新 忠篤氏 復刻

3700-3749

78CDR-3700〜
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3700
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チーク・トゥ・チーク&ホワイト・クリスマス-
コニー・ボズウェル、アーヴィング・バーリンを歌う
チーク・トゥ・チーク
ホワイト・クリスマス
アレグザンダーズ・ラグタイム・バンド
ショウほど素敵な商売はない
オール・バイ・マイセルフ
愛は海より深く
ブルー・スカイ
オール・アローン
オールウェイズ
メイビー・イッツ・ビコーズ

コニー・ボズウェル(vo)
ウォーレン・ヴィンセント指揮オーケストラ

米 DESIGN RECORDS DLP 68(モノラル)
1958年録音
コニー・ボズウェル(1907-1976)は三姉妹によるコーラスグループ、ボズウェル・シスターズの中姉。長姉のマーサ・ボズウェル(1905-1958)、末姉のヴェット・ボズウェル(1911-1988)三姉妹はニューオリンズの中産階級の家庭生まれ。子供の頃からコニーはピアノ、マーサはチェロ、ヴェットはヴァイオリンを習い、演奏会を開いたこともあった。その後伝説のコルネット奏者エメット・ハーディ(1903-1925)に出会い、その激励を受けてコーラスに転向、ジャズのフィーリングが横溢した歌唱で人気を博した。ハーディはNORK(New Orleans Rhythm Kings)のコルネット奏者だった。1936年ヴェットの結婚を機にグループは解散、その後コニーはソロ・シンガーとして活躍した。このアルバムは作曲家アーヴィング・バーリン(1888-1989)の作品を集めたもので、バーリンの作曲活動50年を記念したアルバム。バーリンは旧ロシア帝国の現ベルラーシ生まれ。5歳の時両親と共にアメリカに移住。1915年に「ゴッド・ブレス・アメリカ」を作曲して注目された。1927年初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」で主演のアル・ジョルスンが歌った「ブルー・スカイ」が大ヒットした。このアルバムのミュージシャンにはマンデル・ロウ(g)、ジョージ・ウェットリング(ds)、ジョージ・デュヴィヴィエ(b)、アラン・シュルマン(cello)等の名前が見える。

78CDR-3701
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作曲者自身の演奏を含む
SPレコード復刻「セントルイス・ブルース」(1928-1942)

(1)ニュー・セントルイス・ブルース
ボイド・センター(cl), エディ・ラング(g),ジャック・ラッセル(p) 日本コロムビアJ 1793 1928年1月21日ニューヨーク録音
(2)セントルイ・ブルース
アイリーン・ビースリー(vo), ベニー・グッドマン(cl) 米VICTOR 21467/VICTOR 21467(U.S.) 1928年5月1日録音
(3)セントルイス・ブルース
ルディ・ヴァレー(vo)と彼のコネティカット・ヤンキース 日本ビクター 22321/VICTOR 5880(U.S.) 1930年2月19日録音
(4)セントルイス・ブルース
キャブ・キャロウェイ(vo)と彼の楽団 米BRUNSWICK 33355 1930年7月24日録音
(5)セントルイス・ブルース・ルンバ(ペドロ・グルダ編)
マノロ・カストロとハバナ・ヨットクラブ楽団 日本ビクター22812 1931年7月10日録音
(6)セントルイス・ブルース "コンサート・ヴァージョン"
ビング・クロスビー(vo), デューク・エントン楽団 英 COLUMBIA DX898 1932年2月11日ニューヨーク録音
(7)セントルイス・ブルース
ルイ・アームストロング楽団 日本ビクター JA-125 1933年4月26日録音
(8)セントルイス・ブルース
ボズウェル・シスターズ 日本 COLUMBIA(Lucky)60086 1935年8月21日録音
(9)セントルイス・ブルース
ステファン・グラッペリとホット4,ジャンゴ・ラインハルト(g) 米 DECCA 23032 1935年9月30日パリ録音
(10)セントルイス・ブルース
ベニー・グッドマン楽団 日本ビクター JA-835 1936年8月21日録音
(11)セントルイス・ブルース
マキシン・サリヴァン(vo)とクロード・ソーンヒル楽団 日本ビクター JA-1230 1938年6月29日録音
(12)セントルイス・ブルース
W.C.ハンディとオーケストラ 米 PHILHARMONIC FR81 1939年12月26日ニューヨーク録音
(13)セントルイス・ブルース
カウント・ベイシー(p)、オール・アメリカン・リズム・セクション、バック・クレイトン(tp)、ドン・バイアス(ts) 米 COLUMBIA 36711 1942年7月24日ハリウッド録音
(14)浪曲セントルイス・ブルース(編曲:平茂雄)(6:52)
川田義雄(吉本ショウ) 日本ビクターVICTOR J-54656 1939年9月録音

 

「セントルイス・ブルース」はW. C. ハンディ(1873-1958)が作詩・作曲し、1914年9月に楽譜が出版されたジャズの名曲。以来多くのミュージシャンが演奏し、そのレコードは1000 種類を越えるといわれている。今回選んだ14曲は昭和初期から第2次世界大戦中のSPレコードに残された名演奏を集めた。Track12にあるハンディ自身の演奏はほとんど知られていないアメリカのマイナー会社への貴重な録音である。

78CDR-3702

 

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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23

コンラート・ハンゼン(ピアノ)
ウィレム・メンゲルベルク指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK3092/5
1940年7月9日ベルリン、ジングアカデミー録音
コンラート・ハンゼン(1906-2002)はドイツのピアニスト。ベルリン高等音楽院でエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事し、後にフィッシャーの助手をつとめるかたわらコンサート・ピアニストとして活躍した。SPレコードにはこのチャイコフスキーの他に1941年6月20&22日録音のベートーヴェン「皇帝」(ヨッフム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団)(78CDR-3184)があった。ドイツ帝国放送のライヴ録音にはフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1943年10月31日収録)のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番がLP時代になって発売された。ハンゼンは第2次世界大戦後教育者として活躍し、デットモルト音楽アカデミーの創設に関わり、ヘレン版のベートーヴェン全集の校訂をした。東京藝術大学や上野学園大学で教えたこともある。ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任、また第2次世界大戦中はベルリン・フィルの指揮者をつとめた。

78CDR-3703

 

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シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.957「未完成」

エドゥアルト・メーリケ指揮
ベルリン・オペラハウス管弦楽団

英 PARLOPHONE E10052/54
1921年10月22日ベルリン録音(機械式録音)
(古い録音のため各所にノイズがあります。ご容赦ください)
この名曲の世界初の全曲録音。指揮者のエドゥアルト・メーリケ(1877-1929)はシュトゥットガルト生まれ。ピアニスト、作曲家としても活躍した。1912年-24年までベルリン・ドイツ・オペラの指揮者ををつとめた。この録音はその頃のもの。1919年からレコード会社PARLOPHONE/ODEONに録音を始め数多くのレコードを残した。1922年と1923年にはワグナーの楽劇&オペラの北米引っ越し公演をしている。1924-29年にはドレスデン・フィルの音楽監督をつとめた。1929年に52歳で没した。「未完成交響曲」の最初の録音は1911年4月吹き込み、アメリカCOLUMBIAのPrince's Symphony Orchestra によるSP盤2面に収めた抜粋版だった。それから10年後の1921年にやっとこのSP盤6面の全曲版が登場した。その間に5種の抜粋盤が出た。ちなみに未完成交響曲の初演は1865年ウィーンで行われた。

33CDR-3704

 

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ルネ・レイボヴィツ-ワルツへのお誘い
ウェーバー:舞踏への勧誘(ベルリオーズ管弦楽編曲)
チャイコフスキー:ワルツ(弦楽サレナード作品48より)
ベルリオーズ:舞踏会(幻想交響曲作品14より)
シベリウス:悲しいワルツ作品44
ヨハン・シュトラウス 2世:ウィーン気質
ヨーゼフ・シュトラウス:わが人生は愛と喜び

ルネ・レイボヴィツ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

米 WESTMINSTER XWN18817(モノ)
1958年7月ウィーン録音
ルネ・レイボヴィツ(1913-1972)はポーランドのワルソー生まれ。1926年に家族と共にパリに定住。1930-1933年にベルリンでアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に、ウィーンでアントン・ウェーベルン(1883-1945)について作曲法を師事した。さらにパリではオーケストレーション法をモーリス・ラヴェル(1875-1937)に、指揮法をピエール・モントゥー(1875-1964)に学んだ。1936年から指揮者としての活動を開始し、数年の内に名声を高めたが第2次大戦の勃発で指揮活動から退き、作曲や著作に専念するようになった。戦後になって再び指揮者として復帰した。この録音は戦後のLP初期のもので、現在ではほとんど忘れ去られていたもの。近年レイボヴィツのステレオ録音が再評価されているが、これはウィーン国立歌劇場管弦楽団(実体はウィーン・フィル)との共演で、ポピュラーな曲をこれど格調高く仕上げているのはさすがに新ウィーン楽派の大作曲家の薫陶の賜物と思う。

33CDR-3705

 

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チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲 作品71a
小序曲
行進曲
こんぺい糖の踊り
トレパーク
アラビアの踊り
中国の踊り
あし笛の踊り
花のワルツ
バレエ「白鳥の湖」抜粋
第2幕への導入
ワルツ
小さな白鳥たちの踊り
情景ー第2幕
チャルダッシュ
フィナーレ

ロジェ・デゾルミエール指揮
フランス国立交響楽団

米 CAPITOL P8140(モノ)
1951年4月パリ録音
ロジェ・デゾルミエール(1898-1963)はフランスのヴィシー生まれ。パリ音楽院で作曲家のシャルル・ケクラン(1867-1950)に師事し卒業後パリのソワレ・ド・パリ管弦楽団のフルート奏者になった。1921年コンセール・プレイエルの指揮者になり、1924-1925 にはパリのスエーデン・バレエ団の指揮者をつとめた。1925年ディアギレフ・バレエ団にスカウトされ、バレエ団のヨーロッパ公演を指揮した。1929年ディアギレフの死によってバレエ団は解散、デゾルミエールは現代音楽とバロック音楽のスペシャリストとして名声を確立していった。1937年オペラ・コミックの指揮者になり、1944年に音楽監督に指名された。1945年にはパリ・オペラ座のアシスタント・ディレクターの職務が加わった。特にドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のほか大戦後の音楽界に登場したオリヴィエ・メシアンやピエール・ブレーズ等の先端音楽の初演を手掛けた。またヴェルサイユでバッロク音楽の演奏会に力を入れ、一方で映画音楽の作曲家でもあった。1950年フランス国立管弦楽団の首席指揮者に就任したが、麻痺性の疾患にかかり引退した。これはLP最初期に出たデゾルミエールの名演の復刻である。

78CDR-3706

 

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J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005より

ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)

独 POLYDOR 68282/3
1943年6月ベルリン録音
鬼才プシホダが第2次世界大戦の真っ只中に録音したJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 BWV1005から第1楽章アダージョと第2楽章フーガである。なぜ全曲を完成しなかったかは謎。ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚愕させ「新しいパガニーニ」と激賞させたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカデビュー。その直後から縦振動盤のエジソン・ダイアモンドディスクやドイツPOLYDORに録音が始まった。第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動を行った。プシホダはこのシリーズでドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3392)、タルティーニ:悪魔のトリル(78CDR-3628)、チゴイネルワイゼン他(78CDR-3574)、ヴィターリ:シャコンヌ(78CDR-3068)が出ている。

78CDR-3707

 

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バルトーク:
ルーマニア民族舞曲集
民謡の旋律による 3つのロンド

リリー・クラウス(ピアノ)

濠 PARLOPHONE AR1123/4
1938年8月23日(ルーマニア民族舞曲&ロンドNO.1),
1938年10月7日(ロンドNO.2&NO.3)ロンドン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアウトゥール・シュナーベル(1882-1967)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦集結まで拘束された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から83年はアメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このシリーズではモーツァルト:ピアノ協奏曲第18番(78CDR-3274)、シモン・ゴールドベルクと共演したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3431)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集(78CDR-3380/81)が出ている。

78CDR-3708

 

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ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

フェリックス・ワインガトルナー指揮
ロンドン交響楽団

英 COLUMBIA L1708/13
1925年10月29日&11月1日ロンドン録音(原盤に起因する音割れがあります)
フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻するが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。最初作曲家を志したが生活の安定を求め指揮者に転じた。1885年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。1937年夫人のカルメン・テューダーと来日し夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮した。ワインガルトナーのレコード録音は機械式録音の時代からあったが、この「幻想交響曲」はマイクロフォンを使用した電気録音の最初期のものである。ワインガルトナーは「幻想交響曲」を1925年の3月に機械式録音で行ったが、電気録音の開発情報で未発売にしたと伝えられる。

33CDR-3709

 

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ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

ルネ・レイボヴィツ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

独 HELIODOR 429 003 (ステレオ) (米 WESTMINSTER WST 14046と同一録音)
1958年7月ウィーン・コンツェルトハウス、モーツァルトザール録音ルネ・レイボウィツ(1913-1972) はポーランドのワルソー生まれ。1926年に家族と共にパリに定住。1930-1933年にベルリンでアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に、ウィーンでアントン・ウェーベルン(1883-1945)について作曲法を師事した。さらにパリではオーケストレーション法をモーリス・ラヴェル(1875-1937) に、指揮法をピエール・モントゥー(1875-1964) に学んだ。1936年から指揮者としての活動を開始し、数年の内に名声を高めたが第2次大戦の勃発で指揮活動から退き、作曲や著作に専念するようになった。戦後になって再び指揮者として復帰した。この録音はステレオLP初期のもの。格調高いこの演奏は新ウィーン楽派の大作曲家の薫陶の賜物と思う。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3710

 

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ハイドン:
ピアノ・ソナタ第34番ホ短調
ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調

リリー・クラウス(ピアノ)

英 LONDON(DUCRETET-THOMSON) EL 93021(モノ)
1953年頃録音
仏デュクレテ=トムソン録音。リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1967)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦集結まで拘束された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から83年はアメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このシリーズではモーツァルト: ピアノ協奏曲第18番(78CDR-3274)、シモン・ゴールドベルクと共演したベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3431)、モーツァルト: ヴァイオリン・ソナタ選集(78CDR-3380/81)、バルトーク: 民謡の旋律による 3つのロンド&ルーマニア民族舞曲集(78CDR-3707)が出ている。

78CDR-3711

 

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J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003

ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)

米 VOX 12039/40
1948年頃録音
ルッジエーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。この演奏は戦後のSPレコード末期の録音で盤がシェラックではなくLPと同じビニール製でSP特有の針音がしない。リッチはこのシリーズでパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3687)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K.378(33CDR-3690)、サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番(33CDR-3430)が出ている。

78CDR-3712

 

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グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45

フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)

豪 HMV DB1259/61
1928年9月15日ベルリン録音
大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーが(1875-1962)が大ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)と顔を合わせた歴史的録音。クライスラーとラフマニノフは第1次世界大戦後、同じマネージャーだったことからこの録音が実現したと言われる。これは電気録音初期のもので録音時クライスラーが53歳、ラフマニノフが55歳だった。この二人の巨匠による録音は他にベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番(78CDR-3575)とシューベルト:"デュオ"ソナタ イ長調があるが、いずれもアメリカ録音。これは録音当時クライスラーが居を構えていたベルリン録音。じっくり時間をかけた録音であることは原盤番号の後にあるテイク数が合計31テイクであったことに現れている。SP盤6面を完成するためになんと31枚の原盤を使ったということである。

78CDR-3713

 

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フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調

リュセット・デカーヴ(ピアノ)
ブイヨン弦楽四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(第1ヴァイオリン)
アルベール・ロカテッリ(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥローベル(チェロ)

仏 DISQUE "GRAMOPHONE" DB 5123/26
1940年12月17-18日パリ、ペルーズ・スタジオ録音
ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。現代音楽を得意とし、1923年にプロコフィエフ(1891-1953)のピアノ協奏曲第3番を作曲者の指導を受けた後パリで演奏した。またジョリヴェ(1905-1974)の「5 つの儀礼の踊り」やピアノ協奏曲の初演を行った。とくに協奏曲は生涯100 回以上演奏した。音楽院ではロンやナットの助手をつとめ、1947年から教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはブリジット・アンゲレル、カティアとマリエル・ラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ、ジャン=イヴ・ティボーデ等がいる。ブイヨン弦楽四重奏団はガブリエル・ブイヨン(1896-1984)によって結成された。ブイヨンはパリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)のクラスで学び1910年に一等賞を得た。1940年にカペー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者ブノワとチェロ奏者ドゥローベルと四重奏団を結成した。また1943年から音楽院教授をつとめた。フランクのピアノ五重奏曲はこのシリーズでマルセル・シャンピ(p)
とカペー弦楽四重奏団(78CDR-3034)、アルフレッド・コルトー(p)とインターナショナル弦楽四重奏団(78CDR-3125)、ジャックリーヌ・エマール(p)とレーヴェングート弦楽四重奏団(33CDR-3403)が出ている。いずれもフランスのピアニストで聴き比べも一興。

33CDR-3714

 

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ベートーヴェン:
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

ルネ・レイボヴィツ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

日READER'S DIGEST RBS 5(第7番)& RBS 4(第6番)(ステレオ)
1961年4月5-7日(第7番)&4月7-8日(第6番)
ルネ・レイボウィツ(1913-1972)はポーランドのワルソー生まれ。1926年に家族と共にパリに定住。1930-1933年にベルリンでアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に、ウィーンでアントン・ウェーベルン(1883-1945)について作曲法を師事した。さらにパリではオーケストレーション法をモーリス・ラヴェル(1875-1937)に、指揮法をピエール・モントゥー(1875-1964)に学んだ。1936年から指揮者としての活動を開始し、数年の内に名声を高めたが第2次大戦の勃発で指揮活動から退き、作曲や著作に専念するようになった。戦後になって再び指揮者として復帰した。これはステレオ期にリーダースダイジェスト社に録音されたもの。目が覚めるような指揮振りと録音はベートーヴェンが現代に蘇ったような印象を与える。今回発売のカップリングは録音順に並べてレイボウィッツがベートーヴェンの交響曲全曲を構築していく過程を再現することを試みた。

33CDR-3715

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第2番ニ長調作品36
交響曲第1番ハ長調作品21

ルネ・レイボヴィツ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

日READER'S DIGEST RBS 1(ステレオ)
1961年4月10-11日(第2番)&4月10-12日
ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール録音

33CDR-3716

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
交響曲第5番ハ短調作品67

ルネ・レイボヴィツ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

日READER'S DIGEST RBS 2 & 3B(ステレオ)
1961年4月10-12日(第3番)&4月12-13日
ロンドン・ウォルサムストウ・タウン・ホール録音

33CDR-3717

 

試聴

ベートーヴェン:
交響曲第8番ヘ長調作品92
交響曲第4番変ロ長調作品60

ルネ・レイボヴィツ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

日READER'S DIGEST RBS 6A(第8番)&RBS 3A(第4番)(ステレオ)
1961年4月14日(第8番)&5月30-31日(第4番)
ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール録音

33CDR-3718

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125

ルネ・レイボヴィツ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団&ビーチャム合唱団
インゲ・ボルク(ソプラノ)、ルート・スチュアート(コントラルト)
リチャード・ルイス(テノール)、ルートヴィヒ・ヴェーバー(バス)

日READER'S DIGEST RBS 6B&7(ステレオ)
1961年6月3、5&7日ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール録音

33CDR-3719

 

試聴

ラロ:スペイン交響曲作品21

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
レオポルド・ストコフスキー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

放送済ライブ音源
1947年5月1日ニューヨーク、カーネギー・ホール録音
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにパリのカフェ、コンセール・ルージュで弾いていたのを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされコロンヌ管弦楽団の楽員に採用された。そのときティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1963)もコロンヌの楽員になった。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日の途中、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。この録音は第2次世界大戦後ニューヨーク・フィルの演奏会にティーボーが登場した時の放送がアセテート盤に残されていたもの。数種類あるティボーの「スペイン交響曲」のライヴ録音の中で最も優れた演奏で再発の要望が大きかった。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3720

 

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218

ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)
オイゲン・ヨッフム指揮
バイエルン放送室内管弦楽団

独 GRAMMOPHON 72323/4(VG盤)
1952年11月3-4 日ミュンヘン、アメリカ・ハウス録音
SPレコード末期にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間収録VG盤からの復刻。ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)はハンガリー生まれの女流ヴァイオリニスト。1934年10歳でブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学、イェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。13歳でデビューしたが、大戦のために活動を中断。1947年ジュネーヴ国際音楽コンクールに入賞しスイスに居をかまえた。1953年ロンドンでデビューした。この録音はロンドン・デビュー以前にドイツ・グラモフォンにいれたもの。このシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタK.376(78CDR-3208)が出ている。指揮者のオイゲン・ヨッフム(1902-1987)はバイエルン生まれ。1949年バイエルン放送交響楽団の創立に関わり、60年まで首席指揮者をつとめた。これはこの時期の録音。

78CDR-3721

 

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)

日本ビクター JD769/70
1935年12月11日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
ハイフェッツが34歳の時に録音したJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソンタ第1番」。原録音は英国HIS MASTER'S VOICEだがカタログ番号がDB2721/2 として与えられたものの、何らかの理由で未発売に終わった。だが日本ビクターには原盤が送られてきたために、日本地域だけで発売された超稀少SPレコードからの復刻。ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄った伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。ハイフェッツのレコードはLP期のものよりSP期のものが優れていることはあまり知られていない。SPレコードからの復刻はこのシリーズで多数出ている。

78CDR-3722

 

試聴

ショパン:4つのバラード

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米 VICTOR 7333/6(英 HIS MASTER'S VOICE DB1343/6と同一録音)
1929年6月7日(作品23)& 3月11日(作品47, 作品38, 作品47)
ロンドン、小クイーンズ・ホール録音
アルフレッド・コルトー(1887-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年5歳でパリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1896年9歳で一等賞を得て卒業。1906年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876)とトリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。コルトーはショパンの4つのバラードを生涯に3回録音していて、これはその最初の録音。1933年の第2回の録音はこのシリーズの78CDR-3223で出ている。比較試聴は興味あるところ。

78CDR-3723

 

試聴

メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

英 HIS MASTER' VOICE DB1072/5
1927年6月20-21日ロンドン、クイーンズ・ホール(大ホール)録音
この3人の中の最年長者パブロ・カザルス(1876-1973)の名を冠したカザルス・トリオは1905年頃から活動をはじめた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)のもとにカザルスとジャック・ティボー(1880-1953)が集まって自然発生的に生まれた室内楽グループでクラシック史上最高の顔合わせ。このトリオのレコード録音が始まった時点まで約20年の歳月をかけて音楽を熟成させた。3人の奏でるすべての音、すべてのフレーズが聴き手に感動をあたえる。

78CDR-3724

 

試聴

ワルテル・ストララムの芸術
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ラヴェル: 道化師の朝の歌- "鏡" より
イベール:寄港地 - 3つの交響的絵画(強音で音ワレあり)

ワルテル・ストララム指揮
ストララム管弦楽団

仏COLUMBIA LFX30 1930年2月24日録音
仏COLUMBIA LFX185 1930年3月30日録音
仏COLUMBIA LFX17/18 1930年1月23日録音
指揮者のワルテル・ストララム(1876-1933)は、1925年パリの数あるオーケストラの中から優れた人材を選んでコンセール・ストララム管弦楽団を組織した。その目的は当時の作曲家が書いた作品を最上の演奏で世に知らせることだった。中でも作曲家モーリス・ラヴェル(1875-1937)の「ボレロ」(1928)の初演はよく知られている。オーケストラはコンサート・マスターにマルセル・ダリュー(1891-1989)、フルートにマルセル・モイーズ(1889-1984)、ハープにリリー・ラスキーヌ(1893-1988)らの超一流演奏家が加わっていた。これらの録音でも各所にそのソロが聴ける。特に第1曲のドビュッシー:牧神の午後への前奏曲のモイーズのフルート・ソロとラスキーヌのハープは注目。オーケストラの内部を浮き彫りにする鮮烈な演奏に耳を傾けられたい。

78CDR-3725

 

試聴

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90

エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
ロンドン・フルハーモニー管弦楽団

英 DECCA K1448/52
1946年3月20、22-23日ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール録音
ファン・ベイヌム指揮ロンドン・フィルの英デッカへの初録音。エドゥアルト・ファン・ベイヌム(1900-1959)はアムステルダム音楽院出身のオランダの指揮者。1929年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にデビュー。1931年にウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)の率いる同楽団の次席指揮者になり、1938年からはメンゲルベルクと共に首席指揮者となった。大戦後の1945年、メンゲルベルクの後任としてコンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。その頃コンセルトヘボウ管弦楽団のロンドン公演が大成功し、英デッカに録音を開始した。1949年から1951年にロンドン・フィルの首席指揮者、1956年から1958年にロサンジェルス・フィルの首席指揮者をつとめたが、1959
年の4月13日アムステルダムでブラームス: 交響曲第1番リハーサル中に心臓発作で倒れ死去した。享年57歳。録音はSPレコードからモノラルLP時代の英デッカ、モノラルLPからステレオLPはオランダ・フィリップスに多く残した。

78CDR-3726

 

試聴

MGM 映画「愛の調べ」(1947) より
献呈 作品25-1(シューマン=リスト編)
トロイメライ(夢)作品15-7(シューマン)
ワルツ変イ長調作品39-15(ブラームス)
子守歌(ブラームス)
アラベスクハ長調作品18(シューマン)
謝肉祭作品9(シューマン)から

メナヘム・プレスラー(ピアノ)

米 MGM 30026/29(Set 6A)
(1947年録音)
1923年12月16日生まれのピアニスト、メナヘム・プレスラーの初録音。プレスラーはドイツのマグデブルグ生まれ。1939年ナチスの迫害を逃れパレスチナに家族と共に移住した。祖父母、叔父、叔母、いとこ等はすべてナチスの強制収容所で死亡した。1946年サンフランシスコで開かれたドビュシー国際ピアノ・コンクールで一等賞を得た。この録音はその翌年のものでこのピアニストの初レコード。録音時プレスラーは18歳だった。1955年のバークシャー音楽祭でボザール・トリオのピアニストとてしデビュー。50年以上このトリオのピアニストとして活躍後、2014年の90歳でベルリン・フィルの演奏会でソロ・デビューし現在もソロ・ピアニストとして活躍中。映画「愛の調べ」は1947年に製作された。クララ・シューマンと夫のロベルトの出会いから結婚生活を描いたもので、クラレンス・ブラウン監督、クララ・シューマン役にキャサリン・ヘプバーン、ロベルト・シューマン役にポール・ヘンリード、ブラームス役にロバート・ウォーカーが出演し日本では1949年に公開された。映画公開当時ピアノはアルトゥール・ルービンシュタインによるものとされていた。

78CDR-3727

 

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モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K.622
シューマン:幻想小曲集作品73-1

レジナルド・ケル(クラリネット)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(モーツァルト)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(シューマン)

英HIS MASTER'S VOICE C3167/70
1940年3月7日(モーツァルト)、3月29日(シューマン)、アビー・ロード第1スタジオ(モーツァルト)、第3スタジオ(シューマン)録音レジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年アメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかにベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)にクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り画家として余生を送った。指揮者のサー・マルコム・サージェント(1895-1967)は英国の指揮者。1939年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が創設されると客演指揮者として活躍した。これはその時期の録音。

78CDR-3728

 

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シューマン:ピアノ三重奏曲ニ短調作品63

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1209/12(U.K.)
1928年11月15&18日、12月3日ロンドン、小クイーンズ・ホール、Cスタジオ録音この3人は1905年頃からトリオとして活動をはじめた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)のもとにパブロ・カザルス(1876-1973)とジャック・ティボー(1880-1953)が集まって自然発生的に生まれた室内楽グループで史上最高の顔合わせ。このトリオのレコード録音が始まった時点まで約20年の歳月をかけて音楽を熟成させた。3人の奏でるすべての音、すべてのフレーズが聴き手に感動をあたえる。このグループのすべての録音がこのシリーズで聴くことができる。

78CDR-3729

 

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ベートーヴェン:
交響曲第4番変ロ長調作品60
「アテネの廃墟」作品113-序曲

パブロ・カザルス指揮
バルセロナ・パブロ・カザルス交響楽団

英 HIS MASTER'S VOICE D1725/8
1929年7月4日バルセロナ、オリンピア劇場録音
チェロ奏者パブロ・カザルス(1876-1973)のレコード録音は1915年-25年の機械式録音時代にアメリカCOLUMBIAに約60面、アメリカVICTORに2面が残されている。カザルスがピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)とヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)と入れたトリオの録音は1926年12月-1928年12月の2年間にイギリスのHMVによってなされた。ハイドン:ピアノ三重奏曲ト長調(HMV DA895/6=78CDR-3199)、ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲「大公」(HMV DB1223/7=78CDR-3009)、シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番(HMV DB947/50=78CDR-3131)、メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番(HMV DB1072/5=78CDR-3723)、シューマン:ピアノ三重奏曲ニ短調(HMV DB1209/12=78CDR-3728)がその全貌である。トリオに続いてティボーとカザルスはコルトーの指揮でブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲を録音した(HMV DB1311/4, 1929年5月10-11日バルセロナ録音)。この頃HMVにはカザルスを指揮者として起用する動きがあり、最初はロンドン交響楽団とブラームス:ハイドンの主題による変奏曲(HMV DB1131/4,1927年12月と28年3月録音)だった。そしてバルセロナにカザルスのためのオーケストラが作られると、1929年7月にこのベートーヴェン:交響曲第4番と交響曲第1番(HMV D1729/31)が録音された。これらはあまり知られていない指揮者カザルスのSPレコードである。名演奏。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3730

 

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ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

リヒャルト・シュトラウス指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

独 GRAMMOPHON 66814/7
1928年録音
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)はドイツのミュンヘン生まれ。作曲家としてよく知られているが、指揮者としても活躍した。電気録音初期にはモーツァルト:交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」に加えてベートーヴェン:交響曲第5番「運命」と第7番があった。米BRUNSWICKが開発した "ライトレイ"方式の電気録音を採用した独GRAMMOPHONはこの方式でフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「運命」(GRAMMOPHON 69855/9)を1926年に録音した。機械式録音とあまり変わらない音で評判はいまいちだった。ドイツ本国ではすぐに廃盤になり、その代わりに登場したのがこのリヒャルト・シュトラウス指揮の「運命」だった。切れ込みの良い鮮やかな音質で精気あふれるシュトラウスの演奏に今日聴いても心を打たれる。ドイツ本国ではすぐに廃盤になったフルトヴェングラーの「運命」だが日本ではHMV による「運命」の新録音(HMV DB3328/32S=78CDR-3521)が登場した1930年代半ば過ぎまでポリドール社のカタログに残っていた。

78CDR-3731

 

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ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

フランツ・シャルク指揮
ウィーン・フルハーモニー管弦楽団

英 HIS MASTER'S VOICE D1473/7(U.K.)
1928年4月録音
フランツ・シャルク(1863-1931)はウィーン生まれ。1903、1905-1908年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(創立1842年)の常任指揮者をつとめた。この地位はグスタフ・マーラー(1898-1901)、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー(1901-1903)を継いだもので、同時期にカール・ムック(1904-1906)、フェリックス・モットル(1904-1907)、リヒャルト・シュトラス(1906-1908)も常任指揮者だった。シャルクはベートーヴェンの交響曲3曲を電気録音最初期にHMVに残した。この「田園」の他に交響曲第5番「運命」(HMV C2022/5,1929年10月録音)、交響曲第8番(HMV D1481/3,1928年4月録音)がある。この時代のウィーン・フィルはコンサート・マスターにアルノルト・ロゼー(1863-1964)が居た時代(在任:1881-1931)でシャルクの指揮するこれらの古いSPレコードからも他のオーケストラとは違った音の香りがする。この独特な音色を是非聴き取ってほしい。

78CDR-3732

 

試聴

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK3075/9

1940年4月9日アムステルダム録音
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年にはニューヨーク・フィルハーモニ-交響楽団の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音時代と電気録音時代のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音の完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。この録音は第2次世界大戦突入直後のもので、SPレコードの盤質が悪くヒズミが多いが貴重な演奏のために本シリーズに組み入れた。

78CDR-3733

 

試聴

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90

ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

米 VICTOR 12022/5(英 HIS MASTER'S VOICE DB2933/6と同一録音)
1936年5月18-19日ウィーン、ムジークフェライン録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルグ歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。復刻にはSPレコード特有のノイズが少ない米VICTOR盤を使用した。

78CDR-3734

 

試聴

ベートーヴェン:「魔笛」の主題による7つの変奏曲変ホ長調 WoO.46

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
パブロ・カザルス(チェロ)

仏 DISQUE "GRAMOPHONE" DA915/6
1927年6月21日ロンドン、クイーンズ・ホール(大ホール)録音
ピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)とヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)のトリオによる録音は1926年7月-1928年12月の2年間にイギリスのHMVによってなされた。録音順に記すと、1.シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 78CDR-3131(1926年7月5-6 日)、2.ハイドン:ピアノ三重奏曲ト長調 78CDR-3199(1927年6月20日)、3.メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 78CDR-3723(1927年6月20-21日)、4.シューマン:ピアノ三重奏曲ニ短調 78CDR-3728(1928年11月15 & 18日、12月3日)、5.ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲「大公」78CDR-3009 & 78CDR-3157(1928年11月19日& 12月3日)。このベートーヴェンはトリオ録音の2年目のハイドンとメンデルスゾーンのセッション時にコルトーとカザルスの二人で行われた。

78CDR-3735

 

試聴

フランスのピアニスト、ジャンヌ=マリ-・ダレSP録音集
サン=サーンス:トッカータ作品111
リスト:パガニーニ大練習曲第5番ホ長調「狩」
リスト:超絶技巧練習曲集第5番「鬼火」
リスト:超絶技巧練習曲集第11番「夕べの調べ」
ショパン:練習曲変イ長調作品25-1「牧童」
ショパン:練習曲嬰ト短調作品25-6
ラフマニノフ:前奏曲嬰ハ短調作品3-2
ラフマニノフ:前奏曲ト短調作品23-5
J.S.バッハ=マンジアガッリ編:
前奏曲(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV.1006)(機械式録音)
ウェーバー=ガンツ編:常動曲(機械式録音)
メンデルスゾーン:前奏曲第3番ニ長調作品104a-3(機械式録音)
シューマン:ロマンス嬰ヘ長調作品28-2(機械式録音)
ショパン:練習曲嬰ハ短調作品10-4(機械式録音)

ジャンヌ=マリー・ダレ(ピアノ)

サン=サーンス:トッカータ作品111 Rec. 9 Feb.1931 HMV C2336A U.K.
リスト:パガニーニ大練習曲第5番ホ長調「狩」Rec. Feb.1931 HMV C2336B U.K.
リスト:超絶技巧練習曲集第5番「鬼火」Rec. 10 Sep.1948 PATHE PDT92A France
リスト:超絶技巧練習曲集第11番「夕べの調べ」Rec. 10 Sep.1948 PATHE PDT197A France
ショパン:練習曲変イ長調作品25-1「牧童」Rec. 1 May 1944
ショパン:練習曲嬰ト短調作品25-6(1:49) Rec. 1 May 1944 PATHE PDT92B France
ラフマニノフ:前奏曲嬰ハ短調作品3-2 Rec. 10 Sep.1948 PATHE PD83 France
ラフマニノフ:前奏曲ト短調作品23-5 Rec.10 Sep.1948 PATHE PD83 France
J.S.バッハ=マンジアガッリ編:
前奏曲(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV.1006) Rec.1922(機械式録音) Vocalion K-05062 U.K.
ウェーバー=ガンツ編:常動曲 Rec.1922(機械式録音) Vocalion K-05062B U.K.
メンデルスゾーン:前奏曲第3番ニ長調作品104a-3 Rec.1922(機械式録音) Vocalion X9178A U.K.
シューマン:ロマンス嬰ヘ長調作品28-2 Rec.1922(機械式録音) Vocalion X9178B(02991)U.K.
ショパン:練習曲嬰ハ短調作品10-4 Rec.1922(機械式録音) Vocalion X9189(02988)U.K.
ジャンヌ=マリー・ダレ(ダルレ)(1905-1999)はフランスの女流ピアニスト。10歳でパリ音楽院に入りマルグリット・ロン(1874-1966)とイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事した。1919年に一等賞を得て卒業、1920年にパリでデビューした。ダレは1958年にパリ音楽院教授に指名された。ここにはダレの壮年期のSP録音に加えて機械式録音による17歳のダレ初録音が聴ける。ダレはこのシリーズでサン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番(ポール・パレー指揮)(78CDR-3189)とサン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番&第5番(ルイ・フレスティエ指揮)(33CDR-3572)が出ている。

78CDR-3736

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番ト長調 K.423
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調 K.424

シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
フレデリック・リドル(ヴィオラ)(K.423)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)(K.424)

英PARLOPHONE R20576/7(K.423)
英COLUMBIA LX291/2(K.424)
1949年6月2日録音(K.423)
1931年1月21日(K.424)録音
シモン・ゴールドベルグ(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年フルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934年ドイツがナチス政権になった時、ベルリンフィルを退団しロンドンに移住した。1942年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共にアジアを演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活をを強いられた。晩年日本人ピアニスト山根美代子さんと結婚、富山県立山で暮らしていた。フレデリック・リドル(1912-)は英国のヴィオラ奏者。ロンドンの王立アカデミーで学び、1932年ロンドン交響楽団に所属。1938年にロンドン・フィルハーモニー、1953年ロイヤル・フィルハーモニーの首席奏者を務めた。パウル・ヒンデミット(1895-1963)は1915年から1923年までフランクフルト市立劇場オ-ケストラの首席奏者として活躍、後にアマール・ヒンデミット弦楽四重奏団のヴィオラ奏者として活躍した。1935年ナチス政権から活動停止処分をを受け、1937年スイス経由でアメリカに亡命した。1946年アメリカ市民権を得て指揮者、作曲家として活動を続けた。

78CDR-3737

 

試聴

シューベルト:アルペジヨーネ・ソナタ イ短調 D.821

エンリコ・マイナルディ(チェロ)
ギド・A・ボルチアーニ(ピアノ)

独 GRAMMOPHON LVM72041/2
1950年10月8-9日録音
エンリコ・マイナルディ(1897-1976)はイタリア生まれのチェロ奏者。ミラノ音楽院でチェロを、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。後にベルリン高等音楽院でフーゴー・ベッカーに師事し、1933年からベッカーの後を継いでチェロ科の教授になった。この頃ヴァイオリンのクーレンカンプ、ピアノのエトヴィン・フィッシャーとトリオを結成し名声をあげた。この録音はSPレコード末期にドイツグラモフォンが開発した78回転長時間収録レコードVG盤に残されたもの。マイナルディはこのシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲
第3番(33CDR-3318)が出ている。またアルペジョーネ・ソナタはこのシリーズでフォイアマン(78CDR-3161)、ヘルシャー&ナイ(78CDR-3653)とカサド(オーケストラ伴奏版)(78CDR-3511)が出ている。復刻には "音のエジソン" http://www.otono-edison.com/モノラル専用MC型カートリジ(3mil針)とKorgNutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3738

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
レーガー:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ イ短調作品91-1より

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(01-09)

独 TELEFUNKEN E2074/78
1937年6月21日(ブラームス)& 6月30日(レーガー)、ベルリン録音ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年までつとめた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はドイツの名指揮者。第2次世界大戦中も非ナチス党員を保ち、戦
後に北ドイツ放送交響楽団の設立に尽力した。クーレンカンプはこのシリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮)(78CDR-3123)、ベートーヴェン:「クロイツェル・ソナタ」(ピアノ:ケンプ)(78CDR-3457)&(ピアノ:シュルツェ)(78CDR-3618)他が出ている。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ・Nutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3739

エミール・テルマニーSP録音集
序奏とロンド・カプリチオーソ作品28(サン=サーンス)
TONO X25086-1/2(3030C/3031L) Denmark Rec.1947
ロマンス第1番ト長調作品40(ベートーヴェン)
TONO X25123-1/2(3313I/3314R) Denmark Rec.1948
ロマンス第2番ヘ長調作品50(ベートーヴェン)
SONORA K9510A/B(1673CP/1374 BP) Sweden Rec.10 August 1942
チゴイネル・ワイゼン作品20(サラサーテ)
TONO X25005-1/2(1675/6BP) Denmark Rec.10 August 1942

エミール・テルマニー(ヴァイオリン)
トマス・イェンセン指揮
コペンハーゲン王立歌劇場管弦楽団
カール・ガラグリ指揮
デンマーク国立放送交響楽団
トマス・イェンセン指揮
チヴォリ劇場管弦楽団

エミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住、作曲家カール・ニーセン(1865-1931)の娘婿になった。1933年に離婚後、ピアニストのアネッテ・ショアラーと再婚し、1940-1969年までオルフス音楽院の教授をつとめた。テルマニーはバロック音楽の演奏法の研究にも熱心で、デンマークの楽器職人とVEGA弓(湾曲弓)を開発し、その弓を使って1954年にJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(デッカ)を録音した。テルマニーはこのシリーズでメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3087)、ニールセン:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3240)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ・Nutubeフォノ・イコライザーを使用した。

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レコード番号 タイトル 演奏者 説明

78CDR-3740

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

ピエール・ネリーニ(ヴァイオリン)
ジャニーヌ・ネリーニ(ピアノ)

仏 PACIFIC PIZ1518/20
1948年録音
ピエール・ネリーニ(1915-2006)はミラノ出身の音楽家の家族のもとパリに生まれた。父親のエマニュエル・ネリーニは「ネリーニ音楽コンクール」を始めた人物。息子のピエールはパリ音楽院のヴァイオリン科で一等賞を得て、コンセール・ラムルー管弦楽団、パドルー管弦楽団のメンバーを歴任後1945-1965年パリ・オペラ座管弦楽のコンサートマスターをつとめた。さらに1957-1967年にヴェルサイユ音楽院、1965-1985年にはパリ音楽院の教授の職にあった。ピアノのジャニーヌ・ネリーニはピエールの妹。ネリーニのヴァイオリンはデゾルミエール指揮の「シルヴィア」&「コッペリア」、アンセルメ指揮の「シェヘラザード」(いずれもデッカ録音)で聴ける。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ・Nutubeフォノ・イコライザーを使用した。

33CDR-3741

スターダスト/ライオネル・ハンプトン
スターダスト
ザ・マン・アイ・ラヴ

ライオネル・ハンプトン・オール・スターズ

米 DECCA DL7013(Mono)
1947年8月4日カリフォルニア州、パサデナ市公会堂録音(初期LP特有のノイズあり)
1947年8月4日、ロサンジェルス郊外のパサデナ市公会堂で開かれたジャズ・コンサートのライヴ録音。プロデューサーはロサンジェルスの放送局でジャズ番組を担当していたジーン・ノーマン(1922-2015)で、彼はこのコンサートを円盤録音機に収めた。磁気テープ録音機がまだ普及する以前のことだった。当夜のゲスト出演はヴァイブラフォンのライオネル・ハンプトン(1908-2002)。名曲「スターダスト」の圧倒的名演奏は米デッカ社がレコード化権利を買い取り、10インチ盤LPで発売された。円盤録音機に収められた音は、テープ録音よりずっと強靱で迫力がありハンプトンの演奏が輝いている。録音後70年の歳月を経た今日でもこの10インチ盤の音は当夜のコンサートの熱気をあますことなく
再現している。復刻には1958年ステレオ録音が出現したときに原盤の検聴用に開発されたWESTREX10Aカートリッジをモノラル接続で使用した。フォノイコライザーはコルグ株式会社の新型真空管Nutube使用、NABカーブで再生した。

33CDR-3742

ケンタッキーのわが家-フォスター名曲集
なつかしいケンタッキーのわが家
おお、スザンナ
恋人よ窓を開け
サム・フォークス
ネリー・ブライ
故郷の人びと(スワニー川)
草競馬
夢みる人
おおレミュエル
グレンディ・バーク
金髪のジェニー
バンジョーをかき鳴らせ
オールド・ブラック・ジョー
ケティー・ベル

ロジェー・ワーグナー指揮
ロジェー・ワーグナー合唱団

日CAPITOL 2LC-4(Mono)
1954年録音/Recorded 1954
指揮者ロジェー・ワーグナー(1914-1992)は1921年フランスから両親と共にアメリカに移住。1946年にロサンジェルス・コンサート合唱団を設立し、後にこの合唱団に自らの名前を冠しロジェー・ワーグナー合唱団とした。アメリカCAPITOL Records の専属となり、宗教曲、民謡、現代音楽と幅広いジャンルのアルバムを発表、また定期的に日本公演を行った。このアルバムはロジェー・ワーグナー合唱団の3枚目のアルバムで日本へのデビュー盤。フォスター Stephen Collins Foster(1826-1864)はアメリカの作曲家で、アメリカのポピュラー・ソングの父と称される。作品のいくつかはわが国の小学唱歌にも取り入れられ、親しみ深い。ロジェー・ワーグナー合唱団はステレオ時代になって再録音している。復刻には1958年ステレオ録音が出現したときに原盤の検聴用に開発されたWESTREX10Aカートリッジをモノラル接続で使用した。フォノイコライザーはコルグ株式会社の新型真空管Nutubeを使用、AESカーブで再生した。

78CDR-3743

 

2018/11新譜

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ニキタ・マガロフ(ピアノ)

米 COLUMBIA 17098/9-D (英COLUMBIA LB-36/7と同一録音)
1937年2月2日ロンドン録音
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年にベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められ、1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。このヘンデルはシゲティが2回録音した最初のもの。アメリカ時代の2回目の録音(1954年)は33CDR-3525で出ている。ピアノのニキタ・マガロフ(1912-1992)はサンクトペテルブルクでロシア系貴族の家に生まれた。1918年に祖国を離れパリでイジドール・フィリップについて学んだ。シゲティの伴奏者となったことが縁で娘婿となった。1949年ジュネーヴ音楽院の教授に就任し1960年までその地位にあった。このシリーズでヘ
ンデルのヴァイオリン・ソナタ第4番は多数出ているがこの演奏はエネスコ盤(78CDR-3035)と双璧の名演。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ社のNutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3744

 

2018/11新譜

J.S.バッハ:イタリア協奏曲 BWV 971
ヘンデル:アリアと変奏曲「調子のよい鍛冶屋」

エタ・ハーリヒ=シュナイダ-(ハープシコード)

日POLYDOR S-4046/7
1941年日本録音
エタ・ハーリヒ=シュナイダー(1897-1986)はベルリン生まれの女流奏者。ハープシコードをワンダ・ランドフスカ(1879-1959)について学んだ。1933年から39年にかけてベルリン高等音楽院の教授をつとめたが、ナチス政権に反抗して追放され大戦中を日本で過ごした。戦後はアメリカに渡り、その後ヨーロッパに戻り活躍した。この録音は大戦直前に行われた貴重な日本録音。戦時の物資不足でレコード盤の材料が枯渇していた時代のもので、現存するレコードが極めて少ない。またレコードに手が触れなくても自然に割れてしまうこの時期のポリドール盤からの貴重な復刻。復刻にはGE製バリレラカートリッジRPX-046を使用した。

78CDR-3745

 

2018/11新譜

ベルリオーズ:幻想交響曲作品14

ルネ=バトン指揮
コンセール・パドルー管弦楽団

英HMV D987/92
1924年10月14、17-18日パリ録音 ※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
この名曲の世界初の録音。ルネ=バトン(1879-1940)はフランスの指揮者で作曲家。パリ音楽院でピアノと楽理をアンドレ・ジェダルジュ(1856-1926)に学んだ。1907年オペラコミークの合唱指揮者となりキャリアをスタートした。1910年ミュンヘンで開催された「フランス音楽祭」の責任者に選ばれ、1912-13年にはディアギレフ(1872-1929)の「ロシアバレエ団」の指揮者をつとめた。第1次世界大戦中の1916-18年にはオランダ王立歌劇場の責任者、また1914-19年にはハーグ・レジデシティ・オーケストラを率いて避暑地スケフェニンヘンのサマーコンサートを担当した。コンセール・パドルー管弦楽団はその前進をコンセール・ポピュレールと名乗り1861年に発足したフランスで最も古いオーケストラだったが、後発のコンセール・コロンヌ(1873年設立)、コンセール・ラムルー(1881年設立)に押され1884年に活動を停止した。1918年に映画企業家のセルジュ・サンベールがオーケストラを復活し、ルネ=バトンに指揮を依頼し、1921年からコンセール・パドルーを名乗った。その後アンドレ・カプレ、アルベール・ウォルフ、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト等が指揮者をつとめた。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ社のNutubeフォノ・イコライザーを使用した。この録音の翌年、1925年に電気式録音が登場した。

78CDR-3746

 

2018/12新譜

J.S.バッハ:トッカータ ハ短調 BWV 911

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

英 HMV DA1613/4
1937年11月24日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)生まれ。1889年7歳でウィーン音楽院に入り1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリンでデビュー、1933年までこの地を本拠にした。演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。大戦後はスイスに住んで演奏会や録音に活躍した。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ社のNutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3747

 

2018/12新譜

シューベルト:
ピアノ五重奏曲イ長調 作品114 D.667「鱒」

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
クロード・ホブデイ(コントラバス)
プロ・アルト弦楽四重奏団のメンバー;
アルフォンス・オンヌー(ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)

米 RCA VICTOR 1623/7(英 HMV DB2714/8 と同一録音)
1935年11月16日ロンドン、アビー・ロード、EMI 第3スタジオ録音
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカ初公演、ワシントンの国会図書館ホールの開館式で演奏した。1932年にはベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年アメリカのウィスコンシン大学からの要請でメンバー全員が教授に就任した。1944年コーリッシュ弦楽四重奏団が解散した時リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)がプロ・アルトの第1ヴァイオリンに就任した。この団体はハイドン、モーツァルトの古典派四重奏曲からロマン派、現代音楽と幅広いレーパートリーを誇る一方、ピアニストのアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)との共演でも名声を上げた。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ社のNutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3748

 

2018/12新譜

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調 作品81

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)

英 HMV DB2177/80
1934年2月11日ロンドン、アビー・ロード、EMI 第3スタジオ録音
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカ初公演、ワシントンの国会図書館ホールの開館式で演奏した。1932年にはベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年アメリカのウィスコンシン大学からの要請でメンバー全員が教授に就任した。1944年コーリッシュ弦楽四重奏団が解散した時リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)がプロ・アルトの第1ヴァイオリンに就任した。この団体はハイドン、モーツァルトの古典派四重奏曲からロマン派、現代音楽と幅広いレーパートリーを誇る一方、ピアニストのアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)との共演でも名声を上げた。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグ社のNutubeフォノ・イコライザーを使用した。

78CDR-3749

 

2019/1新譜

シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821

ピエール・フルニエ(チェロ)
ジャン・ユボー(ピアノ)

仏 DISQUE GRAMOPHONE L1037/8
1937年5月4日&9月22日録音(一部強音で原盤のオトミゾが削れているところがあります)
アルペジオーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもつ弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれ。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日、その後何度も日本を訪れた。ジャン・ユボー(1917-1992)は9歳でパリ音楽院に入学を許されピアノをラザール・レヴィに師事し1930年13歳で一等賞を得た。また作曲ではローマ賞次点(1934年)を得ている。復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

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