新 忠篤氏 復刻

3900-

78CDR-3900〜3949
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3900

 

2023/3新譜

「ミシェル・ブシノ・ヴァイオリン・リサイタル」
コレッリの主題による変奏曲(タルティーニ=クライスラー編)
アンダンティーノ(マルティーニ)
奇想曲第13番(パガニーニ)
奇想曲第9番「狩り」(パガニーニ)
アヴェ・マリア (シューベルト=ヴィルヘルミ編)
マズルカ(イザイ)
ポロネーズ ニ長調(ヴィニャフスキ)
踊る人形(ポルディーニ=クライスラー編)
子守歌(フォーレ)
ツィィガーヌ(ラヴェル)

ミシェル・ブシノ(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・デフレヌ(ピアノ)

仏Disques Festival JON 100.027(Mono)1955年頃パリ録音
パリ音楽院ヴァイオリン科の名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したミシェル・ブシノ(1929-)はボルドー生まれ。1943年に一等賞を得て卒業。1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞。このコンクールの審査員の一人だったダヴィド・オイストラフ(1908-1974)がソ連政府を説得しブシノを助手にした。その後ブシノはベルギーのクイーン・エリザベス音楽コンクールでも入賞した。ブシノはフランス国立管弦楽団に席を置き、ジョルジュ・プレートル指揮のサン=サーンス「死の舞踏」の中でソロを聴くことができる。本シリーズでヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3029)が出ている。 復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

78CDR-3901

 

2023/3新譜

ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」(和声と創意への試み作品8)

ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族とともにアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとして研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウン・ホールでデビュー、1950年にカーネギー・ホールで4回のリサイタルを行った。1959年には来日したこともある。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。指揮者のヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はドイツ出身。1951年以降ウィーンに設立された新興レコード会社WESTMINSTERで多くのレコーディングを行った。バロック、古典派から当時の現代音楽まで広いレパートリを誇った。復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

78CDR-3902

 

2023/4新譜

ジャック・ティボー機械式(電気以前)の録音集」
ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品 2-8(ヴェラチーニ=サルモン編)
HMV DB801(Cc5352-1 & Cc5353-2)(Recorded 13 November 1924, Hayes, England)
「大洪水」前奏曲 作品45(サン=サーンス)(キズあり)
HMV DA620(A 29546-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.)
小舟にて-「小組曲」より(ドビュッシー)(キズあり)
HMV DA620(A 29545-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.)
セレニテ 作品45-5(ヴュータン)
Victrola 66064(Bb979-2)(Recoreded 6 February 1922, Hayes, England)
スラヴ舞曲第2番ト短調作品46-2(ドヴォルザーク=クライスラー編)
HMV 5-7956(Bb978-3)(Recorded 6 February 1922, Hayes, England)
楽興の時第3番ヘ長調 作品94-3(シューベルト)
カプリス第18番ヘ長調「小さなカプリス」(ローデ=ティボー編)
HMV 5-7955(Bb 982-2)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England)
タンブーラン(ラモー=クライスラー編)
サルタレッロ(ヴィニャフスキ=ティボー編)
HMV 5-7953(Bb 983-1)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England)

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ハロルド・クラックストン(ピアノ)(トラック1&2)他はピアニスト名不詳

ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスのヴァイオリン奏者。ボルドー出身。1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年に一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところ、指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌ・オーケストラの楽員になった。ここには1922年のHMVでの録音と1924年のアメリカVICTORへの録音と1924年ティボー機械式録音最後のヴェラチーニが入っている。すべて超稀少SPレコード。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3903

 

2023/4新譜

モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団

1938年3月7日&1939年2月27日ニューヨーク、NBC放送8Hスタジオ録音
英HMV DB 3790/2(米VICTOR 15733/5と同一録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1887-1967)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1888年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィル音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭に出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立されて復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。この交響曲40番はモーツァルトの原譜にないクラリネットが加えらている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3904

 

2023/4新譜

シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番作品99

アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

米 VICTOR 11-8394/7
1939年9月13日ニューヨーク録音
この名人3人のトリオは「百万ドル・トリオ」と呼ばれた。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はウクライナ生まれ。3歳でヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーチス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。このトリオの「大公トリオ」(78CDR-3865)も出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3905

 

2023/5新譜

牧神の午後への前奏曲-マルセル・モイーズの芸術
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
フェルー: 無伴奏フルートのための3つの小品
(1)恋する羊飼い
(2)硬玉
(3)端陽
イベール:フルート協奏曲(1932-1933)

マルセル・モイーズ(フルート)
ワルテル・ストララム指揮(ドビュッシー)
ストララム管弦楽団
ウジェーヌ・ビゴー指揮(イベール)
交響楽団

仏COLUMBIA LFX30 1930年2月24日録音(ドビュッシー)
仏COLUMBIA DFX194 1933年パリ録音(フェルー)
仏DISQUE GRAMOPHONE L1013/4 1934年パリ録音(イベール)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から32年にはストララム管弦楽団に席を置き、1932年から49年にパリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校の指揮科の教授もつとめた。2曲目の作曲者フェルーは現代音楽推進団体(トリトン)の創立者の一人。モイーズはこのシリーズで殆どの録音が復刻されている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3906

 

2023/5新譜

ダンディ:交響曲第1番ト長調「フランス山人の歌による交響曲」作品25

マルグリット・ロン(ピアノ)
ポール・パレー指揮
コロンヌ管弦楽団

仏COLUMBIA LFX 332/4
1934年5月24-25日パリ録音
作曲者ダンディが毎年夏を過ごしたセヴェンヌ地方山地の民謡を主題にして作曲。マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニーム生まれ。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、マルモンテル(1816-1898)教授のもとでさらに研鑽をつみ、1893年にサル・プレイエルでデビューし、1906年32歳でパリ音楽院教授に就任した。指揮者のポール・パレー(1886-1979)はノルマンディのル・トレポール出身。パリ音楽院在学中の1911年、カンタータ「ヤニッツァ」でローマ大賞を受賞。第1次世界大戦(1914-1918)にフランス陸軍に従軍したがドイツ軍の捕虜となり、ダルムシュタット収容所生活の間に音楽家たちと交友を築いた。大戦後は指揮者として活躍した。このシリーズで、この曲と同じセッションで録音されたベートーヴェンの田園交響曲(78CDR-3259)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3907

 

2023/5新譜

ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68

レオポルド・ストコフスキー指揮
ハリウッド・ボウル交響楽団

米 VICTOR 18-0020/24
1945年8月1日ロサンジェルス録音
このオーケストラは1922年にロサンジェルス地域で活動するミュージシャンが集まって野外劇場(ハリウッド・ボウル)演奏会を開いたのが始まり。1945年に指揮者のレオポルド・ストコフスキーのもとでハリウッド・ボウル交響楽団が設立された。これはその最初の録音。だがこのオーケストラは7シーズンで解散した。その後ハリウッド・ボウルでの夏のコンサートはロサンゼルス・フィルによって続けられている。レオポルド・ストコフスキー(1882-1971)はロンドン生まれ。1912年にフィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任し1940年までその地位にあった。ストコフスキーはレコードの発展に大きく貢献した。1925年に電気録音による初のオーケストラ録音、1932年にはベル研究所の世界初のステレオ録音の実験に参加し成功させた。この録音は日・米戦争終結の2週間前に行われた。レコードはSP盤ながら従来の落とせば割れるシェラック盤ではなく、LPと同じビニール製。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3908

 

2023/6新譜

ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36

パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

独 GRAMMOPHON 67608/12S
1941年ドレスデン録音
指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダ生まれ。アムステルダム音楽院で、ユリウス・レントヘン(1855-1932)、ベルナルト・ズヴェールスに作曲と指揮法を、ルイ・ツィマーマン(1873-1954)にヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートした。1932年にドイツ国籍を取得し、1933年に指揮者デビュー。1934年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。1942年から1944年までアーヘン市立歌劇場の音楽監督をつとめた。第二次大戦後、活動の場をオランダに移したが、戦時中のナチス政権とのかかわりを問題視され物議を醸した。1955年アムステルダムで死去。ファン・ケンペンはSPレコードにベートーヴェンの交響曲第5番(ドレスデン・フィル)と交響曲第8番(ベルリン・フィル)を独 POLYDORに録音していた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3909

 

2023/6新譜

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ピエール・モントゥー指揮
サンフランシスコ交響楽団

米 VICTOR 11-8951/53
1945年1月27日サンフランシスコ録音
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれのユダヤ系ヴァイオリニスト。 4歳からヴァイオリン教育を受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。ルッジェロ・リッチ(1918-2012)の師でもあったルイス・パーシンガー(1887-1966)が最初のヴァイオリン教師。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。このブルッフはメニューインの2回目の録音。ピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれのフランスの大指揮者。1935年から1953年アメリカのサンフランシスコ交響楽団の指揮者をつとめ、同楽団の黄金時代を築いた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

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78CDR-3910〜3919
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3910

 

2023/6新譜

ショパン:
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2

アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV DB 1494/7
1931年1月8-9日ロンドン、キングズウェイ・ホール(協奏曲)
1930年12月17日ロンドン、小クイーンズ・ホール内スタジオC録音
アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド生まれの大ピアニスト。そのレパートリーは古典派から現代音楽と幅広く、電気録音の初期からレコード録音を始めた。生涯の前半をヨーロッパで過ごし、1937年にアメリカに移住した。このショパンはルービンシュタインの初期の録音で、ここに収められた「ワルツ嬰ハ短調」はなんとテイク8(八回やり直してOKを出した)だった。これは限られたアーティストにのみ許されたことで、ヴァイオリンの巨匠フリッツ・クライスラーにテイク 7(ベートーヴェン「スプリング・ソナタ」の第3楽章-78CDR-3014)というのがあった。ルービンシュタインは後年ショパンのほぼ全作品のレコード録音を完成している。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)は1916年にヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団にチェリストとして入団(J.S.バッハ:チェロとピアノのためのソナタが78CDR-3443で出ている)。1925年には自らの室内管弦楽団を組織して指揮をはじめた。1936-43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。SPレコード時代シュナーベルやクライスラーらの巨匠との録音があった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3911

 

2023/7新譜

モーツァルト:
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ウォルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団

米 VICTOR LHMV-1012
1948年6月17-18(K.466)&6月18-19日
ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリン・デビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1932年から34年にロンドンに居を構え、1939にアメリカに移住した。このモーツァルトは大戦後の1948年に録音されたが、SPレコードでは発売されずに、初レコードはこのRCA盤だった。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1890)はプラハ生まれ。1938年ナチスの迫害を嫌ってイギリスに逃れた。EMIのハウス・コンダクターとして、巨匠達の録音伴奏指揮者を務めた。復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型ートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

78CDR-3912

 

2023/7新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4

パガニーニ弦楽四重奏団
アンリ・テミアンカ(第1ヴァイオリン)
ギュスタヴ・ロッセール(第2ヴァイオリン)
ロベール・クルト(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)

英 HIS MASTWERS VOICE 8488/90
1947年5月22日、ロンドン、アビー・ロードEMIスタジオ録音
パガニーニ弦楽四重奏団は1944年アンリ・テミアンカ(1906-1992)によって結成された。結成の前年テミアンカは元プロアルト弦楽四重奏団のチェリスト、ロベール・マースに会った。マースは新しい弦楽四重奏団のスポンサーになる人物が居ることを話し、またニューヨークの楽器店で売り出されていたパガニーニ(1872-1840)が所有していた 4本のアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)製の楽器を同じスポンサーが購入して貸与されることで四重奏団をスタートした。1946-47年のシーズンにオール・ベートーヴェンのプログラムをワシントンの国会図書館で演奏し大成功を収め、すぐにRCA VICTOR社が契約した。各奏者の略暦は78CDR-3379ドビュッシー弦楽四重奏曲にある。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3913

 

2023/7新譜

シューマン:チェロ協奏曲イ短調作品129
(一部に使用ディスクの傷によるノイズが入ります)

ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

日VICTOR JD-1599/601(英HMV DB4550/52と同一録音)
1938年6月8日ベルリン録音
ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はドイツのチェリスト。6歳でチェロを始め、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)に、ベルリンでフーゴ・ベッカー(1864-1941)に師事し、1930年にメンデルスゾーン賞を受賞し、1936年フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏会でソリストとしてデビューした。その後ピアノのエリー・ナイ(1882-1968)、ヴァイオリンのマックス・シュトループ(1900-1968)とピアノ三重奏団を組んだ。ヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)はドイツの指揮者。これは大戦中に録音されたこの指揮者の最初期の録音。LP時代になって多くの名録音を残している。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3914

 

2023/8新譜

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

ピエール・モントゥー指揮
サン・フランシスコ交響楽団

米 VICTOR 11-9237/40
1945年3月19日サン・フランシスコ録音
ピエール・モントゥー(1875-1964)はフランス生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンと指揮法を学び、1906年コロンヌ管弦楽団を指揮して指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者をつとめ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」などの初演を指揮した。第一次世界大戦(1914-1918)でモントゥーは兵役に服したが1916年に除隊、アメリカに渡り、翌年からメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年から1953年までサンフランシスコ交響楽団の常任となり、同楽団の黄金時代を築いた。モントゥーはその後フリーになり1963年にロンドン交響楽団と共に来日した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3915

 

2023/8新譜

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595(カデンツァ:モーツァルト)

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン交響楽団

米 VICTOR 17053/56(英 HMV DB2249/52と同一録音)
1934年5月2日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
今でこそ幾多の録音が存在するこの曲だが、1934年にウィーンでシュナーベルによって演奏されたのは、なんとモーツァルトがこの地で初演して以来の二度目の演奏会だったことはあまり知られていない。この曲の世界初録音。アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)生まれ。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリン・デビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1932年から1934年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。指揮者のサー・ジョン・バルビローリはロンドン生まれ。1916年ヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団に入りチェリストとして活躍を始めた。1925年室内管弦楽団を組織して指揮者に転向。1936年ニューヨーク・フィルの首席指揮者になった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3916

 

2023/8新譜

グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16

モウラ・リンパニー(ピアノ)
シドニー・ビーア指揮
ナショナル交響楽団

英 DECCA AK1134/37
1945年5月14日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音
モウラ・リンパニー(1916-2005)はイギリスのコーンウォール生まれの女流ピアニスト。幼少時にベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、リエージュで勉強を続けた。その後ロンドンの王立アカデミーでも学んだ。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に次いで 2位に入賞した。第2次世界大戦後はイギリスで最も名前の通ったピアニストになった。指揮者のシドニー・ビーアはナショナル交響楽団の創立者。このシリーズでチャイコフスキー交響曲第5番(78CDR-3158)が出ている。第2楽章のホルン・ソロはデニス・ブレインが吹いている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3917

 

2023/9新譜

ジャン・マルティノン/ラヴェル&シャブリエ管弦楽曲集
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
シャブリエ:田園組曲

ジャン・マルティノン指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英DECCA AK 1838/39(ラヴェル)
ffrr Recording
1947年5月13日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音
米LONDON T.5126/7(シャブリエ)(英DECCA AK 2239/40と同一録音)
ffrr Recording
1948年12月15日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音
ジャン・マルティノン(1910-1976)はフランスのリヨン生まれ。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、ヴァンサン・ダンディとアルベール・ルーセルに作曲、シャルル・ミュンシュとロジェ・デゾルミエールに指揮法を師事した。ヴァイオリニストとして出発したが、途中で指揮者に転向、パリ音楽院管弦楽団、ボルドー交響楽団、コンセール・ラムルー、イスラエル・フィルハーモニー、デュッセルドルフ交響楽団などの指揮者を歴任。1958年からはフリーランス。その後シカゴ交響楽団の音楽監督をつとめた。1968年からフランス国立放送管弦楽団の音楽監督に就任し、フランス指揮界における重鎮として活躍したが、
1976年3月1日、66歳で他界した。この録音はSPレコード時代の末期のもので、若き日のマルティノンの音楽を聴くことができる貴重な録音。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3918

 

2023/9新譜

ベートヴェン:七重奏曲変ホ長調作品20

ウィーン八重奏団のメンバー
ウィリー・ボスコフスキー(ヴァイオリン)
ヨハン・クルンプ(コントラバス)
アルフレート・ボスコフスキー(クラリネット)
ルドルフ・ハンツル(バスーン)
ヨゼフ・ウェレバ(ホルン)
ギュンター・ブレイテンバッハ(ヴィオラ)
ニコラウス・ヒュブナー(ヴィオラ)

英 DECCA AX 306/310 ffrr録音
1948年7月スイス、ジュネーヴ放送スタジオ録音
(プロデューサー:ヴィクター・オロフ、エンジニア:ケネス・ウィルキンソン)
ウィーン八重奏団は、長い伝統に育まれた独特の優美な響きと、自発性に富んだ豊かな表現で、世界最高のオーケストラとして、世界中の音楽ファンから愛されてきたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者たちを中心に結成された。第二次世界大戦後直後の1947年、当時ウィーン・フィルのコンサート・マスターだったウィリー・ボスコフスキー(1909-1991)と彼の実弟で首席クラリネット奏者アルフレート・ボスコフスキー(1913-1990)を中心に弦楽器奏者5人、管楽器奏者3人で結成された。これはその初録音。SPレコードの末期で英国デッカ社はウィーンにスタジオが無く、スイスのジュネーヴの放送局のスタジオに出向き録音した。デッカ社がウィーンで録音を始めたのは1950年だった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3919

 

2023/9新譜

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源

イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団

英HMV D 767/71
1923年9月4、7&21日ロンドン録音
※復刻に使用したSP盤のキズによるノイズがあります
イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀前半に活躍した英国の女流ヴァイオリン奏者。1917年17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子だった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。メンゲスはこのシリーズでJ.S.バッハ:「シャコンヌ」(78CDR-3020)、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3497)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3497)、シューベルト:ソナチネ第3番(78CDR-3206)が出ている。指揮者のランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。ロンドン交響楽団、ロンドン新交響楽団(ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団)、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者を歴任。機械式録音時代からレコード録音が多数あった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

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78CDR-3920〜3929
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3920

 

2023/10新譜

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調作品105

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

英 HMV DB3371/2
1937年10月9日ロンドン、アビー・ロード、EMI第3スタジオ録音 アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァイオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンクに師事した。16歳の時、大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、20歳の時、ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチスの台頭で、ユダヤ系ピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にヨーロッパを去り、アメリカに移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ・ピニストに抜擢され、後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を創設、主宰した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3921

 

2023/10新譜

リヒャルト・シュトラウス:ホルン協奏曲第1番変ホ長調作品11

デニス・ブレイン(ホルン)
アルチェオ・ガリエラ指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 COLUMBIA D.X.1397/8
1947年5月21日録音 デニス・ブレイン(1921-1957)はイギリスのホルン奏者。父親で名ホルン奏者のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身が運転するスポーツカー(トライアンフ)の事故で命を落とした。享年36。デニス・ブレインはこのシリーズでモーツァルト:ホルン協奏曲第2番&第4番(78CDR-3291)、モーツァルト ホルン、ヴァイオリン、2つのヴォラとチェロのための五重奏曲(78CDR-3386)、チャイコフスキー交響曲第5番(第2楽章のホルン・ソロ)(78CDR-3158)が出ている。指揮者のアルチェオ・ガリエラ(1910-1996)はイタリア、ミラノ生まれ。ミラノ音楽院出身。1941年に指揮者デビュー。第二次世界大戦勃発でスイスに亡命。1945年にルツェルン音楽祭に出演後、演奏活動を再開した。シャルル・デュトワの師。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3922

 

2023/10新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA LX319/322
1932年3月10&14日ロンドン録音 レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1858-1948)、第2ヴァイオリンのヨゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートの3人がイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンはダヴィッド・ホッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だっただったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年間田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。その後1922年にロンドンに、1929年にアメリカにデビュー。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を英コロンビアに録音した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3923

 

2023/11新譜

シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006 より
ガヴォットとロンド

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

日TELEFUNKEN 23653/6(独TELEFUNKEN 2395/8 と同一録音)1937年12月20日ベルリン、ジングアカデミー録音
協奏曲は作曲者シューマンが死の3年前に名ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の依頼で作曲したが、ヨアヒムは楽譜を封印し演奏しなかった。1937年にベルリン図書館のヨアヒムの蔵書から発見され、ナチス宣伝省の主導で録音された。ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ。第二次世界大戦中ソリストとして活躍する傍ら、ベルリン高等音楽院教授を1943年までつとめた。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)は大戦中も非ナチス党員を保ち、戦後に北ドイツ放送交響楽団の創立に尽力した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3924

 

2023/11新譜

ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
グルック:メロディ(オルフェオより)

エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
テオ・ファン・デル・パス(ピアノ)

日COLUMBIA J 8517/19(英 COLUMBIA LX 404/6と同一録音)1934年7月10&11日ロンドン録音
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)は現ウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒ音楽院でユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年にベルリン高等音楽院の教授になり齋藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れ、一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。20世紀前半を代表するチェリストとしてカザルスに次ぐチェロの巨匠として期待されたが、第二次世界大戦中に若くして亡くなった。1934年と1936年の2回来日し、日本コロムビアに多くのSP録音を残した。ピアノのテオ・ファン・デル・パス(1902-1896)はオランダ生まれ。ハーグ音楽院出身。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3925

 

2023/11新譜

ドイツのナイチンゲール/エルナ・ザックの芸術
(1)メドレー: 1.思い出(ドルドラ)- 2.セレナード(トゼリ)-
3.デュバリ伯爵夫人-私は一人の人にのみ心を捧げます(ミレッカー)-
4.こうもり-侯爵様、あなたのようなお方には(J. シュトラウス 2世)
U.S.CAPITOL 81700A (8033-1D-1) 1935年11月26日録音
(2)メドレー: 1.ワルツ春の声(J.シュトラウス 2世)-
2.セレナード第1番(ドルドラ)- 3.ジプシーの歌(ボルディ)-
4.ウィーンの森の物語(J.シュトラウス 2世)
U.S.CAPITOL 81701A (8034-1D-1) 1935年11月26日ベルリン録音
Recorded 26 November 1935
(3)フニクリ・フニクラ(L.ダンツァ)
U.S.CAPITOL 81702A (8035-1D-1) 1938年録音
(4)語りたまえ(パルラ・ワルツ)(アルディーティ)
U.S.CAPITOL 81702B (8033-1D-1) 1935年1月29日録音
(5)ユビラーテ(ジルヒャー)
U.S.CAPITOLA 81701B (8036-1D-7) 1939年録音
(6)オーストリアの村つばめ(ヨーゼフ・シュトラウス)
U.S. CAPITOL 81700B (8048-1D-3) 1939年ベルリン録音

エルナ・ザック(ソプラノ)
ヴィリー・チェルニック指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団((1),(2),(6))
ロルフ・シュレーダー指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団(3)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団(4)
ヴォルフガング・ヴァリシャウザー指揮
ジルヒャー・ダブル四重唱団(5)

原録音は独テレフンケン。復刻は米CAPITOL の戦後盤SPレコードによった。エルナ・ザック(1898-1972)はベルリン生まれのソプラノ。ドイツの "ナイチンゲール" と言われ人気を得た。戦前のレコード批評家あらえびすはその著書「名曲決定盤」で彼女の魅力をこう書いていた。「近頃ドイツで騒がれている人気歌手だ。若さと美しさをまき散らすようなところがこの人の受け容れられる原因だろう。声も技巧も良いが、それよりも張り切った若さと、魅力が特色だ。」今回の復刻CDはこれまでのものと一線を画すると思う。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3926

 

2023/12新譜

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482

エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮
管弦楽団

英HIS MASTER'S VOICE DB2681/4 1935年6月6日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれのピアニスト、指揮者、教育者。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事し、1933年にEMIのアーティストになりJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。ジョン・バルビローリ(1899-1970)はロンドン生まれ。最初チェロ奏者(78CDR-3443 J.S.バッハ:チェロ・ソナタBWV.1027、1929年録音)として音楽活動を始め、1925年室内管弦楽団を組織して指揮者にに転向。1936年ニューヨーク・フィルハーモニーの首席指揮者になり1943年までつとめた。1943年からイギリスのハレ管弦楽団の音楽監督を1958年までつとめ、その後ヒューストン交響楽団の常任指揮者(1961
-1967)もつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3927

 

2023/12新譜

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調 作品33

ピエール・フルニエ(チェロ)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB 6602/03 1947年9月29&30日ロンドン、アビーロード EMI第1スタジオ録音ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれ。最初ピアノを学んだが6歳の時小児麻痺による右足障害のためにチェロに転向した。1923年パリ音楽院一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から49年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年ヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えての四重奏で活躍、さらに1945年にはヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はプラハ生まれ。1934年にプラハのドイツ歌劇場でセルのアシスタントとして活躍、1938年にナチスの迫害をのがれてイギリスに移住。以降スコットランド管弦楽団、メルボルン交響楽団、トロント交響楽団、セントルイス交響楽団、シンシナティ交響楽団の指揮者を歴任した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3928

 

2023/12新譜

R.シュトラウス:オーボエ協奏曲ニ長調(1945-6)

レオン・グーセンス(オーボエ)
アルチェオ・ガリエラ指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 COLUMBIA DX 1444/6
1947年9月15&23日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音レオン・グーセンス(1897-1988)は20世紀前半を代表するイギリスの優れたオーボエ奏者。指揮者のアルチェオ・ガリエラ(1910-1996)はミラノ生まれのイオタリアの指揮者。パルマ音楽院の教授だった父親から音楽の手ほどきを受けた後、生地のミラノ音楽院でピアノ、オルガン、作曲を学んだ。1932年から母校で教鞭をとっていたが、1941年に指揮者に転向し、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮してデビューした。第二次世界大戦中にスイスに亡命し、1945年にルツェルン音楽祭に出演した。以降レコード録音を含め活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3929

 

2024/1新譜

「超人歌姫! 関屋敏子名唱集(1)」
見よ優しいひばりを(ビショプ)(英語歌唱)
セレナーデ(シューベルト-堀内敬三訳詩)
子守歌(シューベルト-内藤 濯訳詩
旅愁(オードウェイ作曲-犬童球渓訳詩)
故郷の廃家(ヘイズ作曲-犬童球渓訳詩)
庭の千草(アイルランド民謡)

関屋敏子(ソプラノ)
ナサニエル・シルクレット指揮
ヴィクター・サロン・オーケストラ
Nカルロ・サバイーノ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
管弦楽伴奏

日VICTOR J1001 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 13233 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 4135 1929年10月ミラノ録音
日VICTOR 11384 1934年日本録音
関屋敏子(1903-1941)は20世紀前半を代表するソプラノ歌手。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1928年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。その経歴は近刊の「関屋敏子-日本唯一の超人歌姫の謎」(江本弘志著)(文芸社)に詳しい。ここではポピュラーな曲を選んだが、関屋は50枚以上のSPレコード録音があり、未復刻のものを含めて将来このシリーズで発売する予定。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

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78CDR-3930〜3939
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3930

 

2024/1新譜

シューマン:子供の情景 作品15

マリラ・ジョナス(ピアノ)

米 COLUMBIA 72498/9C 1947年9月30日ニューヨーク録音
マリラ・ジョナス(1911-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。9歳の時ワルシャワでデビューし、大ピアニスト、パデレフスキの弟子になった。1922年に国際ショパン賞、翌23年にはウィーンでベートーヴェン賞を受賞、1926年からヨーロッパ各地でリサイタルを開くようになった。しかし1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、強制収容所に収監されたが、数週間後に演奏を聴いたことがあるドイツの高官の手助けを得て脱走、数カ月かけてベルリンのブラジル大使館まで約520キロメートルを徒歩で逃亡、リスボン経由でブラジルのリオ・デジャネイロへ亡命した。しかし同郷のアルトゥール・ルービンシュタインが声をかけ、1946年2月25にニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ・デビューして成功をおさめた。1946年にアメリカCOLUMBIAに録音を始めたが、1959年に病気のため48歳で死去した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3931

 

2024/1新譜

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131

レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

英 COLUMBIA L1581/85※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
1924年2月11日、2月21日、2月22日&8月24日録音 レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィッド・ホッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収め、その後1922年にロンドンにデビューした。この録音はレナー弦楽四重奏団初のベートーヴェン録音。9年後の1933年には電気録音で再録音している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3932

 

2024/2新譜

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
リリー・クラウス(ピアノ)

日COLUMBIA JW100/104
1936年12月4日&7日、1937年4月27日、ロンドン録音 ヴァイリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれ。8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フルハーモニーのコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。1934年政権を得たナチスによってその地位を追われ、ニューヨークでデビュー、戦後アメリカ国籍を得て演奏活動と後進の指導を行った。1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者をつとめ、富山県の立山のホテルで死去した。ピアノのリリー・クラウス(1903-1986)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルターン・コダーイ(1882-1951)の薫陶を得た。1942年シモン・ゴールドベルクと楽旅中、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3933

 

2024/2新譜

ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38

ベアトリス・ハリソン(チェロ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE D1380/82
1927年4月11日 ロンドン録音 ベアトリス・ハリソン(1892-1965)は20世紀前半に活躍したイギリスの女流チェロ奏者。インド北西部のルーキーに生まれ、幼少期に一家はイギリスに戻り、ロンドンの王立音楽院で学んだ。その後ベルリン高等音楽院に留学、1910年にメンデルスゾーン賞を受賞、ベヒシュタイン・ホールでデビューした。師はフーゴ・ベッカー(1863-1941)。ハリソンは1920年11月、HIS MASTER'S VOICEにエルガーのチェロ協奏曲を作曲者の指揮で録音(HMVD1507/09)したのを皮切りに、イギリスの作曲家、特にディーリアス(1862-1934)の作品の多くの初演を行った。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのハートフォード生まれ。名伴奏ピアニストとして多くの歌手や器楽奏者と共演した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3934

 

2024/2新譜

シューマン: 女の愛と生涯 作品42
(1)あの人に会ってから
(2)だれよりも素晴らしい彼
(3)わたしにはわからない
(4)指につけた指輪よ
(5)やさしい友よ、君の眼差しは
(6)いまあなたは最初の悲しみをわたしに与えた

エミー・ベッテンドルフ(ソプラノ)
フリーデル・ヴァイスマン(ピアノ)

日Parlophone E 10696/89(独 Parlophone P 9281/3と同一録音)
1926年12月13日&9月30日 ベルリン録音 (第5曲「友に手をかして」と第7曲「わたしの心に、わたしの胸に」は録音されていません)エミー・ベッテンドルフ(1895-1963)はフランクフルト生まれのソプラノ。1909年、14歳の時フランクフルト歌劇場でデビュー。1920年から1924年にベルリン国立歌劇場、その後ベルリン・ドイツ・オペラに出演した。ドラマティック・ソプラノでオペラだけではなく、あらゆるジャンルの声楽曲をこなし、生涯に300枚に及ぶSPレコードをドイツのPARLOPHONEに録音した。舞台を引退後レコード録音を続けると同時にベルリン音楽院で教鞭をとり、その後病気がちで68歳で死去した。伴奏者のフリーデル・ヴァイスマン(1893-1984)は指揮者でピアニスト。1921年から1933年の間に、ドイツのPARLOPHONEとODEONレーベルに多数の録音を残した。ラッパ吹き込み時代の1924年-25年にかけてベートーヴェンの交響曲全曲の初録音をしている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3935

 

2024/3新譜

ショパン:ワルツ集(第1-14番)

アルフレッド・コルトー(ピアノ)(ピアノ:Steinway)

仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4982/84(25cm盤), W1603/05(30cm盤)
1943年5月24日パリ録音 コルトー2回目のショパン:ワルツ集。第1回は1934年録音(78CDR-3072)。アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞て卒業した。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。この録音はコルトー66歳の時にパリで行われた。1934年の第1回録音では、プレイエル社のピアノを弾いていたが、ここではスタインウェイ社のピアノを弾いている。
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78CDR-3936

 

2024/3新譜

R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
アルパード・シャーンドル(ピアノ)

日VICTOR JI-22/25A (米VICTOR 7894/7Sと同一録音)
1934年2月6日 ニュージャージー、キャムデン、RCAスタジオ録音 オリジナルSP盤の面と面の間は編集していません。レコードに入っているままです。曲はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が1887年から1888年にかけて作曲した唯一のヴァイオリン・ソナタ。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し、10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後、少年ハイフェッツは一流ヴァイオリニストトして待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリニストとして崇められた。ピアノのアルパード・シャーンドル(1896-1972)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でバルトークやコダーイに師事した。1933年にアメリカに渡り、1943年に市民権を得た。
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78CDR-3937

 

2024/3新譜

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番変イ長調作品26「葬送」

レオニード・クロイツァー(ピアノ)

日COLUMBIA JW 93/4
1937年6月頃、東京録音 レオニード・クロイツァー(1884-1953)はドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニストで指揮者。両親はユダヤ系ドイツ人。サンクトペテルブルク音楽院でアンナ・エシポワにピアノを、アレクサンドル・グラズノフに作曲を学んだ。1906年ライプツィヒに移住、アルトゥール・ニキシュに指揮法を学んだ。1922年から1933年までベルリン音楽大学教授。1931年初来日。1933年再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず、1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)教授をつとめた。1942年ナチス・ドイツの欠席裁判によってドイツ国籍を剥奪され無国籍となった。1953年10月28日リサイタル中に心筋梗塞を起こし2日後に死去した。
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2024/4新譜

関屋敏子名唱集(2)
埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)
ソルヴェイグの歌(二見孝平訳詩 グリーグ作曲)
アイ・アイ・アイ(フレイレ作曲)
オー・ソレ・ミオ(私の太陽)(伊庭 孝訳詩 ディ・カプア作曲)
ブラームスの子守歌(堀内敬三訳詩 ブラームス作曲)
ドリゴのセレナード(堀内敬三訳詩 ドリゴ作曲)(3:40)

関屋敏子(ソプラノ)
ピアノ伴奏:デイヴィス
日本ビクター管弦楽団

(1930年頃録音)
日VICTOR 13046 1930年1月発売(25cm盤)
日VICTOR 13074 1930年7月発売(25cm盤)
日VICTOR 13076 1930年9月発売(25cm盤)
日VICTOR 13089 1930年11月発売(25cm盤)
関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。第1集(78CDR-3929)ではイタリア、アメリカでの海外録音を紹介したが、ここでは日本ビクターに吹き込んだ作品を集めた。
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78CDR-3939

 

2024/4新譜

シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120

ブルーノ・ワルター指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV DB3793/5
1939年4月26日ロンドン録音 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後にピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブ
ルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。またウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮した。1938年オーストリアがナチスに併合されると、迫害を避けてフランス、イギリスを経由してアメリカに逃れた。この録音はその途中に立ち寄ったロンドンでの録音。
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78CDR-3940〜3949
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3940

 

2024/4新譜

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情]

ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

独 POLYDOR 66033/5
1926年ベルリン録音 ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。これは電気録音(1925-)の最初期に録音されたもの。おそらく米ブランズウィック社が開発したライト・レイ方式電気録音と聴こえる。ケンプはモノLP、ステレオLPにベートーヴェンのソナタ全曲録音を残している。ケンプは1936年(昭和11年)にドイツ文化使節団の一人として初来日、以降1979年までに合計10回日本を訪れて、日本のクラシック音楽の発展に寄与した。1970年にはベートーヴェン生誕200年記念で来日し、ピアノ・ソナタ全曲演奏会を開いた。
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78CDR-3941

 

2024/5新譜

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104

ガスパール・カサド(チェロ)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

日TELEFUNKEN 13622/26(独TELEFUNKEN 1893/7 と同一録音)
1935年11月14日ベルリン録音 チェロのガスパール・カサド(1897-1966)はスペインのバルセロナ生まれ。7歳でチェロを学び始めた。9歳でリサイタルを開いたとき、聴衆中に居たパブロ・
カザルス(1876-1973)に認められ、以来カザルスの薫陶を得た。バルセロナでは街をあげて、カサド少年がパリのカザルスのもとで音楽修行を続けられるよう奨学金を集めた。職業演奏家としての活動は第一次世界大戦(1914-1918)中に始め、欧米各地で演奏活動やレコード録音活動を繰り広げた。1959年に日本人ピアニストの原智恵子(1914-2001)と結婚した。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はベルリン生まれのドイツの名指揮者。第2次世界大戦中も非ナチス党員をつらぬいた。当シリーズではヴァイオリニストのゲオルク・クーレンカンプとのシューマン:ヴァイオリン協奏曲(1932年録音)(78CDR-3923)が出ていた。大戦後のLP時代にDECCA, PHILIPS, DeutscheGrammophon,TELEFUNKEN に多くの名録音を残している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3942

 

2024/5新譜

ウェーバー:ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品24

クラウディオ・アラウ(ピアノ)

加 VICTOR 18524/6 (米VICOTR 18521/3と同一録音)
1941年2月20日ニューヨーク、VICTORスタジオ2 録音 クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。5歳でリサイタルを開き、8歳の時にチリ政府の奨学金を得てドイツに留学、ベルリンのシュテルン音楽院でリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1914年ベルリンでデビュー、以降ヨーロッパで名声を確立。1927年にジュネー
ブ国際音楽コンクールに第1位入賞。1935年からはベルリンでバッハとモーツァルトの全クラヴィーア曲の連続演奏会を開いた。またベートーヴェンやウェーバー、シューベルトのピアノ・ソナタの連続演奏会も開いた。1941年カーネギー・ホールにデビューし、翌年から本拠地をアメリカに移した。第二次大戦後は南北アメリカ、東西ヨーロッパなど世界的に活躍し、レコード録音もRCAVICTOR,CBS COLUMBIA, EMI, PHILIPS に多く残した。この録音はアメリカ・デビュー時にニューヨークで行われたもの。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3943

 

2024/5新譜

ストラヴィンキー:ピアノと管楽器のための協奏曲ニ長調(1923/4)

スリマ・ストラヴィンキー(ピアノ)
フェルナン・ウーブラドゥ指揮
パリ管楽器協会管弦楽団

仏 DISQUES "GRAMOPHONE" DB 11.105/6
1943年11月17日パリ、アルベール・スタジオ録音 ピアノのスリマ・ストラヴィンスキー(1910-1994)は作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの次男で、父親が「火の鳥」を発表した1910年にローザンヌで生まれた。スリマはパリ音楽院でピアノをイシドール・フィリップ(1863-1958)、作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)に師事した。1934年にパリでデビューし、父親の作品を共に演奏・録音した。1939年父親はアメリカに亡命したが、スリマはフランス陸軍に籍を置いていた。1948年父の招きで渡米し、以降アメリカで活動した。1950年から1978年までイリノイ大学でピアノを教えた。スリマの作品は父の没後に出版された。大部分はピアノ曲で演奏会用の作品の他に教育用作品があった。レコード録音は父のピアノ曲がこの他にもあった。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)はパリ生まれ。パリ音楽院出身。パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団の首席ファゴット奏者を勤めた後、1939年フェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を立ち上げ演奏会やレコード録音で活躍した。1941年から母校パリ音楽院教授をつとめた。
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78CDR-3944

 

2024/6新譜

ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス-スペイン古謡集
(1)うぐいす-カタロニア 古謡
DA1970A
(2)アメリアの遺言-カタロニア 古謡
DA1970B
(3)(a)さようなら、わたしのいい人
-(b)かあさんは私を嫁にやろうとして
ガリシア 古謡 (3:04)
DA1971A
(4)峠をめざして-アストゥリアス 古謡
DA1971B
(5)わたしの心はここにある
カスティーリャのファンダンゴ
DA1972A
(6)(a)泣いていたあの娘
-(b)羊飼いは行ってしまった
カスティーリャ 民謡
DA1972B
(7)(a)ベツレヘムの鐘 Campanas de Belen -
(b)私が歌うハエンの調べ
DA1973A
(8)すぐにおやすみ-ムルシア 古謡
DA1973B
(9)歌の文句が知りたいならば
グラナダの歌
DA1974A
(10)嘆きぶし-アンダルシア 古謡
DA1974B
(11)(a)麦打ち歌
-(b)パルデモーサのバラード
マジョルカ 古謡
DA1975A
(12)(a)わたしのもの-(b)いいなずけ
バスク地方の古謡
DA1975B

ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
レナータ・タラーゴ(ギター)
ガルシア・タラーゴ(編曲)

英 HIS MASTER'S VOICE DB 1970/1975
1950年9月12-15日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音 HIS MASTER'S VOICE D1970/1975
Recorded 12-15 September 1950, EMI Studio No.3,Abbey Road, Londonビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1923-2005)はスペインのバルセロナ生まれ。幼少時からギターと声楽を習い、長じてリセウ高等音楽院に進みピアノと声楽を学んだ。1944年にバルセロナでリサイタルを開いてプロ・デビューした。その後1947年ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。1949年にはパリ・オペラ座、1950年にはザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラハウス、ミラノ・スカラ座でデビュー。この録音は彼女の最初期のもの。その後EMIにオペラの全曲録音を20作以上残した。ギターのレナータ・タラーゴ(1927-2005)はバルセロナ生まれの女流奏者。父親からギターの手ほどきを受け、14歳で最初の演奏会を開き、17歳でバルセロナ音楽院の助教授に就任した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3945

 

2024/6新譜

ストラヴィンスキー:カプリッチョ(ピアノと管弦楽のための)

イーゴリ・ストラヴィンスキー(ピアノ)
エルネスト・アンセルメ指揮
ストララム管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX 81/3 1930年5月8-10日パリ録音
この曲は作曲者ストラヴィンスキーがピアニストとしての力量を示すために作曲された。1928年から29年にかけて南フランスで書かれ、初演は1929年末にパリのプレイエル音楽堂で、作曲者自身のピアノ、エルネスト・アンセルメ指揮パリ交響楽団によって行われた。エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイス生まれ。1910年モントルーで指揮者デビュー。間もなくモントルーのカフェでストラヴィンスキーと運命的な出会いをし交友を深めた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3946

 

2024/6新譜

シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120

ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

日POLYDOR 40141/4A (独 POLYDOR 66410/3と同一録音) 1926年ベルリン録音
ハンス・プフィッツナー(1869-1949)はドイツ後期ロマン派の作曲家。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれ、幼少時にドイツに移住し指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。レコード録音は機械式録音(1925年以前)の後期から電気録音の初期の時代にベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものがドイツPOLYDORに残されているが、その後は作曲活動に専念したためか録音はほとんど無い。この録音は米ブランズウィック社が開発した「ライト・レイ」方式の電気録音。プフィッツナーは機械式録音時代の1923年にベルリン・フィルを指揮してこの曲を録音していた(独POLYDOR 69625/7)。この音楽家のお気に入り作品。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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