメリカ音楽院の室内楽科教授に就任、1942年から55年にはパリ音楽院の室内楽科の教授もつとめた。1939年にエヴィット室内管弦楽団をつくりコンサートやレコーディングで活躍した。

33CDR-3511

 

*試聴はありません

シューベルト(カサド編):
アルペジョーネ・ソナタイ短調(オーケストラ伴奏版)

ガスパール・カサド(チェロ)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮 管弦楽団

英 COLUMBIA LX-1/3
(1929年3月5日ロンドン録音)
ガスパール・カサド(1897-1966)は20世紀前半に活躍したチェロ奏者。スペインのバルセロナにに生まれ、7歳でチェロを始め、9歳で公開演奏会で弾いた。その時聴衆の中にパブロ・カザルス(1876-1953)がいた縁で、カザルスの指導を受けるようになった。演奏家としての活動は第1次世界大戦中にはじまった。1959年に日本人ピアニスト原智恵子(1914-2001)と結婚し話題になった。このシューベルトのアルペジオーネ・ソナタをカサドがオーケストラ版に編曲したユニークな作品。原楽譜は智恵子夫人により玉川大学教育博物館の寄贈された。指揮者のハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会のオルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年にハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。

78CDR-3512

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番ト長調 K.423
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調 K.424

ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)

仏 DISCOPHILES FRANCAIS 21/4
(1942年4月21日パリ録音)
パスキエ弦楽三重奏団の三兄弟の中のピエール・パスキエ(1902-1986)とジャン・パスキエ(1903-)のデュオによるモーツァルト。1927年に兄弟で弦楽三重奏団を結成した長兄のピエールはパリ音楽院でヴィオラをモーリス・ヴュー(1884-1951)に師事し一等賞を得た。パスキエ弦楽三重奏団によるモーツァルト:デヴェルティメント変ホ長調 K.563がこのシリーズ(78CDR-3487)で出ている。

78CDR-3513

 

試聴

J.S.バッハ:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ロ短調 BWV1014
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 BWV1015

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ルイ・ケントナー(ピアノ)

英 HMV DB9607/8 (第1番)
英 HMV DB9638/9 (第2番)
(1951年1月22日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事した。1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビュー、神童として評判を呼んだ。その後パリでジュルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年には12歳で初レコード録音を行った。メニューインのJ.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番(ワンダ・ランドフスカ:ハープシコード)(78CDR-3238)がこのシリーズで出ている。

33CDR-3514

 

試聴

ジャック・ゲステム/ラウル・ゴラ-ヴァイオリン小品集
(1)ショパン:別れの曲
(2)ドヴォルザーク:ユモレスク
(3)ブラームス:子守歌
(4)ボッケリーニ:メヌエット
(5)ヘンデル:ラルゴ
(6)シューベルト:アヴェ・マリア
(7)マルティーニ:愛の喜び
(8)シューマン:トロイメライ
(9)メンデルスゾーン:春の歌
(10)イラディエル:ラ・パロマ
(11)ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
(12)ルービンシテイン:ヘ調のメロディ
(13)リムスキー・コルサコフ:インドの歌
(14)モーツァルト:メヌエット
(15)グノー:アヴェ・マリア
(16)シューベルト:セレナード
(17)グリーグ:ソルヴェイグの歌
(18)ショパン / ノクターン第2番
(19)リュリ:メヌエット
(20)ブラームス:ワルツ

ジャック・ゲステム / JACQUES GHESTEM, violin
ラウル・ゴラ / RAOUL GOLA, piano

仏PHILIPS P76161R & P76172(Mono)
(Recorded 1958, Paris)
ジャック・ゲステムはフランスのヴァイオリニスト。リヨンの音楽院で学んだ後、パリ音楽院で研鑽を積んだ。1970年から1980年にパレナン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた。フランスのPHILIPSに25cmLP3枚のヴァイオリン小品集 "REVERIES"(夢)を録音したほか、ADES社にミヨーの七重奏曲やストラヴィンスキーの弦楽四重奏のための三つの小品を録音していた。

33CDR-3515

 

試聴

シューベルト:
幻想曲ハ長調作品159 D.934
ヴァイオリン・ソナタイ長調作品162 「デュオ」

ラファエル・ドルイアン(ヴァイオリン)
ジョン・シムス(ピアノ)

米 MERCURY MG50120(Mono)
(1956年7月30-31日、ニューヨーク、ファイン・スタジオ録音)
ラファエル・ドルイアン(1922-2002)はロシア生まれのヴァイオリン奏者。幼少の頃両親はキューバのハバナの移り住んだ。ハバナ・フィルハーモニーの指揮者でヴァイオリニストだったアマデオ・ロルダン(1900-1939)に最初の手ほどきを受け、後にフィラデルフィアのカーティス音楽学校でエフレム・ジンバリスト(1889-1985)のもとで研鑽を積んだ。1947年ダラス交響楽団の音楽監督だったアンタル・ドラティ(1906-1988)からコンサートマスターに指名され、1949年にドラティがミネソタ交響楽団に移った時一緒にコンサートマスターとして移籍した。1960年にジョージ・セル(1897-1970)に乞われクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターになり、セルの指揮でモーツァルトの交響協奏曲 K.364やセルのピアノでモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音を残した。ピアノのジョン・シムスはカーティス音楽院出身。デイヴィッド・サパートン(1889-1970)とミエツィスワフ・ホルショフスキー(1892-1993)に師事した。

78CDR-3516

 

試聴

J.S.バッハ:
フルートと通奏低音のためのソナタ第5番ホ短調 BWV 1034
ルクレール:フルート・ソナタホ短調
ルイ・クープラン(ラクロワ校訂):ファンタジー

ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(ハープシコード)
ジャン・ユショー(チェロ)(バッハ)

仏 BAM 52/3 (バッハ)
(1948年4月12日パリ録音)
仏 BAM 91/2 (ルクレール & ルイ・クープラン)
(1950年2月7日パリ録音)
フルートのジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのフルート奏者。マルセイユに生まれ父親に手ほどきをうけた。18歳で医科大学に進んだが、第2次世界大戦のさなかの1943年にパリ音楽院に入り、ガストン・クリュネルに師事しわずか5ヶ月で一等賞を得た。1946年ヴィシー歌劇場のメンバーになり、1947年ジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を始めた。1956年にパリ・オペラ座の首席奏者となり1962退団後は世界最高のフルート奏者として君臨した。ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(1922-1991)はフランスのハープシコード奏者。パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。ランパルとは40年間にわたって演奏活動をした。1967年から1988年まで母校で教鞭をとった。

78CDR-3517

 

試聴

ヴァーレン:ヴァイオリン協奏曲作品37

カミラ・ウィックス(ヴァイオリン)
エイフィン・フィエルスタート指揮
オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

ノルウェー HMV DB11908/9
(1949年録音)
カミラ・ウィックス(1928-)はカリフォルニア州ロング・ビーチに生まれた。父親はノルウェー生まれの優れたヴァイオリニスト、教師で、母親は作曲家クサヴィエル・シャルヴェンンカに学んだピアニストだった。神童ぶりを発揮し7歳でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番をロング・ビーチ市民公会堂で弾いてソロデビューした。その後ジュリアード音楽学校でルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。卒業後有名指揮者と共演して名声をあげ、ヨーロッパ公演を行い特にスカンジナヴィア諸国で名前が知られるようになった。フィンランドの作曲家シベリウスが彼女を称賛し1952年にヴァイオリン協奏曲をCAPITOLレーベルに録音した。ウィックスは北欧の作曲家の作品擁護者で、ここではノルウェーの作曲家ヴァーレン(1887-1952)の作品を取り上げている。指揮者のエイフィン・フィエルスタート(1903-1983)はオスロ生まれ、地元の音楽院とライプツィヒでヴァイオリンを専攻し、ベルリンでクレメンス・クラウス(1893-1954)に指揮法を学んだ。グリーグの「ペール・ギュント」組曲がデッカから出ていた。

78CDR-3518

 

試聴

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36

エーリヒ・クライバー指揮
パリ音楽院管弦楽団

英 DECCA AK2272/6 (ffrr録音)
(1949年6月4-6日パリ、サル・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
エーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)は息子。プラハ大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスらとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を取得し、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカの専属となり各地の客演指揮者として活躍した。この録音はパリ音楽院管弦楽団を指揮したもので、フランスのオーケストラをこれほどみごとに統率しているのは類例がない。ffrr録音も冴えていてSP録音ならではの輝かしいサウンドが聴ける。大指揮者の隠れた名演である。

33CDR-3519

 

*試聴はありません

テイク・ファイヴ/デイヴ・ブルーベック・クァルテット
(1)テイク・ファイヴ
(2)スリー・トゥ・ゲット・レディ
(3)キャシーズ・ワルツ
(4)トルコ風ブルー・ロンド
(5)ストレンジ・メドウ・ラーク

デイヴ・ブルーベック・クァルテット
デイヴ・ブルーベック(piano)
ポール・デスモンド(alto sax)
ユージン・ライト(bass)
ジョー・モレロ(drums)

日本コロムビア45PX-3(米COLUMBIA CS8192から5曲抜粋)
1959年6月25日、7月1日&8月18日録音
ジャズの名アルバム「タイム・アウト」(米COLUMBIA CS8192)が1967年7月に日本コロムビアから発売された30cm45回転LP45PX-3-Cからの復刻である。オリジナルLPから5曲を選び45回転盤にしたことでマスターテープの音を100%音ミゾに収めたと評判だったが、販売権が日本コロムビアからCBSソニーに移行したために幻のオーディオ・ファイル盤になってしまった。日本コロムビアの原盤カットはウェストレックス3Dカッターが使用された。復刻にあたっては白レーベルのテストプレス盤とウェストレックスModel10Dカートリッジを使用した。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3520

 

*試聴はありません

ワルツ・フォー・デビイ/ビル・エヴァンス・トリオ(モノ録音)
(1)マイ・フーリッシュ・ハート
(2)ワルツ・フォー・デビイ
(3)デトゥーア・アヘッド
(4)マイ・ロマンス
(5)サム・アザー・タイム
(6)マイルストーンズ

ビル・エヴァンス/BILL EVANS(piano)
スコット・ラファロ/SCOTT LaFARO(bass)
ポール・モチアン/PAUL MOTIAN(drums)

米 RIVERSIDE RM399(Mono)
1961年6月25日ニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガード、ライヴ録音
(Recoreded 'live' at The Village Vanguard, New York, June 25, 1961)
ジャズの名録音 「ワルツ・フォー・デビイ」 のオリジナルMonoLPからの復刻。音の密度の点からステレオ盤よりモノ盤が優れていることは、聴いた人でなければ判らないが、ここに聴くスコット・ラファロのベースの音はそのことを証明している。ラファロはこの録音の11日後に交通事故で他界した。享年35歳だった。復刻にあたってはウェストレックス10Dカートリッジをモノ接続にしている。

78CDR-3521

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 ELECTROLA DB3328/32S (英 HMV DB3328/32S と同一録音)
(1937年10月8日、11月3日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)が英HMVへの初めての録音。録音はベルリンのベートーヴェンザールから電話線でエレクトローラの原盤カットルームに中継され、そこで原盤が作成された。原盤番号の末尾のTの文字はそれを表している。しかしこのTの文字はドイツ以外で発売されたレコードからは削られていた。ドイツ録音はエレクトローラ原盤で聴くと音の厚みや深い奥行き感があるから不思議である。フルトヴェングラーとベルリン・フィルのチャイコフスキーの「悲愴」(78CDR-3103)もこのシリーズで出ている。これも独エレクトローラ盤からの復刻である。

78CDR-3522

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」

レーヴェングート弦楽四重奏団
アルフレッド・レーヴェングート(第1ヴァイオリン)
モーリス・フューリ(第2ヴァイオリン)
ロジェ・ロシュ(ヴィオラ)
ピエール・バッスー(チェロ)

仏DISQUES GRAMOPHONE DB11120/2
(1946年5月28-29日、パリ、アルベール・スタジオ録音)
レーヴェングート弦楽四重奏団は1929年に結成された。リーダーのアルフレッド・レヴェングート(1911年生まれ)はパリ音楽院でカペー弦楽四重奏団に在籍したことがあるアンドレ・トゥーレに師事した。その後室内楽をジャン・ロジェ=デュカス(1973-1954)について完成度を高めた。この録音は第2次世界大戦直後の録音で、フランスの香り高い名演をくりひろげている。希少SPレコードからの復刻。

78CDR-3523

 

試聴

ヒンデミット:弦楽三重奏曲第2番(1933)

シモン・ゴールトベルク(ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX311/3
(1934年1月21日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド出身。ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターに就任した。20歳の時フルトヴェングラーの招きでベルリン・フィルのコンサート・マスターになった。1930年にヴィオラ奏者で作曲家のパウル・ヒンデミット(1895-1963)とチェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)と弦楽三重奏団を結成した。これは既にこのシリーズで出ているベートーヴェン: セレナード作品8(787CDR-3252)と共にこの三重奏団が残した貴重な録音である。

33CDR-3524

 

*試聴はありません

ジョー・スタッフォード/ハッピー・ホリデイ(クリスマス・アルバム)

ハッピー・ホリデイ
ウィンター・ウェザー
クリスマス・ソング
雪よ降れ降れ!
おもちゃの国
おもちゃの行進
ジングル・ベル
ウィンター・ワンダーランド
クリスマス前夜のこと
アイ・ワンダー・アズ・アイ・ワンダー
ベツレヘムの小さな町
聖しこの夜
ハッピー・ホリデイ

ジョー・スタッフォード(vo)
スターライターズ(cho)
ティモシー・ウェストン(vo)
ポール・ウェストン楽団

米 COLUMBIA CL691(Mono)
(1955年録音)(Recorded 1955)
ジョー・スタッフォード(1917-2008)がアメリカ・コロンビアに録音したクリスマス・アルバム。曲はクリスマスのベル(鐘)でつながれているメドレー構成のためA,B面以外のトラックは入れていない。豪華な編成の編曲をバックに歌うジョーの声は輝きに満ちていて、聴く者の心を豊かにしてくれる。ウェストン家の長男ティム(当時3歳)の声も聞ける。ジョー・スタッフォード・ファンは必携盤。このシリーズで他にテネシー・ワルツ(78CDR-3280)、リパブリック讃歌(78CDR-3399)、JO+JAZZ(33CDR-3459)、ジョースタッフォード&ゴードン・マックレエ/ クリスマス・ソング(78CDR-3468)が出ている。

33CDR-3525

 

試聴

(1)J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲ト短調(arr. Schreck)
(原曲: クラヴィーア協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056)
(2)ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
(3)タルティーニ:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 D.45(カデンツァ:シゲティ)
(4)タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト長調

(1)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団
(2)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
カルロ・ブソッティ(ピアノ)
(3)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団
(4)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
カルロ・ブソッティ(ピアノ)

(1954年1月15日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(1954年2月23日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(1954年1月13日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(1954年2月22日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
シゲティのモノLPからの復刻。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1940年からアメリカに居を移し活躍、晩年はスイスで後進の指導にあたった。ジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー出身。チェコ・フィル(1930-36)、メトロポリタン歌劇場(1942-46)、クリーヴランド管弦楽団(1946-70)の指揮者をつとめた。カルロ・ブソッティ(1922-2002)はイタリアのフィレンツェ生まれ。大戦後アメリカで活躍した。シゲティのヘンデルは1937年のSP録音(ピアノ:マガロフ)はよく知られているが、このLP録音は早期に廃盤になったためほとんど知られていなかった。

78CDR-3526

 

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シューマン:詩人の恋 作品48(ハイネ詞)

シャルル・パンゼラ(バリトン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DB4987/9
(1935年6月17-18日パリ録音)
シャルル・パンゼラ(1896-1976)はスイスのジュネーヴ生まれのバリトンで、1919年オペラ・コミックでマスネの歌劇「ウェルテル」のアルベール役でデビューした。マスネの「マノン」のレスコー役、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」役はあたり役として評判を呼んだ。パンゼラは芸術歌曲の分野でも、才能を発揮しフランス歌曲だけではなく、ドイツ歌曲をも得意とした。ピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1896年一等賞を得て卒業した。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。この「詩人の恋」は戦前からわが国でも評判をとった名盤で、「ダイレクト・トランスファー」の本領を発揮した高音質で聴ける。

78CDR-3527

 

試聴

フォーレ:
優しい歌 作品61(ポール・ヴェルレーヌ詞)
幻想の地平線 作品113 (ジャン・ド・ラ・ミルモン詞)

シャルル・パンゼラ(バリトン)
マドレーヌ・パンゼラ=バイヨー(ピアノ)

米 RCA VICTOR 16303/7 (英 HMV DB5020/2 & DB5009 と同一録音)
(1935年9月30日-10 月1日=優しい歌、1936年11月17日=幻想の地平線、パリ、アルベール・スタジオ録音)
シャルル・パンゼラ(1896-1976)はスイスのジュネーヴ生まれのバリトンで、1919年オペラ・コミックでマスネの歌劇「ウェルテル」のアルベール役でデビューした。パリ音楽院在学中に当時音楽院長だったガブリエル・フォーレとピアニストのマドレーヌ・バイヨーと出会い、フォーレは1921年8月に作曲した「幻想の地平線」を贈られ、翌年の初演で大成功を収めた。バイヨーは生涯パンゼラの伴奏者をつとめただけではなく、結婚してパンゼラ夫人となった。パンゼラは生涯「幻想の地平線」3度録音した。これはその最後のものである。

78CDR-3528

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
J.S.バッハ(クレム&ヴァイマール編):コーラル ト長調

レーヴェングート弦楽四重奏団
アルフレッド・レーヴェングート(第1ヴァイオリン)
モーリス・フューリ(第2ヴァイオリン)
ロジェ・ロシュ(ヴィオラ)
ピエール・バッスー(チェロ)

英 HMV C7714/7
(1946年9月18日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
レーヴェングート弦楽四重奏団は1929年に結成された。リーダーのアルフレッド・レヴェングート(1911年生まれ)はパリ音楽院でカペー弦楽四重奏団に在籍したことがあるアンドレ・トゥーレに師事した。その後室内楽をジャン・ロジェ=デュカス(1973-1954)について完成度を高めた。この録音は第2次世界大戦直後の録音で、フランスの香り高い名演をくりひろげている。

33CDR-3529

 

 

試聴

モーツァルト:前奏曲アダージョとフーガ(K.404a)
(1)アダージョ第1番ニ短調
(2)フーガ第1番ニ短調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 853の弦楽三重奏のための編曲)
(3)アダージョ第2番ト短調
(4)フーガ第2番ト短調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 883の弦楽三重奏のための編曲)
(5)アダージョ第3番ヘ長調
(6)フーガ第3番ヘ長調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 882の弦楽三重奏のための編曲)
(7)アダージョ第6番ヘ短調
(8)フーガ第6番ヘ短調
(W.F.バッハ:フーガ第8番の弦楽三重奏のための編曲)

パスキエ弦楽三重奏団
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)

米 HAYDN SOCIETY HSL-108 (XTV21762-1A)(Mono)
(1951年パリ録音)
パスキエ弦楽三重奏団は1927年パスキエ三兄弟によって結成された。長兄ピエール・パスキエ(1902-1986)はパリ音楽院でヴィオラをモーリス・ヴュー(1884-1951)に師事し一等賞を得た。次兄ジャン・パスキエ(1903-)と末弟エティエンヌ・パスキエ(1905-1997)による三重奏団のために、数多くのフランスの作曲家が作品を書いた。このバッハの作品によるアダージョとフーガはJ.S.バッハ、W.F.バッハの作品の編曲。パスキエ三重奏団はこのシリーズでモーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563(78CDR-3487)とヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423 & K.424(78CDR-3512)が出ている。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3530

 

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453

ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
プロ・ムジカ管弦楽団

米 VOX PL6720
(1950年10月16日パリ録音)
ピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事、16歳で一等賞を得た。1921年にピアニスト、ロベール・カザドシュ(1977-1972)と結婚しデュオでの演奏会やレコード録音も多かった。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て、パリ音楽院管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校パリ音楽院の指揮科の教授もつとめた。ギャビー・カザドシュとウジェーヌ・ビゴーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503(33CDR-3445)が出ている。

78CDR-3531

 

 

試聴

 

未発表テイクによる
モーツァルト:ヴァイリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:エネスコ)
(1)第1楽章(Part 1)
(2)第1楽章(Part 2)
(3)第2楽章(Part 1)
(4)第2楽章(Part 2)-
第3楽章(Part 1)
(5)第3楽章(Part 2)
ボーナストラック(未発表テイク)(UNPUBLISHED TAKES)
(6)第2楽章(Part 2)-
第3楽章(Part 1)
(7)第3楽章(Part 2)

ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
ジュール・ブーシュリ指揮管弦楽団

仏 PATHE PAT127/9
(1937年6 月3-4 日パリ録音)t
78CDR-3031で発売されたこの曲の未発売原盤発見! トラック(1)以外はすべて未発売原盤によった。さらにトラック(6)と(7)は別の未発売テイクを収録した。この原盤は片面の白レーベル、テストプレス盤で録音後演奏者に聴かせてどのテイクを発売するかを決めてもらう目的で製作されたレコード。録音後77年を経て発見されたのは奇跡と言える。是非78CDR-3031と聴き比べでいだきたい。

78CDR-3532

 

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 K.449
(カデンツァ:モーツァルト)

アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズ

米 RCA VICTOR 15912/4 (英HMV DB3690/2と同一録音)
(1938年10月11日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)はボヘミア出身のピアニスト。幼少の頃ウィーンに移りピアノと作曲を学んだ。1920年、17歳でヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)のピアニストに なり、ヨーロッパ各地で演奏活動を行った。この縁でブッシュの娘イレーネと結婚した。1939年ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代の最後のもの。このシリーズでブッシュ=ゼルキンのデュオは多数出ている。

78CDR-3533

 

 

試聴

モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590「プロシャ王第3番」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1729/30(K.525)(1926年2月19日 & 1927年3月3日録音)
英 COLUMBIA LX808/10(K.590)(1939年2月8日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカにデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年に、イギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。なおTrack 3(K.525 第2楽章 Part 2-第3楽章)は1926年2月19日録音(80回転)の原盤が破損したため1927年3月3日録音(78回転)の原盤にさしかえられた。ピッチと音質の偏差が聴き取れるが、ご容赦願いたい。

78CDR-3534

 

 

試聴

モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.364

ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
リリアン・フックス(ヴィオラ)
ジンブラー・シンフォニエッタ

英 BRUNSWICK AXTL1018(Mono)(DG LPE 17 124 と同一録音)
(1951年12月5日録音)
ヴァイオリンのジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ヴィオラのリリアン・フックス(1901-1995)は実妹。最初ピアノを、後にヴァイオリンを学び1926年にニューヨーク・デビューしたが、師のクナイゼルの勧めでヴィオラに転向し、生涯ソリスト、名教師として活躍した。ジョセフとリリアン兄妹によるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の正規録音は3種類あり、これはその最初のもの。このシリーズでジョセフ・フックスによるベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲(33CDR-3489/91)が出ている。

33CDR-3535

 

 

試聴

ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲作品120

ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)

英 VOX PL7730
(1952年5月13日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。このシリーズでカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)とショパン:ピアノ協奏曲第1番作品11(33CDR-3372)が出ている。

78CDR-3536

 

 

試聴

モーツァルト:
セレナード第11番変ホ長調 K.375 (8本の管楽器のための)

モーリス・エヴィット指揮 管楽アンサンブル

仏 DISCOPHILE FRANCAIS 45/8A
(1946年2月20-22日パリ録音)

78CDR-3537

 

 

試聴

モーツァルト:
セレナード第12番ハ短調 K.388「夜曲」(8本の管楽器のための)

モーリス・エヴィット指揮 管楽アンサンブル

仏 DISCOPHILE FRANCAIS 48B/50
(1946年2月20-22日パリ録音)
指揮者のモーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。パリ音楽院の室内楽科を卒業後1904年にトゥーレ四重奏団に入り、さらにサイレ四重奏団、ドルソン四重奏団のメンバーを経て、1909にカペー弦楽四重奏団に第2ヴァイオリン奏者として入団、1914-1919年の5年間を除き1928年まで在籍した。1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急死でエヴィット四重奏団(1828-30)の名前で引き継いだ。その後アメリカに渡りクリーヴランド四重奏団を結成した(1930-34)。フランスに戻り新エヴィット四重奏団(1935-39、1946-49)を作った。エヴィットは1934年にフォンテーヌブローのアメリカ音楽院の室内楽科教授に就任、1942-55年にはパリ音楽院の室内楽科の教授もつとめた。1939年にエヴィット室内管弦楽団をつくりコンサートやレコーディングで活躍した。このシリーズでJ.S.バッハ:管弦楽組曲全曲(33CDR-3509/10)が出ている。

78CDR-3538

 

 

*試聴はありません

ベニー・グッドマン&ペギー・リー
(1)サニー・サイド
(2)いつかどこかで
(3)今宵の君は
(4)ウィンター・ウェザー
(5)サムバディ・ノーバディ・ラヴズ
(6)マイ・リトル・カズン
(7)ノット・マイン
(8)レッツ・ドゥ・イット

ペギー・リー PEGGY LEE(vo)(1)-(8)
アート・ロンドン Art London(vo)(4)
ベニー・グッドマン六重奏団 BENNY GOODMAN AND HIS SEXTET(1)-(3)
ベニー・グッドマン楽団 BENNY GOODMAN AND HIS ORCHESTRA(4)-(8)

米 COLUMBIA C170(Set) 1941-42年録音
ペギー・リー(1920-2002)の初録音はこのベニー・グッドマン(1909-1986)との共演だった。21-22歳の時である。ペギー・リーはノースダコタ州の出身。1941年にベニー・グッドマン楽団に歌手として入団し、2年間つとめた。1944年に新興のキャピトル・レコードに移り、1952-56年にはデッカで活躍したが、またキャピトルに戻った。ベニー・グッドマンはシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。ビッグバンドの他に、小編成のトリオ、カルテット、セクスッテットでも活動した。またクラシックのクラリネット奏者としても録音を残している。

78CDR-3539

 

 

試聴

ローラ・ボベスコ-ヴァイオリンの黄金時代(ステレオ録音)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ルクレール:ヴァイオリン・ソナタニ長調作品9-3
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタホ短調作品2-8
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト短調作品1-10「捨てられたディドーネ」

ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
ジャック・ジャンティ(ピアノ)

ベルギーALPHA CL4008(Stereo)
(1965年録音)
ローラ・ボベスコ(1921-2003)はルーマニア出身の女流ヴィオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、1934年13歳で一等賞を得、同年ポール・パレー指揮コンロンヌ管弦楽団でデビューした。1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞し、以降ソリストとして活躍する一方ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。レコード録音は21歳の1942年にラロ:スペイン交響曲(78CDR-3139)が最初。この録音はステレオ時代になってからものでボベスコの名を日本に広めたレコードだった。ピアノのジャック・ジャンティはパリ音楽院出身。1948年にボベスコと結婚(後に離婚)、伴奏者として活躍した。1981年9月にボベスコとジャンティは日本のフィリップスにLP5枚を録音し、世界の注目を集めた。

 

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3540

 

 

試聴

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299
ディヴェルティメント第11番ニ長調 K.251

ジャン=ピエール・ランパル(フルート)(1)-(3)
ドーラ・ワグネル(ハープ)(1)-(3)
カール・リテンパルト指揮
ザール室内管弦楽団

仏 DISCOPHILES FRANCAIS DF134
(1954年11月録音)
ジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのマルセイユ生まれ、音楽院教授だった父親にフルートの手ほどき受けた。医学ををめざしたが大戦のため1943年にパリ音楽院のフルート科に入りわずか5カ月で一等賞を得た。音楽院ではガストン・クリュネルに師事した。1946年にヴィシー・オペラ管弦楽団のメンバーになり、1947年にジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を開始した。1956年からパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者となり、1962年退団後はフランス最高のフルート奏者として活躍した。このフルートとハープのための協奏曲はランパルにとって記念すべきこの曲の初録音で、それまで存在があまり知られていなかったもの。指揮者のカール・リステンパルト(1900-1967)はドイツのキール生まれ。1954年から1967年の間に手兵のザール室内管弦楽団と169枚のLP録音をした。この盤はその最初期の一枚。

78CDR-3541

 

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414

ルイス・ケントナー(ピアノ)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米COLUMBIA 71495/7(英COLUMBIA LX894/6と同一録音)
(1940年1月12日、3月26日、5月10日ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
ルイス・ケントナー(1905-1987)はシレジアのカルウィン(現チェコ共和国カルヴィーナ)にハンガリー国籍の両親のもとに生まれた。1911-1922年にブダペスト音楽アカデミーでピアノをアントン・セーケイ、室内楽をレオ・ワイネル、作曲をゾルタン・コダーイに学んだ。15歳でコンサー・ピアニストとして活躍を始め、1935年にイギリス国籍を得た。1933年にバルトークのピアノ協奏曲第2番を作曲者の要請でオッー・クレンペラーの指揮のもとで初演。ピアノ協奏曲第3番をエイドリアン・ボールトの指揮でヨーロッパ初演をロンドンで行った。また義兄にあたるユーディ・メニューイン(1916-1999)とウォルトン(1902-1983)のヴァイオリン・ソナタを1949年9月30日にチューリッヒで初演した。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威あものとして欧米では受け入れられた。

78CDR-3542

 

 

試聴

ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11

アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)
ユリウス・プリューヴァー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 POLYDOR 66753/6
(1928年ベルリン高等音楽院録音)
アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ、8歳でピアノをはじめ18歳でキエフ音楽院に入り、1911年ゴールド・メダルを得て卒業。その後ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)についてさらに研鑽を積んだ。さらにチューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランスでフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する歴史上初の快挙をうちたて、その一部では作曲者ショパンの所持したピアノを演奏した。この協奏曲録音はブライロフスキーの初録音の一つ(他にリスト:ピアノ協奏曲第1番がある)で、輝かしい豪快な指さばきは師のブゾーニやプランテを思わせるもので、後年の録音とは一線を画す見事なもの。ユリウス・プリューヴァー(1874-1943)はドイツの指揮者。ドイツ・ポリドールにシューベルト:交響曲第8番「未完成」ほかシュトラウス:ワルツ集などがあった。

78CDR-3543

 

 

試聴

ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタト短調
月の光(ローレンス編)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)

米 COLUMBIA 71592/3(Set X-MX-242)
(1941年11月26日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年と翌1933年に来日した。アンドール・フォルデス(1913-1992)はハンガリー出身のピアニスト。フランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)の薫陶をうけ1933年にリスト国際音楽コンクールでリスト賞を得たが、第2次世界大戦の影響でアメリカに亡命した。

33CDR-3544

 

試聴

 

ブルッフ:
ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
コル・ニドライ(ヘブライの旋律)作品47

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ロイブナー指揮
オーストリア交響楽団

米 REMINGTON R-199-127
(1952年11月11-12日ウィーン録音)
(第3楽章58秒から1分3秒に音がかすれる部分があります)
ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1887-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。1950年代初頭に新興レコード会社米REMINGTONに数枚のLP録音を残した。ステレオ時代にはエラートやフィリップスに珠玉の名録音がある。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校のパリ音楽院で教鞭をとり、また日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。指揮者のヴィルヘルム・ロイブナー(1909-1971)はウィーン生まれ。1957年-1959年にNHK交響楽団の常任指揮者をつとめた。オーストリア交響楽団の実体はウィーン・トンキュンストラー・オーケストラである。

33CDR-3545

 

 

試聴

ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106 「ハンマークラヴィーア」

ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)

英 VOX PL6750
(1950年7月5-6日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれ、99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師テオドール・レシェティツキ(1830-1915)の指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。このシリーズではカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3034)、ショパン:ピアノ協奏曲第1番(33CDR-3372)、ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲(33CDR-3535)が出ている。

33CDR-3546

 

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009

アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)

独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1057/8A
(1960年9月=BWV1007 & BWV1008、1961年6月=BWV1009ハンブルグ録音)

33CDR-3547

 

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012

アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)

独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1058B/9
(1961年6月=BWV1010、1960年9月=BWV1011 & BWV1012ハンブルグ録音)アウグスト・ヴェンツィンガー(1905-1996)はスイス出身のチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンパ奏者、指揮者。バーゼルに生まれ、生地の音楽院で音楽理論をベルリンで大チェリスト、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)の個人レッスンを受けた。1929年から1934年までブレーメンのオーケストラの首席をつとめた。また1925年からヴィオラ・ダ・ガンパの研究を始め、1930年にフルート奏者のグスタフ・シェックと古楽器の演奏団体を結成、また1933年にはカペル・カンマームジークという名の古楽器集団を立ち上げたが、政治的な圧力で解散、スイスに帰りバーゼル・スコラ・カントルムのヴィオラ・ダ・ガンパ教授をつとめた。指揮者としても活躍し、1958年から1966年までハノーファーで定期的にバロック・オペラの上演を手掛けていた。このバッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は、自身が校訂して出版(ベーレンライター版)に合わせて録音されたもので、楽譜は現在でも流布しているが、この録音はまったく忘れ去られていたもので初CD化である。

78CDR-3548

 

 

*試聴はありません

ダイナとデート/ダイナ・ショア
あなたはしっかり私のもの
デキシー
愛さないではいられない
ケリー・ダンス
スリル・イズ・ゴーン
アフター・アイ・セイ・アイム・ソーリー
ゼアル・ビー・サム・チェンジズ・メイド
ゼイ・ディドント・ビリーブ・ミー

ダイナ・ショア DINAH SHORE(vo)
モーリス・ストロフ楽団と合唱団 Orchestra and Chorus under the direction of MORRIS STOLOFF

米 COLUMBIA C125(Set) 1946年録音
ダイナ・ショア(1916-1994)はアメリカのポップス・シンガー。テネシー州ウィンチェスターの生まれ。大学時代に地元のラジオ局に歌手として出演していた。大学卒業後ニューヨークに出てプロの歌手を目指し、WNEW局にフランク・シナトラと出演したこともある。BLUEBIRDレーベルにザヴィア・クガート楽団と「そよ風と私」を録音して歌手としての第1歩を踏み出した。これは1946年にCOLUMBIAから発売された4枚組のアルバム・セット。美声でエレガントな歌い回しが聴き手を魅了する。このシリーズでボタンとリボン-ダイナ・ショアSP録音集(78CDR-3400)が出ている。

33CDR-3549

 

 

試聴

ショパン:24の前奏曲作品28

ロベール・ロルタ(ピアノ)

英 COLUMBIA 9568/71
(1928年5月5日パリ録音)
ロベール・ロルタ(1885-1938)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し1901年に一等賞を得た。同門のピアニストにエドゥアール・リスレル(1873-1929)、アルフレッド・コルトー(1877-1952)、ロベール・カザドシュ(1899-1972)などがいる。ロルタはショパンとフォーレの作品を得意とし、特にショパンは1912年にエコセーズ、ロンド、遺作のマズルカとポロネーズ数曲を除く全作品を6回のリサイタルで演奏した記録がある。ロルタの録音は1928年にこの「24の前奏曲」、「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調」と1931年の「前奏曲作品10&25」を残したのみで忘れられた存在。そのSPレコードは稀少盤になっている。コルトーのショパンと聴きくらべると違ったフランスの香りが楽しめる。

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