レコード番号 |
タイトル |
演奏者 |
説明 |
78CDR-3800
2020/6新譜
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マーラー:交響曲第4番ト長調
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ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 デジ・ハルバン(ソプラノ)(第4楽章)
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英 COLUMBIA LX949/54(米COLUMBIA 11213/8D と同一録音) 1945年5月10日ニューヨーク録音 ソプラノのデジレ・ハルバン(1912-1996)はウィーン生まれ。母親はラッパ吹き込みのSPレコードに150枚を越える録音を残した名ソプラノ、ゼルマ・クルツ(1874-1933)。父親はウィーン大学医学部教授のヨゼフ・ハルバン。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音は日米戦争終戦の直前の5月に行われた。 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3801
2020/6新譜
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シューベルト:交響曲第7番ロ短調(旧第8番)D.759 「未完成」
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ヨハネス・シューラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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独 IMPERIAL 014042/4 1941年6月12日ベルリン録音 ヨハネス・シューラー(1894-1966)はドイツの指揮者。ノイマルク地方のヴェッズ(現在ポーランドのウィトニカ)の生まれ。ベルリン高等音楽院卒業後、グライヴェッツ、ケーニヒスベルク、ハノーファー市立歌劇場で修行を重ね、1932年オルテンブルク歌劇場の音楽監督になった。さらに1933年からエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年までベルリン国立歌劇場の指揮者をつとめた。その後ハノーファー市立歌劇場の音楽監督になった。レコード録音が少ないので今日殆ど知られていないが、第2次世界大戦中の放送録音の復刻CDに名前を見ることができる。IMPERIALレコードはドイツとデンマークで販売されていたマイナー・レーベル。 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3802
2020/6新譜
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メンデルスゾーン: 交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」 真夏の夜の夢から結婚行進曲
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エットーレ・パニッツァ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
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カナダ VICTOR 36279/82(伊 LA VOCE DEL PADRONE AW265/68 と同一録音) (1930年12月&1931年1月録音) エットーレ・パニッツァ(1875-1967)はアリゼンチン生まれのイタリアの指揮者、作曲家。イタリア系移民の両親のもとブエノス・アイレスに生まれた。父親がテアトロ・コロンのチェリストで、幼少から音楽教育を受けて育った。その後、両親の祖国イタリアに渡り、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でピアノ、作曲、指揮法を学んだ。卒業後1897年にローマ歌劇場で指揮者デビュー。イタリア各地の歌劇場で活動後、1907年にはロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、1914年までイタリア・オペラの指揮をした。さらにニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも名声を確立した。1908年にはミラノ・スカラ座でデビュー。トゥリオ・セラフィン(1878-1968)やアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)と並ぶ名声をはくした。1930年代にメトロポリタン歌劇場でのライヴ録音が数多く残されている。パニッツァの交響曲録音は大変少ないのが不思議だ。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3803
2020/7新譜
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モーツァルト: セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」
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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の管楽器ソリスト達
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英 HMV DB6707/11 1947年11月10、19、26日&12月3日 ウィーン、ムジークフェライン、ブラームスザール録音 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はドイツの大指揮者。これはフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(HMV DB6741/7、復刻78CDR-3369)と同時期に録音された。それは原盤番号が「英雄」と入り組んでいるからだ。録音場所のブラームスザールはムジークフェラインの中にある室内楽用の小ホール。「英雄」の録音中に13人の管楽器奏者をここに移動させて録音したものと推測する。78CDR-3369「英雄」のカードに記載の原盤番号と比較参照されたい。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3804
2020/7新譜
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ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」 ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品1-3よりメヌエット
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エリー・ナイ三重奏団 エリー・ナイ(ピアノ) マックス・シュトループ(ヴァイオリン) ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
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英 HMV DB4587/90 (1938年ベルリン録音) エリー・ナイ(1882-1968)、マックス・シュトループ(1900-1966)、ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はナチス・ドイツの時代に活躍した非ユダヤ系の奏者による三重奏団。三重奏団は1936年頃結成された。このシリーズでエリー・ナイとルートヴィヒ・ヘルシャーによるシューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3653)とマックス・シュトループのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(カール・ベーム指揮)(78CDR-3125)が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3805
2020/7新譜
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ルイ・ド・ケ=デルヴロワ(ド・ベロン編曲): チェロとピアノための組曲 C.P.E.バッハ: チェロ協奏曲第3番イ長調 Wq.172 より Largo mesto
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モーリス・マレシャル(チェロ) ジャン・ドワイアン(ピアノ)
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仏 COLUMBIA D15221/2 1929年頃録音 ルイ・ド・ケ=デルヴロワは18世紀フランスのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オルレアン公の宮廷音楽家として活躍した。チェロのモーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。1911年にパリ音楽院を一等賞で卒業し、第1次世界大戦(1914-1918)に従軍。戦後の1919年にコンセール・ラムルーでソリストとしてデビューした。以来世界中を楽旅し日本にも来訪した。日本コロムビアでの録音もある。ピアノのジャン・ドワイアン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、1922年に一等賞を得て卒業した。1941年に師のロンの後任としてパリ音楽院教授をつとめ1977年に退任した。レコード録音も多い。妹のジネット・ドワイヤン(1921-2002)もピアニストで夫君のジャン・フルニエ(1911-2003)はヴァイオリン奏者で名チェリストのピエール・フルニエ(1906-1986)の実弟。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3806
2020/8新譜
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20世紀初頭に活躍した名歌手による 「フォスター:故郷の人々(スワニー川)」 ※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
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この曲は1851年に楽譜が出版された。旅芸人一座のクリスティ・ミンストレルズが演奏するために書かれたもので、作曲者のフォスターは15ドルの著作権料を受け取って売り渡したと伝えられる。だが楽譜は大ヒットし、多くの著名歌手が歌い録音を残した。その一部をここに集めた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグノNu 1 DSD録音機を使用した。
(1)ネリー・メルバ、ランドン・ロナルド(ピアノ) 英 HMV DA337(1905年9月4日録音) ネリー・メルバ(1861-1931)はオーストラリア生まれ。ヨーロッパに渡り成功を収め、その後ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも大成功を収めた。録音された1905年は明治38年で日露戦争の年だった。 (2)エマ・カルヴェ 米 VICTOR 88089(1907年4月22日録音) エマ・カルヴェ(1858-1942)はフランス生まれのソプラノ歌手。1893年からニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出ていた。 (3)アリス・ニールセン 米 COLUMBIA D17705(1910年11月22日録音) アリス・ニールセン(1872-1943)はブロードウェイ・ミュージカルの大スター。自らのオペラ団を持っていた。 (4)アルマ・グルック、エフレム・ジンバリスト(ヴァイオリン) 米 VICTOR 87514(1914年11月15日録音) アルマ・グルック(1884-1938)はルーマニア出身のソプラノ。ドイツで活躍した後アメリカに移住、成功をとげた。名ヴァイオリニストのエフレム・ジンバリストと結婚した。息子に俳優のエフレム・ジンバリスト・ジュニア、孫に女優のステファニー・ジンバリストがいる。これは夫君ジンバリストのヴァイオリン助奏付き(ドヴォルザークのユモレスク)。 (5)エルネスティーネ・シューマン=ハインク 米 VICTOR 6277(1918年7月29日キャムデン録音) エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はプラハ近郊の小都市リーベンの生まれ。1877年グラーツでデビュー。その後ドイツ、英国、ニューヨークの歌劇場で大活躍。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。 (6)クララ・バット 英 COLUMBIA 7170(1917年録音) クララ・バット(1872-1936)は英国のコントラルト歌手。1931年(昭和6年)2月に来日し、コロムビアに北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「チンコロ子犬」(J4008)を録音した。デイムの称号を持つ。 (7)ローザ・ポンセル 日本コロムビア J7002(米 COLUMBIA 499934と同一録音)(1921年頃録音) ローザ・ポンセル(1897-1981)はアメリカのソプラノ。1920年代から30年代にかけてニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍した。アメリカの生んだ最も偉大なソプラノの一人。
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78CDR-3807
2020/8新譜
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ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
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フェリックス・ワインガルトナー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
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英 COLUMBIA L1880/3 1927年1月28-29日、ロンドン録音 フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻するが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。1855年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。ワインガルトナーは1924年のラッパ吹き込みを含めて生涯4回「運命」交響曲を録音したが、これは1927年の第2回目の録音。1927年はベートーヴェン没後100年記念だった。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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78CDR-3808
2020/8新譜
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ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22 フンメル(ハイフェッツ編):ロンド変ホ長調作品11
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ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 アルパド・サンドール(ピアノ)(フンメル)
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英 HMV DB2447/9 1938年3月18日ロンドン録音 ヴィエニャフスキはポーランド出身のヴァイオリニスト。8歳でパリ音楽院に入り13歳で演奏家としたデビューした。ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中で日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年からニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者をつとめた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
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