レコード番号 |
タイトル |
演奏者 |
説明 |
33CDR-3900
2023/3新譜
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「ミシェル・ブシノ・ヴァイオリン・リサイタル」 コレッリの主題による変奏曲(タルティーニ=クライスラー編) アンダンティーノ(マルティーニ) 奇想曲第13番(パガニーニ) 奇想曲第9番「狩り」(パガニーニ) アヴェ・マリア (シューベルト=ヴィルヘルミ編) マズルカ(イザイ) ポロネーズ ニ長調(ヴィニャフスキ) 踊る人形(ポルディーニ=クライスラー編) 子守歌(フォーレ) ツィィガーヌ(ラヴェル)
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ミシェル・ブシノ(ヴァイオリン) ジュヌヴィエーヴ・デフレヌ(ピアノ)
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仏Disques Festival JON 100.027(Mono)1955年頃パリ録音 パリ音楽院ヴァイオリン科の名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したミシェル・ブシノ(1929-)はボルドー生まれ。1943年に一等賞を得て卒業。1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞。このコンクールの審査員の一人だったダヴィド・オイストラフ(1908-1974)がソ連政府を説得しブシノを助手にした。その後ブシノはベルギーのクイーン・エリザベス音楽コンクールでも入賞した。ブシノはフランス国立管弦楽団に席を置き、ジョルジュ・プレートル指揮のサン=サーンス「死の舞踏」の中でソロを聴くことができる。本シリーズでヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3029)が出ている。 復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。
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78CDR-3901
2023/3新譜
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ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」(和声と創意への試み作品8)
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ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン) ヘルマン・シェルヘン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
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ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族とともにアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとして研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウン・ホールでデビュー、1950年にカーネギー・ホールで4回のリサイタルを行った。1959年には来日したこともある。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。指揮者のヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はドイツ出身。1951年以降ウィーンに設立された新興レコード会社WESTMINSTERで多くのレコーディングを行った。バロック、古典派から当時の現代音楽まで広いレパートリを誇った。復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。
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78CDR-3902
2023/4新譜
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ジャック・ティボー機械式(電気以前)の録音集」 ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品 2-8(ヴェラチーニ=サルモン編) HMV DB801(Cc5352-1 & Cc5353-2)(Recorded 13 November 1924, Hayes, England) 「大洪水」前奏曲 作品45(サン=サーンス)(キズあり) HMV DA620(A 29546-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.) 小舟にて-「小組曲」より(ドビュッシー)(キズあり) HMV DA620(A 29545-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.) セレニテ 作品45-5(ヴュータン) Victrola 66064(Bb979-2)(Recoreded 6 February 1922, Hayes, England) スラヴ舞曲第2番ト短調作品46-2(ドヴォルザーク=クライスラー編) HMV 5-7956(Bb978-3)(Recorded 6 February 1922, Hayes, England) 楽興の時第3番ヘ長調 作品94-3(シューベルト) カプリス第18番ヘ長調「小さなカプリス」(ローデ=ティボー編) HMV 5-7955(Bb 982-2)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England) タンブーラン(ラモー=クライスラー編) サルタレッロ(ヴィニャフスキ=ティボー編) HMV 5-7953(Bb 983-1)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England)
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ジャック・ティボー(ヴァイオリン) ハロルド・クラックストン(ピアノ)(トラック1&2)他はピアニスト名不詳
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ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスのヴァイオリン奏者。ボルドー出身。1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年に一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところ、指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌ・オーケストラの楽員になった。ここには1922年のHMVでの録音と1924年のアメリカVICTORへの録音と1924年ティボー機械式録音最後のヴェラチーニが入っている。すべて超稀少SPレコード。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3903
2023/4新譜
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モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
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アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
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1938年3月7日&1939年2月27日ニューヨーク、NBC放送8Hスタジオ録音 英HMV DB 3790/2(米VICTOR 15733/5と同一録音) アルトゥーロ・トスカニーニ(1887-1967)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1888年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィル音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭に出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立されて復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。この交響曲40番はモーツァルトの原譜にないクラリネットが加えらている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3904
2023/4新譜
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シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番作品99
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アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ) ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
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米 VICTOR 11-8394/7 1939年9月13日ニューヨーク録音 この名人3人のトリオは「百万ドル・トリオ」と呼ばれた。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はウクライナ生まれ。3歳でヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーチス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。このトリオの「大公トリオ」(78CDR-3865)も出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3905
2023/5新譜
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牧神の午後への前奏曲-マルセル・モイーズの芸術 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 フェルー: 無伴奏フルートのための3つの小品 (1)恋する羊飼い (2)硬玉 (3)端陽 イベール:フルート協奏曲(1932-1933)
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マルセル・モイーズ(フルート) ワルテル・ストララム指揮(ドビュッシー) ストララム管弦楽団 ウジェーヌ・ビゴー指揮(イベール) 交響楽団
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仏COLUMBIA LFX30 1930年2月24日録音(ドビュッシー) 仏COLUMBIA DFX194 1933年パリ録音(フェルー) 仏DISQUE GRAMOPHONE L1013/4 1934年パリ録音(イベール) フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から32年にはストララム管弦楽団に席を置き、1932年から49年にパリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校の指揮科の教授もつとめた。2曲目の作曲者フェルーは現代音楽推進団体(トリトン)の創立者の一人。モイーズはこのシリーズで殆どの録音が復刻されている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3906
2023/5新譜
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ダンディ:交響曲第1番ト長調「フランス山人の歌による交響曲」作品25
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マルグリット・ロン(ピアノ) ポール・パレー指揮 コロンヌ管弦楽団
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仏COLUMBIA LFX 332/4 1934年5月24-25日パリ録音 作曲者ダンディが毎年夏を過ごしたセヴェンヌ地方山地の民謡を主題にして作曲。マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニーム生まれ。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、マルモンテル(1816-1898)教授のもとでさらに研鑽をつみ、1893年にサル・プレイエルでデビューし、1906年32歳でパリ音楽院教授に就任した。指揮者のポール・パレー(1886-1979)はノルマンディのル・トレポール出身。パリ音楽院在学中の1911年、カンタータ「ヤニッツァ」でローマ大賞を受賞。第1次世界大戦(1914-1918)にフランス陸軍に従軍したがドイツ軍の捕虜となり、ダルムシュタット収容所生活の間に音楽家たちと交友を築いた。大戦後は指揮者として活躍した。このシリーズで、この曲と同じセッションで録音されたベートーヴェンの田園交響曲(78CDR-3259)が出ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3907
2023/5新譜
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ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
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レオポルド・ストコフスキー指揮 ハリウッド・ボウル交響楽団
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米 VICTOR 18-0020/24 1945年8月1日ロサンジェルス録音 このオーケストラは1922年にロサンジェルス地域で活動するミュージシャンが集まって野外劇場(ハリウッド・ボウル)演奏会を開いたのが始まり。1945年に指揮者のレオポルド・ストコフスキーのもとでハリウッド・ボウル交響楽団が設立された。これはその最初の録音。だがこのオーケストラは7シーズンで解散した。その後ハリウッド・ボウルでの夏のコンサートはロサンゼルス・フィルによって続けられている。レオポルド・ストコフスキー(1882-1971)はロンドン生まれ。1912年にフィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任し1940年までその地位にあった。ストコフスキーはレコードの発展に大きく貢献した。1925年に電気録音による初のオーケストラ録音、1932年にはベル研究所の世界初のステレオ録音の実験に参加し成功させた。この録音は日・米戦争終結の2週間前に行われた。レコードはSP盤ながら従来の落とせば割れるシェラック盤ではなく、LPと同じビニール製。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3908
2023/6新譜
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ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
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パウル・ファン・ケンペン指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
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独 GRAMMOPHON 67608/12S 1941年ドレスデン録音 指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダ生まれ。アムステルダム音楽院で、ユリウス・レントヘン(1855-1932)、ベルナルト・ズヴェールスに作曲と指揮法を、ルイ・ツィマーマン(1873-1954)にヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートした。1932年にドイツ国籍を取得し、1933年に指揮者デビュー。1934年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。1942年から1944年までアーヘン市立歌劇場の音楽監督をつとめた。第二次大戦後、活動の場をオランダに移したが、戦時中のナチス政権とのかかわりを問題視され物議を醸した。1955年アムステルダムで死去。ファン・ケンペンはSPレコードにベートーヴェンの交響曲第5番(ドレスデン・フィル)と交響曲第8番(ベルリン・フィル)を独 POLYDORに録音していた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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78CDR-3909
2023/6新譜
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
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ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン) ピエール・モントゥー指揮 サンフランシスコ交響楽団
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米 VICTOR 11-8951/53 1945年1月27日サンフランシスコ録音 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれのユダヤ系ヴァイオリニスト。 4歳からヴァイオリン教育を受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。ルッジェロ・リッチ(1918-2012)の師でもあったルイス・パーシンガー(1887-1966)が最初のヴァイオリン教師。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。このブルッフはメニューインの2回目の録音。ピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれのフランスの大指揮者。1935年から1953年アメリカのサンフランシスコ交響楽団の指揮者をつとめ、同楽団の黄金時代を築いた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
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