新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3450〜3499

レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3450

 

試聴

J.S.バッハ:
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042

ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ガブリエル・ブイヨン指揮
コンセール・パドルー管弦楽団
ドニーズ・グアルヌ(クラヴサン)

仏ODEON XCO809(Mono)(1952年12月録音)
ヴァイオリンのヘンリク・シェリング(1918-1988)はポーランド生まれ。同郷の大ヴァイオリン奏者フーベルマン(1882-1947)のすすめでベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、その後パリ音楽院でガブリエル・ブイヨン(1896-1988)にヴァイオリンをナディア・ブーランジェ(1877-1979)に作曲を学び1937年に一等賞を得た。第2次大戦中、ポーランド亡命政府の外交員(7カ国語の読み書きができた)として活躍、ポーランド難民をメキシコ政府が受け入れてくれたことに感謝し、大戦後メキシコを活動の拠点とし国籍も取得した。この録音は大戦後パリで師のブイヨンの指揮で行われたもの。以降数回正規録音したバッハの協奏曲の最初のものである。

78CDR-3451

 

試聴

J.S.バッハ:
ヴァイオリン・ソナタ第4番ハ短調 BWV 1017
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ短調 BWV 1018
ヴァイオリン・ソナタ第6番ト長調 BWV 1019
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 BWV1015から第2楽章 Andante

アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)

英COLUMBIA LFX267/73
(1932年6月-7月ブリュッセル録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はブリュッセル音楽院出身。卒業後ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)にも師事し、1920年にヴュータン賞を得た。1927年に母校の音楽院の教授に就任し、弟子にはアルテュール・グリュミオー(1921-1975)がいる。ピアニストのマルセル・マース(1897-1950)はこのバッハ以外にもフランク: ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)で共演している。デュボワはこのシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(78CDR-3054)が出ている。

78CDR-3452

 

試聴

ブラームス:ヴァイオン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ゲオルク・ショルティ(ピアノ)

英 DECCA K1705/7(ffrr録音)
(1947年1月28日スイス、チューリッヒ放送局録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。ゲオルク・ショルティ(1912-1997)は1930年ブダペストのリスト音楽院を卒業後、国立歌劇場の歌手たちの稽古のためのピアニスト(コレペティトール)をつとめた。1936年ザルツブルク音楽祭でトスカニーニの目にとまり、音楽祭で助手をつとめた。1938年ブダペスト歌劇場で指揮者デビュー。1947年ピアニストとして英デッカと契約をむすんだ。クーレンカンプとはブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲の録音がこの時期にある。

78CDR-3453

 

試聴

J.S.バッハ:「シャコンヌ」-
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
マスネ:タイスの瞑想曲

リヒャルト・チェルウォンキ(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(04)

仏 TRI-ERGON 4001/2 (独 Christschall 146/7 と同一録音)
(1931年頃録音)
リヒャルト・チェルウォンキ(1886-1949)はポーランドに生まれ、ドイツで研鑽を積み、その後アメリカに渡り1907-08 にボストン交響楽団の副コンサートマスターをつとめ、1910年にベルリン・フィルにデビューした。1910-19 にはミネアポリス交響楽団のコンサートマスター、1930年代にはシカゴ・オペラのコンサートマスタ-をつとめた。録音はエジソンの蝋管&縦振動レコードと独クリストシャルに数枚あった。

33CDR-3454

 

試聴

モーツァルト:
交響曲第36番ハ長調 K.425「リンツ」
交響曲第29番イ長調 K.201

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

米 COLUMBIA ML5375(1955年4月26&28日(36番)&1954年12月29-30日(29番)
ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもこの2曲を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)と交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)が出ている。

33CDR-3455

 

試聴

ウェーバー:フルート、チェロとピアノのための三重奏曲ト短調作品63

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品44-1

ウェーバー:
ルネ・ル・ロワ(フルート)
ヤーノシュ・ショルツ(チェロ)
エルノ・バロー(ピアノ)
メンデルスゾーン:
ギレ弦楽四重奏団

米 VOX VL6390 (1949年秋録音)
ルネ・ル・ロワ(1898-1985)はフランスのフルート奏者。幼少時からフルート奏者だった父親に手ほどきをうけ、1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。1922年にパリ器楽五重奏団(フルート、ハープ、弦楽トリオ)を結成、オーケストラ活動をせずソロや室内楽奏者として、ヨーロッパ各地、アメリカを演奏旅行した。フォンテーヌブローのアメリカ音楽院、カナダのモントリオール音楽院、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。チェロのヤーノシュ・ショルツ(1903-)はハンガリー出身のチェリスト。1933年アメリカに移住し市民権を得た。ロート弦楽四重奏団のチェリストと活躍した。ピアノのエルノ・バロー(1897-1989)もブダペスト音楽院出身。卒業後ベルリンでレオニード・クロイツァー(1884-1953)に師事、1924年にアメリカに移住、ピアニスト、教師として活躍した。ギレ弦楽四重奏団のリーダー、ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコとギヨーム・レミに師事し、オペラ・コミックのコンサート・マスター、カルヴェ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めた後、1941年にアメリカに移住、ギレ弦楽四重奏団を組織、1944年にトスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団、1951年にコンサート・マスターになった。ギレ弦楽四重奏団は結成当時からメンバーが何回か替わっていて、他
のメンバーの名前は記載されていない。

78CDR-3456

 

試聴

ブラームス:ヴァイオン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ: ヴィンクラー)

ウォルフガンク・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 GRAMMOPHON 04857/52(78回転VG盤)
(1953年5月17-21日ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれ。1933年から37年までウィーン交響楽団のコンサートマスターをつとめ、1937年にウィーン・フィルハーモニーに入団、1938年、当時のコンサートマスターだったアルノルト・ロゼー(1863-1946)がロンドンへ亡命した時、第1コンサートマスターに就任した。1949年ソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団した。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍したが、大戦中に祖国を離れ、敵国ドイツで活動したことを糾弾され、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。このレコードはSPレコード末期にドイツグラモフォンが開発した長時間収録のSP盤(VG盤)にカットされた放送局用のレコードで一般発売はされなかかった。演奏はLP(Heliodor 89519)と同じ。

78CDR-3457

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

英 DECCA CA8207/10(独 POLYDOR 67062/5と同一録音)
(1935年ベルリン録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメンに生まれ、第2次大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍したが、1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。このシリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮)(78CDR-3123)とベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3127)、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3452)が出ている。ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。ベルリン音楽大学でロベルト・カーンに作曲をカール・ハインリヒ・バルトにピアノを師事し、1917年ピアノ組曲の作曲でメンデスゾーン賞を受賞した。その後ピアニストとして活躍し、1936年ドイツ文化使節として来日したことがある。SPレコード時代から録音が多くわが国でも親しまれていた。このシリーズではベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(78CDR-3320)、第4番(78CDR-3120)、第3番(78CDR-3112)、ピアノ・ソナタ「悲愴」(78CDR-3133)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78-3153)が出ている。

78CDR-3458

 

試聴

ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調

ガブリエル・ブイヨン四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(ヴァイオリン)
アベール・ロカテルリ(ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)

仏 DISQUE GRAMOPHON DB5154/6(France)
(1941年3月17日パリ録音)
ガブリエル・ブイヨン(1896-1984)はフランスのモンペリエ生まれ。1910年パリ音楽院に入りリュシアン・カペー(1873-1928)に師事し一等賞を得た。卒業後ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ジャック・ティボー(1880-1953)について研鑽をつみ、ソリストとして活躍する一方1943年からパリ音楽院教授をつとめた。門下生にヘンリク・シェリング(1918-1988)がいる。ブイヨン四重奏団は1940年にカペー弦楽四重奏団のメンバーを引き継いだモーリス・エヴィットが指揮者として転出した後をつぎ、1940年に結成された。ヴィオラとチェロはカペー四重奏団の最後のメンバーである。

33CDR-3459

 

*試聴はありません

JO+JAZZ/ ジョー・スタッフォード
(1)ジャスト・スクイーズ・ミー
(2)フォー・ユー
(3)ミッドナイト・サン
(4)ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
(5)ザ・フォークス・フー・リヴ・オン・ザ・ヒル
(6)アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー
(7)ホワット・キャナイ・セイ
(8)ドリーム・オブ・ユー
(9)イマジネーション
(10)スポージン
(11)デイ・ドリーム
(12)アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オンナ・ストリング

ジョー・スタッフォード(vo)

米COLUMBIA CS8361(U.S)(Stereo)
(1960年7月15日、8月1日&10日ロスアンジェルス録音)
ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州のコーリンガの生まれ。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩みはじめた。1950年にコロンビアの専属となり、夫君のピアニスト=アレンジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスター歌手の地位を築いた。このアルバムはデューク・エリントン楽団のメンバーとウェスト・コーストで活躍するジャズメンの混成隊によるものでコロンビアでのジョーの最後のアルバムである。エリントン楽団とドーシー楽団の曲を中心に歌うジョー会心の作品。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3460

 

*試聴はありません

ローズマリー・クルーニー讃美歌集
(1)千歳の岩
(2)さびしきみそのに
(3)日暮れて四方はくらく
(4)イット・イズ・ノー・シークレット
(5)静けき祈りの時はいと楽し
(6)丘の上に十字架たつ
(7)九十九匹の羊
(8)村の小さな教会
(9)主われを愛す
(10)主よみもとに近づかん
(11)いつくしみ深き
(12)イエスのために生き
(13)ソフトリー・アンド・テンダリー
(14)見よや十字架の旗高し

ローズマリー・クルーニー/ROSEMARY CLOONEY(vo)

米MGM RECORDS SE3782(Stereo)(1959年録音)
ローズマリー・クルーニー(1928-2002)はケンタッキー州メイズヴィルの生まれ。2歳下の妹ベティとクルーニー・シスターズを組み歌手デビューした。1949年ニューヨークに出てコロンビアと契約。「カモナ・マイ・ハウス」の大ヒット(1951)で人気歌手になった。その後コロンビアで数々のヒット・シングルを出し、アルバムでは「ブルー・ローズ」(デューク・エリントン楽団)他がある。1958年コロンビアを離れMGM、RCA、CORAL 等レーベルに録音、その後10年程の空白期の後CONCORDレーベルに復帰し多くの名作アルバムを残した。このアルバムはコロンビアを離れた直後のもので、クルーニーのアルバムでは最もレア。シンプルな編成をバックにしみじみと歌うクルーニーの最高傑作の歌曲アルバムである。

78CDR-3461

 

試聴

ブラームス:
交響曲第1番ハ短調作品68
交響曲第2番ニ長調作品73

ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
(1953年12月30日(第1番)&12月28日(第3番)ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもブラームス交響曲全集を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)、交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)交響曲第36番「リンツ」&第29番(33CDR-3454)が出ている。

78CDR-3462

 

試聴

ブラームス:
交響曲第3番ヘ長調作品90
交響曲第4番ホ短調作品98

ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
(1953年12月21日(第3番)&1951年2月12日(第4番)ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもブラームス交響曲全集を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)、交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)交響曲第36番「リンツ」&第29番(33CDR-3454)が出ている。

78CDR-3463

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団

米 COLUMBIA ML4012
(1947年4月5日ニューヨーク録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年にベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教鞭をとり、1940年アメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以来何度も日本を訪れた。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ヨーロッパで活躍していたが、1838年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてアメリカ逃れた。この録音は同じ顔合わせの2回目のもので、第1回の1932年録音もこのシリーズ(78CDR-3138)で出ている。この録音は最初78回転SPで発売されたが、1948年に登場したLPの第1回発売に組み込まれた。これはLPからの復刻。

33CDR-3464

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
ソナタ第2番イ短調 BWV 1003

ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)

仏 ODEON ODX-122/123A
(1955年パリ録音)

33CDR-3465

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006

ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)

仏 ODEON ODX-123B/124
(1955年パリ録音)
ヘンリク・シェリング(1918-1988)はポーランド生まれ、同国生まれの巨匠ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)の目にとまり、ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)の下に研鑽を積んだ(1929-32)。その後パリ音楽院に入り作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)、ヴァイオリンをガブリエル・ブイヨン(1896-1984)に師事し1937年に一等賞を得た。第2次世界大戦が勃発すると、ポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目を付け、亡命先を探していたポーランドのヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。1952年12月にパリで師のガブリエル・ブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(33CDR-3450)、続いて1953年1月にはジャック・ティボー(1880-1953)指揮パリ音楽院管弦楽団でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音し演奏家活動を開始した。このバッハはそれにつづく第3作目のパリ録音でこの曲の第1回録音。2回目のステレオ録音(1967)に較べて圧倒的に優れている。

78CDR-3466

 

試聴

ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番 Hob.Vlla-1
(カデンツァ: カール・フレッシュ)

シモン・ゴールドベルグ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 PARLOPHONE PXO 1045/7
(1947年4月19日ロンドン録音)
シモン・ゴールドベルグ(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934ドイツがナチス政権になった時に退団ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールトベルグは38歳だった。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者のジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後に英国国籍を得た。

78CDR-3467

 

試聴

フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)

米ヴィクトローラ 8086/8 (英 HMV DB1080/2 と同一録音)
(1927年6月23日ロンドン録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのときティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日の途中、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。

78CDR-3468

 

試聴

JO STAFFORD & GORDON Mac RAE SING CHRISTMAS SONGS
ジョー・スタッフォード&ゴードン・マックレエ、クリスマス・ソング
(1) a. あめには栄え/HARK THE HERALD ANGELS SING(Cho)-
b. 牧人羊を/THE FIRST NOEL(JS)-
c. 神の御子は今宵しも/O COME ALL YE FAITHFUL(GM)-
d. ひいらぎかざろう/DECK THE HALLS(Cho)-
  e. 久しく待ちにし主よとく来りて/O COME, O COME EMMANUEL(JS & GM)
(4:39) 79-90032A (4726-2D-6)
(2) f. もろびとこぞりて/JOY TO THE WORLD(Cho)-
g. 天なる神にはみ栄えあり/IT CAME UPON A MIDNIGHT CLEAR(GM)-
h. ああベツレヘムよ/O LITTLE TOWN OF BETHLEHEM(JS)-
i. ゴッド・レスト・イー・メリー・ジェントルメン
/GOD REST YE MERRRY GENTLEMEN(Cho)-
j. 聖しこの夜/SILENT NIGHT(JS & GM)
(4:48) 79-90032A (4727-2D-7)
(3) ホワイト・クリスマス(3:06)
WHITE CHRISTMAS(I. Berlin)(JS) 319A (1225-3R)
(4) 聖しこの夜(3:05)
  SILENT NIGHT(Gruber-Mohr)(JS) 319B (999-5L)

ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(vo)(1)-(4)
ゴードン・マックレエ/GORDON MacRAE(vo)(1)-(2)
リン・マーレイ・シンガーズ/LYN MURRAY SINGERS (3)-(4)
ポール・ウェストン楽団・合唱団/
ORCHESTRA & CHOIR under the direction of PAUL WESTON 01-04

米 CAPITOL 79-90032(Mono)(1)-(2) (1950年録音)
米 CAPITOL 319(Mono)(3)-(4) (1946年9月19日録音)
誰もが耳にしたことがあるクリスマス・ソング集。ジョー・スタッフォードの第1期キャピトル時代(1943-1951)にSPレコードに録音されたクリスマス・ソングでCD初登場。ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州コーリンガの生まれ。1938年男女4人のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩み初め、新興のキャピトル・レコードの専属になった。ゴードン・マックレエ(1921-1986)はミュージカル映画「オクラホマ」(1955)や「回転木馬」(1956)に登場した映画俳優・シンガー。歌手としてキャピトル・レコードの専属となり、ジョー・スタッフォードとの二重唱「希望のささやき」Whispering Hopeが1949年にミリオンセラーを記録した。

33CDR-3469

 

試聴

G線上のアリア-巌本真理
(1)カヴァティーナ(ラフ)
(2)G線上のアリア(J.S.バッハ=ヴィルヘルミ編)
(3)トロイメライ(シューマン)
(4)愛の悲しみ(クライスラー)
(5)ロンドンデリー・エア(民謡=クライスラー編)
(6)タイスの瞑想曲(マスネ)
(7)夢の後に(フォーレ)
(8)ト調のメヌエット(ベートーヴェン)
(9)ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
(10)アヴェ・マリア(シューベルト=ヴィルヘルミ編)

巌本真理(ヴァイオリン)
鷲見五郎(ピアノ)

日TOSHIBA RECORDS JCO 1007(Mono)
(1958年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成した活躍した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもので、忘れ去られていたヴァイオリン小品集、モノーラル録音ながら高音質でヴァイオリン音楽ファンの必聴盤である。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3470

 

試聴

アヴェ・マリア-巌本真理
(1)アヴェ・マリア(J.S.バッハ=グノー)
(2)シューベルトの子守歌(シューベルト=エルマン編)
(3)天使のセレナード(ブラガ)
(4)印度の歌(リムスキー=コルサコフ)
(5)ワルツ作品39(ブラームス)
(6)インディアン・ラメント(ドヴォルザーク=クライスラー編)
(7)愛の喜び(マルティーニ)
(8)エレジー(マスネ)
(9)愛の夢(リスト)

巌本真理(ヴァイオリン)
坪田昭三(ピアノ)

日TOSHIBA RECORDS JCO 1046(Mono)
(1960年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成した活躍した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもので、忘れ去られていたヴァイオリン小品集、モノーラル録音ながら高音質でヴァイオリン音楽ファンの必聴盤である。

78CDR-3471

 

試聴

 

ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第8番ホ短調作品2-8
ドビュッシー:月の光(ローランス編)
メラルティン:エレジー

アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
アレクシス・アバサ(ピアノ)

日COLUMBIA JW635/6(01-04), JW553(05-06)
(1939年頃東京録音)
アレクサンダー・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワでヤン・グルジマリに師事した。モスクワで弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年にパリに移住、リュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもち、ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけた。1926年11月に初来日、1930年に再来日してから1953年亡くなるまで、演奏家として、優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。

78CDR-3472

 

試聴

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
ピツェティ:カント第2番

リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ゲザ・フリッド(ピアノ)

独 GRAMMOPHON LVM72053/4(78回転長時間レコードVG盤)
(1951年11月1日録音)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。このブラームスは戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたもの。マスターはテープ録音と思われる。これ以前にドイツのポリドールにはドヴォルザークのソナチネから第2楽章(クライスラー編曲のインディアン・ラメントとしても知られている)、ヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタ第6番作品2-6 から第2楽章、フランクのヴァイオリン・ソナタ(1942年録音)、グルックの妖精の踊り(以上3曲は78CDR-3473に収録)、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137、シモネッティのマドリガルがあり、またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219もあった。

78CDR-3473

 

試聴

フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品2-6より第2楽章
ドヴォルザーク:ヴァイオリンのためのソナチネ ト長調作品100より第2楽章

リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ヒューベルト・ギーゼン(ピアノ)

独POLYDOR 68002/5 & 67681
(1942年(01-08)、1941年(09&10)録音)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。ここに収録した以外にドイツのポリドールにはグルックの妖精の踊り、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137 、シモネッティのマドリガルがあり、また戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3472)があった。またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219も出ていた。

78CDR-3474

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

独 TELEFUNKEN SK 2424/8
(1937年12月22-23日アムステルダム、コンセルトヘボウ録音)
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年〜30年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音時代と電気録音初期は米ヴィクター、電気初期のコンセルトヘボウとの録音は英コロンビアと独オデオンに、電気録音の完成期には独テレフンケンに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音はLP時代になってフィリップスから発売された。この「田園」はテレフンケンへの録音で、生々しい演奏が録られているが残念なことにはハム音が入っていること。ハム音を除去すると演奏の迫力が半減してしまうため、ここでは電気処理をしていない。メンゲルベルグの「運命」(78CDR-3370)もこのシリーズで出ている。

78CDR-3475

 

試聴

J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)

英 HIS MASTER'S VOICE DB2287/90
(1934年5月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団との共演でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。これはメニューインが18歳のパリ録音で、師のエネスコの指導が反映している見事な演奏。後年の演奏には見られない輝きと、18歳とは思えない深い思慮が感じられる。このシリーズでは他に13歳の時の録音である「無伴奏ソナタ第3番ハ長調 BWV1005」(78CDR-3227)が出ている。

78CDR-3476

 

試聴

モーツアルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515

プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
アルフレッド・ホブデイ(第2ヴィオラ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB7808/11(DB2383/6 と同一録音)
(1934年11月3日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカに初公演、ワシントンの国会図書館ホールの開館式で演奏した。1932年にベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年にアメリカのウィスコンシン大学からの要請で各メンバーが教授に就任。1944年にコーリッシュ弦楽四重奏団が解散したとき、リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)がプロ・アルトの第1ヴァイオリンに就任した。プロ・アルト弦楽四重奏団はこのシリーズでモーツァルト弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516(78CDR-3251)が出ている。

33CDR-3477

 

試聴

ショーソン:詩曲作品25

ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード作品19
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
マニュエル・ロザンタール指揮
ラムルー管弦楽団

米 VOX PL6450(Mono)
(1947年12月、1947年10月29日パリ、サル・プレイエル録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)教授に師事し1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのコルトー、チェロのカザルスとトリオを結成、1930年頃まで活躍した。ティボーは1953年3 度目の来日のときエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。フォーレを弾くピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し16歳で一等賞を得た。1921年にロベール・カザドシュと結婚しデュオでも活躍した。この録音はSPレコード末期のもので、SPは盤質が粗悪なため、初期のLPから復刻した。ティボーの「詩曲」はエネスコの「詩曲」(78CDR-3018)と比較して劣るように言われてきたが、今回の復刻で初めて真価が問われるであろう。

33CDR-3478

 

試聴

シューマン:女の愛と生涯
メンデルスゾーン:歌曲集
「歌の翼に」「誰も知るまじ」「月」「新しき恋」
「そのかみ、かの人の眼差しより」「眠られぬ眼は輝きて」
「魔女の歌」「好きな場所」「挨拶」

エルナ・ベルガー(ソプラノ)
エルンスト=ギュンター・シェルァー(ピアノ)

ANGEL RECORDS HA-5098(Japan)(Matrix: 2XRA417/8)(Mono)
(Recorded September 18-21, 1956, Berlin-Zehlendorf)
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。第1次世界大戦(1914-18)後に家族は南米パラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年にドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にドレスデン国立歌劇場で「魔笛」(モーツァルト)の童子役でデビューした。1929年から1933年にはバイロイト音楽祭に出演している。その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。録音の数も多く、特に1937年の「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。1952年に来日し日本ビクターに録音を行った。

33CDR-3479

 

試聴

ベートーヴェンのロマンス - 巌本真理
(1)ロマンスヘ長調作品50(ベートーヴェン)
(2)ロマンスト長調作品40(ベートーヴェン)
(3)思い出(ドルドラ)
(4)ラールゴ(ヘンデル)

巌本真理(ヴァイオリン)
MARI IWAMOTO(violin)
上田 仁指揮東京交響楽団 (1)-(2)
鷲見五郎(ピアノ)(3)(エレクトーン)(4)

(1960年頃録音/Recorded circa 1960)
貴重な巌本真理のステレオ録音集。巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。1952年に帰国後、ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成して活躍した。この録音は日本国内で始まったステレオ録音の最初期のもので、ほんとんど忘れられてしまっていたものを掘り出した。「G線上のアリア-巌本真理」(33CDR-3469)と「アヴェ・マリア-巌本真理」(33CDR-3470)がこのシリーズで出ている。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3480

 

*試聴はありません

ストラヴィンスキー:兵士の物語(C. F. ラミューズ詞)

ミシェル・オークレール(兵士)
マルセル・エラン(悪魔)
ジャン・マルシャ(語り手)
フェルナン・ウーブラドゥ指揮 器楽合奏団
ピエール・ルフェーヴル(クラリネット)、ポール・オンニュ(ファゴット)、ロジェ・デルモット(コルネット)、マルセル・ガリエグ(トロンボーン)、ルネ・アニコ(太鼓)、ジョルジュ・アレ(ヴァイオリン)

米 VOX PL7960(仏 PATHE 33 DTX 124 と同一録音)
(1952年6月30日-7月1日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
1953年フランス・ディスク大賞受賞盤。朗読入りの初レコードとして登場したこの盤は、3人の人気俳優を起用している。兵士役のミシェル・オークレール(1922-1988)はジャン・コクトーの映画「美女と野獣」で兄役、「海の牙」「情婦マノン」で知られた名優。悪魔役のマルセル・エラン(1879-1953)は映画「悪魔が夜来る」で悪魔役を演じた。この録音当時73歳で、翌年没した。語り手のジャン・マルシャ(1902-1966)もフランス演劇界の重鎮で、映画でもドランノワの「ボンカラル」や「曳船」で知られていた。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)はパリ音楽院に1916年から1923年の間に在籍、ソルフェージュ、ピアノ、指揮法、バスーンを学び、1922年にバスーンで一等賞を得た。パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者を務めた後1939年にフェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を設立した。モーツァルトのバスーン協奏曲K.191のSP録音もあった。1932年録音のストラヴィンスキー指揮による「兵士の物語」(七重奏曲版)もこのシリーズ(78CDR-3278)で出ている。聴き較べも楽しい。

78CDR-3481

 

試聴

「ラ・フォリア」&「悪魔のトリル」- メニューイン・リサイタル
コレッリ:ラ・フォリア
タルティーニ(クライスラー編):ヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」
クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ- カプリース作品6

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
フーベルト・ギーセン(ピアノ)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

英 HIS MASTER'S VOICE DB1786/7
(1930年12月11日録音、1932年5月20日録音、1932年7月17日録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始め、シグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1877-1966)に師事した。1926年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビュー、神童として評判を呼んだ。その後パリでジュルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年には12歳で初レコード録音を行った。ここに収録された演奏は14歳から16歳の録音で初々しい演奏が特長。「ラ・フォリア」は師のエネスコの演奏(78CDR-3088)と是非聴き較べをされたい。メニューインの天才ぶりが聴きとれる。

78CDR-3482

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲変ホ長調作品127

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

米 VICTOR 15092/6(U.S.)(英 HMV BD3044/8 と同一録音)
(1936年10月16日-17日&11月2日ロンドン録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織された。当時ブッシュはベルリン高等音楽院教授の地位にあった。ブッシュ四重奏団は何回かのメンバー交代があったが、1930年にこのメンバーになり、1939年にアメリカに移住した後も同じメンバーで活躍した。ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェン四重奏曲はこのシリーズで第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第15番(78CDR-3362)、第16番(78CDR-3195)が出ている。

78CDR-3483

 

試聴

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー指揮
ベルリン新交響楽団

独 POLYDOR 69638/41
(1923年春ベルリン録音)
電気を使用しない機械式録音時代最後期の録音。指揮者のブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ、ピアノの神童と言われた。1907年にポリドールに入社、録音プロデューサーに加えて作曲、編曲、オーケストラ指揮、ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。この「運命」交響曲や交響曲第9番「合唱」を機械式録音時代にプロデューサー自らが指揮をしてレコードを残した。1935年にエレクトーラ社に移り、指揮者、ピアニスト、プロデュサーとして多くの名演を残している。その中で1937年に録音されたモーツァルト:歌劇「魔笛」の世界初録音では指揮者のトーマス・ビーチャムを補佐し、ビーチャムがイギリス本国に帰国中に指揮棒をとって一部録音したと伝えられる。またこのシリーズにあるジネット・ヌヴーの1938年録音の小品集(78CDR-3148)ではピアニストも務めている。この今から約90年前のドイツでのベートーヴェン演奏の響きに耳を傾けていただきたい。
2014年1月新譜 5点 発売中

33CDR-3484

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
ソナタ第2番イ短調 BWV1003

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)

米 VANGUARD BACH GUILD BG-627/8A
(1955年10月17-18日BWV1001、10月6-7日BWV1002、
1956年3月1日BWV1003ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)

33CDR-3485

 

試聴

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006

ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)

米 VANGUARD BACH GUILD BG628B/9
(1955年10月18-20日BWV1004、1956年2月9日&3月1日BWV1005、
1956年3月2日BWV1006、ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
レコード史上に輝くシゲティのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの全曲録音。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年にベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められ、1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この全曲録音以前のSPレコード時代に、シゲティは無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調(78CDR-3225)と無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調(78CDR-3041)があった。

78CDR-3486

 

試聴

ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調

巌本真理(ヴァイオリン)
野邊地瓜丸(ピアノ)

日COLUMBIA G33/6
(1949年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビュー・リサイタルを開いた。1946年から 5年間東京音楽学校教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。帰国後ソロ奏者として活躍する一方、1964年に巌本真理弦楽四重奏団を結成し活躍した。ピアノの野邊地瓜丸(1910-1966)(1954年に勝久に改名)は1925年15歳でパリに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。1950年代に巌本真理とのリサイタルを多く開いた。この録音は大戦後間もなくの録音で、同時期に巌本真理はJ.S.バッハの「シャコンヌ」(78CDR-3200)も録音していた。戦後の物資が不足していた時代のSPレコードで、雑音が著しく多いが、この二人の名演は雑音を打ち破って聴き手を感動させる。

78CDR-3487

 

試聴

モーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563

パスキエ弦楽三重奏団
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)

仏 PATHE PAT33/4, PAT40/42
(1935年6月26-27日パリ録音)
1927年パスキエ三兄弟によって結成された弦楽三重奏団。数多くのフランスの作曲家がこの三重奏団のために作品を書いた。代表作はジャン・フランセ: 弦楽三重奏曲(1934)、ボフスラフ・マルティヌー:弦楽三重奏曲(1935)、アンドレ・ジョリヴェ:弦楽三重奏曲(1938)、ダリユス・ミヨー:弦楽三重奏曲(1947)、フローラン・シュミット:弦楽三重奏曲(1944)、ガブリエル・ピエルネ:弦楽三重奏曲「ジャン=ピエール=エティエンヌ」がある。またマルグリット・ロンやジャン=ピエール・ランパル等の著名なソリストと多く共演した。1974年に解散したが、1970年にピエールの二人の息子ブルーノとレジ、チェロのロラン・ピドゥによって新パスキエ三重奏団が出来た。この録音はSP時代に日本コロムビアから発売されていて、名演と評価が高かった。

78CDR-3488

 

試聴

ドビュッシー:忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)
やるせない夢ごこち
巷に雨の降るごとく
木陰にて
木馬

憂鬱

浅野千鶴子(ソプラノ)
野邊地瓜丸(ピアノ)

日本コロムビア B177/9(1950年録音)
COLUMBIA B177/9(Japan)(Recorded 1950)
浅野千鶴子(1904-1991)は東京音楽学校で永井郁子に師事し、ネトケ=レーヴェ、長坂好子の指導も受けた。1927年在学中に師の永井郁子と二重唱で「庭の千草」をニッポノフォン(日本コロムビアの前身)に録音した。1930年にデビュー、1937年から4年間イタリアに留学した。イタリア歌曲を得意としたが、それ以上にフランス歌曲を得意とし、東京音楽学校で教えるかたわらその普及に努めた。ピアニスト野邊地瓜丸(1910-1966)(1954年に勝久に改名)は1925年15歳でパリに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。この当時フランス歌曲を原語で録音したことは画期的なことだった。だが当時の日本のクラシック・ファンはジャーヌ・バトリ(1877-1970)やクレール・クロワザ(1882-1946)、ニノン・ヴァラン(1886-1961)のSPレコードでフランス歌曲に親しんでいた証拠と言える。このシリーズにあるクロワザ(78CDR-3341)、ヴァラン(78CDR-3299)と聴きくらべてほしい。浅野千鶴子と野邊地瓜丸がいかに優れたフランス音楽の演奏者だったかがわかる。

33CDR-3489

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23

ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3490

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2

ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)

33CDR-3491

 

試聴

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96

ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)

米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)
ジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ピアニストのアルトュール・バルサム(1906-1994)はポーランド生まれ。ベルリン高等音楽院でアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)に師事し、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューインとアメリカ公演を行い、ナチの台頭でアメリカに移住した。バルサムは名伴奏者であると共にソリストとしても活躍。モーツァルトのピアノ曲全集、ハイドンのピアノ曲全集などを残した。後年はイーストマン音楽院、ボストン大学、マンハッタン音楽院で指導にあたり、エマヌエル・アックス、マレイ・ペライア等を輩出した。

33CDR-3492

 

試聴

J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043

アルマ・ローゼン=ヴィテク(ヴァイオリン)
アントン・ヴィテク(ヴァイオリン)
バイロイト祝祭劇場弦楽オーケストラ

日COLUMBIA J7435/6 (英COLUMBIA 9681/2 と同一録音)
(1928年7月バイロイト祝祭劇場録音)
アントン・ヴィテク(1872-1933)はオーストリアのザーツ生まれ。プラハ音楽院でアントニン・ベネヴィッツ(1833-1926)に師事した。ベネヴィッツの弟子にはフランツ・レハール(1870-1948)やヨセフ・スーク(1874-1935)等がいる。ヴィテクは1884年から1909年までベルリン・フィルのコンサート・マスターを務め、1903年には夫人でピアニストのアヴィータ・ヴィテク、後にボストン交響楽団の首席チェロ奏者になったジョセフ・マルキンとピアノ三重奏団を結成した。ウィテクはその後ボストンに移住し、1910年10月に当時の首席指揮者だったマックス・フィドラー(1859-1939)の下でコンサート・マスターに就任した。1918年にオーケストラを退団し、ソリスト、教師として活躍した。この録音は後妻のアルマ・ローゼンとの共演である。1928年バイロイト祝祭劇場にて楽劇「トリスタンとイゾルデ」(カール・エルメンドルフ指揮)の際に英コロンビアの録音スタッフによって録音されたもの。

78CDR-3493

 

試聴

ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタト短調
ラッベ:アリア-シャッス-ミニュエット

アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)

日COLUMBIA JW26/7(ベルギーCOLUMBIA DFX198/9 と同一録音)
(1934年9月25日ベルギー録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ブリュッセル音楽院出身のデュボワは卒業後ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)にも師事し、1920年にヴュータン賞を得た。1927年に母校のブリュッセル音楽院教授に就任し、一方ソリストとしても活躍した。ピアニスト、マルセル・マースとのデュオは評判をとった。このシリーズでデュオではフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)、バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第4番、第5番、第6番(78CDR-3451)が、協奏曲ではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)とモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3054)が出ている。この第4面に収録されたラッベ(1727-1803)はフランスの作曲家でヴァイオリニスト。正確にはJoseph-Barnabe Saint-Sevin dit L'Abbe le Fils と言い、忘れられた音楽家。

33CDR-3494

 

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パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6

イヴリー・ギトリス(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団

米 REMINGTON RLP-149-20
(1950年9月26-28日、ウィーン録音)
ギトリス28歳のデビュー録音! イヴリー・ギトリス(1922- )はイスラエルのハイファに生まれた。両親はユダヤ系ロシア人。5歳からヴァイオリンを始め、10歳で最初のコンサートを開いた。大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)がギトリスの演奏を聴いてパリ音楽院に入学をすすめた。音楽院では教授のジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)に師事して13歳で一等賞を得た。卒業後ジョルジュ・エネスコやジャック・ティボーにも指導をうけた。1939年、第2次大戦の勃発でイギリスに渡り、軍需工場で勤務していたが、後に軍の慰問部隊でヴァイオリンを弾いた。1951年にパリでソロ・デビューした。これは米レミントン社最初期の10インチLPに録音されたギトリスの初ソロ・アルバム。指揮者のクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアの指揮者。1946年-1951年までウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を、1951年-1954年までNHK交響楽団の首席指揮者をつとめた。この録音のオーストリア交響楽団の実体はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団だと思われる。ギトリスは90歳を越した現在でも精力的に活動を続け、定期的に来日公演をしている。その記念すべき初録音がこのシリーズに加わる意義は大きい。

33CDR-3495

 

試聴

ドビュッシー:
ビリティスの三つの歌(P.ルイス詩)
(1)パンの笛
(2)髪
(3)ナイアードの墓
忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)より
(4)やるせない夢ごこち
(5)巷に雨の降るごとく
(6)木陰にて

古澤淑子(ソプラノ)
アンドレ・コラール(ピアノ)

仏デュクレテ・トムソン LLP 8718(17cm LP)
(1952年パリ録音)
ソプラノの古澤淑子は1916年満州の大連に生まれた。ソプラノの荻野綾子に師事して本格的声楽を習い、1937年にパリに留学した。パリでは大歌手でパリ音楽院教授だったクレール・クロワザ(1882-1946)ついて研鑽を積んだ。彼女は大戦勃発で帰国勧告をうけたが、パリに留まった。1944年ついに敵国人としてフランスを強制退去を命じられドイツを経てスイスに移り終戦を迎えた。戦後はスイス、フランスで活躍し1952年に帰国した。帰国後はフランス歌曲を紹介する「フランス歌曲研究会」主宰した他、後進の指導にも力をそそいだ。1975年に再びパリに移住し晩年をその地で過ごした。この録音は1952年の帰国直前にパリで録音された。17cmLPという短時間収録だが、SP時代に活躍したクロワザやジャーヌ・バトリ(1877-1970)の名唱と比肩する優れたフランスの香り高い歌唱がきける。フランスのレコード会社がフランス歌曲の録音に日本人の古澤淑子を起用したことは、いかに彼女が高い芸術境地に達していたかの証である。一部使用原盤に起因する音のヒズミと雑音がある。

78CDR-3496

 

試聴

エレナ・ゲルハルト、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う
ブラームス:ジプシーの歌
ブラームス(ハイネ詩):死は冷たい夜
ブラームス(ボヘミア民謡詞):恋人をたずねて
ブラームス(ケラー詩):テレーゼ
シューベルト(ハイネ詩):街 -「白鳥の歌」より
シューベルト(シラー詩):バッカス讃歌
シューベルト(ザイドル詩):子守歌
シューベルト(スコット詩):エレンの歌(その2)
ヴォルフ(ハイゼ詩):月は嘆きながら神様に
恋人の死を見たいなら - イタリア歌曲集第17番

エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

英 HMV GR16/21(プライヴェート録音盤)
(1939年10-11 月ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が第2次世界大戦勃発期に、自費で録音したプライヴェート盤の復刻。録音当時ゲルハルトは祖国ドイツを捨ててイギリス国籍を得た直後だった。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は1907年、ニキシュのピアノで10インチ盤x7枚、12インチ盤x1枚からはじまった。以降レコード録音は機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。そのすべてがリートでオペラは歌っていない。ゲルハルトの正規録音は1932年のフーゴ・ヴォルフ協会第1巻の12インチ盤x9枚(19曲)が最後になった。それから7年後の1939年にこの10インチ盤x6枚組のアルバムを、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)を同様のプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り、販売はされなかった。HMVの白レーベルでアルバムの表紙裏には自筆署名のシールが貼られていた。ピアノのジェラルド・ムーアの起用もあって、56歳のゲルハルトは素晴らしい歌唱を披露している。HMV盤特有のノイズと共に原盤のキズがあるが、声もピアノもゲルハルトの録音中最高。

78CDR-3497

 

試聴

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13

イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏

英 HMV E279/30
(1921年11月21日&1922年1月11日イギリス録音)
この曲の世界初録音。イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀の前半に活躍したイギリスのヴァイオリン奏者。1910年17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、バッハの「シャコンヌ」、電気録音初期のベートーヴェン:「クロイツェル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHMVにあった。

78CDR-3498

 

試聴

ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
(カデンツァ: フルニエ)

ピエール・フルニエ(チェロ)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団

蘭 HMV DB9743/5
(1951年5月26日、ロンドン、アビー・ロード、EMI第1スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを習ったが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えてピアノ四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わり、ヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動した。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。指揮者のラファエル・クーベリック(1914-1996)はチェコの大ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれた。1942年チェコ・フィルの首席指揮者になったが、1948年イギリスに亡命した。1951年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任した。HMV盤特有のノイズと原盤のキズがあるが、フルニエの典雅な芸術は他に代えがたい。

78CDR-3499

 

試聴

モーツァルト:交響曲第34番ハ長調 K.338

レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

日VICTOR JD157/8 (独 ELECTROLA EJ607/8と同一録音)
(1930年9月23日ベルリン録音)
レオ・ブレッヒ(1971-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院でピアノと作曲を修めた後、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者の地位についた。1899年にプラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベールの歌劇「低地」を初演した。1906年にベルリン宮廷歌劇場(現ベルリン国立歌劇場)の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。1937にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長の地位を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年にドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密裡にスウェーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の楽長に就任した。戦後の1949年ドイツに帰国、シャルロッテンブルク歌劇場の音楽総監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー(1875-1962)と競演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知られていなかった。

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