新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3250〜3299

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3250

 

試聴

モーツァルト:音楽の冗談ヘ長調 K.522(二本のホルンと弦楽四重奏のための)

ドメニコ・カプート&ジョン・バローズ(ホルン)
コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴァイオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB3645/6(米VICTOR 14822/3と同一録音)
(1937年11月12日ニューヨーク、RCA スタジオ録音)
別名「村の音楽士の六重奏」。村の楽師が未熟のため、音をはずすさまなどを取り入れたモーツァルトらしいジョークにみちた面白い曲。コーリッシュ四重奏団はシェーンベルクの指導を受け、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的で組織された。リーダーのルドルフ・コーリシュ(1896-1978)は子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち左手で弓を持って弾いた。現代音楽のスペシャリストがモーツァルトを取り上げた面白さがある。コーリッシュ四重奏団はこのシリーズでモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番K.589 「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(ピアノ=モナート、78CDR-3242)が出ている。

78CDR-3251

 

試聴

モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516

プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォー(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
アルフレッド・ホブデイ(第2ヴィオラ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB2173/6
(1934年2月15日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカに初公演、ワシントンの国会図書館音楽ホールの開館式で演奏した。1932年にベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年にアメリカのウィスコンシン大学からの要請で各メンバーが教授に就任。1944年にコーリッシュ弦楽四重奏団が解散したとき、リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)が第1ヴァイオリンに就任した。プロ・アルト弦楽四重奏団は1930年代にイギリスHMVに数多くの録音を残し、中でもアルバム全8巻SP56枚の「ハイドン弦楽四重奏ソサイエティ」(1932年と1936年録音)はレコード録音史の快挙だった。

78CDR-3252

 

試聴

ベートーヴェン:セレナード ニ長調作品8

シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

日本コロムビア J8358/60 (英COLUMBIA LX354/6と同一録音)
(1934年1月22日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド出身のヴァイオリニスト。ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターに就任した。20歳の時フルトヴェングラーの招きでベルリン・フィルのコンサート・マスターになった。1930年にヴィオラ奏者で作曲家のパウル・ヒンデミット(1895-1963)とチェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)と弦楽三重奏団を結成した。これはこの三重奏団の残した貴重な録音。ゴールドベルクは1934年ナチスの迫害でベルリン・フィルを退団し1938年ニューヨークにデビューした。1942年演奏旅行中にジャワ島で日本軍に拘束され抑留生活を強いられたこともある。1990年に日本人ピアニスト山根美代子と結婚、富山県立山のホテルで死去した。この録音はベルリン・フィル退団直後のもの。レコード史上永遠に残したい名演奏。

78CDR-3253

 

試聴

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」

アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

米 COLUMBIA 72748/50
(1947年12月15日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んだ活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音は第2次世界大戦後のニューヨークでの録音。ゼルキンのピアノが光っている。このシリーズで他にブッシュとゼルキンにホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)を加えたブラームス:ホルン三重奏曲(78CDR-3218)が出ている。オーブリー・ブレインは有名なホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)の父親で師でもある。アメリカ時代のブッシュの録音はJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV.1042(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-3235)が出ている。

78CDR-3254

 

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モーツァルト:交響曲第25番ト短調 K.183

セルジュ・チェリビダッケ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1948年4月9日&12月29日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)はルーマニア生まれ。ベルリンに学び、その地で第2次世界大戦の終戦を迎えた。当時ベルリン・フィルの常任指揮者だったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)が大戦中のナチスとの関係をとがめられ謹慎生活に入った。後継の指揮者にレオ・ボルヒャルトが選ばれたが、ボルヒャルトが急死したため、後継者さがしのコンクールが開かれ応募したチェリビダッケが審査員全員一致で優勝。ボルヒャルトの死の6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューした。1947年のフルトヴェングラー復帰後も、ベルリン・フィルに留まっていが、1954年フルトヴェングラーの死後カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者になってから、イタリア、スウェーデンのオーケストラに客演した。1971年に南ドイツ放送交響楽団、1979年にミュンヘン・フィルの首席指揮者になった。この録音はチェリビダッケが36歳の時の英デッカ社に正規に録音したもの。第1楽章と第2楽章は1948年4月に行われた録音セッションの結果に満足せず、同年の12月の再セッションでOKを出している。同じ時期にデッカにはチャイコフスキー:交響曲第5番と胡桃割り人形組曲の2曲があった。いずれもSPレコード末期のffrr録音。

78CDR-3255

 

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J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV.1049

ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
マルセル・モイーズ(第1フルート)
ルイ・モイーズ(第2フルート)

蘭COLUMBIA LX441/2
(1935年10月15日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
マルセル・モイーズ(1889-1984)は20世紀最高のフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し、1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、ストララム管弦楽団の首席奏者もつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。第2フルートのルイ・モイーズ(1912-2007)は息子でピアニストでもあった。父子の録音も多い。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1939年にアメリカに定住した。この録音はヨーロッパ時代のも、同時期にブランデンブルク協奏曲全6曲を録音していた。モイーズはこのシリーズでドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェン:セレナーデ作品25(78CDR-3231)が出ている。

78CDR-3256

 

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ヘンデル:
ハープシコード協奏曲変ロ長調作品4-6
アリアと変奏曲変ロ長調

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB3307/8
(1937年4月21日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード&ピアノ奏者。彼女はピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に特注し、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に送られた。このヘンデルはランドフスカが58歳の時の録音。ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調(78CDR-3053)の二日後の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年にフランス放送管弦楽団、1935年ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科教授も務めた。「アリアと変奏曲変ホ長調」はブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24の主題の原曲である。

78CDR-3257

 

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モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459

ジョルジュ・ボスコフ(ピアノ)
ギュスターヴ・クロエ指揮パリ・フィルハーモニー管弦楽団

仏 ODEON 171.115/7
(1930年12月10日パリ録音)
ジョルジュ・ボスコフ(1882-1960)はルーマニア生まれのピアニスト。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事した。このボスコフ盤はこの曲の世界初録音で、フランス・ピアニスムの伝統の繊細で軽い奏法が聴ける貴重なもの。カデンツァは縮小版ながらモーツァルトの作曲したものが弾かれていえる。ギュスターヴ・クロエ(1890-1970)はフランスの指揮者。フランス・オデオンに多くの録音を残している。

78CDR-3258

 

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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-2
ブラームス:狂詩曲第2番ト短調作品79-2

レーヌ・ジャノーリ(ピアノ)

仏 BAM 41/43
(1947年5月30日パリ録音)
From the Library of CHRISTOPHER N. NOZAWA
レーヌ・ジャノーリ(1915-1979)はパリ生まれ。パリ音楽師範学校エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1887-1962)に指導を受け、同時期にパリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)にもついた。さらにルツェルンでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に学び、フィッシャーと共に2台、3台クラヴィア曲の演奏に力を入れた。1946年にコルトーの推薦でエコール・ノルマルのピアノ科の主任教授、室内楽科の教授を兼任、演奏家としてカザルス、エネスコ、フルニエ、シャンドル・ヴェーグらと共演した。1956年にはパリ音楽院教授に任命され、門下にはジャン=イヴ・ティボーデ(1961-)がいる。このSP録音はジャノーリが32歳の時のもので、おそらく初レコード録音と思われる。ジャノーリはモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集(米ウェストミンスター)、シューマン:ピアノ曲全集(仏アデ)他、LP時代に数多くの録音を残した。

78CDR-3259

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
アテネの廃墟作品113 より「トルコ行進曲」

ポール・パレー指揮
コロンヌ管弦楽団

英 COLUMBIA DCX 63/7
(1934年5月23&25日パリ録音)
ポール・パレー(1886-1979)はフランスの大指揮者、作曲家。1911年にカンタータ「ヤニッツァ」でローマ大賞を得てイタリアに留学。第1次世界大戦(1914-1918)でフランス軍に従軍したが、ドイツ軍の捕虜となり、ダルムシュタット収容所生活の間に音楽家たちと交友を築く。大戦後コンセール・ラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌ管弦楽団の指揮者となって活躍、とくに後者とは1932年から1940年音楽監督を務め、第2次世界大戦のパリ開放後の1944年から1956年も同じ地位を務めた。1951年にアメリカのデトロイト交響楽団に招かれその育成にあたり、米国有数のオーケストラに仕上げLPレコード録音も多い。この「田園」交響曲はコンセール・コロンヌ時代のものであまり知られていない。SPレコード時代の再生法では大指揮者の風格の片鱗すらも聴くことが出来なかったが、ダイレクト・トランスファーによって、その至芸の全貌が明らかになった。特にオーケストラの木管パートの妙技に耳を傾けてほしい。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3260

 

試聴

ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集 第1巻(20曲) ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

英 HIS MASTER'S VOICE DB 4960/5
(1934年9月10-12日パリ,サル・ショパン録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭
をとった。二段の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は、ナポリ派の作曲家、ハープシコーソ奏者、オルガン奏者。ヴァチカンの楽長、ポルトガル宮廷礼拝堂の楽長、スペイン王妃つきの音楽指導者として活躍し、500曲を越えるハープシコード曲を作曲した。Lはロンゴによる整理番号、Kはカークパトリックによる整理番号で、便宜のため両方を記した。ランドフスカはこの第1集の後に第2集も録音した。ランドフスカはこのシリーズでJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(78CDR-3073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集(78CDR-3081)他が出ている。

78CDR-3261

 

試聴

J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV. 1067

マルセル・モイーズ(フルート)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内管弦楽団

仏 LVSM DB 3015/7(英 HIS MASTRER'S VOICE DB 3015/7と同一録音)
(1935年11月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
マルセル・モイーズ(1889-1984)は20世紀最高のフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1941)に師事し、1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、ストララム管弦楽団の首席フルート奏者をつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1939年にアメリカに定住した。この録音はヨーロッパ時代のもので、同時期にバッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲も録音していた。モイーズはこのシリーズでドビュッシーのフルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェンのセレナーデ作品25(78CDR-3231)、バッハのブランデンブルグ協奏曲第4番、ピエルネの室内ソナタ(78CDR-3249)が出ている。

78CDR-3262

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ指揮
交響楽団

英 HIS MASTER'S VOICE DB 2729/31
(1935年12月19日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシス
コに移り3歳からヴァイオリンを習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1871-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判になった。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきをうけた。1928年12歳で初レコード録音を行った。このモーツァルトは19歳の時の録音で、オーケストラは師のエネスコが指揮をしている。、メニューインはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番 K.526(78CDR-3026)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番 K.376(78CDR-3037)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3155)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3136)が出ている。

78CDR-3263

 

試聴

ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調作品20
(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、バスーン
とホルンのための)

パリ・プロ・ムジカ室内グループ:
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)、P.ラドユイ(ヴィオラ)、
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)、H.モロー(コントラバス)、
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)、J.ルーシェ(バスーン)、
G.クルシエル(ホルン)

仏 POLYDOR 566 270/3
(1948年4月15日パリ録音)
この録音は第2次世界大戦後、当時パリ音楽院の教授をつとめていた器楽奏者によるパリ・プロムジカ室内グループによる。ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)、チェロのアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)、クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)などの名手が参加し、彼らは他にも多くの名録音を残している。1948年の録音はSPレコード末期のためレコードの数が少ない稀少盤。このシリーズでヴァイオリンのメルケルはベートーヴェンのヴァイオリオン協奏曲(78CDR-3020)、ラロのスペイン交響曲(78CDR-3107)、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3166)が、チェロのアンドレ・ナヴァラはベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番(78CDR-3095)が出ている。

78CDR-3264

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB785/8
(1923年10月22日イギリス、ミドルセックス州ヘイズ HMVスタジオ
Room No.1 録音)
この曲の初レコード。ジャック・ティボー(1880)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。1897年パリ音楽院のマルシック教授のもとで一等賞を得た。ピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)は1896年にパリ音楽院のディエメール教授のもとで一等賞を得た。1905年二人はチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)を加えピアノ三重奏団の「カザルス・トリオ」を結成、以後四半世紀にわたって最高の三重奏団として君臨した。この録音はティボーとコルトーによる初顔合わせの録音である。まだ電気録音が生まれていない1923年、大きなラッパの前で演奏したもの。ティボーが43歳、コルトーが46歳だった。二人はフランクのソナタを1929年に再録音している。このシリーズでコルトーとティボーはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(78CDR-3015)、ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3044)が出ている。カザルスが加わったトリオの演奏はベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」(78CDR-3009)、シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番(78CDR-3131)、ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番(78CDR-3199)がある。他にティボー、コルトーのソロ、協奏曲録音は多数出ている。

78CDR-3265

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
セレナード第7番ニ長調「ハフナー」 K.250よりメヌット

イェリー・ダラニー(ヴァイオリン)
スタンリー・チャップル指揮
エオリアン管弦楽団

英 VOCALION A0242/4
(1925年イギリス録音)
この曲の初レコ-ド。イェリー・ダラニー(1893-1966)はハンガリーのブダペスト生まれの女流ヴァイオリニスト。大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の甥の娘にあたる。ブダペスト音楽院で最初ピアノを学んだが、ヴァイオリン科のイェノ・フバイ(1858-1937)のクラスに入学が許されヴァイオリンに転向した。ヨーロッパ各地やアメリカに演奏旅行のあとロンドンに定住した。妹のアディラ・ダラニーもヴァイオリン奏者で二人のデュオの録音もある。作曲家でピアニストだったベラ・バルトーク(1881-1945)と一緒にロンドンとパリでソナタ演奏会を開いた。モーリス・ラヴェル(1875-1937)は「ツィガーヌ」を彼女に献呈し1924年にロンドンで初演。ソリストだけでなく室内楽でも活躍した。指揮者のスタンリー・チャップル(1900-1987)は1921年にロンドン交響楽団の指揮者になり、1930年にベルリン・フィルを指揮してヨーロッパでの名声を得た。1939年にボストンに行きそのままアメリカに留まり、タングルウッド音楽祭のディレクターをレナード・バーンスタイン(1918-1990)と共につとめた。

78CDR-3266

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219

アーサー・カテラル(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
管弦楽団

英 COLUMBIA L1592/5
(1924年4月10日ロンドン録音)
この曲の初録音。アーサー・カテラル(1883-1943)はイギリスのヴァイオリニスト。マンチェスター王立音楽アカデミーで学び、1902年18歳で指揮者ハンス・リヒター(1843-1916)の招きでバイロイトに赴きヴァーグナーの未亡人コジマ・ヴァーグナーが催したシーズン音楽会に登場した。1903年ハレ管弦楽団でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏した。1909年ロンドンのクイーンズ・ホールのプロナード・オーケストラのコンサートマスター、1929年に創立されたBBC交響楽団のコンサートマスターに就任した。コンサート活動の傍らロンドンの王立音楽アデミーでも教えた。20世紀の最初の四半世紀にイギリスで最も活躍したヴァイオリニストで、録音した曲の多くはそれらの初レコードだった。指揮者のサー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。このシリーズでカテラルはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番 K.526(78CDR-3268)が出ている。ピアニストはハーティ。

78CDR-3267

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
ラロ:スペイン交響曲作品21

レオ・ストロッコフ(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
管弦楽団

米 COLUMBIA 67059/61-D
(1924年7月14日ロンドン録音)
この曲の4楽章版による初録音。レオ・ストロッコフ(1888-1957)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト、作曲家、作詞家。機械式録音時代にイギリス・コロンビアに小品の録音が多くあった。アメリカに移住してからも活躍。この「スペイン交響曲」はこのヴァイオリニストの唯一の大曲録音。ベルギーの大ヴァイリニスト、ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)がアメリカ公演した際に共演したことがある。指揮者のサー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。

78CDR-3268

 

試聴

機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調 K.526

アーサー・カテラル(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ(ピアノ)

英 COLUMBIA L1494/6
(1923年 4月27日ロンドン録音)
この曲の初録音。アーサー・カテラル(1883-1943)はイギリスのヴァイオリニスト。マンチェスター王立音楽アカデミーで学び、1902年18歳で指揮者ハンス・リヒター(1843-1916)の招きでバイロイトに赴きヴァーグナーの未亡人コジマ・ヴァーグナーが催したシーズン音楽会に登場した。1909年ロンドンのクイーンズ・ホールのプロナード・オーケストラのコンサートマスター、1929年に創立されたBBC交響楽団のコンサートマスターに就任した。コンサート活動の傍らロンドンの王立音楽アデミーでも教えた。20世紀の最初の四半世紀にイギリスで最も活躍したヴァイオリニストで、録音した曲の多くはそれらの世界初レコードだった。サー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲、作曲家、編曲者としても活躍した。ここではピアニストとしてのハーティの演奏が聴ける。このシリーズでカテラルはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3266)が出ている。指揮者はハーティである。

78CDR-3269

 

試聴

フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード作品19

マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮管弦楽団

仏 COLUMBIA LFX54/5
(1930年4月1日パリ録音)
マルグリット・ロン(1874-1966)は1891年19歳でパリ音楽院の一等賞を得た後コンサートデビュー、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)やフィガロ紙の評論家達から絶賛された。1906年パリ音楽院の教授に就任、1940年まで務めた。1943年ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1954)と共に、若い優秀な音楽家を発掘する国際コンクールをパリで創設した。指揮者のフィリップ・ゴーベール(1879-1941)はパリ音楽院でポール・タファネルにフルートを学び1894年に一等賞に輝き、1904年にはフーガ科で一等賞、1905年にはローマ賞二等賞を得た。1920年には母校パリ音楽院のフルート科の教授に就任した。1919年
以降指揮者としても活躍、パリ音楽界の重鎮的存在だった。このシリーズでロンはショパン:ピアノ協奏曲第2番(指揮=ゴーベール)(78CDR-3092)、ラヴェル:ピアノ協奏曲(指揮=ラヴェル)(78CDR-3075)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番K.488(指揮=ゴーベール)(78CDR-3023)、フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(ヴァイオリン=ティボー、チェロ=フルニエ)等が出ている。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3270

 

試聴

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴァイオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)

日本 COLUMBIA J7958/61(仏 COLUMBIA D15053/6と同一録音)
(1928年6月19&21日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3271

 

試聴

ドビュッシー:チェロ・ソナタ(1915)
キャプレ:小さな黒ん坊の踊り-「エピファニ」より

モーリス・マレシャル(チェロ)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)

日 COLUMBIA J7795/6(仏 COLUMBIA LFX85/6 と同一録音)
(1930年6月3日パリ録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院でチェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュカに学び1911年に一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-1918)に従軍、戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとしてデビューした。以来世界中を楽旅し、日本にも何度か来訪し、日本コロムビアにも録音したこともある。ここに収録されたキャプレ:「エピファニ」の初演者でもあった。ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を得た。カザドシュ家はパリの高名な音楽一家。甥のアンリとマリユスはカペー弦楽四重奏団の初期のメンバーで、カザドシュ邸でしばしばリハーサルをしていた。1921年女流ピアニストのガブリエル・ロートと結婚、夫人はギャビー・カザドシュ(1901-1999)の名で活躍する。第2次大戦中はアメリカで過ごしニュージャージー州プリンストン大学で教鞭を執っていた。これはカザドシュの初期の録音で貴重。マレシャルはこのシリーズでラロ:チェロ協奏曲(指揮=ゴーベール)(78CDR-3135)が出ている。

78CDR-3272

 

試聴

モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447

オーブリー・ブレイン(ホルン)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団

米 VICTOR 13784/5(英 HIS MASTER'S VOICE DB3973/4と同一録音)
(1940年4月9日ロンドン、EMI アビー・ロード第1スタジオ録音)
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレインの父親。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年にはドイツの大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923から母校の王立アカデミーでホルンを教えはじめた。その生徒の一人が息子のデニス・ブレイン(1921-1957)だった。指揮者のサー・エイドリアン・ボールト(1889-1983)はイギリスのチェスターの生まれ。オクスフォードのウェストミンスター・スクールとキリスト教会で学んだ後、ライプツィヒでマックス・レーガーに師事した。ニキシュの手ほどきを受けたこともある。バーミンガム市立交響楽団、BBC交響楽団、ロンドン・フィル等の指揮者を歴任し1979年に退任した。レコードはSP録音のホルスト:惑星他LPも多数ある。

78CDR-3273

 

試聴

シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」作品42

エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB9567/9
(1946年10月9日、1948年10月2日、1949年6月20日ロンドン、
EMI アビー・ロード第3スタジオ録音)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ歌手。1909年ハンブルグ歌劇場でデビューした。シューマンはオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレートリーを誇り、1910年代の機械式録音時代からレコード録音で活躍した。この「女の愛と生涯」は最晩年の録音。1946年に始まった録音が完成したのが1949年であった。大歌手シューマンの自らの人生を省みるような、味わい深い歌唱をレコードに残した制作者の見識に敬意を抱く。ダイレクト・トランスファーの声楽曲は他にシューベルト:冬の旅(ソプラノ=ロッテ・レーマン)(78CDR-3048、3049)とシューベルト:美しき水車屋の娘(ソプラノ=ロッテ・レーマン)(78CDR-3079)が出ている。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)は伴奏者として高名だった。レコード録音は数多い。

78CDR-3274

 

試聴

モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
(カデンツァ:モーツァルト)

リリー・クラウス(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

仏 ODEON 123.835/8(英 PARLOPHONE R20404/7と同一録音)
(1938年3月25日ロンドン録音)
リリー・クラウス(1905-1986)ハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで軟禁された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から1983年アメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このモーツァルトはこの曲の初レコードでおそらくクラウスの初協奏曲録音。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身。シェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命、指揮者として活躍した。ゲールはこのシリーズでワンダ・ランドフスカによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番 K.537「戴冠式」(78CDR-3117)の指揮をしている。

78CDR-3275

 

試聴

J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050

ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
カルロ・ゼッキ(ピアノ)
アリーゴ・タッシナーリ(フルート)
フェルナンド・プレヴィターリ指揮
トリノ・イタリア放送室内管弦楽団

スイス ODEON O-7884/6 (伊 PARLOPHONE CB20519/61と同一録音)
(1938年5月9日イタリア録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)の初録音レコード。デ・ヴィトーは11歳でペサロ音楽院に入りレミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞をとった。フルートのアリーゴ・タッシナーリ(1889-1988)はボローニャ音楽院出身。ミラノ・スカラ座の首席フルート奏者をつとめた後ソリストとして活躍した。ピアノのカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれ。ピアニストとして活躍した後指揮者に転向した。指揮者のフェルナンド・プレヴィターリ(1907-1985)はイタリアのアドリア生まれ。トリノ音楽院で学び、1928年から35年にフィレンツェでヴィットリオ・グイ(1885-1975)のアシスタントを務めた。プレヴィターリは1936年から1953年の間イタリア放送局の芸術監督をつとめ、特に1951年のヴェルディ没後50年にヴェルディのオペラ全曲を指揮した。ヴァイ
オリンのデ・ヴィトーは1948年ロンドン・デビュー後のEMI録音はよく知られているが、この27歳の時のイタリア録音はほとんど知られていない。初々しいヴァイオリンが魅力。イタリアを代表する演奏家の若き日の演奏が聴ける貴重な録音。

78CDR-3276

 

試聴

J.S.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV.826 ハロルド・サミュエル(ピアノ)

米 COLUMBIA 68056/7-D (英 COLUMBIA DX427/8と同一録音)
(1931年11月6日ロンドン録音)
ハロルド・サミュエル(1879-1937)はロンドン生まれのイギリスのピアニスト。バッハ演奏の権威で、バッハの全クラヴィア作品を暗譜した。1898年当時ロンドンの聴衆には未知の作品だったバッハのゴルトベルク変奏曲 BWV.988を弾いてデビューした。バッハの演奏の傍らサミュエルは伴奏ピアニストとして人気があった。特に女流ヴァイオリン奏者イゾルデ・メンゲスとのデュオは有名だった。バッハ演奏の評判が上がる中で1921年にはロンドンで6日にわたるバッハ連続演奏会を開いた。同様のコンサートをニューヨークでも行った。この録音はイギリス・コロンビアの技術者アラン・ダウアー・ブルムレインが開発した新型録音機の最初期のもの。電気録音の導入当初から使用されたウェスタン・エレクトリック社の録音機使用料が高かったために、自社製のしかも従来のものを凌ぐ高性能な録音機を開発したのだった。本シリーズではフランスの女流ピアニスト、ブランシュ・セルヴァによるJ.S.バッハのパルティータ第1番 BWV.825(78CDR-3191)が出ている。これらで1920-30年代のバッハ演奏を知ることができる。

78CDR-3277

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)

日 COLUMBIA J8055/60(仏COLUMBIA D15063/70と同一録音)
(1928年6月15日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。

78CDR-3278

 

*試聴はありません

ストラヴィンキー:兵士の物語(1918)(七重奏曲版)

マルセル・ダリュー(ヴァイオリン)、ベルナール・ブサゴル(コントラバス)
エミル・ゴドー(クラリネット)、ギュスタヴ・デラン(バスーン)
ウジェーヌ・フォヴォー(コルネット)、ラファエル・デルボ(トロンボーン)
ジャン=ポール・モレル(パーカッション)
指揮:イーゴリ・ストラヴィンスキー

日 COLUMBIA J8108/10(仏 COLUMBIA LFX263/5と同一録音)
(1932年5月6-7日パリ録音)
1930年代前半にフランスで活躍していた器楽奏者達による七重奏曲版「兵士の物語」である。朗読者、悪魔、兵士、王女のセリフは入っていない。作曲者で指揮をしているイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)1918年の作品。作曲時36歳だったストラヴィンスキーは第1次世界大戦(1914-1918)とロシア革命(1917)のため、祖国ロシアを捨てスイスに居を定めていた。以下物語のあらすじである。「あらゆる疑問に解答する魔法の書とひきかえにヴァイオリンを悪魔に売ってしまった兵士は、悪魔に誘われて3日間の楽しい時を共に過ごした。ところがそれは3年間に相当していた。故郷に帰った兵士を母親も許婚も見分けることができない。魔法の書が教える金もうけも幸福をもたらさないので、兵士は本を捨てて冒険の旅に出た。ある日一人の王女が病気になっていて、それを治した男が王女と結婚できると兵士は教えられる。王宮へやってきた兵士はばったり悪魔に出くわし、二人はカードゲームをはじめる。兵士は持ち金を全部すってしまうが、悪魔が酔いつぶれているすきにヴァイオリンを取り戻し、これで王女の病を治しめでたく結婚し幸福に暮らす。しかしホームシックになった兵士は、王女を連れて故郷の入口まで来たとたんに、兵士は悪魔に連れ去られ、王女は置き去りにされた」。このシリーズでサン=サーンス:七重奏曲作品65(78CDR-3162)(1927年録音)があり編成は異なるがフランスの器楽奏者の名演が楽しめる。

78CDR-3279

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012

パブロ・カザルス(チェロ)

米 VICTOR 17658/64(Set M-742)
(英 HIS MASTER'S VOICE DB8590/96と同一録音)
(1938年6月2-4日パリ, アルベール・スタジオ録音)
米RCA VICTOR盤による復刻。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004/HMV盤、78CDR-3100/RCA盤)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音(78CDR-3224/HMV盤)。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070/RCA盤)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3280

 

*試聴はありません

テネシー・ワルツ/ジョー・スタッフォードSP録音集
テネシー・ワルツ
テネシー・ワルツ(1950) #7 39065(RHCO4303)
ユー・ビロング・トゥ・ミー(1952) #1 39811(RHCO 10204)
ジャンバラヤ(1952) #3 39838(RHCO 10260)
シュリンプ・ボート(1951) #2 39581(RHCO 4554)
ヘイ、グッドルッキン(1951) #9 39570(RHCO 4588)
ア・フール・サッチ・アズ・アイ(1952) 39930(RHCO 10374)
霧のロンドン橋(1956) #38 B22024 H(AA 22008.2 H)
また会う日まで(1951) 1-G(RHCO-4435)

ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(1-8)
フランキー・レイン/FRANKIE LAINE(5)
ネルソン・エディ/NELSON EDDY(8)
ポール・ウェストン楽団/PAUL WESTON AND HIS ORCHESTRA(1-8)
ノーマン・ルボフ合唱団/NORMAN LUBOFF CHOIR(3、4)

ジョー・スタッフォード(1917.11.12-2008.07.16)はアメリカのポップス・シンガー。1938年、男女4人編成のヴォーカルグループ "パイド・パイパーズ"の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとしての道を歩みはじめた。1950年にCAPITOLからコロンビアに移籍。夫君のピアニスト=アランジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスターシンガーの地位を築いた。ここには第2次大戦後わが国でもヒットした名唱を集めた。SPレコードならではの声の温もり、力強さをダイレクト・トランスファーで聴いていただきたい。括弧内の年号は録音年と#はチャートの最高位。さらに使用した米コロンビアのオリジナルレコード番号と原盤番号を付記した。「霧のロンドン橋」はオランダ・フィリップスのSPを使用した。

78CDR-3281

 

試聴

ビング・クロスビー/フォスター歌曲集
金髪のジェニー 18801-A(DLA 1968) (1940.03.22)
ネルと私 18801-B(DLA2503) (1941.07.15)
夢みる人 18802-A(DLA1967) (1940.03.22)
やすらかに眠る、私の美しいアリス 18802-B(DLA2442) (1941.06.26)
なつかしいケンタッキーの我が家よ 18803-A(DLA2261) (1940.12.09)
草競馬 18803-B(DLA2259) (1940.12.09)
故郷の人びと(スワニー川) 18804-A(DLA96) (1935.02.21)
オールド・ブラック・ジョー 18804-B(DLA2445) (1941.06.16)

ビング・クロスビー/BING CROSBY(1-8)
ジョン・スコット・トロッター楽団(1、2、3、4、8)
キングズ・メンとヴィクター・ヤング楽団(5、6)
クリノライン合唱団とジョージー・ストール楽団(7)

米 DECCA 18801/4(Album A-440)
スティーヴン・コリンズ・フォスター(1826-1864)は19世紀のアメリカのポピュラーソングの作曲家。その作品は旅回りのE.クリスティのミンストレルズのために作曲した。作曲後150年を経た今日まで歌いつづけられている名曲が多い。ビング・クロスビー(1903-1977)はアメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエンタテイナーのひとり。高校時代から演劇や音楽に関心を持ち、大学は法学部に進むがジャズバンドを友人と結成して中退。1926年に当時人気の高かったポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団、3人の男声コーラスグループ "リズム・ボーイズ" のメンバーになる。1931年ソロ歌手として独立、ラジオの「ビング・クロスビー・ショー」で大人気を獲得した。マイクロフォンの特性を生かして滑らかに発声する歌唱法を確立して、新しいポピュラーソングに大きな影響を与えた。その後映画に進出した。「ホワイト・クリスマス」は1942年に発売され後のリメイク盤を含めて全世界で4500万枚を超える大ヒット、生涯のレコード売り上げ枚数は4億枚を越えた。この「フォスター歌曲集」は第2次世界大戦前にアメリカDECCAに録音されたもの。滑らかな歌唱がダイレクト・トランスファーで際だって聞こえる。

78CDR-3282

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団

仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB8691/4 (米 VICTOR 15965/8と同一録音)
(1939年2月28日、3月1+29日ニューヨーク、NBC 8-H スタジオ録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1886年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィルハーモニー音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立され復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。トスカニーニは1939年にNBC交響楽団を指揮したSP録音による「運命」。LP時代のトスカニーニには見られない覇気と白熱に満ちた圧倒的な演奏が聴かれる。

78CDR-3283

 

試聴

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調

レナード・バーンスタイン(ピアノと指揮)
フィルハーモニア管弦楽団

米 RCA VICTOR 18-0115/7
(1946年6月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
レナード・バーンスタイン(1918-1990)はアメリカ、マサチューセッツ州ローレンスに生まれた指揮者。ハーバード大学とカーティス音楽院で学んだ。指揮をフリッツ・ライナー(1888-1963)とセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)にピアノをイザベラ・ヴェンゲローヴァ(1877-1956)に師事した。1943年アルトゥール・ロジンスキー(1892-1958)の指名でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者に就任、1943年病気のブルーノ・ワルター(1876-1962)の代役として指揮者デビュー大評判をとった。この録音は1946年バーンスタイン27歳の時のもの。この大音楽家の初レコード録音であろう。得意のピアノと指揮である。米RCA VICTORは主要アーティストの録音はほとんどロンドンのアビー・ロードに送り込んで録音するしきたりがあったが、バーンスタインもこの例にもれなかった。復刻にはRCA社がSPレコード時代に開発したビニール素材を使用した'RED SEAL'DELUXE盤を使用した。LP並に雑音が少ないのが特長。

78CDR-3284

 

試聴

ラヴェル:序奏とアレグロ(1906)

リリー・ラスキーヌ(ハープ)
マルセル・モイーズ(フルート)
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)
カルヴェ弦楽四重奏団

(1938年5月19日パリ、アルベール・スタジオ録音)
小ハープ協奏曲と目されるラヴェルの傑作。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとしても活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのマルセル・モイーズ(1899-1984)は1906年にパリ音楽院で一等賞を得て、1908にソロ・デビュー。オペラ・コミック、ストララム管弦楽団に席を置き、1932年から1949には母校の教授もつとめた。クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年にパリ音楽院で一等賞を得た後、ギャルド・レピュブリケーヌのソリストに就任。1948年退団後母校の教授をつとめた。カルヴェ四重奏団は1919年ジョゼフ・カルヴェによって組織され、1950年に解散したフランスの名門四重奏団。本シリーズではモイーズ、ラスキーヌ、ジノによるドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)が出ている。

78CDR-3285

 

試聴

ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調作品101 Hob. VIIb-2

エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
サー・マルコム・サージェント指揮
管弦楽団

米 COLUMBIA 69925/8D(英COLUMBIA LX8227/30と同一録音)
(1935年11月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍した。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のマルコム・サージェント(1895-1967)は指揮者、オルガニスト、作曲家。特に合唱作品の指揮に秀でていた。SP時代に協奏曲の録音を多く残した。

78CDR-3286

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)

ヨーゼフ・ヴォルフスタール(ヴァイオリン)
マンフレート・グルリット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

米 BRUNSWICK 90277/81 (独 GRAMMOPHON 95243/7 と同一録音)
(1929年1月ベルリン高等音楽院録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現在のリヴォフ)に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。オーケストラのコンサートマスターをつとめた後、1922年に師フレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年指揮者のオットー・クレンペラー(1885-1973)の要請でベルリンのクロル・オペラのコンサートマスターに就任したが、1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせたのが原因で翌1931年2月、32歳で他界した。指揮者のマンフレート・グルリット(1890-1972)はドイツ生まれ。ベルリン高等音楽院で教鞭をとると同時に国立歌劇場の客演指揮者として活躍した。1939年から日本に住みわが国の音楽界の発展に寄与した。

78CDR-3287

 

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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
ハイドン:
弦楽四重奏曲第83番変ロ長調作品103 よりメヌエット・マ・ノン・トロッポ

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

米 COLUMBIA 71474/9D
(1942年5月15&25日ニューヨーク録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。

78CDR-3288

 

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J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
(1945年RCA VICTOR録音)

ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)

米 RCA VICTOR 11-8939/44
(1945年3月29-30日、4月2日、6月5-6日+12日ニューヨーク、
RCA VICTORスタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)による2回目の「ゴルトベルク変奏曲」の録音。ランドフスカはポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れた。アメリカへ移住後、1942年2月21日、14年ぶりにニューヨークのタウン・ホールでゴルトベルク変奏曲を弾いた。作曲家ヴァージル・トムソン(1896-1989)の感激的なリポートがこのオリジナルSPアルバムに載っている。ランドフスカは1933年にゴルトベルク変奏曲をフランスDISQUE GRAMOPHONEに録音していた(78CDR-3073)。

78CDR-3289

 

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ヴィヴァルディ(モリナーリ編):協奏曲「四季」作品8-1-4

ベルナルディーノ・モリナーリ指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団

米 Cetra-Soria BB2043/8(Set No.107)
(伊 Parlophone BB 25067/72と同一録音)
(1941年11月-12月録音)
ヴィヴァルディの「四季」の世界初レコード。ベルナルディーノ・モリナーリはローマ生まれのイタリアの指揮者。サンタ・チェチーリア音楽院で指揮を学び1912年にローマ・アウグステオ管弦楽団(後にサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と改名)の音楽監督に就任し、第2次世界大戦終了時までその地位にあった。モリナーリはヨーロッパやアメリカの主要オーケストラに多く客演した。彼は他のイタリアの指揮者とは異なり管弦楽曲の指揮を好み、オペラの指揮はめったにしなかったという。レスピーギの交響詩「ローマの松」の初演(1924)の指揮をした。この「四季」の編曲は1927年に出版された。1928年1月にモリナーリの指揮でアメリカ初演がセントルイス交響楽団で行われた。同年2月にはアルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フルハーモニーで「春」を指揮した。これは第2次世界大戦中の録音でイタリア以外では知られていなっかたため、「四季」の初録音はルイス・カウフマン(1905-94)のヴァイオリンによるコンサートホール盤(1948年録音)とされていたが、こちらが7年も早く録音されていた。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

78CDR-3290

 

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モーツァルト:フルート協奏曲第1番ト長調 K.313
(カデンツァ:タファネル)
モーツァルト:フルート協奏曲第2番ニ長調 K.314
(カデンツァ: ド・ドンジョン)

マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ビゴー指揮(第1番)
ピエロ・コッポラ指揮(第2番)
管弦楽団

米 Victor 12853/5 (第1番)& 12477/8 (第2番)
(仏Gramophone L1021/3 & L.835/6と同一録音)
(1936年2月17日=第1番 & 1930年3月28日=第2番パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1932年から49年まで母校パリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。母校の指揮科の教授もつとめた。ピエロ・コッポラ(188-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。

78CDR-3291

 

試聴

モーツァルト:ホルン協奏曲第4番変ホ長調 K.495
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417

デニス・ブレイン(ホルン)
サー・マルコム・サージェント指揮(第4番第1楽章)
ローレンス・ターナー指揮(第4番第2 & 3楽章)
ワルター・ジュスキンド指揮(第2番)
ハレ管弦楽団(第4番)
フィルハーモニア管弦楽団(第2番)
英 Columbia DX1123/4(第4番)& DX1365/6( 第2番)

(1943年6月21日録音=第4番、1947年5月21日=第2番)
デニス・ブレイン(1921-1957)は夭折した伝説的なイギリスのホルン奏者。父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。享年36歳。この録音は1953年にカラヤン指揮で録音したモーツァルト:ホルン協奏曲集(4曲)以前の、若いブレインが聴ける貴重な遺産。第2番が26歳、第4番が22歳の時の録音である。ワルター・ジュスキンド(1913-80)はプラハ生まれのイギリスの指揮者。マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの名指揮者。二人ともレコード録音が多い。

78CDR-3292

 

試聴

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調作品102-2

ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

英HIS MASTER'S VOICE DB9438/40
(1948年6月21日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音))
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン: チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3171)第4番(78CDR-3232)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3293

 

試聴

ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調

カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)

英COLUMBIA D15057/60
(1928年6月15&19日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て, その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3277)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。

78CDR-3294

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14 

カール・フレッシュ(ヴァイオリン)
フェリックス・ダイク(ピアノ)

日 POLYDOR 90004/6(独Polydor 67179/80 & 67178 と同一録音)
(1936年2月26日=モーツァルト、2月25日=ヘンデル、パリ録音)
カール・フレッシュ(1873-1944)はハンガリー出身のヴァイオリニスト。ウィーンで学んだ後、パリ音楽院でマルタン・マルシック(1847-1924)に師事し、1894年に一等賞を得た。マルシックはジャック・ティボー(1880-1953)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の師でもあった。フレッシュは演奏家とヴァイオリン教師として活躍、ブカレスト(1897-1902)、アムステルダム(1903-8)、フィラデルフィア(1924-28)、ベルリン高等音楽院(1929-34)で教えた。弟子にはイダ・ヘンデル、ジョセフ・ハッシド、シモン・ゴールドベルク、マックス・ロスタルらがいる。フレッシュは名声の高かったわりには録音が少なく、この2曲は彼の残した大曲の唯一のもので、59歳の時の録音だった。

78CDR-3295

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)

アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
アンドレ・ブノワ(ピアノ)

米 VICTOR 18156/7(Set M819)
(1940年5月1日ニューヨーク、RCA Victor 第2スタジオ録音)
アルバート・スポールディング(1888-1953)はシカゴ生まれのアメリカのヴァイオリニスト。パリとボローニャの音楽学校で学んだ後1906年にパリでデビュー。第1次世界大戦の1922年、パリ音楽院管弦楽団の初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院のヴァイオリン科の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンレコードに初期の円筒レコード時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンドディスク、短命だったエジソンの電気録音レコードにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTORの専属アーティストとなった。第2次世界大戦後のLP時代になってベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲をREMINGTONに録音、同レーベルにはエルネ・ドホナーニ(1877-1960)のピアノでブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲を残した。ピアノのアンドレ・ブノワ(1879-1953)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)とサン=サーンス(1835-1921)に師事した。名伴奏ピアニストとして多くの大物アーティストと共演した。

78CDR-3296

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・ベイ(ピアノ)

米 VICTOR 14328/30
(1936年2月10日ニューヨーク、RCA Victor スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はリトアニアのヴィルナ生まれ。サンクト
ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー教授に師事、10歳の春にデビューした。1916年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期を経て引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はハイフェッツが35歳の時のものである。ピアノのエマヌエル・ベイ(1891-1968)はロシア生まれ。ハイフェッツの伴奏ピアニストとして活躍した。ハイフェッツはこのシリーズでチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3036)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3114)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3179)が出ている。

78CDR-3297

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296

ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

米COLUMBIA 70628/9-D(Set X-MX-143)
(1939年4月5日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-92)はロシアのオデッサの生まれ、11歳でサンクトペテルブルグ音楽院に入学、名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのウラディミル・ホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行を行ったこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。アメリカ移住後のSP時代、米COLUMBIAの若手アーティストとして多くの録音をしている。ピアノのアルトゥール・バルサム(1906-94)はポーランド生まれのピアニスト。ベルリン高等音楽院に学び、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューイン(1916-99)のアメリカ・ツアーに同行した。ナチスの台頭でアメリカに移住し、ソロ、室内楽に活躍した他、イーストマン音楽学校、ボストン大学、マンハッタン音楽院で教鞭をとった。ミルスタインは本シリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)とラロ:スペイン交響曲(78CDR-3132)が出ている。

78CDR-3298

 

試聴

モーツァルト:弦楽四重奏曲第21番ニ長調 K.575「プロシャ王第1番」

コーリシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)

英 COLUMBIA LX337/8
(1934年6月25日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921に結成された。結成当初は作曲家シェーンベルクの指導の下でウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持って弾いた。このシリーズで他にモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 K.589「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)、モーツァルト:音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)が出ている。

78CDR-3299

 

試聴

夢の後に/ニノン・ヴァラン
(1)エレジー(Massenet)
Fr.Odeon 238.030A(Rec. 11 May 1936)
(2)トゼリのセレナード(Toselli)
Fr.Odeon 238.030B(Rec. 11 May 1936)
(3)秋(Faure)
Fr.Pathe PG60A(Rec. 1934)
(4)夢の後に(Faure)
Fr.Pathe X93081A(Rec. 1929)
(5)グリーン(Debussy)
Fr.Odeon 188.595A(Rec. 3 July 1928)
(6)マンドリン-操り人形(Debussy)
Fr.Odeon 188.595B(Rec. 3 July 1928)
(7)至福の時(Reynaldo Hahn)
Fr.Odeon 188.579A(Rec. 31 March 1928)
(8)歌に翼ありせば(Reynaldo Hahn)

Odeon 188.579B(Rec. 31 March 1928)

ニノン・ヴァラン(ソプラノ)(1-8)
ピエール・ダルク(ピアノ)
J.フォール(チェロ)(1-2)
モーリス・フォール(ピアノ)(3)
J.アンドルフィ(ピアノ)(4)
ギュスタヴ・クローエ(ピアノ)(5-6)
ピアノ伴奏(7-8)

ニノン・ヴァラン(1886-1961)はフランスのソプラノ。最初リヨン音楽院、続いてパリ音楽院学んだ。最初はオペラ歌手になる意志はなく、声楽家として舞台に立つことを考えていた。1911年ドビュッシー(1862-1918)の神秘劇「聖セバスチャンの殉教」の初演にエリゴネ役に選ばれ、1914年にはドビュッシーの「ステファヌ・マラルメの三つの詩」の初演を行った。その後オペラ出演を説得され主要なオペラの主役を40年間に渡って演じた。SPレコードにはシャルパンティエ(1860-1956)の「ルイーズ」(1935 年ビゴー指揮抜粋)やマスネ(1842-1912)の「ウェルテル」(1931年エリー・コーエン指揮全曲、ジョルジュ・ティルとの共演)がある。ヴァランはオペラ出演の傍らパリのミュージックホール「アランブラ」にも出演したこともあり、これが人気を広めた。ここに集めた9曲は初めての人にもヴァランの魅力を伝えることを意図して選曲した。SPレコードならではの声の良さが聴ける。

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