新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3050〜3099
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3050

 

*試聴はありません

モーツァルト=クライスラー:ロンド ニ長調 K.250 -「ハフナー・セレナード」より

パガニーニ=クライスラー:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調(第1楽章より)

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)(モーツァルト)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団(パガニーニ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3731(モーツァルト)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3234/5(原録音=米 VICTOR 14420/1 パガニーニ)
(1938年 2月14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音=モーツァルト,
1936年12月13日&1937年1月9日フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音=パガニーニ)
20世紀最高のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)は作曲家としても編曲者としても才能を発揮した。昔の作曲家の名前を冠した多くの作品を弾いて名声を上げたが、後にそれらは編曲ではなく、作曲家の名前を借りたクライスラー自身の作品であることを公表した。この2曲は実在する作品をクライスラーが編曲したもの。モーツァルトの「ロンド」はクライスラー以前にティボー(1880-1953)の録音もあった。パガニーニはクライスラーの手になる絢爛豪華なオーケストレーション。ソロ・パートは原曲を尊重しているが第4部のカデンツァはこの演奏は最大の聞きどころである。このシリーズでクライスラーはベートーヴェン:ヴァイオリンン・ソナタ集 I-IV(78CDR-3002, 3014, 3025, 3033分売)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3007新版、1090旧版)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003新版、1105旧版)、メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3024新版、1091旧版)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(旧版)(78CDR-1074)が出ている。

78CDR-3051

 

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ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58 アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DA1333/6
(1933年7月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。ワーグナーに心酔し1897年バイロイトに赴き合唱指揮者となった。1902年には「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演をし、またソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このショパンのピアノ・ソナタ第3番はコルトーの2回目の録音。録音時コルトーは56歳だった。このシリーズでコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、ショパン:エチュード作品10(78CDR-3001)、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3008)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:24 の前奏曲(1926年版)(78CDR-3043)、ショパン:エチュード作品25(78CDR-1061)、ショパン:ワルツ集(78CDR-1072)、ラヴェル:ソナチネ+水の戯れ(78CDR-1083)、J.S.バッハ:コンチェルト・ダ・カメラ+アリア(78CDR-1094)、フランク:交響変奏曲(78CDR-1130)、ショパン:24の前奏曲(1933年版)(78CDR-3181)が出ている。

78CDR-3052

 

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J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アンソニー・バーナード指揮
ロンドン室内管弦楽団
ジェレイント・ジョーンズ(ハープシコード)

英 HIS MASTER'S VOICE DB6884/6
(1949年2月17日録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)は20世紀イタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年エディンバラ音楽祭に出演を機にEMIのアーティストとなった。このバッハの協奏曲は彼女の初期の録音にあたる。SPレコード末期の優秀録音で、典雅なヴァイオリンが聴く人を魅了する。ダイレクト・トランスファー・シリーズではデ・ヴィトーのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3019)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1113)、ベートーヴェン:ロマンシ第2番ヘ長調(78CDR-1151)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。

78CDR-3053

 

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ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調作品21 Hob. XVIII-11

ハイドン:ピアノ・ソナタ第36番嬰ハ短調からメヌエット&ドイツ舞曲

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮 管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB8782/4
(1937年4月19日パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。彼女はピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に送られた。このハイドンはランドフスカが58歳の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年フランス放送管弦楽団、1935年ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科の教授も務めた。SPレコードの録音も多い。ランドフスカはこのシリーズでJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(78CDR-1073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集(78CDR-1081)とピアノによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(78CDR-1117)が出ている。

78CDR-3054

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
モーツァルト=ブルメスタ-編:メヌエット-ディヴェルティメント第17番 K.334より

アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
デジレ・ドゥフォー指揮
ブリュッセル王立音楽院管弦楽団(協奏曲)
フェルナン・ゴーヤン(ピアノ)(メヌエット)

仏 COLUMBIA LFX201/3
(1931年6月12日録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1986)の師として知られている。デュボワはウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事し、1920年のヴュータン賞を受賞、ソリストとしてデビューした。1927年に母校ブリュッセル王立音楽院の教授に就任、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーもつとめた。このヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後 8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。モーツァルト学者の間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルトの作品表から除外されている。デジレ・ドゥフォー(1885-1960)はベルギーのガンに生まれた指揮者。1943年から1947年シカゴ交響楽団の指揮者を務めた。デュボワはこのシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番作品37(78CDR-3013)、フランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)で出ている。

78CDR-3055

 

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モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

米 COLUMBIA 67806/9D(原録音:英 COLUMBIA LX-24/27)
(1930年1月20-21日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカ・デビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このシリーズではモーツァルト:クラリネット五重奏曲K.581(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421(78CDR-1062)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。この復刻にはアメリカ・コロンビアのブルーシェラック盤を使用した。

78CDR-3056

 

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シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)

日本コロムビアJ7629/31(原録音:仏 COLUMBIA D15107/9)
(1928年10月3日録音)
フランスのカペー弦楽四重奏団は史上最高の弦楽四重奏団。1928年12月18日にリーダーのリュシアン・カペー(1876-1928)の死でその活動は終止符を打った。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。第1ヴァイオリンのカペー以外は何回か交代したが、1918年からは不動のメンバーであった。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開いていた。カペー弦楽四重奏団は1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。その年の10月迄の5カ月に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲を録音した。10インチSP盤が7枚、12インチSP盤が44枚である。このシリーズでは、フランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)とベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番作品18-5(78CDR-3042)、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番作品131(78CDR-1082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR--168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3057

 

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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」 エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB7899/7901
(1935年2月12日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。この「熱情」はフィッシャーが49歳の時の録音。このシリーズにはモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。

78CDR-3058

 

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ヘンデル=ブルメスタ-編:
アリオーソ (2:37)
メヌエット (2:17)

ヴィリー・ブルメスター(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏

独 GRAMMOPHON 47984/5
(1909年9月27日ベルリン録音)
(古いレコードのため雑音大)
電気録音以前の機械式録音。ヴィリー・ブルメスター(1869-1933)はハンブルグ生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に師事し、1894年ベルリンでセンセーショナルにデビューした。1909年に録音した4枚8面のレコードだけで約100年後の今日に語り継がれている。ヴァイオリン教師として有名なカール・フレッシュ(1873-1944)はブルメスターのレコードを、メジャー演奏家の残した録音で、最もリズム感に欠けた生気のない非音楽的なものと酷評した。だがこの言葉は正しいだろうか疑問を感じる。盛大な雑音の中に潜んでいる澄みきった湖の底を覗くような透明なヴァイオリンの音色は、日本古来のワビサビの世界に通じるものがあるように思う。それは電気録音ではとても不可能と思わせる。ラッパ吹き込み(機械式録音の俗称)ならではの世界がここにある。ブルメスター1923年来日し公演の合い間に大阪のニットーに録音を残した。

78CDR-3059

 

試聴

ベートーヴェン:
ロマンスヘ長調作品50 (3:02)

アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏

英 GRAMOPHONE 47975
(1909年ウィーン録音)
(注:古いレコードのため雑音大)
電気録音以前の機械式録音。アルノルト・ロゼー 1863-1946)はルーマニア生まれ。1874-7年にウィーン音楽院で学び、1881年ウィーン宮廷歌劇場オーケストラのコンサートマスターになり1938年までその地位にあった。また弦楽四重奏団も組織した。ロゼーはグスタフ・マーラー(1860-1911)の妹のユスティーヌと結婚した。1888年バイロイト・フェスティヴァル・オーケストラのコンサート・マスターになり、また宮廷歌劇場オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団として演奏会を開くようになった。コンサート・マスターの傍ら1893年から1924年までウィーン音楽院で教鞭をとった。1938年にナチの迫害でロンドンに移住した。ロゼーはソリストとしてラッパ吹き込み時代にかなりのレコード録音をした。この録音はロゼーが45歳の時のもの。ここにもラッパ吹き込みならではの独特の弦の音が聴き取れる。ロゼーはこのシリーズでJ.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-1119)が出ている。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3060

 

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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104

パブロ・カザルス(チェロ)
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

米 VICTOR 163665/9(Set DM458)(英 HIS MASTER'S VOICE DB3288/92 と同一録音)
(1937年4月28日プラハ, ドイチェ・ハウス録音)
チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)のボッケリーニに続くソロ協奏曲録音第2弾にあたる。録音場所には作曲者ドヴォルザークの故郷プラハが選ばれ、録音時カザルスは61歳だった。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時ピアニストとしてウィーン交響楽団演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のベルリン・オペラ時代(1915-1917)アシスタントを務めたこともある。1930年から1936年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から1946年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇を指揮し、1946年にアメリカ市民となった。1946から1970年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めた。これはセルが40歳の録音。SP時代のチェコ・フィルのHIS MASTER'S VOICE録音はほとんどがロンドンで行われた中で、プラハでの録音は珍しい。ちなみにセル指揮チェコ・フィルのドヴォルザーク:「新世界」(78CDR-1104)は1937年10月30日のロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音だった。カザルスはこのシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番&第3番(78CDR-3004, 78CDR-1100)第4番&第5番(78CDR-1070)、ボッケリーニ:チェロ協奏曲(78CDR-3030)、ブラームス:チェロ・ソナタ第2番(78CDR-1084)、エルガー:チェロ協奏曲 78CDR-1137)が出ている。

78CDR-3061

 

試聴

ショパン:エチュード作品25(全12曲) アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB12308/10
(1934年6月18-19日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード集作品10(78CDR-3001)と対になるもので、録音は作品10の1年後のもの。コルトーは録音時57歳だった。曲順はSPレコードの順のままで収録した。コルトーは第2次世界大戦中の1942年にパリでエチュードを再録音している。このシリーズのコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、サン=サーンスピアノ協奏曲第4番(78CDR-3009)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 78CDR-3051)が発売されている。

78CDR-3062

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1965/7
(1926年3月26日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。この録音は電気録音最初期の1926年3月のもの。SP時時代の決定盤だった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3055)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。

78CDR-3063

 

試聴

スーク:4つの小品作品17

ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB6359/60
(1946年8月12-14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)にクラスにはいり、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-1076)が出ている。

78CDR-3064

 

試聴

ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ

マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ジノ(ヴィオラ)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)

仏 ODEON 165.243/5
(1928年2月3日録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1906年に一等賞を得、1908年にソロ・デビューした。1913年から1938年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から1949年にパリ音楽院の教授もつとめた。1952年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991) 、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と共に若い音楽家を育成するマールボロ音楽祭の創立に加わった。SPレコードの録音も多い。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソロ奏者としても活躍した。1948年から1958年にはパリ音楽院の教授も務めた。ラスキーヌもSPレコード時代から、LP時代、ステレオ時代と録音が多い。

78CDR-3065

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)@モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219-第3楽章
Aマスネ=マルシック編:タイスの瞑想曲

ジュール・ブーシュリ(ヴァイオリン)
ルイ・ディエメール(ピアノ)

仏 ZONOPHONE X77906/77913
(1906年パリ録音)
ジュール・ブーシュリ(1878-1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ティボー(1880-1953)の2歳年上で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァルトの演奏を得意としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパリ音楽院のヴァイオリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、28歳の時に13面を残したのみで、これはその中の2面である。ブーシュリの弟子には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)、ジャニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、イヴリー・ギトリス(1922-)、ミシェール・オークレール(1924-2005)、ドゥヴィ・エルリー(1928-)ほかがいる。ピアニストの名前はレーベルに記載されていないが、ルイ・ディエメール(1843-1919)という説がある。ディエメールはパリ音楽院のピアノ科の教授として弟子にコルトー(1877-1962)、リスレル(1873-1929)、カザドゥシュ(1899-1972)らがいた。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、愛弟子ソリアーノのために指揮棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番がこのシリーズ(78CDR-1031)で発売されている。

78CDR-3066

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
@クライスラー:
プロヴァンスの朝の歌-L.クープランの様式による
Aダンブロジオ:セレナード作品 4

ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
エドワード・C・ハリス(ピアノ)

米 COLUMBIA 20023-D(1924年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で作曲を5歳で始めた。1888年、7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年、12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までにヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1923年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは42歳だった。彼は1929年にもニューヨークで12面6枚の電気録音を行った。このシリーズでショーソン:詩曲(78CDR-3018)とヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3035)、プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ、クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット、コレッリ:ラ・フォリア(78CDR-1088)が出ている。

78CDR-3067

 

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機械式録音盤(電気録音以前)
@マルシック:スケルツァンド作品 6-2
AJ.S.バッハ:ガヴォット-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 より

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(1)

伊 FONOTIPIA 39087/39222
(1905年マルシック、1904年バッハ、パリ録音)
20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)は1893年14歳でパリ音楽院にはいりマルシックに師事した。1897年一等賞を得た。卒業後生計を立てるためパリのカフェ・ルージュで演奏しているところを指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見出され、コロンヌの主宰するオーケストラに入った。ある日急病のコンサート・マスターの代役を務めていたとき、サン=サーンスのオラトリオ「大洪水」の前奏曲のソロ・パートを弾き、聴衆から絶賛され、以降コロンヌのソリストとしてパリの楽壇の寵児となった。1903年にアメリカにデビュー世界的なヴァイオリニストとして名声を確立した。この録音は1904年のティボーの初レコードで、録音時ティボーは24歳だった。このシリーズでティボーはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(78CDR-3015)、ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3044)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-1071)、モーツァルトヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-1080)、ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲(78CDR-1101)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(78CDR-1118)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)が出ている。

78CDR-3068

 

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機械式録音盤(電気録音以前)
ヴィターリ:シャコンヌ ト短調

ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(オルガン)

独 GRAMMOPHON 68074/6
(1923年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)チェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。この録音はプシホダの最初期のもので、伴奏がシートマイヤー・フリューゲル(オルガン)である。片面盤3面に収録されたノーカット版であることもこの時代には珍しい。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ。ピアノの神童と言われた。録音プロデューサの草分けで、作曲・編曲・オーケストラ指揮・ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。19世紀末からドイツ・グラモフォンで活躍し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」や第9番「合唱」の電気以前の録音もある。1935年から1944年はドイツ・エレクトローラの専属だった。

78CDR-3069

 

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機械式録音盤(電気録音以前)
@ドヴォルザーク=ウィルヘルミ編:ユモレスク
Aヴェチェイ:奇想曲第2番「滝」

フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴァイオリン)
カロル・シュレター(ピアノ)

独 VOX 06294
(1925年録音)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。神童で10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。42歳で惜しまれつつ早逝した。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏曲はヴェチェイに献呈された。ドイツのVOX 社は機械式録音時代の末期に存在したレコード会社。機械式録音に自信があったため電気録音に乗り遅れ倒産した。他社が電気に切り換えた後の1927年まで旧式録音を継続していた。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3070

 

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J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011

パブロ・カザルス (チェロ)

米VICTOR 12-0890/06,英HIS MASTER'S VOICE DB6538/44S と同一録音
(1939年6月13日パリ,アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973) はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリでデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004)、第2巻は組曲1番と5番で1938年録音、この組曲4番と5番は1939年4月にパリで録音され、アルバム第3巻として発売された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。

78CDR-3071

 

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J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042
デプラーヌ=ナシェ編:イントラーダ

ジャック・ティボー (ヴァイリン)
R.オートマンス指揮 オーケストラ (バッハ)
P.アダミ (ピアノ)(デプラーヌ)

英HIS MASTER'S VOICE DB789/91
(1924年10月21,31,11月1日ヘイズ, スタジオ "A" 録音)
機械式録音盤。ジャック・ティボー (1880-1953)の残した数多いSPレコードの中の最高傑作。録音は1924年、ティボーが44歳の時のもの。1924年にはおそらく電気録音開発を知っていたであろうHMVが敢行した録音で、大ヴァイオリニスト、ティボーの気力漲るベスト・フォームが聴ける。これはSP時代からの稀少盤で、「珍品レコード」(グラモフィル社1940年刊、復刻版富士レコード社1972年刊)によれば、「我國に輸入された數は三組と言い、或いは五組と噂されてゐるが、その後歐州から直接求めた人士、おあるから實際は最少限度十組はあると想像される。久禮傳三氏の調べたところに依ると七八組所有者が判ってゐると云うことであるから、或いはもう少し多いかもしれない。」との記述がある。

78CDR-3072

 

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ショパン:ワルツ集 アルフレッド・コルトー (ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB2311/6
(1934年6月19-20日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞を得て卒業した。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアニ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年パリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。この「ワルツ集」はコルトーのショパン録音の中核をなすもので、「エチュード」作品25(78CDR-1061)と同時期に録音された。コルトーは録音時57歳だった。この時代のコルトーが弾いていたフランスのプレイエル社のピアノの絢爛たる音色がダイレクト・トランスファーで聴ける。

78CDR-3073

 

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J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

英HIS MASTER'S VOICE DB4908/13
(1933年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)がSP時代に録音した初の大曲で、「ゴルトベルク変奏曲」の原点。ランドフスカは二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。ランドフスカの「ゴルトベルク変奏曲」は英HMVの "バッハ・ソサイエティ" の第1回発売で、英国盤の初版300部のアルバムには、ランドフスカの紫色のインクと羽根ペンによる自筆署名のシールが貼られていた。これは愛蔵家番号No.272のセットからのダイレクト・トランスファー。

78CDR-3074

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218

フリッツ・クライスラー (ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮管弦楽団

(1924年12月1-2日ヘイズ、スタジオ "A”録音)
機械式録音盤。この録音は電気録音出現前夜のものである。機械式録音時代の大曲録音は省略版で演奏されることが多かった中で、ノーカットでの録音である。これもSP時代から人気の高かった稀少盤で、理由は聴いてみると納得する。クライスラー(1875-1962)の49歳の録音である。これも人類の遺産的な価値を持つ偉大なレコードである。

78CDR-3075

 

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ラヴェル:
ピアノ協奏曲ト長調
亡き王女のためのパヴァーヌ

マルグリット・ロン(ピアノ)
モーリス・ラヴェル指揮 交響楽団(協奏曲)
フレイタス・ブランコ指揮 交響楽団(パヴァーヌ)

英 COLUMBIA LX194/6
(1932年4月パリ録音)
マルグリット・ロン(1874-1996) はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。この録音はロンが作曲者モーリス・ラヴェル(1875-1937)自身の指揮で録音した音楽史上の記念碑的レコード。この名曲演奏の原点である。録音時ロンは58歳、ラヴェルは57歳だった。ロンは1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1954)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンの弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイアン(1907-1982)などLPの時代に活躍した人がいる。

78CDR-3076

 

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R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調作品18
タルティーニ=クライスラー編:コレッリの主題による変奏曲

ジネット・ヌヴー (ヴァイオリン)
グスタフ・ベック (ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB4663/6
(1939年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー (1919-1949)の20歳の時の録音。初録音はこの録音の前年の1938年、同じくベルリンで12インチ盤2枚と10インチ盤1枚だった。リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは作曲者が24歳の作品で、シュトラウスは室内楽の作曲をこれ以降せず、交響詩やオペラに集中するようになった。ヴァイオリン・ソナタにはその後の交響詩やオペラに聴くフレーズが顔を出して思わず微笑んでしまう魅力的作品。ヌヴーは真摯な情熱を傾けて演奏を展開する。

78CDR-3077

 

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チャイコフスキー:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
メロディ変ロ長調作品42-3

ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ウィリアム・スタインバーグ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1-7)
ピアノ伴奏(8)

独 PARLOPHONE P9855/59(英COLUMBIA L2335/8と同一録音)
(1928年12月28,30日ベルリン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランソ出身のヴァイオリニスト。1892年10歳で当時の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。このチャイコフスキーは電気録音初期のもので、SP時代にはこの曲の決定盤だった。フーベルマンはヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏である。これはよりリアルな音を持つドイツ・パーロフォン盤からのダイレクト・トランスファー。

78CDR-3078

 

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J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004

ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)

米COLUMBIA S70198-D/70200-D
(1935年12月,1936年2月ニューヨーク録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行をした。1929年にアメリカ・デビュー、1942年のアメリカ市民権を得た。このSP録音は「シャコンヌ」の演奏を生涯の芸術としたミルスタインが31歳の時のもので、ほとんど知られていないもの。後年の演奏との比較が興味ある。

78CDR-3079

 

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シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)(1-6,8-20)
エルノ・バロー(ピアノ)(7)

米COLUMBIA 71778-D/71783-D(1-6,8-20)
英HIS MASTER'S VOICE DA1467(7) (原録音:米VICTOR 1371)
(1942年録音 「いらだち」を除く、「いらだち」は1935年10月17日録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はオペラだけではなくリートを得意とした。この「美しき水車屋の娘」はアメリカ・コロンビアに録音したが、第7曲「いらだち」だけがアメリカ・ヴィクター社に録音していたため、コロンビア盤からは除外された。「冬の旅」(78CDR-1048,78CDR-1049)につづくレーマンのシューベルトで、第2次世界大戦のため日本ではSPレコードでは発売されなかった。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3080

 

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
マルコム・サージェント指揮
管弦楽団

米 VICTOR 6744/6(英HIS MASTER'S VOICE DB1018/20と同一録音)
(1927年2月23日ロンドン、クイーンズ・ホール録音)
20世紀フランス最高のヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)が生涯コンサート・プログラムに載せた協奏曲。ティボーの電気録音時代の最高傑作。息づまるような名演奏を繰り広げている。ヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルトの作品表から除外されている。このシリーズではベルギーの巨匠アルフレッド・デュボワの演奏(78CDR-3054)も出ている。

78CDR-3081

 

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フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集 ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

英 HIS MASTER'S VOICE DB4941/6
(1934年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)は二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。このランドフスカによるクープラン作品集の録音はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の翌年に行われた。「ゴルトベルク変奏曲」と同じく英国 HIS MASTER'S VOICE初版300部のアルバムには紫色のインクと羽根ペンによるランドフスカの自筆署名の愛蔵家番号シールが貼られていた。

78CDR-3082

 

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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドロベル(チェロ)

日本コロムビア J7529/33 ( 仏COLUMBIA D15097/101 と同一録音)
(1928年10月5,8日パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1876-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年52歳。カペーはパリ音楽院でジュマとJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。この録音時のメンバーは1918年からのもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していたカペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そして同年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ハイドン: 弦楽四重奏曲第67番「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3083

 

試聴

ラヴェル:ソナチネ(1905)
ラヴェル:水の戯れ(1901)

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1533/4
(1931年5月11日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
スイスに生まれたフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)
は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積んだ。1896年一等賞を得て卒業。1897年バイロイトに赴き合唱指揮者となった。フランスに戻った後、1902年に「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演を指揮した。同年ソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このラヴェルのソナチネはコルトーが54歳の時の録音。録音時作曲者のラヴェル(1875-1937)は56歳だった。コルトーによるラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3084

 

試聴

ブラームス:チェロ・ソナタ第2番ヘ短調作品99

パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)

米 VICTOR 14699/702 (英HIS MASTER'S VOICE DB3059/62と同一録音)
(1936年11月28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)が英HIS MASTER'S VOICEの主要アーティストとして活躍しはじめた1936年録音で、バッハの無伴奏チェロ組曲第2番と第3番の5日後の録音。まるで昨日の録音のような音の生々しさは圧倒的。録音後70年以上を経たものとはとても思えない。

78CDR-3085

 

試聴

モーツァルト:弦楽五重奏曲ト短調 K.516

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
L.ドリヴェイラ(第2ヴィオラ)

米COLUMBIA 67838/41-D (英 COLUMBIA LX61/4と同一録音)
(1930年3月2日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3055)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番(78CDR-3062)が出ている。

78CDR-3086

 

試聴

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB8282/5
(1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれの20世紀最高のヴァイオリニストの一人。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、10歳の春にデビュー。その後ロシアの諸都市で演奏、1913年にはベルリンでニキシュ指揮の下で演奏した。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住した。以降天才少年は一流演奏家としての待遇を受けた。この協奏曲は36歳の時の録音。録音場所をロンドンに選んだのも、当時の英国のクラシック音楽の録音技術がアメリカを越えていたからであろう。

78CDR-3087

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64

エミール・テルマニー(ヴァイオリン)
トーマス・イェンセン指揮
室内管弦楽団

デンマーク TONO X25065/7
(1946年8月31日,9月9日,1947年6月16日録音)
エミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれのヴァイオリニストでブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住、作曲家カール・ニールセン(1865-1931)の娘婿となった。テルマニーはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータをカーヴドボウ(彎曲した弓)"Vega" で弾いて注目され、初期LP時代に英DECCAに録音もあった。TESTAMENT社からCDが発売されている。

78CDR-3088

 

試聴

プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ
クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット(プニーニのスタイルによる)
コレッリ:ラ・フォリア

ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)

日本コロムビア JW232&J7940
(原録音:米COLUMBIA 50235D,50161D)
(1929年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で、作曲を5歳で始めた。1888年7歳でウィーン音楽院に入学を許され、
1893年12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926) 、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1929年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは48歳だった。このシリーズでショーソン:詩曲(78CDR-3018)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3035)とクライスラー:プロヴァンスの朝の歌&ダンブロジオ:セレナード(78CDR-3066)が出ている。

78CDR-3089

 

試聴

チャイコフスキー:カプリッチョ風小品作品62
グリンカ:メロディア

ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(チェロ)
キリル・コドラシン指揮
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団(1)
A.A.デディムヒン(ピアノ)(2)

ソ連 Dolgoigratsia 78 D450/1
(1952年録音)
2007年4月27日に80歳の生涯を閉じたチェロの巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(1927年3月27日生まれ)の78回転盤録音。ロストロポーヴィッチが西側に姿を現したのは1956年だった。鉄のカーテンの向こう側の時代のロストロポーヴィチ25歳の演奏が聴ける。ローストロポーヴィッチ初録音の一つの貴重な一枚。LPと同じ音ミゾでカットした10インチ78回転盤。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3090

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 BWV1001からアダージョ

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

米 VICTOR 8074/9(英 HIS MASTER'S VOICE DB990/5 と同一録音)
(1926年12月15-16日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はこの1926年と1936年の2回ベートーヴェンを録音した。この1926年版はSP時代この曲の決定盤と評価されていた。電気録音の最初期のためまだ録音機の回転精度が悪く、面によってピッチが異なっていた。また第12面に収録されたバッハの無伴奏も圧倒的な感動を覚える名演奏である。クライスラーが51歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。

78CDR-3091

 

試聴

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

米VICTOR 8080/3 (英 HIS MASTER'S VOICE DB997/1000と同一録音)
(1926年12月9-10日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1926年と1936年の2回メンデルスゾーンを録音した。この1926年版はクライスラーが電気録音になって初の協奏曲録音で、SP時代この曲の決定盤と評価されていた。クライスラーが51歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。

78CDR-3092

 

試聴

ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
ショパン: マズルカ第38番嬰ヘ短調作品59-3

マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ音楽院管弦楽団

米 COLUMBIA 67800/3-D(原録音:仏COLUMBIA D15236/9)
(協奏曲:1929年6月28,29日録音,マズルカ:11月6日録音)
マルグリット・ロン(1874-1966)は17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年に19歳でコンサート・デビューし、1906年32歳で母校パリ音楽院の教授に就任した。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。この録音はロンが54歳の時のもの。ロンの録音はモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 K.488(78CDR-3023)、ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(78CDR-3075)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3093

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」

マグダ・タリアフェロ(ピアノ)
レナルド・アーン指揮
コンセール・パドゥルー管弦楽団

仏 DECCA TF141/4
(1930年パリ、ガヴォー音楽堂録音)
(注:原録音のオーケストラ音に著しい歪みがあります)
マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ、サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1877-1962)に師事した。指揮のレナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカスに生まれ、3歳の時にパリに移住した。6歳の時に神童としてナポレオン3世の従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノでのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦で10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、パリ・オペラ座の指揮者として活躍、またザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。この録音はベルエポックのスター二人によるもので、パリのモーツァルト演奏がどんなものだったかを知ることができる貴重なもの。残念ながら録音技術に欠陥があり音質が非常に悪い。だが他に聴くことができない歴史的モーツァルト演奏のためこのシリーズに加えた。

78CDR-3094

 

*試聴はありません

J.S.バッハ=コルトー編曲:コンチェルト・ダ・カメラ
(原曲=ヴィヴァルディ:協奏曲作品3の11「調和の幻想」のJ.S.バッハによる
オルガン協奏曲ニ短調 BWV596)
J.S.バッハ=コルトー編曲:
アリア(原曲=クラヴィーア協奏曲第5番ヘ短調 BWV1056- 第2楽章)

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米 VICTOR 15463/4, 15412
(原録音:英 HIS MASTER'S VOICE DB3261/2)
(1937年5月18日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)がソロ・ピアノに編曲したバッハの協奏曲である。コルトーはバッハのブランデンブルグ協奏曲の全曲を自らの指揮とピアノで録音したほどにバッハを敬愛していた。ここにはコルトーのバッハ感が集約されている。

78CDR-3095

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69

アンドレ・ナヴァラ(チェロ)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

仏 COLUMBIA LFX841/3
(1948年7月6日パリ録音)
アンドレ・ナヴァラ(1911-1988)は1920年、9歳でトゥールーズ音楽院に入り4年後に一等賞を得て、さらにパリ音楽院出研鑽を積み1927年に一等賞を得た。卒業後クレトリー弦楽四重奏団に入り1935に退団、1937年にウィーン国際コンクールで優勝、ソリストとして華やかな活動を開始した。1949年にパリ音楽院教授に迎えられ、イタリア、シエナのシギアーナ音楽アカデミーの教授もつとめた。1940年代後半からソロよりもむしろ室内楽の分野で活躍し、ステレオ時代になってからもソロ録音が多い。この録音はナヴァラ38歳の録音。

78CDR-3096

 

試聴

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.311(284c)「トルコ行進曲つき」 エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

独 ELECTROLA DB1993/4
(1933年4月25,28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)のHIS MASTER'S VOICEへの初録音。フィッシャーはスイスのバーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンでリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年にベルリン高等音楽院の教授に就任し後進の指導にあたる一方、演奏家としても活躍した。弟子にはレーヌ・ジャノリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ・スコダ(1927-)、イエルク・デムス(1928-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-) 、ダニエル・バレンボイム(1942-)らがいる。フィッシャーはモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3057)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3097

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458「狩り」 レナー弦楽四重奏団

米 COLUMBIA 67740/2-D (原録音:英 COLUMBIA L2261/3)
(1928年11月3日ロンドン録音)
この録音が行われた1928年秋、英国COLUMBIA社はカペー弦楽四重奏団とレナー弦楽四重奏団の2大カルテットを擁していた。この時代は同一レーベルが同一曲を別団体で録音することは極力避けられていた。レナー弦楽四重奏団の「狩り」はこのような状況の下で録音された。この団体の最も得意とした曲と言える。ハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人の奏者は、革命後祖国を離れてロンドンを中心に活躍した。モーツァルトの録音はクラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、弦楽四重奏曲第14番K.387(78CDR-3055)、弦楽四重奏曲第15番 K.421(78CDR-3062)、弦楽五重奏曲ト短調 K.516(78CDR-3085)がこのシリーズで出ている。この復刻には米COLUMBIAのブルー・シェラック盤を使用した。

78CDR-3098

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第30番ニ長調 K.306(300l)

カルロ・ファン・ネステ(ヴァイオリン)
ナウム・スルズニー(ピアノ)

ベルギー HIS MASTER'S VOICE DB4703/4
(1950年1月20日録音)
カルロ・ファン・ネステ(1914-)はベルギーのブリュッセル王立音楽院出身でジョルジュ・エネスコに師事した。1933年にアンリ・ヴュータン賞を受賞した。ベルギーの生んだ世界的ヴァイリニスト、アルテュール・グリュミオー(1921-1986)の先輩にあたる。ナウム・スルズニー(1914-1979)はステファン・アスケナーゼに師事したピアニスト。第2次世界大戦直後の録音。フランス・ベルギー楽派の伝統が生きている。このソナタの初レコード。

78CDR-3099

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)

エールリング・ブロッホ(ヴァイオリン)
ホルゲル・ルンド・クリスティアンセン(ピアノ)
スカンジナヴィア HIS MASTER'S VOICE DB5258/9(デンマーク)

(1941年録音)
エールリング・ブロッホ(1904-1992)はデンマークのヴァイオリニスト。演奏活動の傍ら教師として後進の指導にあたった。ピアノのホルゲル・ルンド・クリスティアンセンは尊敬を集めたピアニスト。これは第2次世界大戦中の録音。この二人はニールセンのヴァイオリン・ソナタ第2番をデンマークHMVに録音していた(DB5219/20)。

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