新 忠篤氏 復刻

3700-

78CDR-3700〜
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3700

 

2017/10新譜

チーク・トゥ・チーク&ホワイト・クリスマス-
コニー・ボズウェル、アーヴィング・バーリンを歌う
チーク・トゥ・チーク
ホワイト・クリスマス
アレグザンダーズ・ラグタイム・バンド
ショウほど素敵な商売はない
オール・バイ・マイセルフ
愛は海より深く
ブルー・スカイ
オール・アローン
オールウェイズ
メイビー・イッツ・ビコーズ

コニー・ボズウェル(vo)
ウォーレン・ヴィンセント指揮オーケストラ

米 DESIGN RECORDS DLP 68(モノラル)
1958年録音
コニー・ボズウェル(1907-1976)は三姉妹によるコーラスグループ、ボズウェル・シスターズの中姉。長姉のマーサ・ボズウェル(1905-1958)、末姉のヴェット・ボズウェル(1911-1988)三姉妹はニューオリンズの中産階級の家庭生まれ。子供の頃からコニーはピアノ、マーサはチェロ、ヴェットはヴァイオリンを習い、演奏会を開いたこともあった。その後伝説のコルネット奏者エメット・ハーディ(1903-1925)に出会い、その激励を受けてコーラスに転向、ジャズのフィーリングが横溢した歌唱で人気を博した。ハーディはNORK(New Orleans Rhythm Kings)のコルネット奏者だった。1936年ヴェットの結婚を機にグループは解散、その後コニーはソロ・シンガーとして活躍した。このアルバムは作曲家アーヴィング・バーリン(1888-1989)の作品を集めたもので、バーリンの作曲活動50年を記念したアルバム。バーリンは旧ロシア帝国の現ベルラーシ生まれ。5歳の時両親と共にアメリカに移住。1915年に「ゴッド・ブレス・アメリカ」を作曲して注目された。1927年初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」で主演のアル・ジョルスンが歌った「ブルー・スカイ」が大ヒットした。このアルバムのミュージシャンにはマンデル・ロウ(g)、ジョージ・ウェットリング(ds)、ジョージ・デュヴィヴィエ(b)、アラン・シュルマン(cello)等の名前が見える。

78CDR-3701

 

2017/10新譜

作曲者自身の演奏を含む
SPレコード復刻「セントルイス・ブルース」(1928-1942)

(1)ニュー・セントルイス・ブルース
ボイド・センター(cl), エディ・ラング(g),ジャック・ラッセル(p) 日本コロムビアJ 1793 1928年1月21日ニューヨーク録音
(2)セントルイ・ブルース
アイリーン・ビースリー(vo), ベニー・グッドマン(cl) 米VICTOR 21467/VICTOR 21467(U.S.) 1928年5月1日録音
(3)セントルイス・ブルース
ルディ・ヴァレー(vo)と彼のコネティカット・ヤンキース 日本ビクター 22321/VICTOR 5880(U.S.) 1930年2月19日録音
(4)セントルイス・ブルース
キャブ・キャロウェイ(vo)と彼の楽団 米BRUNSWICK 33355 1930年7月24日録音
(5)セントルイス・ブルース・ルンバ(ペドロ・グルダ編)
マノロ・カストロとハバナ・ヨットクラブ楽団 日本ビクター22812 1931年7月10日録音
(6)セントルイス・ブルース "コンサート・ヴァージョン"
ビング・クロスビー(vo), デューク・エントン楽団 英 COLUMBIA DX898 1932年2月11日ニューヨーク録音
(7)セントルイス・ブルース
ルイ・アームストロング楽団 日本ビクター JA-125 1933年4月26日録音
(8)セントルイス・ブルース
ボズウェル・シスターズ 日本 COLUMBIA(Lucky)60086 1935年8月21日録音

(9)セントルイス・ブルース
ステファン・グラッペリとホット4,ジャンゴ・ラインハルト(g) 米 DECCA 23032 1935年9月30日パリ録音
(10)セントルイス・ブルース
ベニー・グッドマン楽団 日本ビクター JA-835 1936年8月21日録音
(11)セントルイス・ブルース
マキシン・サリヴァン(vo)とクロード・ソーンヒル楽団 日本ビクター JA-1230 1938年6月29日録音
(12)セントルイス・ブルース
W.C.ハンディとオーケストラ 米 PHILHARMONIC FR81 1939年12月26日ニューヨーク録音
(13)セントルイス・ブルース
カウント・ベイシー(p)、オール・アメリカン・リズム・セクション、バック・クレイトン(tp)、ドン・バイアス(ts) 米 COLUMBIA 36711 1942年7月24日ハリウッド録音
(14)浪曲セントルイス・ブルース(編曲:平茂雄)(6:52)
川田義雄(吉本ショウ) 日本ビクターVICTOR J-54656 1939年9月録音

 

「セントルイス・ブルース」はW. C. ハンディ(1873-1958)が作詩・作曲し、1914年9月に楽譜が出版されたジャズの名曲。以来多くのミュージシャンが演奏し、そのレコードは1000 種類を越えるといわれている。今回選んだ14曲は昭和初期から第2次世界大戦中のSPレコードに残された名演奏を集めた。Track12にあるハンディ自身の演奏はほとんど知られていないアメリカのマイナー会社への貴重な録音である。

78CDR-3702

 

2017/10新譜

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23

コンラート・ハンゼン(ピアノ)
ウィレム・メンゲルベルク指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK3092/5
1940年7月9日ベルリン、ジングアカデミー録音
コンラート・ハンゼン(1906-2002)はドイツのピアニスト。ベルリン高等音楽院でエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事し、後にフィッシャーの助手をつとめるかたわらコンサート・ピアニストとして活躍した。SPレコードにはこのチャイコフスキーの他に1941年6月20&22日録音のベートーヴェン「皇帝」(ヨッフム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団)(78CDR-3184)があった。ドイツ帝国放送のライヴ録音にはフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1943年10月31日収録)のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番がLP時代になって発売された。ハンゼンは第2次世界大戦後教育者として活躍し、デットモルト音楽アカデミーの創設に関わり、ヘレン版のベートーヴェン全集の校訂をした。東京藝術大学や上野学園大学で教えたこともある。ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任、また第2次世界大戦中はベルリン・フィルの指揮者をつとめた。

78CDR-3703

 

2017/10新譜

シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.957「未完成」

エドゥアルト・メーリケ指揮
ベルリン・オペラハウス管弦楽団

英 PARLOPHONE E10052/54
1921年10月22日ベルリン録音(機械式録音)
(古い録音のため各所にノイズがあります。ご容赦ください)
この名曲の世界初の全曲録音。指揮者のエドゥアルト・メーリケ(1877-1929)はシュトゥットガルト生まれ。ピアニスト、作曲家としても活躍した。1912年-24年までベルリン・ドイツ・オペラの指揮者ををつとめた。この録音はその頃のもの。1919年からレコード会社PARLOPHONE/ODEONに録音を始め数多くのレコードを残した。1922年と1923年にはワグナーの楽劇&オペラの北米引っ越し公演をしている。1924-29年にはドレスデン・フィルの音楽監督をつとめた。1929年に52歳で没した。「未完成交響曲」の最初の録音は1911年4月吹き込み、アメリカCOLUMBIAのPrince's Symphony Orchestra によるSP盤2面に収めた抜粋版だった。それから10年後の1921年にやっとこのSP盤6面の全曲版が登場した。その間に5種の抜粋盤が出た。ちなみに未完成交響曲の初演は1865年ウィーンで行われた。

33CDR-3704

 

2017/11新譜

ルネ・レイボヴィツ-ワルツへのお誘い
ウェーバー:舞踏への勧誘(ベルリオーズ管弦楽編曲)
チャイコフスキー:ワルツ(弦楽サレナード作品48より)
ベルリオーズ:舞踏会(幻想交響曲作品14より)
シベリウス:悲しいワルツ作品44
ヨハン・シュトラウス 2世:ウィーン気質
ヨーゼフ・シュトラウス:わが人生は愛と喜び

ルネ・レイボヴィツ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

米 WESTMINSTER XWN18817(モノ)
1958年7月ウィーン録音
ルネ・レイボヴィツ(1913-1972)はポーランドのワルソー生まれ。1926年に家族と共にパリに定住。1930-1933年にベルリンでアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に、ウィーンでアントン・ウェーベルン(1883-1945)について作曲法を師事した。さらにパリではオーケストレーション法をモーリス・ラヴェル(1875-1937)に、指揮法をピエール・モントゥー(1875-1964)に学んだ。1936年から指揮者としての活動を開始し、数年の内に名声を高めたが第2次大戦の勃発で指揮活動から退き、作曲や著作に専念するようになった。戦後になって再び指揮者として復帰した。この録音は戦後のLP初期のもので、現在ではほとんど忘れ去られていたもの。近年レイボヴィツのステレオ録音が再評価されているが、これはウィーン国立歌劇場管弦楽団(実体はウィーン・フィル)との共演で、ポピュラーな曲をこれど格調高く仕上げているのはさすがに新ウィーン楽派の大作曲家の薫陶の賜物と思う。

33CDR-3705

 

2017/11新譜

チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲 作品71a
小序曲
行進曲
こんぺい糖の踊り
トレパーク
アラビアの踊り
中国の踊り
あし笛の踊り
花のワルツ
バレエ「白鳥の湖」抜粋
第2幕への導入
ワルツ
小さな白鳥たちの踊り
情景ー第2幕
チャルダッシュ
フィナーレ

ロジェ・デゾルミエール指揮
フランス国立交響楽団

米 CAPITOL P8140(モノ)
1951年4月パリ録音
ロジェ・デゾルミエール(1898-1963)はフランスのヴィシー生まれ。パリ音楽院で作曲家のシャルル・ケクラン(1867-1950)に師事し卒業後パリのソワレ・ド・パリ管弦楽団のフルート奏者になった。1921年コンセール・プレイエルの指揮者になり、1924-1925 にはパリのスエーデン・バレエ団の指揮者をつとめた。1925年ディアギレフ・バレエ団にスカウトされ、バレエ団のヨーロッパ公演を指揮した。1929年ディアギレフの死によってバレエ団は解散、デゾルミエールは現代音楽とバロック音楽のスペシャリストとして名声を確立していった。1937年オペラ・コミックの指揮者になり、1944年に音楽監督に指名された。1945年にはパリ・オペラ座のアシスタント・ディレクターの職務が加わった。特にドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のほか大戦後の音楽界に登場したオリヴィエ・メシアンやピエール・ブレーズ等の先端音楽の初演を手掛けた。またヴェルサイユでバッロク音楽の演奏会に力を入れ、一方で映画音楽の作曲家でもあった。1950年フランス国立管弦楽団の首席指揮者に就任したが、麻痺性の疾患にかかり引退した。これはLP最初期に出たデゾルミエールの名演の復刻である。

78CDR-3706

 

2017/11新譜

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005より

ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)

独 POLYDOR 68282/3
1943年6月ベルリン録音
鬼才プシホダが第2次世界大戦の真っ只中に録音したJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 BWV1005から第1楽章アダージョと第2楽章フーガである。なぜ全曲を完成しなかったかは謎。ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚愕させ「新しいパガニーニ」と激賞させたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカデビュー。その直後から縦振動盤のエジソン・ダイアモンドディスクやドイツPOLYDORに録音が始まった。第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動を行った。プシホダはこのシリーズでドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3392)、タルティーニ:悪魔のトリル(78CDR-3628)、チゴイネルワイゼン他(78CDR-3574)、ヴィターリ:シャコンヌ(78CDR-3068)が出ている。

78CDR-3707

 

2017/11新譜

バルトーク:
ルーマニア民族舞曲集
民謡の旋律による 3つのロンド

リリー・クラウス(ピアノ)

濠 PARLOPHONE AR1123/4
1938年8月23日(ルーマニア民族舞曲&ロンドNO.1),
1938年10月7日(ロンドNO.2&NO.3)ロンドン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアウトゥール・シュナーベル(1882-1967)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦集結まで拘束された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から83年はアメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このシリーズではモーツァルト:ピアノ協奏曲第18番(78CDR-3274)、シモン・ゴールドベルクと共演したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3431)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集(78CDR-3380/81)が出ている。

78CDR-3708

 

2017/11新譜

ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

フェリックス・ワインガトルナー指揮
ロンドン交響楽団

英 COLUMBIA L1708/13
1925年10月29日&11月1日ロンドン録音(原盤に起因する音割れがあります)
フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻するが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。最初作曲家を志したが生活の安定を求め指揮者に転じた。1885年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。1937年夫人のカルメン・テューダーと来日し夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮した。ワインガルトナーのレコード録音は機械式録音の時代からあったが、この「幻想交響曲」はマイクロフォンを使用した電気録音の最初期のものである。ワインガルトナーは「幻想交響曲」を1925年の3月に機械式録音で行ったが、電気録音の開発情報で未発売にしたと伝えられる。

33CDR-3709

 

2017/12新譜

ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

ルネ・レイボヴィツ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

独 HELIODOR 429 003 (ステレオ) (米 WESTMINSTER WST 14046と同一録音)
1958年7月ウィーン・コンツェルトハウス、モーツァルトザール録音ルネ・レイボウィツ(1913-1972) はポーランドのワルソー生まれ。1926年に家族と共にパリに定住。1930-1933年にベルリンでアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に、ウィーンでアントン・ウェーベルン(1883-1945)について作曲法を師事した。さらにパリではオーケストレーション法をモーリス・ラヴェル(1875-1937) に、指揮法をピエール・モントゥー(1875-1964) に学んだ。1936年から指揮者としての活動を開始し、数年の内に名声を高めたが第2次大戦の勃発で指揮活動から退き、作曲や著作に専念するようになった。戦後になって再び指揮者として復帰した。この録音はステレオLP初期のもの。格調高いこの演奏は新ウィーン楽派の大作曲家の薫陶の賜物と思う。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3710

 

2017/12新譜

ハイドン:
ピアノ・ソナタ第34番ホ短調
ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調

リリー・クラウス(ピアノ)

英 LONDON(DUCRETET-THOMSON) EL 93021(モノ)
1953年頃録音
仏デュクレテ=トムソン録音。リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1967)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦集結まで拘束された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から83年はアメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このシリーズではモーツァルト: ピアノ協奏曲第18番(78CDR-3274)、シモン・ゴールドベルクと共演したベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3431)、モーツァルト: ヴァイオリン・ソナタ選集(78CDR-3380/81)、バルトーク: 民謡の旋律による 3つのロンド&ルーマニア民族舞曲集(78CDR-3707)が出ている。

78CDR-3711

 

2017/12新譜

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003

ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)

米 VOX 12039/40
1948年頃録音
ルッジエーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。この演奏は戦後のSPレコード末期の録音で盤がシェラックではなくLPと同じビニール製でSP特有の針音がしない。リッチはこのシリーズでパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3687)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K.378(33CDR-3690)、サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番(33CDR-3430)が出ている。

78CDR-3712

 

2017/12新譜

グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)

豪 HMV DB1259/61
1928年9月15日ベルリン録音
大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーが(1875-1962)が大ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)と顔を合わせた歴史的録音。クライスラーとラフマニノフは第1次世界大戦後、同じマネージャーだったことからこの録音が実現したと言われる。これは電気録音初期のもので録音時クライスラーが53歳、ラフマニノフが55歳だった。この二人の巨匠による録音は他にベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番(78CDR-3575)とシューベルト:"デュオ"ソナタ イ長調があるが、いずれもアメリカ録音。これは録音当時クライスラーが居を構えていたベルリン録音。じっくり時間をかけた録音であることは原盤番号の後にあるテイク数が合計31テイクであったことに現れている。SP盤6面を完成するためになんと31枚の原盤を使ったということである。

78CDR-3713

 

2017/12新譜

フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調

リュセット・デカーヴ(ピアノ)
ブイヨン弦楽四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(第1ヴァイオリン)
アルベール・ロカテッリ(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥローベル(チェロ)

仏 DISQUE "GRAMOPHONE" DB 5123/26
1940年12月17-18日パリ、ペルーズ・スタジオ録音
ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。現代音楽を得意とし、1923年にプロコフィエフ(1891-
1953)のピアノ協奏曲第3番を作曲者の指導を受けた後パリで演奏した。またジョリヴェ(1905-1974)の「5 つの儀礼の踊り」やピアノ協奏曲の初演を行った。とくに協奏曲は生涯100 回以上演奏した。音楽院ではロンやナットの助手をつとめ、1947年から教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはブリジット・アンゲレル、カティアとマリエル・ラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ、ジャン=イヴ・ティボーデ等がいる。ブイヨン弦楽四重奏団はガブリエル・ブイヨン(1896-1984)によって結成された。ブイヨンはパリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)のクラスで学び1910年に一等賞を得た。1940年にカペー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者ブノワとチェロ奏者ドゥローベルと四重奏団を結成した。また1943年から音楽院教授をつとめた。フランクのピアノ五重奏曲はこのシリーズでマルセル・シャンピ(p)とカペー弦楽四重奏団(78CDR-3034)、アルフレッド・コルトー(p)とインターナショナル弦楽四重奏団(78CDR-3125)、ジャックリーヌ・エマール(p)とレーヴェングート弦楽四重奏団(33CDR-3403)が出ている。いずれもフランスのピアニストで聴き比べも一興。

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