新 忠篤氏 復刻

新 忠篤氏 復刻 ダイレクト・トランスファー・シリーズ

78CDR-3600〜
レコード番号 タイトル 演奏者 説明

33CDR-3600

 

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ショーソン:ピアノ, ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲作品21

ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
ギレ弦楽四重奏団
ダニエル・ギレ(第1ヴァイオリン)
バーナード・ロビンス(第2ヴァイオリン)
エマヌエル・ヴァルディ(ヴィオラ)
ビーナー・ハイフェッツ(チェロ)

米 COLUMBIA ML4998(Mono)(1954年12月1日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヴァイオリンのジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はマルセイユ生まれ。 5歳でリサイタルを開き、10歳で公開演奏会を開いた。1924年にパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年アメリカにデビューしそのままニューヨークに定住した。ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を得た。第2次世界大戦中にアメリカニ移住した。弦楽四重奏団のリーダー、ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコに師事し、卒業後カルヴェ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めた後1941年にアメリカに移住、1951年にトスカニーニ指揮のNBC 交響楽団のコンサート・マスターになった。その後ボザール三重奏団や自己の弦楽四重奏団を結成して活躍した。

78CDR-3601

 

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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19
(カデンツァ:A.シュナーベル)

 

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団

 

英 HMV DB9099/102
(1946年6月6日ロンドン、EMI第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニク生まれ、1899年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から97年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。その後イギリス、イタリアに、1939年にはアメリカに移住した。この録音は大戦後のもので、シュナーベルのベートーヴェン協奏曲の第2回目の中のもの。1930年代の第1回のものと較べて、音質が圧倒的に優っている。指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1891-1953)はロシア帝国に生まれ、1921年ソビエトを離れノルウェーに定住しオスロ・フィルハーモニーの指揮者になった。EMIから録音用の指揮者として起用され、このフィルハーモニア管弦楽団のほか、戦前にはウィーン・フィルハーモニーを指揮して、ブロニスワフ・フーベルマンと共演したJ.S.バッハの協奏曲第1番(78CDR-3228)と第2番(78CDR-3595)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3602

 

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ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:Auer/Heifetz、Joachim/Heifetz、Joachim/Auer/Heifetz)

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC 交響楽団

米 VICTOR 17451/5(1940年3月11日ニューヨーク録音)(オーケストラの強音で音割れするところがあります)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれの指揮者。1937年NBC交響楽団の創立時に首席指揮者に迎えられた。この録音は二人の巨匠が顔を合わせた放送録音の貴重な音源。SPレコードの盤面の切り替わり時が唐突にカットされているが、NBC放送局の8Hスタジオの残響の少ない音が特徴。これまでの復刻盤では人工的な残響を加えているので演奏の本質が伝わって来なかった。

78CDR-3603

 

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ベートーヴェン:交響曲第9番ニ長調作品125「合唱」

オスカー・フリート指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ブルーノ・キッテル合唱団
ロッテ・レオナルト(ソプラノ)
イェニー・ゾネンベルク(コントラルト)
オイゲン・トランスキー(テノール)
ヴィルヘルム・グットマン(バス)

日POLYDOR 60073/9(独POLYDOR 66657/63と同一録音)(1928年ベルリン録音)(初期SPレコードのためノイズが多くあります)
オスカー・フリート(1871-1941)はベルリン生まれのドイツの指揮者。最初ホルン奏者だったが、フランクフルトで作曲家のフンパーディンクに作曲の薫陶を得、さらにベルリンでシャルヴェンカに師事した。1924年8月、独POLYDORにベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮してマーラー:交響曲第2番「復活」を録音した。SPレコード11枚組のこの曲のラッパ吹き込みによる世界初録音だった。この「第九」は電気吹き込みの初期の1928年に録音されたもの。ドイツ語歌唱による初の電気録音だった。以前は電気録音による世界初録音の「第九」とされてきたが、海外盤のワインガルトナー指揮ロンドン響とアルバート・コーツ指揮の共に1926年録音の「第九」が先行していた。フリートはユダヤ人で、自身社会主義者でもあったため、ナチスの迫害をさけ、それまで度々訪れていたソビエトに亡命し(1934年)その地で没した。この「第九」は今から約90年前のものだがけっして古さを感じさせない感動的な演奏である。

33CDR-3604

 

 

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モーツァルト:
モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165(158a)
オッフェルトリウム「神に祝福あれ」K.117(66a)
ヴェスペレ「証聖者の荘厳な晩祷」K.339 ALP1496B

エルナ・ベルガー(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(コントラルト)
ホルスト・ヴィルヘルム(テノール)
フェルディナント・フランツ(バス)
カール・フォルスター指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂合唱団

英 HMV ALP 1496
(1956年1月31日-2月2日ベルリン、ヴィンテルガルテン録音)
ソプラノのエルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ、17歳でドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。一時家族と共に南米パラグアイに移住したが、1923年ドレスデンに戻り、1925年にバイロイトに出演した。その後各地の一流オペラハウスに出演、世界的に名前が知られるようになった。1955年に現役引退後は大学で後継の指導にあたった。コントラルトのマルガ・ヘフゲン(1921-)は1952年にベルリン・デビューした。バスのフェルディナント・フランツ(1906-1959)はドイツのカッセル生まれた。ヨーロッパ各地のオペラで活躍した。指揮者のカール・フォルスター(1904-1963)はドイツの合唱指揮者で教会音楽の専門家。ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂の楽長を1934年から務めた。

33CDR-3605

 

 

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シューマン:女の愛と生涯 FRUENLIEBE UND LEBEN, OP.42
ベートーヴェン:ゲラートの詩による6 つの歌 作品48

エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
フェルディナント・ライトナー(ピアノ)(シューマン)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)(ベートーヴェン)

独 GRAMMOPHON LPEM 19068(Mono)
(1951年2月17日ベルリン録音)
エリーザベト・ヘンゲン(1906-1997)はドイツ生まれ、1933年ヴッパタール歌劇場でデビュー。デュッセルドルフ歌劇場(1935-1939)、ドレスデン歌劇場(1940-1943)を経てウィーン国立歌劇場に登場した。ヘンゲンは1951年に開催されたバイロイト音楽祭でフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン「第九」交響曲に出演していた。「女の愛と生涯」でピアニストを務めるフェルディナント・ライトナー(1912-1996)はベルリン生まれ。後に指揮者として活躍するがピアニストとしてスタートした。ドイツ・グラモフォンに300 タイトル以上の録音を残した。「ゲラートの詩による6 つの歌」のピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)はドイツ生まれ。歌曲伴奏者として名声を上げた。1933年からドイツ語歌曲のすべてをレコードに録音することを企画し、そのため1940年からベルリン帝国放送局の声楽・室内楽部長に就任。戦後このことがナチス協力に問われ、数年間の活動禁止を命じられた。ラウハイゼンはこのシリーズでワーグナー: ヴェーゼンドンク歌曲集ほか(ティアナ・レムニッツ Sop)が出ている(78CDR-3428)。

78CDR-3606

 

 

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シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54

アルフレッド・コルトー(ピアノ)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米 VICTOR 8317/20(英 HMV DB2181/4 と同一録音)
(1934年3月12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。レコード黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音をすすめた功労者。ピアニスト出身で1909年ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者にになり多くの録音を残した。電気録音になってからはコルトーやクライスラー(1875-1962)の協奏曲の指揮者をつとめた。コルトーとロナルドの顔合わせでフランク: 交響的変奏曲(78CDR-3130)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3607

 

 

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ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ: Auer/Heifetz)

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
セルゲイ・クーセヴィツキ指揮
ボストン交響楽団

米 VICTOR 15531/5S
(1939年4月11日ボストン録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。セルゲイ・クーセヴィツキ(1874-1951)はロシア生まれの指揮者。ロシア革命後パリに移住、1924年から1949年の24年にわたってボストン交響楽団常任指揮者をつとめ、このオーケストラを世界的水準に育てあげた。アメリカVICTORに数多くの録音を残したが、復刻盤の数は少ない。今後このシリーズで順次紹介する予定。

78CDR-3608

 

 

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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

 

アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団

英 HMV DB9032/5
(1946年6月5 & 7日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニク生まれ、1899年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から97年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。その後イギリス、イタリアに、1939年にはアメリカに移住した。この録音は大戦後のもので、シュナーベルのベートーヴェン協奏曲の第2回目の中のもの。1930年代の第1回のものと較べて、音質が圧倒的に優っている。指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1891-1953)はロシア帝国に生まれ、1921年ソビエトを離れノルウェーに定住しオスロ・フィルハーモニーの指揮者になった。フィルハーモニア管弦楽団を指揮してシュナーベルと共演したベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3601)がこのシリーズで出ている。またウィーン・フィルハーモニーを指揮してブロニスワフ・フーベルマンと共演したJ.S.バッハの協奏曲第1番(78CDR-3228)と第2番(78CDR-3595)も出ている。

33CDR-3609

 

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サン=サーンス:
ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
パガニーニ(クライスラー編曲):
ヴァイオリン協奏曲第1番(単一楽章のための)

アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
ピエリーノ・ガンバ指揮
ロンドン交響楽団

米 LONDON LL1624(Mono)(英DECCA LXT5298 と同一録音)
(1956年10月22-23日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。 5歳の時、両親とイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メル(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。指揮者のピエリーノ・ガンバ(1936-)はローマ生まれ。11歳で指揮者としてデビューした神童。LP初期に英デッカに録音をしていた。その後欧米各地のオーケストラを指揮して活躍し、現在ニューヨークで後進の指導にあたっている。カンポーリはこのシリーズで「クライスラー作品集」(33CDR-3563)、「カンポーリ・アンコール !」(33CDR-3577)、J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3414)が出ている。復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3610

 

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モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ:ヨアヒム)

ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・クリプス指揮
新ロンドン交響楽団

米 LONDON LL1271(Mono)(英DECCA LXT5078 と同一録音)(チリ、パチ・ノイズあり)
(1955年5月3-5日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ミッシャ・エルマン(1891-1967)はウクライナ出身のヴァイオリニスト。ペテルブルク音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、1904年にベルリンにデビューした。1908年、17歳でカーネギー・ホールでアメリカ・デビュー。機械式吹き込み、電気録音のSP時代のアメリカ・ヴィクターの看板ヴァイオリニストとなり、日本でも絶大な人気を博した。1950年代になって英DECCAに録音を再開した。これはその中の一枚。指揮者のヨーゼフ・クリプス(1902-1974)はウィーン生まれ。1921年名指揮者フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)の助手兼合唱指揮者としてウィーン・フォルクスオーパーに入り、1933にはウィーン国立歌劇場の指揮者に就任した。戦後はロンドン交響楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場などの指揮者をつとめた。英DECCAに録音が多かった。復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。

78CDR-3611

 

試聴

モーツァルト:
交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」

ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

米 VICTOR 12471/4S(HMV DB3428/31と同一録音)
(1938年1月11日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1880-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以降ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団等のの楽長、音楽監督を歴任し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はウィーンを去る直前のもの。このシリーズでワルターは数多く出ているが、中でも自身でピアノを弾きながらウィーン・フィルを指揮をしたモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 K.466(78CDR-3219)は超名演。

78CDR-3612

 

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シューベルト:
弦楽四重奏曲第13番イ短調作品29 D.804「ロザムンデ」
弦楽四重奏曲第12番ハ短調 D.703「断章」

コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)

日本コロムビア J8413/6(英COLUMBIA LX-286/9 と同一録音)
(1934年1月8-9日ロンドン、アビー・ロードEMI第2スタジオ録音)
コーリッシ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に結成された。結成当時は作曲家シェーンベルクの指導のもとでウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため右手でヴァイリンを持ち、左手弓を持って弾いた。このシリーズでモーツァルト:弦楽四重奏第21番「プロシャ王第1番」(78CDR-3298)、第22番「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)が出ている。

78CDR-3613

 

試聴

モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331(300i)「トルコ行進曲つき」

エリー・ナイ(ピアノ)

独 POLYDOR 67596/8
(1940年9月23日ベルリン録音)
エリー・ナイ(1882-1968)はドイツの女流ピアニスト。初録音は1906年にウェルテ・ミニョン社のピアノ・ロール。ウィーンでレシェティツキーやフォン・ザウアーの薫陶を得た。1911年にオランダの指揮者ウィレム・ファン・ホーフストラーテン(1884-1964)と結婚。1921年から夫君とニューヨークに暮らす。だが1927年に離婚。ドイツに戻りヒトラー政権下で演奏活動を続けた。戦後の名誉回復後も演奏活動を続けたが、一流レコード会社には録音できずマイナーレーベルに録音していた。ナイはこのシリーズにモーツァルト:ピアノ協奏曲第15番 K.450(ホーフストラーテン指揮)(78CDR-3237)が出ている。

33CDR-3614

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」

クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ピエール・バルビゼ(ピアノ)

独 TELEFUNKEN TW 30011(Mono)
(1953年5月15日ハンブルク録音)
クリスチャン・フェラス(1933-1982)は49歳の若さで世を去ったフランスの名ヴァイオリニスト。父親の手ほどきで7歳からヴァイオリンを始め、1941年にニース音楽院に入学、1943年に一等賞を得た後、1944年にパリ音楽院に入りヴァイオリンをルネ・ベネデッティ(1901-1975)に、室内楽をジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)に師事し1946年に一等賞を得た。1948年オランダのスケフェニンヘンで開かれた国際ヴァイオリン・コンクールで優勝、その後ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)について更なる研鑽を積んだ。1949年のロン=ティボー国際コンクールでは1位なしの2位入賞だったが、ここでピアニストのピエール・バルビゼ(1922-1990)と出会い以降ずっとデュオを組んだ。やがてフェラスはDECCA、EMI、DEUTCHEGRAMMOPHONに大量の録音を残していくが、この独TELEFUNKEN録音は20歳の時のもので、みずみずしい音色と高い音楽性で既に大家の風格を備えている。この時ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番も録音していた。

33CDR-3615

 

試聴

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:クライスラー)

シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団

英 WORLD RECORD CLUB T310(Mono)(仏 DUCRETET-THOMSON CC506 と同一録音)
(1962年3月2日パリ、サル・ワグラム録音)
シャルル・シルルニク(1923-2003)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院ではジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)のクラスで学び1939年に一等賞を得た。師ブーシュリゆずりの清楚で気品のある奏法はこのベートーヴェンを高貴に仕上げている。指揮のピエール・デルヴォー(1917-1992)はフランスの名指揮者。1958年から死去する1992年まで名門コンセール・コロンヌの首席指揮者をつとめ、1986年までエコール・ノルマル音楽院の教授でもあった。わが国の女流指揮者松尾葉子の師でもあった。レジオンドヌールを授与された。

78CDR-3616

 

試聴

ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタト短調(第1&第2楽章のみ)(未発売録音)
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
シューベルト(クライスラー編):
ロザムンデからのバレエ音楽

イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アデラ・コトフスカ(ピアノ)

 

英 DECCA AR10622/3(ドビュッシー)(白レーベル・テストプレス盤)
英 DECCA K1704/5(シューベルト)
(1946年9月=ドビュッシー、1941年4月2日=シューベルト、ロンドンNW6 デッカ・スタジオ録音)
15歳で英DECCAに初録音したイダ・ヘンデル(1924年12月15日生まれ)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し1940年に市民権を得た。その年に英DECCAと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音を行ってDECCA社の看板ヴァイオリニストになった。このドビュッシーは戦後の1946年9月に録音されたもので、全曲録音されたどうか不明。ヘンデルは生涯ドビュッシーは録音していないので、資料的に重要と考え発売することにした。

78CDR-3617

 

試聴

シューベルト:
3つの軍隊行進曲作品51 D733
行進曲ト短調作品40-2 D819-2
モーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)

アルトゥール・シュナーベル&カール・ウルリヒ・シュナーベル
(ピアノ・デュオ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
ロンドン交響楽団(モーツァルト)

英HMV DB3527/8(シューベルト)
英DB3033/5(モーツァルト)
(1937年10月24 & 29=シューベルト/ 1936年10月28日=モーツァルト、
ロンドン、アビー・ロード EMIスタジオ録音)
(HMV 盤特有のノイズがあります)
20世紀を代表する大ピアニスト、アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)と長男のカール・ウルリヒ・シュナーベル(1909-2001)の共演盤。父親のアルトゥールはウィーン音楽院で名教授テオードール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。カール・ウルリヒはベルリン生まれ。ベルリン高等音楽院でレオニード・クロイツァー(1884-1952)とパウル・ユオン(1872-1940)に師事した。後年ニューヨークのマンハッタン音楽院でピーター・ゼルキン(1947-)やマレイ・ペライア(1947-)を指導したことでも知られている。サー・エイドリアン・ボールト(1889-1983)はイギリスの指揮者。1930年にBBC交響楽団の初代指揮者に就任した。

78CDR-3618

 

試聴

ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」

 

ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)

独 TELEFUNKEN E 3108/11
(1940年6月4-5日ベルリン録音)
(トラック4の途中にコツコツ・ノイズがあります)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイオリン科教授も務めた。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とトリオでも活躍した。ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプの「クロイツェル・ソナタ」はピアノのケンプと入れた1935年録音がこのシリーズで出ている(78CDR-3547)。またこの「クロイツェル」と同時期にTELEFUNKENに録音した「スプリング・ソナタ」(78CDR-3217)もこれと対になる名演奏。

78CDR-3619

 

試聴

ラロ:スペイン交響曲作品21

アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

英 DECCA LXT2801(Mono)
(1953年3月3-4日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時両親とイギリスに移住し、1923年ロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名を冠したサロン・オーケストラをつくりBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901-1959)はオランダ生まれ。1929年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にデビュー、1931年メンゲルベルグの招きで次席指揮者に、1938年からはメンゲルベルクと共に首席指揮者として活躍した。1945年メンゲルベルクの後をついでコンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督となった。また1949年から51年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者もつとめた。1959年コンセルトヘボウ管弦楽団とのリハーサル中に心臓発作で急逝した。享年57歳。

 

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3620

 

試聴

シューマン:
謝肉祭 作品9
交響的練習曲 作品13

アルフレッド・コルトー(ピアノ)

英 HMV ALP1142(Mono)
(1953年5月7-8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。この録音は1953年、LP時代にコルトーが残した貴重な演奏で録音時コルトーは75歳だった。コルトーはこの録音の前年の1952年、 9月から11月に日本に滞在し公演を行った。その時立ち寄った山口県の川棚村のホテルの窓から見た無人島の厚島に是非住みたいと言って、島の名を「孤留島」(コルトー)とすることも討議されが、帰国後体調を崩し再来日は叶わなかった。

78CDR-3621

 

試聴

ドビュッシー:
フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(1916)

マルセル・モイーズ(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
アリス・メルケル(ヴィオラ)

米 RCA VICTOR 13810/11(仏 V.S.M. L1066/7 と同一録音)
(1938年11月7日パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から49年にパリ音楽院の教授もつとめた。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソリストとしても活躍した。1948年から58年にかけてパリ音楽院の教授をつとめた。アリス・メルケルはヴァイオリニストのアンリ・メルケル夫人。モイーズとラスキーヌは1928年にフランス・オデオンにこの曲を録音していた(78CDR-3064)が、この10年後の再録音と是非聴き比べをおすすめしたい。

78CDR-3622

 

試聴

ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

米 RCA VICTOR 16856/9 英 HMV DB2907/10と同一録音
(1935年4月24日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
(レコードのキズに起因するパチノイズがあります)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。

78CDR-3623

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 作品130

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

独 ELECTROLA DB2239/43(英 HMV DB2239/43と同一録音)
(1933年8月10日&1934年4月4-5日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。

78CDR-3624

 

試聴

ルクー:ヴァイオリン・ソナタト長調
ディーリアス:セレナーデ(ハッサンより)
ヘンデル:祈り
ニン:グラナディーナ(スペイン組曲より)
ベートーヴェン(ブルメステル編):メヌエット
リムスキー=コルサコフ:くまん蜂の飛行

ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
マルセル・ガゼル(ピアノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

米 RCA VICTOR LM2014(Mono)
(1954年12月2日&1953年6月30日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年に初レコード録音を行った。そのとき12歳だった。メニューインはルクーのソナタを1938年に妹のヘフツィバのピアノでSPに録音していたが、これは第2次世界大戦後の初期LP時代に再録音されたもの。当時RCAでは重要な録音はロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音した。これはその一枚。

78CDR-3625

 

試聴

メンデルスゾーン:
(1)最初のすみれ
(2)恋人の手紙
(3)ゆりかごのそばで
(4)月
(5)春の歌
フランツ:
(6)私の大きな苦しみから
(7)小鳥よどこへ急ぐ
(8)静かな確信
(9)願い
(10)恋人はここにいる
(11)母よ安らぎの歌を歌って
(12)おやすみ
(13)献呈
ヴォルフ:
(14)花のあいさつ
(15)いざ、さすらえマリア
(16)私がユーフラテス川を舟で渡ったとき
(17)セレナード
(18)世をのがれて
(19)現象
(20)アナクレオンの墓
(21)つきることない愛

エリーザベ・シュマン(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)(メンデルスゾーン & フランツ)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(ヴォルフ)

英 ALLEGRO ALL746(Mono)
(1950年2月6&27日、4月3日(メンデルスゾーン&フランツ)、
1950年12月7-8&18日(ヴォルフ)、ニューヨーク録音)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ歌手。1909年ハンブルク歌劇場でデビューした。シューマンはオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇り、1910年代の機械式録音時代からレコード録音で活躍した。この録音はシューマンが65歳のもの。マンハッタンの75丁目東に住んでいたシューマン邸で録音されたもの。当時シューマンはEMIとの録音契約が続いていたが、ALLEGRO社はEMIと交渉し、この録音を実現させた。大歌手の人生最後の滋味深い歌唱がテープ録音で残された貴重な文化遺産である。ピアノのジョージ・シック(1908-1985)プラハ生まれ。1940年にアメリカに移住し、ピアニスト、指揮者、ヴォーカル・コーチとして活躍した。もう一人のピアニスト、ジョージ・リーヴスは英国生まれ、クレール・クロワザ(1882-1947)のSP録音(78CDR-3341)の伴奏者でもあった。シューマンはこのシリーズで「すみれ・野ばら」(78CDR-3300)とシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。

78CDR-3626

 

試聴

ジネット・ヌヴー初録音集
アパッショナータ-4つの小品より(スーク)
ノクターン第20番嬰ハ短調遺作(ショパン:ロディオノフ編)
精霊の踊り-オルフェオとエウリディーチェより(グルック)
シチリアーノ(パラディス:ドゥシュキン編)

ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)

(1938年ベルリン録音)
ヌヴー19歳の初録音SP盤3枚の内の2枚で、もう一枚は78CDR-3148で出ている。ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り8カ月後に一等賞を得た。この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとでさらに研鑽を積んだ。1935年にワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の生涯を閉じた。

78CDR-3627

 

試聴

ベートーヴェン:
チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
メヌエット ト長調

パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)

米 VICTROLA 7568/70(英HMV DB1417/9と同一録音)
(1930年3月6-7日イギリス、ミドルセックス州ヘイズ、HMV スタジオA 録音)
パブロ・カザルス(1878-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリ・デビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から始めバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から4曲、G線上のアリアほか小品を18面録音した。ピアノのオットー・シュルホフ(1889-1958)はオーストリア出身。ウィーン音楽院の教授をつとめたほか、パブロ・カザルスとの演奏活動を行った。カザルスはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)ほか多数出ている。

78CDR-3628

 

試聴

タルティーニ:
ヴァイオリン・ソナタト短調作品6-2 「悪魔のトリル」

ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
オットー・グレーフ(ピアノ)

独 GRAMMOPHON 57099/100
(1938年8月28日ベルリン録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれた。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサート・マスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。このアルバムの第4面でプシホダ自身の豪華絢爛なカデンツァが聴けるのが大きな特長。このシリーズにある「ヴァーシャ・プシホダの芸術」(78CDR-3574)と共にこのヴァイオリニストの名人芸を堪能していただきたい。

78CDR-3629

 

試聴

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626

ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
ジェニー・トゥーレル(アルト)
レオポルド・シモノー(テノール)
ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
ウェストミンスター合唱団
(合唱指揮: ジョン・フィンリー・ウィリアムソン)

米COLUMBIA ML5012(Mono)
(1956年3月10日&12日、ニューヨーク、カーネギー・ホール録音)
モーツァルト生誕200 年記念録音。ワルターが残した唯一のモーツァルト:レクイエム。ソプラノのイルムガルト・ゼーフリート(1919-1988)はドイツ生まれ。ウィーン国立歌劇場でデビューし、ザウリツブルグ音楽祭、ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場で活躍、ヴァイオリニストのヴォルフガンク・シュナイダーハン(1915-2002)夫人だった。アルトのジェニー・トゥーレル(1900-1973)はロシア生まれ。ロシア革命後パリに移住し、レナルド・アーン(1875-1947)とアンナ・エル・トゥアに師事した。1946年アメリカの市民権得てこの地で活躍、ジュリアード音楽学校でも教鞭をとった。レオポルド・シモノー(1918-2006)はカナダのケベック州生まれ。1949年パリのオペラ・コミークにデビューした。モーツァルトを得意とした。夫人はソプラノのピエレット・アラリー。ウィリアム・ウォーフィールド(1920-)は米国アラバマ州出身の黒人歌手。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合により、迫害を避けてアメリカに逃れた。

 

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3630

 

試聴

シベリウス:弦楽四重奏曲ニ短調作品56「親愛の声」
グリーグ:弦楽四重奏曲ト短調作品27

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)

米 COLUMBIA ML5202(Mono)
(1955年9月8-9&12日ワシントン、国会図書館クーリッジ・オーディトリアム録音)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団の4人のメンバーでスタートしたが、1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザーがロシア出身のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)に代わり、その後メンバーはロシアとポーランド出身者になり、ハンガリー出身者はいなくなった。この団体はアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨したが、1974年にリーダーのロイスマンの死去で惜しくも解散した。このアルバムは北欧の作曲家の作品を集めたもので、両曲共この楽団がSP時代にHMVに録音していた。現在ではあまり聴くことがない聴き応えのある作品である。

78CDR-3631

 

試聴

シューマン:女の愛と生涯

エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

英 HMV GS37/9 (プライヴェート録音)
(1948年1月14日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)最後の録音。自費で録音したプライヴェート盤で自身の知人やファンに配られたもの、一般発売はされなかった。録音時ゲルハルトは65歳。ゲルハルトの録音は1907年、大指揮者アルトゥール・ニキシュのピアノ伴奏による10インチ盤7枚と12インチ盤1枚から始まった。以降機械式録音時代、電気録音時代に残したレコードはすべてリートでオペラは一枚もない。ゲルハルトは1939年に祖国ドイツを棄てイギリス国籍を得て移住したが、HMVはナチスドイツ国籍だった彼女の正規録音を嫌い、プライヴェート録音扱いにした。プライヴェート盤はこの「女の愛と生涯」以前にも1939年録音の10インチ盤6枚組の「ブラームス、シューベルト、ヴォルフ歌曲集」(78CDR-3496)が出ている。このシリーズでシューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566)もある。

78CDR-3632

 

試聴

タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト短調作品6-2 「悪魔のトリル」
タルティーニ(ブリッジウォーター編):プレスト変ロ長調(3:32)

アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)

英DECCA AK2366/7
(1949年5月12日ロンドンNW6, DECCAスタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時両親とイギリスに移住し、1923年ロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名を冠したサロン・オーケストラをつくりBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、1966年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音した。カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。

78CDR-3633

 

試聴

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

英 HMV DB2810/14
(1936年3月2日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英HMVに多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニアストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番作品59-1「ラズモフフキー第1番」(78CDR-3287)、第12番作品127(78CDR-3482)、第15番作品132 (78CDR-3362)、第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。

33CDR-3634

 

試聴

モーツァルト
弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ワルター・トランプラー(ヴィオラ)

米 COLUMBIA ML5192(Mono)
(1957年1月10日ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団の4人のメンバーでスタートしたが、1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザーがロシア出身のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)に代わり、その後メンバーはロシアとポーランド出身者になり、ハンガリー出身者は居なくなった。この団体はアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨したが、1974年にリーダーのロイスマンの死去で惜しくも解散した。このアルバムはモノLP時代に残されたモーツアルト弦楽五重奏全曲録音の中の一枚。第2ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1915-1997)はドイツ生まれ。1939年アメリカに移住し室内楽奏者として活躍した名手。

33CDR-3635

 

試聴

ブラームス
ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1
ヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2

パウル・ドクトル(ヴィオラ)
ナディア・ライゼンバーグ(ピアノ)

米 WESTMINSTER W-9503(Mono)(WESTMINSTER XWN 18114 と同一録音)
(1955年6月ニューヨーク、エソテリック・スタジオ録音)
パウル・ドクトル(1919-1989)はオーストリア生まれのアメリカのヴィオラ奏者。父親はブッシュ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者だったカール・ドクトル(1885-1949)。父親の手ほどきでヴァイオリンを始め、1938年にウィーン音楽アカデミー卒業。その後ヴィオラに転向した。1942年に開かれたジュネーヴ国際コンクールのヴィオラ部門で第一位。ルツェルン管弦楽団のソロ・ヴィオラ奏者をつとめたが1947年にアメリカに移住し、1948年春にワシントン国会図書館でアメリカ・デビュー。ソロ活動の傍らニューヨークのマネス音楽学校の教授を務めた。ピアノのナディア・ライゼンバーグ(1904-1983)はリトアニアのヴィリニュス生まれ。サンクトペテルブルグで学んだ後、ロシア革命を避けてアメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で名ピアニスト、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1957)に師事した。ライゼンバーグの録音はたいへん少なく、ピアノ録音愛好家が血眼になって探している。これもその一枚。

78CDR-3636

 

試聴

ロッテ・レーマン、ドイツ歌曲集
モーツァルト:クローエに寄す
モーツァルト:ひめごと
シューベルト:いらだち
シューベルト:夕映えの中で
シューマン:トランプ占いの女
シューマン:森のささやき
ブラームス:死は冷たい夜
ブラームス:テレーゼ
ブラームス:わたしの恋は緑にもえ
ヴォルフ:アナクレオンの墓
ヴォルフ:私の髪のかげに

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
エルノ・バロー(ピアノ)

英 HMV DA1466/70
(1935年10月17日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
(HMV盤特有のノイズあり)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代のもの。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048 & 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。

78CDR-3637

 

試聴

モーツァルト:
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調 K.424
グラズノフ:瞑想曲作品32

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)
アルパド・サンドル(ピアノ)

米 RCA VICTOR 18198/200
(録音:1941年5月22日& 8月29日ニューヨーク=モーツァルト、1934年3月ロンドン=グラズノフ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1903-1982)はイギリスのグラスゴー生まれ。ロンドンのギルドホール音楽学校に学んだ。1937年渡米、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC 交響楽団のソロ・ヴィオラ奏者として活躍し、1939年にソリストになり、世界的なヴィオラ奏者として活躍した。

78CDR-3638

 

試聴

ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第1番ヘ長調 作品18-1

ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

英 HMV DB2102/4
(1933年11月11日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英HMVに多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニアストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番作品59-1「ラズモフフキー第1番」(78CDR-3287)、第12番作品127(78CDR-3482)、第14番作品131(78CDR-3633)、第15番作品132 (78CDR-3362)、第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。

33CDR-3639

 

*試聴はありません

カウント・ベイシー&カンザス・シティ・セヴン
オー・レイディ・ビー・グッド
シークレッツ
アイ・ウォント・ア・リトル・ガール
シュー・シャイン・ボーイ
カウンツ・プレイス
セネター・ホワイト・ヘッド
トーリー・ホー・ミスター・ベイシー
ホワッチャ・トーキン?

カウント・ベイシー(piano)(organ)
サド・ジョーンズ(trumpet)
フランク・ウェス(flute)
エリック・ディクソン(tenor sax and flute)
フランク・フォスター(tenor sax)
フレディ・グリーン(guitar)
エド・ジョーンズ(bass)
ソニー・ペイン(drums)

米 IMPULSE! STEREO A-15(ステレオ)
(1962年3月21日、3月22日録音)
カウント・ベイシー(1904-1984)はニュージャージー州レッドバンク生まれ。母親の手ほどきでピアノをはじめ1924年にブルース歌手の伴奏とソロでプロ活動を開始した。ある時仕事で訪れたミズーリ州カンザス・シティで多くのジャズミュージシャンと出会った。これは1960年代初頭にステレオ録音されたベイシーの代表盤。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。超高分解能のサウンドが楽しめる。

 

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レコード番号

タイトル

演奏者

説明

33CDR-3640

 

*試聴はありません

ブルースエット/カーティス・フラー
ファイヴ・スポット・アフター・ダーク
アンディサイデッド
ブルースエット
マイナー・ヴァンプ
ラヴ・ユア・マジック・スペル・イズ・エヴリホエア

カーティス・フラー(trombone)
ベニー・ゴルソン(tenor sax)
トミー・フラナガン(piano)
ジミー・ギャリソン(bass)
アル・ヘアウッド(drums)

米 SAVOY ST-13006(ステレオ) SAVOY ST-13006(U.S.)(Stereo)
(1959年5月21日ニュージャージ州ハッケンサック、ルディ・ヴァンゲルダー・スタジオ録音)
ジャズ愛好家でなくても、きっと何処かで耳にしたことがある懐かしいメロディ「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」が収録されたLPの高音質復刻。「ファイヴ・スポット」はニューヨークのハーレムで営業するジャズクラブの名前。夕暮れの物憂い響きが心地いい。カーティス・フラー(1934- )はミシガン州デトロイト出身のトロンボーン奏者。デトロイトの学校時代にポール・チェンバース(1935- )、ドナルド・バード(1932- )と知り合った。このアルバムの共演者のベニー・ゴルソン(1929- )はペンシルヴェニア州フィラデルフィア生まれ。ワシントンのハワード大学卒業後多くのジャズミュージシャンに出会い影響を受けた。ニュージャージー州ハッケンサックのヴァンゲルダー・スタジオ録音。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。

78CDR-3641

 

*試聴はありません

ジョー・スタッフォードSP録音集
ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム
虹の彼方に
わが心のジョージア
イエスタデイズ
懐かしのヴァージニア
サムタイムズ・アイム・ハッピー
アローン・トゥゲザー
ザ・ボーイ・ネクスト・ドア

ジョー・スタッフォード(vo)
ポール・ウェストン楽団

米 CAPITOL B-D23(78rpm Album Set) (Rec. 1944&1945)
ジョー・スタッフォード(1917-2008)アメリカのポップス・シンガー。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとして新興のCAPITOLに迎えられた。このSPレコード4枚組のアルバムは1946年に発売されたCAPTOLでは2作目のアルバム。ここでは後に結婚した夫君となったポール・ウェストンの指揮する楽団と共演している。スタッフォードはその後COLUMBIAに移籍し、数々の大ヒットを出した。このシリーズで多数出ている。

78CDR-3642

 

試聴

エレナ・ゲルハルト・シューベルト・リサイタル
漁夫の歌
漁夫の娘
ひめごと
別れ
眠りの歌
ミューズの息子
ばらの花冠
春に
ロザムンデのロマンス
万霊節の連祷

エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
ポーラ・ヘグナー(ピアノ)
マジョリー・ヘイウォード(ヴァイオリン)

英 HMV D-1459/62
(録音:1928年5月11日、1928年5月9日、1928年11月9日、1928年2月16日)
(HMV 盤特有のノイズあり)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が機械式録音時代に英エオリアン・ヴォカリオンに録音した22曲と1928年に英HMVに録音した12インチSPレコード3枚の「シューベルト歌曲集」の復刻である。ゲルハルトの録音は1907年、大指揮者アルトゥール・ニキシュのピアノ伴奏による10インチ盤7枚と12インチ盤1枚から始まった。以降機械式録音時代、電気録音時代に多数残したレコードすべてリートでオペラは1枚もない。ゲルハルトはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3631)、「ブラームス、シューベルト、ヴォルフ歌曲集」(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566)が出ている。

78CDR-3643

 

試聴

シューマン:詩人の恋 作品48(ハイネ詩)

ロッテ・レーマン(ソプラノ)
ブルーノ・ワルター(ピアノ)

米 COLUMBIA M486(Set)(Mono)
(1941年8月13日ハリウッド、CBSスタジオ録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノを大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962)が弾いている。ワルターもまた1938年ナチス・ドイツの迫害を逃れ、アメリカに移住した人物だった。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048 & 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。

78CDR-3644

 

試聴

モーツァルト:
ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
(カデンツァ:ロベール・カザドシュ)

ロジーナ・レヴィーン(ピアノ)
ジャン・モレル指揮
ジュリアード管弦楽団

米 COLUMBIA MS 6182(Stereo)
(1960年5月6&11日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ジュリアード音楽院のピアノ科の名教師ロジーナ・レヴィーン(1880-1976)の80歳記念録音。キエフの宝石商の娘として生まれた彼女はモスクワ音楽院に学び1898年に大金メダルを得て卒業。その後まもなく 5歳年長のピアニスト、ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944)と結婚した。夫妻は1919年にアメリカに亡命した。1944年に夫のヨーゼフが死去すると、ジュリアードの経営陣は満場一致で夫人のロジーナを夫の後任教授に推薦し、その後32年に渡って数々の俊英を育成した。中でも1958年に冷戦時代のソ連で開催されたチャイコフスキー・コンクールにアメリカ人として初めて優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)や日本人ピアニストの中村紘子(1944-2016)、作曲家のジョン・ウィリアムズ(1932-)、指揮者のジェイムズ・レヴァイン(1942-)等は門下生だった。ジャン・モレル(1903-1975)はフランス生まれ。ニューヨーク・シティ・オペラ(1946-1951)、メトロポリタン歌劇場(1956-1971)の指揮者を務めた。ジュリアード音楽院でも後進の指導にあたり、ヘルベルト・ブロムシュテット(1927-)、ジェイムズ・レヴァイン(1942-)、レナード・スラットキン(1944-)は門下生だった。

78CDR-3645

 

試聴

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a

アイダ・シュトゥツキ(ヴァイオリン)
グスタフ・ルント指揮
シュトゥットガルト・トンスタジオ管弦楽団

米 PERIOD SPLP 548(U.S.)(Mono)
(1951年11月シュトゥットガルト録音)
アイダ・シュトゥツキ(1921-2011)はエジプト、カイロ生まれでスイスのヴァイオリン奏者。アンネ=ゾフィ・ムター(1963-)の師として知られている。10歳でヴァイオリンを始め最初はヴィンタートゥール/チューリッヒ市立オーケストラのコンサート・マスター、エルンスト・ヴォルタースに、続いてハンガリー生まれのヴァイオリン教師シュテフィ・ガイヤー(1888-1956)に、さらにルツェルンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1940年にジュネーヴ国際音楽コンクールで入賞し、1945年から1950年までピアニストのクララ・ハスキル(1895-1960)とデュオを組んだ。1948年からヴィンタートゥール音楽院で教鞭をとり、1992年にはチューリッヒ高等芸術院でマスタークラスを開いた。1975年にはヴィンタートゥールの「カール・ハインリッヒ・エルンスト芸術基金賞」を受賞した。この録音は1951年シュトゥツキが30歳の時アメリカのPERIODレーベルにスタジオ録音されたもの。ヴァイオリン協奏曲第7番はアメリカのDoremi社の復刻CDにも収録されていない貴重な音源である。

78CDR-3646

 

試聴

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

シメオン・ベリソン(クラリネット)
ロート弦楽四重奏団
フェリ・ロート(第1ヴァイオリン)
イェネ・アンタル(第2ヴァイオリン)
フェレンツ・モルナール(ヴィオラ)
ヤーノシュ・ショルツ(チェロ)

米 COLUMBIA 68909/12-D
(1937年9月29日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ロート弦楽四重奏団はオーストリア=ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって1922年に設立された。ロートはブダペスト王立音楽アカデミーの出身で1919年からブダペスト歌劇場のコンサート・マスター、1921年にはベルリン・フォルクスオーパーのコンサート・マスターをつとめた。1928年にアメリカに渡り、室内楽奏者として活躍した。1929年から1939年の11年間はこの四重奏団の黄金期で全員ハンガリー出身者で構成され、レコード録音の数も多い。代表的なものにJ.S.バッハのフーガの技法がある。クラリネットのシメオン・ベリソン(1881-1953)はモスクワ生まれ。1921年にアメリカ国籍を得た。ベリソンはニューヨーク・フィルの第1クラリネット奏者として活躍する傍ら、クラリネット奏者のグループを結成し、メンバーが当初8名だったのが1948年には75名になっていた。ベリソンは他にモーツァルトのコンサート・ロンド、ベートーヴェンのドン・ジョバンニ変奏曲の録音があった。

78CDR-3647

 

試聴

モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
エドガー・オルテンベルク(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)

米 COLUMBIA 71692/5-D(Mono)
(1945年2月6日& 4月23日ニューヨーク、コロンビア・スタシオ録音)ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。第2ヴァイオリンのエドガー・オルテンベルク(在籍1944-1949)はアレクサンダー・シュナイダーが抜けた時期にメンバーを務めた。第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリ-帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペ
スト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。

78CDR-3648

 

試聴

モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516

ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)

カナダ COLUMBIA C15888/91(Mono)
(1941年12月2日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。これは第2ヴァイオリンがアレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45 、1966-67)時代の録音。第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリ-帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペスト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。これは1941年(昭和16年)日米開戦の 6日前の録音である。

78CDR-3649

 

試聴

ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11

ロジーナ・レヴィーン(ピアノ)
ジョン・バーネット指揮
ナショナル・オーケストラ・アソシエーション同窓会のメンバー達

英 WING WL1064(Mono)(米MERCURY 録音)
(1961年11月20&22日ニューヨーク、マンハッタン・センター録音)(使用原盤に起因するノイズがあります)ジュリアード音楽院のピアノ科の名教師ロジーナ・レヴィーン(1880-1976)の
81歳の録音。キエフの宝石商の娘として生まれた彼女はモスクワ音楽院に学び1898年に大金メダルを得て卒業。その後まもなく5歳年長のピアニスト、ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944)と結婚した。夫妻は1919年にアメリカに亡命した。1944年に夫のヨーゼフが死去すると、ジュリアードの経営陣は満場一致で夫人のロジーナを夫の後任教授に推薦し、その後32年に渡って数々の俊英を育成した。中でも1958年に冷戦時代のソ連で開催されたチャイコフスキー・コンクールにアメリカ人として初めて優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)や日本人ピアニストの中村紘子(1944-2016)、作曲家のジョン・ウィリアムズ(1932-)、指揮者のジェイムズ・レヴァイン(1942-)等は門下生だった。指揮者のジョン・バーネットは1917年ニューヨーク生まれ。1937-41年にナショナル・オーケストラ・アソシエーションの指揮者を務めたことがある。81歳になったロジーナ・レヴィーンをソリストに指揮者も含めて元ナショナル・オーケストラ・アソシエーションのメンバーだった人達が集まっての記念録音。格調高く威厳のあるピアノが素晴らしい。

 

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